Classical

TRUST 06

本城は、まだ床に座りこんだままだった。
戻ってきた御堂を見上げる顔は、気が抜けたようにぼんやりとしている。
共に働いている頃の、毅然とした彼を思い出して、御堂は微かな苛立ちを覚えた。
振り返ってみれば彼とは、学生時代からお互いをライバル視していたようなところがあった。
御堂には本城を含め、友人と呼べる人間は何人かいる。
しかしその誰とも似たような関係で、そこには友情などという生温い感情は存在しない。
けれど別の商社に就職すると決めていたはずの本城が、突然自分と同じMGNに行くと言い出したときには、さすがに違和感を覚えた。
そこまでして自分と張り合いたいのかと呆れると同時に、何か別の感情が見え隠れしているような気がしてならなかったのだ。
しかし、御堂はそれに気づかない振りをした。
気づいたとしても、どうしようもなかった。
「……立て」
これ以上惨めな姿を見ていたくなくて、御堂は本城に手を差し出す。
しかし彼はその手を取らずに、自ら立ち上がった。
御堂に殴られた頬は赤く腫れ、乾いた血が唇の端にこびりついている。
身につけている物は相変わらず上等だったが、その姿からは以前のような覇気がすっかり消えていた。
「……まだ、何かあるのか」
御堂の目を見ることなく、本城が呟く。
―――情けない。
彼がこうなってしまったのは、自分の所為だと分かっている。
それでも御堂は、かつての友人が無様な姿を晒しているのが我慢ならなかった。
「しっかりしろ、本城」
「……!」
激情を堪えたような声に弾かれて、本城の体がびくりと跳ねる。
御堂は無用になった手をゆっくりと下ろしながら、今度は穏やかに言った。
「さっきも言ったように、私はお前に詫びるつもりはない。だが……他にやり方があったのかもしれないと、今では思っている」
「……御堂」
本城は息を飲み、意外そうな顔で御堂を見つめる。
長い付き合いの中で、御堂がこんなことを口にするのは初めて聞いた。
部長の座を得たときも勝ち誇ったように笑うだけだった、あの御堂が。
「……そんな風に思うようになったのは、あの子の影響か?」
本城が、投げやりに笑いながら言う。
久し振りに連絡を取ってきた長谷川から御堂のことを聞かされ、「あいつは変わった」と言われても本城には信じられなかった。
しかし、もしそれが本当なら諦めもつく。
いつまでも御堂の影を追わなくても済む。
そう思っていた本城に、とうとう御堂の答えが与えられた。
「そう取ってくれて、構わない」
「御堂……」
「言いたいことは、それだけだ」
そして御堂は踵を返し、今度こそ部屋を出て行った。
ドアの向こうに消えていく御堂の背中を見送りながら、本城が力無く呟く。
「変わったな……御堂」

御堂と克哉は、黙り込んだまま駐車場へと向かった。
気持ちが落ち着いてくるにつれて、克哉は惨めな気分になってきた。
御堂を守ると一人で息巻いていたくせに、結局は御堂に助けられてしまったのだ。
あんな録音データだけで、あの本城を黙らせることが出来たとは到底思えない。
御堂に何も相談せず独断で行動してしまったことも、結局自分ひとりでは何も出来なかったことも、何もかもが情けなかった。
車に乗り込み、シートベルトを掛けても、御堂は車を発進させようとはしない。
しばらく続いた気まずい沈黙は、やがて御堂の溜息によって破られた。
「……今回のことは、私が原因だ。君には嫌な思いをさせたな」
てっきり相談しなかったことを責められると思っていた克哉は、慌てて御堂の言葉を否定した。
「そんなことないです……! もとはといえば、オレが迂闊だった所為で……」
「そうじゃないだろう。しかし何故、もっと早く私に話さなかったんだ?」
「そ、それは……」
克哉は俯く。
御堂を煩わせたくなかった。
御堂を守りたかった。
けれど、本当にそれが理由だったのだろうか?
―――違う。
克哉は膝の上で、きつく拳を握り締めた。
「あなたに……知られたくなかったんです」
克哉の呟きに、御堂は眉を顰める。
「……オレとの関係が、脅しのネタになっているなんて、あなたには知られたくなかった……。 だからあなたに話さず、自分だけでなんとかしたかったんです。何も無かったことに、したかったんです……」
「克哉……」
自分が原因で、御堂の人生が壊されかけているという事実を、御堂に知られたくなかった。
御堂に少しでも、後悔されたくなかった。
だから、隠した。
守りたかったのは、御堂ではなく自分自身。
そんな自分の我侭さに嫌気が差して、克哉は項垂れた。
「すみません、御堂さん……」
「……馬鹿だな、君は」
小さな声で謝る克哉を、御堂は乱暴に抱き寄せる。
不意に腕の中に収められて戸惑う克哉の髪に、御堂は愛しげに唇で触れた。
「私は君とのことを後ろめたく思ったことは、一度も無い。それは今までも、これからも同じだ。 そういう私は、君に対する思いやりが欠けているのか?」
「そ、そんなこと……!」
「だったら」
慌てて顔を上げた克哉の頭を、御堂は再びしっかりと抱え込む。
「君も簡単に怯えたりするな。私達の関係は、脅しの材料になどならない。そうだろう?」
「……はい、そうですよね」
御堂の自信は揺るぎない。
そんなことは分かっていたはずなのに、ついうろたえてしまった自分が恥ずかしかった。
御堂さえいてくれればそれでいいと自分が思っているように、御堂も自分を想ってくれている。
そう信じることは、自惚れではないはずだ。
この数日間、ずっと囚われていた緊張感と罪悪感からようやく解放されて、克哉は安堵の笑みを浮かべながら御堂にしがみついた。
「……勝手なことをして、すみませんでした。でも御堂さんが助けに来てくれて、本当に良かったです。ありがとうございました」
「礼なら原田君に言うんだな。彼は本当に君を気に入っているらしい。酷く心配していたぞ」
その声に僅かな刺を感じて、克哉ははっとする。
「あ、あの、原田さんと飲みに行ったのも、犯人らしき人物について何か聞けるんじゃないかと思ったからなんです」
「なるほどな。……本城の話も、そこで聞いたのか?」
「……はい」
「……」
御堂はしばらく黙り込み、それからぽつりと尋ねた。
「……君はどう思った」
御堂がなんのことを言っているのか、克哉には分かる。
克哉は微笑みながら顔を上げると、御堂を真っ直ぐに見つめて答えた。
「あなたは運が良かった……そうですよね?」
ふっと、御堂の表情が緩む。
そのまま二人は唇を重ねた。
御堂と本城の間に本当はどんなことがあったのか、克哉は知らないし、知ろうとも思わない。
それでも克哉は、御堂を信じたかった。
初めて出会った執務室で、御堂は「イレギュラーは認めるがイリーガルは認めない」と言った。
プロトファイバーの出荷ミスの責任を、8課に押し付けなかった。
自分の立場を悪くしてまで、工場側の責任を追及した。
プライベートはさておき、仕事に関しては意外なほどに真面目な人だと克哉は思っている。
そもそも御堂の能力をもってすれば、そんな卑怯な手を使う必要など始めから無かったはずだ。
御堂が克哉に仕掛けた接待は、御堂にとってもよほど例外な出来事だったのだろう。
彼とつきあうようになってから、克哉はそのことを確信していた。
「……帰ったら、おしおきだな」
唇が離れるなり、御堂がニヤリと笑いながら言った。
「え、えっ?! なんのですか?!」
「君は私に隠し事をしていた。原田君から事情を聞いて、私がどんな想いでここまで来たと思っている?  それに……もしも私の到着がもう少し遅れていたら、君はいったいどうするつもりだったんだ」
「それは……」
確かに、御堂の言うとおりだ。
本城に体を開くなど考えたくもなかったが、もしも彼があのICレコーダーを見ても怯まなかったとしたら、どうなっていたか分からない。
「すみません……でした……」
改めて自分が浅慮だったことを思い知って、克哉はしょんぼりと項垂れる。
だからそんな克哉を見て、御堂がクスリと笑ったことにも、克哉は気づかなかった。
エンジンが掛かり、車が走り出す。
慣れた手つきでハンドルを切りながら、御堂は何処か清々しい気分だった。



「……佐伯!」
翌朝、1室のオフィスに向かう途中の廊下で、焦ったような声が克哉を呼び止めた。
振り返ると、原田が血相を変えて走ってくるところだった。
「あ、おはようございます。原田さん」
「ちょ、ちょっと来い!」
「え? え?」
いきなり腕を掴まれると、引きずられるようにして、廊下の突き当たりまで連れて行かれる。
昨夜のうちに、原田にはメールで「全て無事に終わりました」と報告してあった。
もちろん、今日改めて礼を言うつもりではいたけれど、それにしても原田がこんなに慌てる理由が見つからない。
克哉が戸惑っていると、原田は周囲を気にしながら、小声で克哉に尋ねてきた。
「昨日、本当に大丈夫だったのか? 御堂部長、来てくれたのか?」
「はい。原田さんのおかげで助かりました。本当にありがとうございました」
克哉は深々と頭を下げる。
しかし原田は、またしても同じ質問を繰り返した。
「本当に? 部長、来てくれたの?」
「はい。来てくれましたよ」
「そうか……」
そこで原田は何かしら考え込む。
克哉は不思議そうに首を傾げた。
「あの……何か?」
「ああ。いや……昨日、部長にメールしてから気づいたんだ。確か部長、昨日の夜は接待が入ってたんじゃないかと思って……」
「……ああっ!」
そこで克哉は初めて、前夜に御堂が言っていたことを思い出した。
明日は早く出る。夜は接待が入っている。
確かに御堂は、そう言っていた。
しかし昨夜も今朝も、御堂は接待について一言も触れていない。
そのときちょうど原田の肩越しに御堂が歩いてくるのが見えて、克哉は御堂に駆け寄っていった。
原田もまた、その後を追う。
「御堂さん!」
「おはよう。どうした」
思わず呼んでしまったものの、ここはオフィスのすぐ傍だ。
しかも、勤務時間中にするような話でもない。
それでもどうしても気になる克哉は、出来る限り声を潜め、恐る恐る御堂に尋ねた。
「あの、昨夜は、接待が入ってたはずじゃあ……」
途端に、御堂が顔を顰める。
しかし克哉の後ろで原田までもが心配そうな顔をしているのを見ると、仕方無さそうに答えた。
「私は昨日、体調が優れなかったんだ」
「え」
「……そういうことに、しておけ」
そして、御堂はオフィスに入っていく。
いつの間にか隣りに立っていた原田が、呆れたように呟いた。
「あの部長が……仮病……?」
接待も、れっきとした仕事の内だ。
仕事に厳しい御堂部長が仮病を使うなど、これから先あるかないかのことだろう。
迷惑を掛けてしまったことは本当に申し訳なかったけれど、そこまでしてくれた御堂の気持ちが克哉には嬉しかった。
「佐伯……お前、ほんとに部長とラブラブだな」
原田にからかうように肩を叩かれ、克哉は一瞬うろたえる。
けれどすぐに気を取り直して、堂々と言ってのけた。
「ええ。ラブラブなんですよ」
その返事に、原田は声を上げて笑った。

- end -
2008.05.30

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