Classical

STAY 05

克哉は公園のベンチに腰掛け、濃紺の空にぼんやりと浮かぶ、白い三日月を見上げていた。
酷暑と呼ばれた夏はいつの間にか通り過ぎ、最近は肌寒ささえ感じる日もある。
頬を撫でる夜の空気には、確かに秋の匂いがしていた。
―――誰も、悪くない。
克哉は、そう思っていた。
御堂ほどの人を周囲が放っておくはずもないし、何も知らない人達から見れば未だ独身であることのほうが不思議なぐらいなのだから、 お見合い話が幾つも舞い込んでくるのは当然だ。
そして立場上、断り切れないことだってあるだろう。
大隈とて、そうだ。
確かにあの無神経な提案には怒りを覚えたが、それでも別れろとは言わないだけ、理解ある上司なのかもしれない。
大隈が本気で自分達を引き離そうと思えば、そんなことは容易いはずなのだから。
御堂がお見合いをしたことも、それを隠していたことも、仕方の無いことなのだ。
「嫌な想いをさせたくなかった」というのは、きっと御堂の本心だ。
御堂は自分を大切にしてくれているし、愛されている自信もある。
誰を責めるつもりもない。
誰に怒りを感じているわけでもない。
ただ、やりきれなかった。
嘘をつかれていたことではなく、御堂に嘘をつかせてしまったことが。
この前、実家から電話が来たときのことを思い出す。
アパートから御堂のマンションに引っ越したとき、克哉は両親に小さな嘘をついた。
同性の恋人と一緒に暮らすことになった、などと言えるはずもなく、会社の同僚とルームシェアすることになったと説明した。
そして、今も真実は話せていない。
なんでもかんでも、正直に言えばいいというものではないことは分かっている。
それでも、これからもこうして嘘を積み重ねていかなければ、互いの関係を続けることは出来ないのかと思うと、 克哉にはそれがたまらなかった。
ひとつ嘘をついて、その嘘を守るために、また嘘をついて。
互いを想う気持ちには何一つ嘘など無いのに、いつの間にか嘘で塗り固められていく。
悪いことをしているわけではないのに、隠さなければならない関係。
いつか、嘘をつき続けることに疲れてしまうのではないだろうか。
時間が経つにつれ疲れを覚え、この情熱さえも負けて、やがて静かに心が離れていく。
そんな日が、いつか来るかもしれないと―――。
「いや、だ……っ……」
克哉は咄嗟に顔を伏せ、きつく目を閉じた。
誰も悪くない。
誰にも、どうすることも出来ない。
だからこそ、苦しい。
自分が心を強く持つこと以外、何も方法は無いのだ。
それでも今は、何もかもを投げ出して、何処かへ消えてしまいたい気分だった。
(放っておいてくれたら、いいのに……)
克哉は握り締めた両の拳を、額に押し当てた。
誰にも迷惑を掛けたりしないから、そっとしておいてほしい。
オレ達に、構わないでほしい。
そんな望みは、叶うはずもないのだろうか。
御堂と自分の二人以外、誰もいない世界にでも行かない限り無理な話なのだろうか。
(現実逃避もいいところだな……)
情けなさに投げ遣りな笑みを浮かべながら顔を上げたとき、それまでひんやりと澄んでいた夜の空気が、 不意に生暖かく湿ったものに変わる。
そして突然、目の前に現れた人の姿に、克哉は大きく目を見張った。
「……こんばんは。佐伯克哉さん」
「あ、あなたは……」
そこにいたのは、闇よりも深い漆黒を全身に纏った男だった。
金色の長い髪と、目深に被った帽子の下から覗く銀色の眼鏡。
そして、その奥で細められた冷ややかな瞳。
「Mr.R……」
克哉がその名を呆然と呟くと、男は大袈裟な仕草で、恭しく頭を下げた。
「思い出して頂けて光栄です。あなたは私のことなど、とうにお忘れかと思いました」
「そんな……」
忘れられるはずがない。
出来ることならば忘れたかったけれど、多分一生忘れないだろう。
Mr.Rは足音も立てずに一歩を踏み出すと、すっと克哉の隣りに腰を下ろした。
「ど……どうして、あなたが……」
思わず距離を取った克哉に、Mr.Rはフフと笑う。
「あなたが、お悩みのようでしたので」
「……」
まただ。
あの夜、初めてこの男に出会ったときのことがフラッシュバックする。
もう二度と関わることはないだろうと思っていたのに、まだ諦めていないのだろうか。
「放っておいてください……。あなたには、関係のないことですから」
また眼鏡を掛けろなどと言われては堪らない。
しかし克哉の断固とした拒絶を前にしても、Mr.Rは僅かに退く様子も見せなかった。
「まあ、そう仰らずに。……仕事の悩みですか? それとも、あの方と喧嘩でもなさったのですか?」
「……違います」
克哉は顔を背けながら、ぶっきらぼうに答える。
いったい、この男は何がしたいのだろう。
まさか悩み相談に乗るため、やってきたわけでもなかろうに。
そもそも他人に相談したからといって、どうにかなる話でもないのだ。
「……人の世界とは、とかく面倒なことが起こりがちなもの……」
Mr.Rが呟く。
人の気配を持たぬ男の知った風な物言いに、克哉は少しばかり苛立った。
「あなたはただ、愛する方と幸せに暮らしたいだけ……。それなのに、この世界には雑音が多すぎる。 あなたは、ご自分の欲望に素直になることにしたのではなかったのですか?」
「そ、それは……」
御堂と出会って、初めて知った本当の自分。
自分の中にある欲望を認めて、それを曝け出すことの快感を知った。
求めること、求められることの悦びを知った。
けれど今は、それだけでは生きていけないことを思い知らされている。
世間体、社会的立場、家族。
全てに上手く折り合いをつけられるほどに、御堂と自分の関係は簡単なものではない。
「そんな……単純な話じゃないんですよ……」
「……そうでしょうか?」
克哉の頼りない反論に、Mr.Rが言葉を返す。
そのとき、眼鏡の奥の瞳が残酷な色を帯たことに、克哉は気づいていなかった。
「何もかも、捨ててしまえばよろしいではありませんか」
「えっ……」
克哉は驚いて顔を上げる。
いつの間にかMr.Rの手には、真っ赤に熟れた果実がひとつ乗っていた。
「……あなたは、あの方さえいればそれでいいと思っていらっしゃる。あの方もまた、あなたよりも大切なものはないと思っていらっしゃる。 それなら……他は全て捨ててしまえばよろしいのです」
「そんな……」
妖しく誘うような声に、鼓動が次第に速まっていく。
全身にじわりと汗が滲み、肌寒さとは別の寒気が背筋を走った。
「どうせ何もかも丸く治めることなど出来ないと、分かっていらっしゃるのでしょう?  それなら、一番大切なものを選ぶのが当然ではありませんか。 私は、佐伯さんに幸せになって頂きたいのです」
「しあわ……せ……」
「そうです。その為には、多少の犠牲は止むを得ません」
Mr.Rは微笑みながら、克哉の鼻先に果実を差し出す。
むせかえるほどの甘い香りが、一気に克哉を取り囲んだ。
全てを捨てれば、本当に幸せになれるのだろうか。
御堂と自分、二人きりの世界に行けば。
一番大切なもの。
大切な。
「……さあ、佐伯さん。これを召し上がれば、そこにはあなたの望む世界があるのです。 あの方と二人きり、誰の目も気にせず、存分に愛し合える世界が……」
「あぁ……」
頭の中に靄がかかったように、何も考えられなくなる。
黒い皮手袋に乗せられた、真紅の柘榴。
克哉の手が、震えながらそれに伸びた。
―――御堂さん。
愛する人の顔を思い浮かべながら、克哉はうっとりと目を閉じる。
そして濡れたように光る柔らかな果肉に、深く歯を立てた。

- To be continued -
2008.09.25

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