STAY 02
「あっ、佐伯さんが来た」
克哉が昼休憩を終えてオフィスに戻ると、デスクにいる同僚の藤田がそう声を発した。
藤田の隣りに座っている先輩の原田も、一緒になって克哉を見ているので、克哉の足は自然とその二人の方に向いていた。
「どうしたんですか?」
藤田の隣りの席に荷物を置くと、腰を下ろす。
午前中の仕事の続きをしようと、カバンから資料を取り出している克哉の隣りで、二人はこそこそと何かを言っていた。
「佐伯さんなら、きっと知ってますよ」
「その話が本当ならな」
「本当ですって」
そんな二人を横目で見ながら、克哉はもう一度尋ねる。
「どうしたんですか? 何か、ありました?」
「いや、こいつがさ……」
原田が身を乗り出してきたので、克哉もそちらに顔を突き出す。
藤田もまた二人の間に顔を突っ込むと、三人はまさしく額を突き合わせる形になった。
そして藤田は二人を交互に見ながら、いかにもそれがトップシークレットであるかのように、もったいぶって小声で囁いた。
「……御堂部長が、とうとう結婚するらしいんですよ」
「えっ?」
聞いた瞬間、克哉の心臓がドクンと大きな音を立てる。
その割りに口から漏れた声はひどく間が抜けていて、克哉はそのまま固まってしまった。
原田が藤田に軽く肘鉄を食らわす。
「バカ。なんで、いきなりそこまで話が飛んでんだよ。さっきは見合いするらしい、って言ってただけじゃないか」
「だって相手は、牧菱商事の常務の孫娘さんですよ? お見合いまでしたら、結婚するに決まってるじゃないですか」
「まだ見合いもしてないのに、そんなの分かんないだろう。まあ……断りづらい相手ではあるだろうけど」
「でしょう?」
牧菱商事といえば、MGNとの関わりも大きい。
誰の紹介なのかは分からないが、御堂の立場を考えたら、そう思うのが自然だった。
「牧菱に行った奴から聞いたんですから、間違いありませんって」
「別に部長だって、そろそろ結婚したっておかしくはないと思うけどな。ただ、見合いっていうのがなぁ……。
部長なら、そういう相手の一人や二人いるもんだと思ってたけど……なあ、佐伯?」
「……」
「……佐伯?」
「えっ? ああ、えっと」
うまく声が出ない。
頭の中が真っ白で、原田が何を尋ねているのかも、自分がなんと答えていいものかも分からない。
しかし原田が、そんな克哉の動揺に気づくはずもなかった。
「どうなの? 佐伯は、このこと知ってた?」
「い、いえ……聞いたこと、ありません……」
聞いたこともないし、そんなことがあるはずもない。
そう思っても、指先がどんどん冷たくなっていって、克哉は無意識に拳をきつく握り締めていた。
「ほら、見ろ。佐伯が知らないってことは、ガセだよ。なんか、ピンと来ないんだよな」
「そうなんですかねぇ。でも佐伯さんが知らないってことは、そうなのかも……」
「まっ、どっちでもいいけどな。俺は」
「俺は、ガセのほうが嬉しいです」
「なんでだよ!」
「いやあ、だって」
なんの意味があるのか、藤田がへへへと笑う。
そんな二人の遣り取りが、克哉にはひどく遠くに聞こえていた。
ジムからの帰り道、克哉は御堂の運転する車の助手席で、ぼんやりと窓の外を見ていた。
ヘッドライトやビルの明かりが流れる中、言葉を交わすこともない。
御堂とやったスカッシュは、久し振りの惨敗だった。
(……そんなこと、あるわけがない)
克哉の頭の中は、昼間聞いた藤田の話で一杯だった。
真実を確かめたいような気もするけれど、もしもその話が本当なら、御堂は必ず自分に打ち明けてくれるはずだ。
それが無いということは、あの話が全くのでたらめか、もしくは話す必要が無いと御堂が判断したということになる。
そう考えると尋ねるのも躊躇われて、克哉はただ黙り込むことしか出来なかった。
「……疲れたのか?」
不意に声を掛けられ、克哉はそっと御堂の横顔を見た。
「……すみません、少し」
「眠っていてもいいぞ。着いたら起こしてやる」
「いえ、大丈夫です」
優しい言葉に、なんだか少しだけ泣きたくなる。
御堂が自分を捨てて、他の誰かと結婚するなど有り得ない。
そう信じているはずなのに、こんなにも不安になっている自分が嫌で嫌で堪らなくて、克哉はきゅっと唇を噛んだ。
「……?」
スーツのポケットの中で、携帯電話が震えていることに気づく。
こんな時にいったい誰だろうと思いながら電話を取り出すと、そこに表示されている番号を見て克哉は目を見張った。
「……どうした? 出ないのか?」
「あ、いえ、出ます」
それは、実家からの電話だった。
最悪のタイミング。
こんな時に、こんな場所で、実家の両親と話などしたくなかったが、もしかしたら何かあったのかもしれない。
出ないのも不自然に思えて、仕方なく克哉は通話ボタンを押した。
「……もしもし?」
『もしもし、克哉? お母さんだけど』
母親の声を聞くのは半年振り……いや、もっとかもしれない。
横目でちらりと御堂を確認するも、御堂はまっすぐ前を見て運転を続けていた。
克哉はなんとなく窓の方に身体を向けて、話を続ける。
「うん、オレだけど。どうかしたの?」
『別にどうもしないんだけどね。ぜんぜん連絡してこないから、どうしてるかと思って』
「はぁ……」
安堵からか、呆れからか、溜息にも似た声が出てしまう。
確かに引越しの連絡をしたのを最後に一度も話をしていないが、何もこんな時に掛けてこなくてもいいのに。
親不孝だとは分かっていても、ついそんな風に思ってしまった。
しかし息子の状況を知らない母親は、無邪気に話を続けてくる。
『どうなの? 元気にやってるの?』
「うん、元気だよ」
『そう。それなら、いいんだけど』
「そっちはどうなの」
『うん、うちも元気だよ。お父さんもね』
「そう」
話していても御堂のことが気になって、どうしても素っ気無くなってしまう。
さすがの母親も、それには何かを察したようだった。
『……なんだか、反応が悪いわねぇ。あ、もしかして』
「なに」
『デート中だった?』
「!!!」
思わず、むせそうになる。
ああ、もう、どうしてこうなんだろう。
「ちっ、違うよ。そうじゃないけど」
『あら、そう? そのほうが、嬉しかったんだけど』
「……」
母親は受話器の向こうでクスクスと笑っている。
もう、嫌だ。
早く切りたい。
それでも克哉は平静を装うために、出来るだけ穏やかな口調で言った。
「ごめん。悪いけど、今、外なんだ」
『ああ、そうだったんだ。ごめんね』
「いや、いいよ。また、連絡するから」
『はいはい。じゃあね』
「……あっ、母さん」
『うん?』
「いやっ、その……ごめん」
何に対しての「ごめん」なのか、自分でもよく分からない。
しかし克哉の母親は、別段気にする様子もない声で答えた。
『なによ、改まって。別にいいわよ』
「うん……本当に、また連絡するから」
『はいはい。じゃあ、切るからね。おやすみ』
「うん、おやすみ……」
電話を切ると、克哉は溜息をついた。
なんだか、物凄く疲れてしまったような気がする。
そんな克哉に、御堂がぽつりと言った。
「……一度は、お会いしたいものだな」
その言葉に、克哉はハッとして顔を上げた。
「えっ……。うちの両親に、ですか?」
「ああ」
「そんな……」
言われて、克哉は思い出す。
御堂は父親に、自分達のことを既に話しているのだ。
けれど、自分はまだ話していない。
話す勇気が、まだ無かった。
「すみません……オレ」
「なにがだ?」
「オレも、いつかは話したいと思ってるんですけど……」
「そのことか」
交差点を右折するため、御堂が大きくハンドルを切る。
マンションに着くまで、あと五分と掛からないだろう。
御堂が車を運転する姿が、克哉はとても好きだった。
「そんなことは、気にしなくていい。私も気にしていない」
「でも、話したいんです。いつか、きっと……」
「……そうか」
御堂の横顔が何処か嬉しそうに見えて、克哉はせつなくなる。
いつか家族に話したいと思っているのは本当だ。
けれど―――。
見合いの話を、また思い出す。
御堂はいつも、自分達の関係を後ろめたいと思ったことはないと言う。
それは、克哉も同じだ。
けれど、だからと言って堂々と出来るわけでもない。
隠したり、嘘をついたりしなければならない時のほうが多い。
最近では世間もかなり寛容になってきているというが、それでもまだまだ好奇や嫌悪の目を向けてくる者は少なくないだろう。
ましてや家族ともなれば尚更、手放しで歓迎でしてもらえるとも思えない。
さっき母親に対して思わず詫びてしまったのも、そんな気持ちがあったからだ。
「……克哉? 着いたぞ」
「あ、はい」
ぼんやりとしているうちに、いつの間にかマンションに着いていたらしい。
駐車場に入り、車が止まると、克哉は堪えきれず御堂の腕に縋りついた。
「……どうしたんだ?」
「すみません……少しだけ、このまま……」
「……」
御堂は何も聞かず、克哉の肩をそっと抱き寄せる。
この人と、離れたくない。
互いがいればそれだけでいいのに、それだけでは済まされないのだと見えない誰かに言われているような気がして、
克哉は御堂の腕の中できつく目を閉じた。
- To be continued -
2008.09.13
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