TRUST 03
あの写真が届いてから、三日が経つ。
今日も時刻が十時を過ぎた頃、克哉はようやく帰る準備を始める気になった。
あれ以来、出勤も帰宅も御堂とは時間をずらすようにしている。
今のところ特に変わったことは起きていないが、用心するに越した事は無いだろう。
実際に仕事は立て込んでいたから、無理やり残業しているわけではない。
今関わっているプロジェクトは、立ち上げ直後から何故か相次いで小さなトラブルに見舞われていた。
呪われているんじゃないか?などと笑って話せたうちは良かったのだが、
CMに起用するはずだったタレントがスキャンダルを起こした所為で変更になったのには、さすがに参ってしまった。
おかげでただでさえ遅れ気味だったスケジュールは大幅に狂い、現在メンバーは関連部署との調整に追われている状況だ。
(仕事が忙しいときで、良かったよな……)
そう思ってから、なんだか嫌気が差して克哉は溜息をついた。
いったい、いつまでこんな風に警戒しながら過ごすことになるのだろう。
どうせなにか要求があるなら、さっさと接触してくればいいのだ。
それとも、こういう状況に追い込むことこそが目的なのかもしれない。
だとしたら、精神的にはこれが一番きつい。
いっそ金でも要求されたほうがマシだとさえ思えた。
「佐伯ー、お疲れー」
後ろから声を掛けてきたのは、原田だった。
彼とは今、同じプロジェクトに関わっている。
オフィスに残っているのは、もう二人だけだ。
「お疲れ様です、原田さん」
「今、終わったところ?」
「はい」
「そっか。まったく、残業続きで参っちゃうよなぁ」
「……ほんとですよね」
克哉は苦笑しながら答える。
本当は残業があってくれて助かっている、などと克哉が思っていることを彼は知らない。
原田は原田で忙しいのを楽しんでいるのか、セリフの割りには表情も明るかった。
彼はいつもそうだ。
そういうところは、どことなく本多に似ているような気がした。
「なぁ。これから、ちょっとだけ飲みに行かないか?」
「えっ?」
原田の誘いに、克哉は一瞬ためらう。
ここ数日、御堂とはすれ違いの生活が続いている。
忙しい状況は御堂も同じで、だからこそ克哉はたいして言い訳に困ることもなくいられるわけだが、
二人きりで過ごす時間が減ってしまっているのは寂しかった。
本音を言えば少しでも早く帰りたかったのだけれど、そこで克哉はあることに気づいた。
(そうだ、原田さんなら……)
克哉はカバンを取ると、原田に笑いかける。
「いいですよ。行きましょうか」
その言葉に、原田もまた笑顔を見せた。
ビールで乾杯をしながら、互いを労う。
仕事を終えた後のビールの味は格別だ。
冷えた苦味を喉の奥に流し込んだ後は、テーブルの上に並べられたつまみに箸を伸ばす。
居酒屋の賑やかな雰囲気の中で、克哉はようやくほっと一息つくことが出来た。
「それにしても御堂部長は、いい奴を連れて来てくれたよなあ」
「そんなこと……」
「いやいや、本当だって」
枝豆を口に放り込みながら、原田が笑う。
確か彼は、御堂の一年後輩に当たるはずだ。
出世欲はあまり無いようだけれど、おおらかな性格のわりに仕事は緻密で、御堂も気に入っているらしい。
いきなり1室にやって来た克哉に対しても、とても気さくに接してくれた。
克哉は揚げ出し豆腐を飲み込むと、思いきって原田に尋ねてみることにした。
「でも……やっぱり、オレを良く思ってない人もいますよね?」
「え? なんで?」
「だって子会社の一営業が、いきなり親会社の花形部署に配属されたんですから……」
「ん~……」
原田は苦笑いを浮かべる。
彼の嘘をつけなさそうな性格と、社内での顔の広さを考えたとき、彼からなら何か情報を得られるのではないかと思った。
あの写真を送りつけてきた犯人―――すなわち、克哉や御堂に対して憎悪を抱いている者についての手がかりが掴めればと。
原田はしばらく言い辛そうに口篭っていたものの、ようやく口を開いてくれた。
「そうだなぁ。でも、まあ、それは仕方が無いことだよ。佐伯に限らず、上に可愛がられてる奴ってのは、どうしたってやっかまれるもんだからね」
「そういうの、聞いたことあります?」
「悪口とか?」
「はい」
「……そんなこと気にするんだ?」
からかうように顔を覗き込まれて、克哉は少しだけ自分が恥ずかしくなった。
「気にする、というほどでもないんですけど……」
「まあ、ちょっとはな。でも周りがなんと言おうと、佐伯は仕事が出来るんだからさ。言いたい奴には、言わせておけばいいんだよ」
「はぁ……」
それで済むことならば、そうしたいのだが。
さすがに原田に全てをぶちまけるわけにはいかなかったが、なんとももどかしい気持ちになって克哉は俯いた。
そんな克哉の様子に、原田は僅かに顔色を変える。
「……もしかして」
「はい?」
「なんか、嫌がらせでもされてるとか?」
「えっ」
どうやら事は深刻そうだと、原田は察してくれたらしい。
声を潜めて身を乗り出してくる原田に、克哉はもごもごと答えた。
「ま、まあ……それに近いような……」
「本当に?! なんだよ、それ」
他人事であるにも関わらず、原田は怒りも露わに舌打ちする。
そんな原田に、克哉のほうが思わずうろたえてしまった。
「で、でも、そんなにたいしたことじゃないんです。本当に」
「たいしたことじゃないって言ってもなぁ……。うちにも陰湿な奴がいるもんだな」
原田は腹立ち紛れにジョッキを煽ると、通り掛かった店員におかわりを注文する。
それからまた声を潜ませて、克哉に言った。
「それ、御堂部長には相談したの?」
「い、いえ、それは……してません」
「そっか……ちょっと言い辛いか」
言い辛い理由は原田が思っているのと違っているだろうけれど、克哉は曖昧に頷くしかない。
原田が溜息をついたとき二杯目のビールが届いて、彼はそれを口にした。
「うーん。でも、嫌がらせまでしてきそうなほどの悪口は、さすがに俺も聞いたことないぞ? 誰か、心当たりはいないのか?」
「それが、まったく分からなくて」
「そうか……。悪いけど、俺もやりそうな奴の見当はつかないなぁ。少なくとも1室内には、そういう奴はいないと思うんだけど」
「そうですか……」
そうなると、やはり御堂絡みの人物なのだろうか。
克哉は以前、川出に聞いた話を思い出していた。
あの若さで部長になった御堂には敵も多く、根も葉もない中傷を受けていたこともあったらしい。
克哉はさりげなく、話を御堂に移すことにした。
「……平社員のオレでさえこんな目に合うんですから、御堂さんが部長になったときなんて、もっと大変だったでしょうね」
「ああ……そういえば、そうだったなぁ」
原田は当時を思い返したらしく、顔を顰めながら呟く。
話してくれるだろうかと思いつつ、克哉は更に尋ねた。
「やっぱり、すんなりとはいかなかったんですか?」
「すんなりというか……部長の同期に、本城さんって人がいてさ。その人と出世争いみたいになってたんだよな」
「本城さん……ですか」
聞いたことのない名前だ。
もうMGNにはいない人なのだろう。
だからなのか、原田は話を続けてくれる。
「そう。だから、どっちについた方が先々いい目を見られるかっていうんで、関係ない奴らまで御堂派と本城派に分かれたりしてさ。
最終的に御堂さんが部長に決まったときには、その本城派の連中があれこれ噂流したりしてたみたいだよ。
俺はそのときのプロジェクトには関わってなかったから、詳しいことは知らないんだけど、
どうも本城さんの手柄を御堂部長が横取りしたとかなんとか……」
「そんなこと……!」
御堂がそんな卑怯な真似をするはずがない。
つい気色ばんだ克哉に、原田も頷いた。
「俺も、御堂部長がそんなことするような人じゃないって分かってる。でも、そういう噂になったんだよな。
それからだよ、御堂さんがますます厳しい人になったのは。それまでも仕事には厳しい人だったけど、あそこまでじゃなかったもんなぁ」
「……」
御堂のことだから、それこそ言いたい奴には言わせておけばいいと思っていたのだろう。
言い訳めいたことは、一切しなかったはずだ。
それでも、きっと悔しかったに違いない。
更に厳しくなったのも、実力で見返してやろうとした結果なのだろう。
そのときの御堂の気持ちを思って、克哉の胸はせつなく痛んだ。
「……それで、その本城さんって方は?」
「御堂さんが部長に決まって、すぐに辞めたよ。もう二年ぐらい前かな」
「辞めた……」
「それまでも確かにライバルではあったけど、仲は悪くなかったみたいなんだけどな。大学も一緒だったらしいし。
あんなことがなければ、普通の友人でいられたのかもしれないよな」
「そうなんですか……」
克哉はなんとなく苦い想いでビールを煽った。
今は写真を送りつけてきた犯人云々よりも、その理不尽な中傷に対する怒りの方が胸の内を占めている。
今すぐに帰って、力一杯御堂を抱き締めたい。
そんな気持ちだった。
「……でも、佐伯が来てから御堂部長は変わったよ」
「え、えっ?」
突然の原田の言葉に、克哉は戸惑う。
そういえば川出からも、似たようなことを言われたことがある。
原田は今までとは打って変わって、明るい口調で言った。
「丸くなったというか、穏やかになったかな。そういう意味でも、佐伯に感謝してるのは俺だけじゃないと思うなあ」
「あはは……」
原田に他意は無いことは分かっている。
それでも克哉は乾いた笑いを漏らしながら、気恥ずかしさを誤魔化す為に、残りのビールを飲み干した。
克哉が帰宅して寝室を覗くと、まだスタンドの灯りがついていたことに驚く。
「御堂さん……?」
てっきりもう眠っていると思っていた御堂は、ベッドで上半身を起こしたまま、本を読んでいたようだ。
克哉に気づいて、御堂は本を閉じた。
「今、帰ったのか。遅かったな」
「すみません。まだ、起きてたんですか?」
「……ちょっと、寝つけなくてな」
何故か気まずそうに答える御堂に、克哉はゆっくりと歩み寄る。
ベッドの傍に立つと、御堂が手を伸ばしてくれた。
ためらいなくその胸に飛び込み、腕に抱かれる。
さっき聞いた原田の話を思い出して、克哉もまた御堂をきつく抱き締めた。
この人が、愛しい。
この人を、守りたい。
あんな脅迫のような遣り方に、負けたくはなかった。
御堂を守るためなら、なんだって出来るだろう。
しかし心の中で決意を固めていると、不意に御堂が克哉の体を突き離した。
「……飲んでいるのか?」
アルコールの匂いに気づいたのだろう。
御堂の表情が僅かに険しくなって、克哉は慌てる。
「あ、すみません。仕事の後、原田さんとちょっと……」
「原田君と?」
「あの、本当に一時間ぐらいで……でも、メールすれば良かったですよね」
「……別にいい」
そう言いながらも、御堂は明らかに機嫌を悪くしている。
そのまま克哉から手を離すと、ベッドに潜り込み、背中を向けてしまった。
「私はもう休む。君も早く休みたまえ」
「あ、あの……」
「それから明日の朝、私は早く出なければならない。夜は接待が入っているから、遅くなる。おやすみ」
放り投げるようにそれだけを告げて、御堂はスタンドの灯りを消す。
二人きりの時間が減っても、仕事が理由ならば仕方が無いと諦めもついた。
克哉が原田と飲みに行ったのは、写真を送りつけてきた犯人が分かるかと思って、などという理由を、御堂が知る由もない。
「おやすみ……なさい」
今はただ、耐えるしかない。
そうどんなに自分に言い聞かせても、寂しさはどうしようもなく募る。
灯りの落ちた寝室で、克哉は唇を噛みながら、しばらく立ち尽くしていた。
- To be continued -
2008.05.14
←前話 →次話
←Back