STAY 03
克哉はドアの前に立つと、まずはネクタイが曲がっていないかを確かめた。
それから大きく深呼吸し、乾いた唇を舐める。
突然の大隈からの呼び出しともなれば、緊張するなというほうが無理だろう。
けれど、いつまでもここでグズグズしているわけにもいかない。
克哉はぐっと息を飲み、覚悟を決めてドアをノックした。
「佐伯です」
「ああ。入りたまえ」
「失礼します」
ドアを開けて、頭を下げる。
克哉の姿を見ると、大隈は笑顔で椅子から立ち上がった。
克哉は別に大隈を嫌いではない。
けれどこの人の笑顔を見ると必ず、腹に何か隠しているような気がしてしまうのだ。
それはやはり、今日も変わらなかった。
「忙しいところを、悪いね。まあ、そこに掛けたまえ」
「はい。失礼します」
ソファを勧められて、克哉は大隈と向かい合わせに腰を下ろす。
緊張に畏まる克哉とは対照的に、大隈は背凭れに深々と身を預けて話し始めた。
「エナジーブルーは、好調なようだね」
「あ、ありがとうございます」
それは、初めて克哉がメインで関わった商品だった。
ビジネスマンをターゲットにしたドリンクだったのだが、今までのようにパワーや栄養だけを売りにするのではなく、
『男性にも癒しを』というコンセプトの元に、デザインにも拘って作られた。
それは市場にも受け入れられて、現在も着実に売り上げを伸ばしている。
「君がうちに来てから、一年ぐらいになるか。やはり、君に来てもらったのは正解だったようだな」
「ありがとうございます……」
なんとなく居心地の悪さを感じながらも、とりあえず頭を下げる。
この人はこんなことを言うために自分を呼んだのではないはずだと、克哉は確信していた。
大隈はやや身じろぎしてソファに座り直すと、まるで改めて品定めでもするかのような視線を克哉に向けてくる。
「……私はね、佐伯君。いずれ君に、御堂君の跡を継いでもらいたいと思っているんだよ」
「えっ……」
予想外な大隈の話に、克哉は驚く。
まだMGNに来たばかりだし、御堂と協力していい商品を作りたいという気持ちはあっても、
それが自分の出世や昇進に繋がるという考え方をしたことはまるで無かった。
「そ、そんな……とんでもないです。私など、まだまだ……」
「もちろん、すぐにとは言っていない。ただ、今からそのつもりで、彼の仕事をよく見て勉強しておくといい。
まあ……その辺りは、私が言うまでも無いのだろうが」
「……!」
大隈の意味ありげな目つきと口調が、克哉を激しく動揺させた。
御堂が大隈から自分達の関係について聞かれ、「パートナーです」と答えたことは知っている。
そして恐らく大隈は、その意味を理解しているはずだ。
克哉は余りの恥ずかしさと居たたまれなさに、思わず俯いた。
嫌な予感がする。
先日、藤田に聞いた話が頭を掠めたとき、大隈がずいと身を乗り出した。
「……それで、君と御堂君のことなんだがね」
克哉の顔色がさっと変わる。
予想していたこととは言え、まるで罪状を言い渡される被告人のような気分だ。
大隈はそれに気づいたのか、一転して口調を軽いものに変えてくる。
「ああ、別にそんな顔をしなくてもいい。君とのことは、御堂くんから聞いている。
私としては、そこまで口を出す気はないから。ただ……ひとつ、提案があるんだよ」
「提案……ですか?」
「ああ。これは、あくまでも提案だ」
大隈はにやりと笑うと、僅かに声を低くした。
「君にも御堂君にも、社会的立場というものがあるだろう? そこで……それとこれとは別、だと考えてみることは出来ないかね?」
「それとこれとは別……?」
大隈の言わんとしていることがよく分からず、克哉はその言葉を反芻する。
どれとどれのことを言っているのだろう。
訝しげにしている克哉に、大隈は話を続ける。
「そうだ。さっきも言ったように、私はなにも君達の仲を引き裂こうと思っているわけじゃあない。
だが、これから先もずっとこのままでいられるとは、まさか君も思っていないだろう?」
「あ、あの……」
鋭い刃物を突きつけられたように、克哉の胸がズキンと痛んだ。
少なくとも自分は、ずっとこのままでいたいと思っている。
それは、いけないことなのだろうか?
「……君も知っていると思うが、御堂君には今までにも何度かお見合いの話があってね。それを彼は、ことごとく断ってきたんだよ。
しかしいずれは君にも、そんな話が来るかもしれない。……わずらわしいことだとは思わないかね?」
「それは……」
「そこで、さっきの話だ」
頭が、大隈の話についていけていない。
大隈は身を起こすと、再びソファの背凭れに身体を預けた。
「今はまだ君達も若いから、いくらでも言い訳が出来るのだろうが、そのうちそうもいかなくなる。
私だって、そうそうは庇いきれないからね。
しかし君達がそれとこれとは別だと割り切って、表面だけでも社会的な体裁を整えてさえしまえば、もう余計な感繰りや干渉を受けずに済む。
……どうだね? 悪い提案では、無いと思うんだが」
「……」
そこでようやく克哉には、大隈の提案というのがどんなものであるのか分かった。
要するに、結婚と関係を続けることは別だと―――。
結婚することで、自分達の関係をカムフラージュ出来るではないかと、そう言っているのだろう。
克哉の中に、怒りのような感情が湧き起こる。
しかしその激情をぐっと堪えながら、克哉は押し殺した声で答えた。
「お言葉ですが……そういったことは、相手の方にも失礼になるかと……」
「ああ、もちろんそうだな。確かに、道徳的には誉められたことではない。だが、よくある話だということも事実だ」
投げやりに言われて、克哉は膝の上で拳で握り締める。
もう、この場にいたくない。
これ以上の屈辱には、あと少しも耐えられそうになかった。
「申し訳ありません……なんとお答えすれば良いのか……」
震える声でなんとかそれだけを口にしながら、克哉は頭を下げる。
しかしそれは大隈に詫びたかったからではなく、睨みつけてしまいそうになるのを堪えるためだった。
そんな克哉を、大隈は笑う。
「いや、なにも答えることはない。これは、あくまでも提案だからね」
大隈が立ち上がったので、克哉もまた席を立つ。
足が地に着いていない感覚。
テーブルを回って近づいてきた大隈は、克哉の肩を叩きながら言った。
「君は頭のいい男だ。これからも、期待しているよ」
失礼します、と頭を下げて、克哉は足早に大隈のオフィスを出た。
ぶつけようのない怒りに、身体が震えている。
なにが提案だ。
あんなのは、体のいい脅しじゃないか。
出世をちらつかせ、とにかく次に見合いの話が出たときには断らないようにさせろと、暗にそう言っているのだ。
確かに、無理に別れろと迫るよりは賢い遣り方なのだろう。
こうなると、やはり藤田の話は事実なのかもしれない。
大隈があそこまで言うのも、この見合い話がうまく運べば、なにかしら会社として得られる利益があるということになる。
それを拒めば、大隈の機嫌を損ねることにもなり兼ねない。
二人の関係を知っている人間を、敵には回したくなかった。
「…くそッ……」
悔しくて、悔しくて、爪が食い込むほどに拳を握り締める。
そのまま壁を殴りつけたくなる衝動をなんとか抑えつけながら、克哉は足を踏み出した。
- To be continued -
2008.09.17
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