Classical

TRUST 05

そのとき突然、部屋のチャイムが鳴った。
「―――?!」
一瞬、本城が怯んだのを克哉は見逃さなかった。
咄嗟に彼を突き飛ばすと、ドアに駆け寄る。
「御堂、さん……!」
開けたドアの向こうに立っていたのは、紛れも無く御堂だった。
克哉の様子からただならぬ気配を感じ取ったのか、御堂は僅かに目を見張る。
それから視界が本城の姿を捉えると、焦ったように克哉の肩を掴んで、顔を覗き込んだ。
「大丈夫か? 何があった?」
「あ、あの、御堂さんこそ……」
克哉は腕の時計を見る。
予定の時間より、三十分以上も早い。
「まだ九時前なのに、どうして……?」
そっちの話が先なのか、と言わんばかりに、御堂は眉を顰める。
やや苛立ったような口調で、それでも御堂は克哉の疑問に答えてくれた。
「原田君が謝っていたぞ。君が心配で、約束は守れなかったそうだ」
「……そう、なんですか」
オフィスを出る前、克哉は原田に頼み事をしてきたのだ。

―――嫌がらせの相手に呼び出された。
誰かは、まだ分からない。
話し合うつもりでいるが、事態がこじれる可能性もある。
そのときには、御堂に仲介に入ってもらいたい。
もしも九時までに自分から連絡がなかったときには、何かあったと考えて、原田から御堂にメールをしてほしい。

そう話して、このホテルの名前と部屋番号を御堂への伝言として預けた。
御堂に知らせないまま、なんとか自分だけでケリがつけられれば、それが一番いいと思っていた。
しかし、万が一ということもある。
相手が話し合いに応じるかどうかも分からなかったし、 さすがに命に関わるような目には合わないだろうとは思ったのだが、何かあったときに頼れるのはやはり御堂しかいない。
誰にも連絡を取れないような状況になったときを考えて、施した保険だった。
しかし原田は克哉が心配で、指定の時刻を待たずして御堂に知らせてしまったらしい。
結果的に克哉は、原田の機転に心から感謝することになった。
「……それで、どういうことなんだ。何故こいつと、こんな場所で会っている? 嫌がらせというのは、なんなんだ?」
「俺が呼び出したんだよ」
御堂に睨みつけられた本城は、酷く愉快そうに笑った。
「久し振りだな、御堂。お前のそんな顔が見られて、嬉しいよ」
「……」
御堂は不快感も露わに顔を顰めたが、本城は意に介する様子も無い。
寧ろ望み通りの状況になったことを、喜んでいるようだった。
「とうとうお前が本気になったらしいって、長谷川に聞いてさ。しかも相手は年下の男だって言うじゃないか。 これはぜひ会ってみたいと思ってね」
「写真を送ってきたんです」
克哉が口を挟んだ。
「写真?」
「はい。オレとあなたが写っている、写真を」
克哉は長谷川という名前に聞き覚えがあった。
確か、ワインバーで会った御堂の友人のひとりだ。
やはり予想は当たっていたらしい。
「この目で見るまで、信じられなかったからさ。だって昔のお前は、男はあくまで遊び、本気になるはずがないって言ってただろう?  だから興信所を使って、調べさせたんだ。写真は良く撮れてたから、あげただけだよ。お気に召さなかったかな?」
「嘘だ……」
白々しく言ってのける本城を、克哉はまた睨みつける。
御堂は何も言わなかったが、その表情からも彼が怒っているのは明らかだった。
それでも辛うじて怒りを抑えているのは、相手が仮にも古い友人だからだろうか。
一方、本城はそんな御堂の気持ちを知ってか知らずか、御堂を挑発することをやめようとはしなかった。
「それでさ。今、佐伯君に頼んでたんだよ」
「頼んだ……? なにを」
「俺にも試させてくれないか?って。ちょうどいいから、お前も一緒でいいぜ。どうせ、そういうこともしてるんだろう?」
「貴様……!!」
とうとう御堂が、本城を殴った。
左の頬に拳を受けた勢いで、本城は激しい音を立てて床に倒れ込む。
余程腹に据えかねたのだろうが、御堂がこんな風に感情を爆発させるのは珍しいことだ。
興奮で荒くなる呼吸に、僅かに肩が上下している。
しかし本城は唇の端から血を流しながらも、まだ不敵な笑みを浮かべて御堂を見上げてきた。
「フン。恋人の前だから、かっこつけたいのか? 彼に、昔のお前の話でもしてやろうか?」
御堂がゆっくりと、克哉を振り返る。
昔の話、というのがどんなものなのか、だいたいの想像はついた。
けれど、それがなんだというのだろう。
克哉は少し困ったように首を傾げて、御堂に言った。
「……オレの話、してもいいですよ?」
「!」
御堂は驚いたような顔をしてから、気まずそうに目を逸らす。
そんな御堂に克哉は思わず噴き出しそうになって、拳で口元を隠した。
御堂が今までどんな悪さをしてきたのかは知らないが、自分がされたことはその中でも群を抜いているだろう。
そんな自負を持ててもまったく嬉しくはなかったが、今だけは助かった気分だった。
二人の事情を知らない本城だけが、訳が分からず訝しげにしている。
「残念ですが、本城さん。オレ、何を聞いても驚かないと思います」
「克哉……! もう、いい」
それ以上言われては敵わないとでも思ったのか、御堂は克哉の腕を引き、肩を抱き寄せる。
克哉を守るようにして腕の中に抱え込むと、御堂は本城に侮蔑の視線を浴びせた。
「……二度と、克哉に手出しはするな。もし今度同じようなことをしたら、そのときは貴様を許さない」
その言葉に本城は、少しだけ力を無くしたように見えた。
多分、本城が本当に会いたかったのは自分ではなく、御堂だったのではないだろうか。
克哉はふと、そう思った。
「……許さない、ね」
本城が自嘲気味の笑みを浮かべながら、呟く。
御堂に走った僅かな緊張が、抱かれる腕から克哉にも伝わった。
「……私は、お前に対してうしろめたいことは何も無い」
「そうだろうな。お前は運が良くて、俺は運が悪かった。それだけのことだ」
「……」
二人は恐らく、例の出世に関する揉め事のことを話しているのだろう。
けれどこればかりは、自分が口を挟むべきではないと克哉にも分かっていた。
御堂は克哉の肩を押して、部屋を出ようとドアの方へ促す。
背中を向けた御堂と克哉に、それでも本城は最後の切り札を突きつけてきた。
「けど、俺はお前達の写真を持っている。俺に弱みを握られているんだってことは、覚えておけよ」
そうだ。
写真はまだ本城の手の内にある。
彼がそれをばら撒かないと約束したわけではない。
克哉は不安そうに御堂を見つめたが、驚いたことに御堂は唇の端を歪めて笑った。
「……そんなものが弱みになると、本気で思っているのか? ばら撒きたければ、好きなだけばら撒けばいい。止めはしない」
「御堂さん……!」
予想通りの御堂の反応に、克哉は焦る。
御堂ならば、そう言い兼ねない。
写真のことを相談しなかった理由のひとつが、まさにそれだった。
御堂は自分達の関係を隠す必要はないと、本気で思っている。
最初は自分を喜ばせるために言っているのではないかと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしいと、やがて克哉も気づいた。
御堂がそこまで覚悟してくれていることは、正直言って嬉しい。
嬉しいけれど、やはりそういう訳にはいかないだろう、というのが克哉の考えだ。
そんなことになれば、御堂が周囲からどんな目で見られるか、会社からの評価はどうなってしまうのか。
自分のことはどうでも良かったけれど、御堂が少しでも不利益を被ることには耐えられそうもない。
そのときこそ、自分は御堂と別れる決意をするかもしれないとまで考えていたのだ。
しかし御堂はいつもと変わらず、自信に満ち溢れた態度で断言した。
「安心しろ、克哉。そんなことで君や私を手離すほど、会社は馬鹿じゃない。 我々がどれぐらい会社に貢献していると思っている?」
「で、でも……」
「それに、専務は私達のことを既に知っている」
「……え?」
克哉は耳を疑って、しばし固まった。
今、御堂はなんと言った?
次第に鼓動が速まり、一気に汗が噴き出してくる。
「……ど、どういうことですか、それ! 御堂さん!」
克哉は御堂の腕に縋りつく。
本城から送られてきた写真を見たときよりも、ずっと動揺していたけれど、御堂はあくまで淡々としていた。
「人事に住所変更の届けを出しただろう。あれで君の住所が私と同じだと気づいた人間が、内々に専務に話したらしい」
「それで……」
「専務に呼び出された」
「それで?」
「佐伯君と一緒に暮らしているのかと聞かれたから、そうだと答えた」
「そ、それで?!」
「何故だと言うから、彼は私のパートナーだからですと答えたんだ」
急かす克哉にさすがにうんざりしたのか、最後には放り投げるようにして御堂は答える。
専務に話したのはいつですか、とか、どうしてそんな大事なこと黙ってたんですか、とか、 まだまだ聞きたいことはたくさんあったけれど、克哉にもこれ以上驚愕の事実を受け止められる自信が無かった。
とりあえずは自分を落ち着かせようと一呼吸して、それから改めて御堂に尋ねる。
「……それで、専務は納得してくれたんですか?」
「知らん。パートナーとはどういう意味だ、と言うから、そういう意味ですと答えた。そこで、終わりだ」
「……」
ありえない。
御堂は少し、変わっていると思う。
前々からそんな気はしていたのだが、もはや疑いようもなかった。
どうして、ここまで堂々としていられるのだろう。
自分には、到底無理だ。
けれどそんな御堂を心の何処かで頼もしく思っているのも、本当だった。
御堂はニヤリと笑いながら、克哉の肩を軽く叩く。
「そういうことだから、安心したまえ。そもそもあの人は……いや、なんでもない」
「???」
「……お前も聞いていたな? そんな写真など、取るに足らないことだ。それに……」
御堂はそこで言葉を区切り、克哉を殊更きつく抱き寄せて本城に言った。
「もしもそれが原因で会社を辞めることになっても、私は痛くも痒くも無い。 私にとって、仕事は幾らでも替えがきくものだ。替えがきかないものさえ守れれば、それでいい」
「御堂さん……」
「行くぞ、克哉」
「あ、あの」
克哉が胸のポケットに手を入れる。
そこから取り出したのは、小さなICレコーダーだった。
御堂にここまで言われたのだから、もう必要無いかもしれないと思いながらも、克哉はそれを本城に見せつけた。
「今日の会話は、録音してあります。あなたがあの写真をばら撒くなら、俺はこれをあなたの会社に送ります。 共倒れになりたくなかったら、よく考えてくださいね」
「克哉……」
本城はそこで、初めて悔しげな表情を見せた。
御堂は少しばかり呆れたように、短い溜息をつく。
「……意外と抜け目無いのが、君のいいところだな」
一応は誉められているのだろうと受け取って、克哉は微笑む。
そのまま二人は部屋を後にした。
しかし廊下に出てすぐのところで、御堂が不意に足を止める。
「……済まない。奴に言い忘れたことがある。ここで、待っていてくれ」
「は、はい」
御堂はそう言って、ひとり本城の残る部屋に戻っていった。

- To be continued -
2008.05.26

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