Classical

Last Piece 05

一瞬にして、その場の空気が凍りつく。
全員がこの状況を把握するまでに、数秒掛かった。
克哉も、本多も、そして向こう側からドアを開けた人物も。
「……御堂さん!」
克哉は喜びと驚きの表情を浮かべて、御堂の名を呼ぶ。
ようやく、会えた。
しかし御堂の視線は克哉にではなく、目の前に立つ本多の方に向けられていた。
御堂は玄関に入ってくると、真正面から本多を睨みつける。
「何故、貴様がここにいる。何をしに来た。何の為に、ここにいる?!」
「お、俺はっ、別に」
今にも掴みかからんばかりの剣幕に、さすがの本多も気圧されたようだ。
克哉が慌てて、助け舟を出す。
「御堂さん! 本多は俺の具合が悪いのを知って、心配して来てくれただけなんです。それだけなんです」
しかしその説明にも、御堂の眉間の皺が消えることはなかった。
蔑むような目つきのまま、冷たい声で本多を挑発する。
「フン。そんなことを言って、私が留守なのをいいことに、克哉にちょっかいを出そうと思って来たんじゃないのか?  まったく、油断も隙もあったものじゃないな」
「なっ……! あんた、何を言ってるんだ! なんで、俺がそんなこと」
「君の普段の振る舞いから判断して、言ったまでだが? 貴様の克哉に対する態度は、友人の度を越えている」
その言葉に、とうとう本多も怒りを爆発させた。
「てめぇ……病気のこいつを独りにしておいたくせに、偉そうなこと言ってんじゃねぇよ!」
「好きで独りにしたわけじゃない。仕事だったのだから、仕方がないだろう。 責任ある立場についたことのない君には、到底分からないだろうが」
「分かりたくもねぇよ! そんなこと!」
「ちょっ……やめてください! 本多も!」
克哉が二人の間に割って入る。
けれどそんな克哉を、本多はぐいと押し退けた。
「克哉……やっぱり、こいつ、お前のこと何にも分かってねぇんだよ」
「……なんだと?」
「本多!」
克哉は必死で本多を宥めようとする。
けれど頭に血の上った本多を止められるはずもなく、本多は拳を震わせながら言った。
「なにが、仕事だ。克哉はなぁ、あんたと違って、なんでもかんでもそうやって割り切っていられるような人間じゃないんだよ。 あんたからのメールひとつで、こいつがどんなに喜んでるのか知ってるのか?!  あんたはそういう克哉の優しさにつけこんで、好き放題やってるだけにしか見えねぇんだよ!  こいつがどれだけあんたの為に、無理して頑張ってると思ってるんだ!!」
「本多! やめろよ! やめてくれってば……!!」
本多が自分を心配してくれていることは分かっている。
けれど、そんなことは言ってほしくなかった。
克哉は本多の腕に、きつく縋りついて叫んだ。
「克哉……」
その様子に、本多がようやく口を噤む。
しかし御堂はますます表情を険しくして尋ねた。
「……私が克哉にメールを送ったのは、昨夜のことだ。貴様、いつからここにいる?」
「……っ」
その件については、本多もさすがにまずかったと思っていたのだろう。
言葉に詰まった本多に代わって、克哉が焦って口を開く。
「オレが泊めたんです、御堂さん。遅くなって、雨も降ってきたから、それで……」
「違うだろ! 俺が寝ちまったから、お前は仕方なく」
「……もう、いい」
御堂はしばらく無言で二人を見ていたが、やがて吐き捨てるように言った。
「とにかく、さっさと帰れ。貴様の顔など見たくもない。目障りだ」
そして靴を脱ぐと、御堂は部屋の奥に入っていってしまう。
玄関先に取り残された克哉と本多は、気まずそうに目を合わせた。
「……悪いな、克哉。俺の勘違いだった、なんて言っておいて……」
小さくなって謝る本多に、克哉は苦笑した。
純粋に自分を心配してくれた本多を、責めることなど出来ない。
それに先に挑発したのは、御堂の方なのだ。
本多が怒るのも当たり前だった。
「……ううん。こっちこそ、ごめん。御堂さんには、オレからちゃんと説明しておくから」
「ああ。……けどな、克哉。俺は自分の言ったことが間違っていたとは思っていない。 だから……あんまり、無理するなよ」
「……うん」
やはり、どうしても本多の目にはそう見えるらしい。
克哉が頷くと、ようやく本多は笑顔を見せて、帰っていった。

部屋に戻ると、御堂はキッチンに立ち尽くしていた。
そこには御堂が出かける前に準備していった食事が、手つかずのまま残されている。
「あっ、あの、御堂さん……」
「……」
御堂は克哉の横をすり抜けて、リビングへと向かう。
スーツの上着を脱いでソファの背に放り投げると、疲れきった様子でソファに身を沈めた。
「……すみません。オレ……あなたが用意してくれた食事を見るだけで、あなたのことを思い出して 寂しくなってしまって、それで……」
「……具合はどうなんだ」
克哉の言い訳を遮って、御堂が尋ねる。
「も、もう、大丈夫です。御堂さん……それで、早く帰ってきてくれたんですか?」
「もともと今日は、交流会がメインだったからな。会議は昨日で一通り済んだから、今日は早く上がらせてもらった」
「そう……なんですか……」
話している間、御堂は克哉をまったく見ようとはしない。
まるで仕事の話をしているかのような淡々とした口調に、克哉は悲しくなって俯いた。
「……奴の言う通りかもしれんな」
「えっ……?」
溜め息混じりに言われた御堂の言葉に、克哉は顔を上げる。
しかし腕組みをしたままの御堂は、相変わらず克哉に視線をくれることはなかった。
「君は私といると、遠慮ばかりしている。さぞかし無理をして、私に気を使っているのだろう」
「そんな……! そんなこと、ありません!」
「だが君は、私には具合が悪いことを隠していたにも関わらず、あの男には素直に甘えられるのだろう?!」
珍しく、御堂が声を荒らげる。
そしてようやく自分に向けられた御堂の顔を見て、克哉の胸は締め付けられるように痛んだ。
「君が私に心配を掛けまいとしていることは分かっている。だが、私はそんなことを望んでいるわけではない。 私には君を心配する権利も無いのか?! 分かっていないのは、君も同じだ……!」
「御堂、さん……」
苦しげに言って、御堂は片手で顔を覆う。
こんな御堂の姿を見るのは、初めてだった。
御堂を、傷つけてしまった。
克哉の心臓が、どくんと大きく鳴る。

―――お前には、分からない。

脳裏に、あの少年の声が甦る。
桜並木。
春の陽射し。
彼の、笑い声。

「あ……」
封じ込めていた記憶が、次々とフラッシュバックのように、克哉の頭の中を過ぎっていく。
忘れてしまいたくて、心の奥底に閉じ込めておいた記憶。
切り離し、無かったことにしていたその日の出来事が、まるで昨日のことのように思い出された。
出来ることならば、ずっと忘れていたかった。
けれど、忘れてはいけないことだった。
彼を傷つけたこと。
彼に裏切られたこと。
それを思い出した今、克哉の中で分断されていた過去が、ようやくひとつに繋がった。
「……克哉?」
御堂が、克哉の様子がおかしいことに気づく。
呆然としながら床にへたり込んでしまった克哉に、御堂は慌てて駆け寄った。
「克哉? どうした?」
今にも倒れてしまいそうな克哉を支えて、御堂は克哉の傍に膝をつく。
克哉はがっくりと項垂れたまま、震える声で呟いた。
「……思い……出したんです……」
「思い出した? なにを」
「あの日の……こと…………」
克哉は、御堂に話しだした。
小学生の頃、自分がどんな子供だったのか。
六年生のときのクラスで、どんな目にあったのか。
そして卒業式の日、何を知ってしまったのかを。
御堂はただ黙って、克哉の話を聞いてくれた。
やがて全てを話し終えると、克哉は自嘲の笑みを浮かべた。
「最低ですよね、オレ。こんな大事なこと、忘れていたなんて……。 忘れることで、オレは自分のしたことから逃げていたんです。 逃げて、出来るだけ目立たないように、自分を殺して生きることを選んだ……」
「……だが、それは君が悪いわけじゃないだろう」
しかし御堂の言葉にも、克哉は力なく首を横に振る。
「あいつだって、本当はあんなことしたくなかったと思うんです……。 でも、オレがあいつを追い詰めてしまった。 オレが変わったのは、オレが弱かったからです。 誰も傷つけたくないなんて言っておいて、本当は自分が傷つきたくなかっただけだったんです……」
克哉が顔を上げる。
御堂は怒りとも悲しみともつかない表情で、克哉を見つめていた。
克哉も御堂を見つめながら、縋るような気持ちで告げる。
「でも……オレはあなたと出会って、変わりました。 もう一度、誰かに認められたい、誰かに必要とされたいと思うようになったんです」
胸の中から、熱いものが溢れてくる。
まるで初めて御堂に想いを伝えたときのように、克哉は込み上げてくる感情を抑えられなかった。
「あなたが好きだから……。あなたに捨てられたくなくて、見放されたくなくて、だから、オレ……」
「克哉……」
「御堂さん……ッ」
克哉は御堂に縋りついた。
御堂の首に両腕を回し、しっかりとしがみつく。
「ごめんなさい……あなたを傷つけてしまって……。でも、お願いです。 オレのこと、嫌いにならないでください……。もう、ひとりになるのはイヤなんです……。 あなたがいないと、オレはもう生きていけないんです……」
言いながら、涙が零れた。
好きになればなるほど、苦しくなる。
信じれば信じるほど、怖くなる。
ひとりでは抱えきれなくなった不安と恐れを、克哉は涙と共に溢れさせていた。
「克哉……」
御堂もまた、克哉を強く抱き締める。
裏切られた記憶に今も脅かされている克哉を、なんとか救ってやりたかった。
誰かをこんな風に思うことなど、御堂にとっては初めてのことだった。
「……心配するな。私は君を裏切ったそいつとは違う。私は君を嫌ったりはしない」
「御堂、さん……」
「確かに私は、いつも君に自信を持てと言っている。だがそれは、今の君に不満があるからというわけではない。 君のその優しさは、私には無いものだ。だからこそ、私は君を……」
その先は、御堂が口篭ってしまったので、よく聞き取れなかった。
それでも御堂の気持ちは十分に伝わって、克哉は御堂の肩に顔を埋めて泣き続けた。
「……大の男が、そんな風に泣くな。どうしたらいいか、分からなくなる」
「すみません……でも……もう少しだけ………」
あの日、克哉は泣けなかった。
裏切られたことを知って、悔しくて、悲しくて、でも涙は出なかった。
だから今、あの日の分も泣かせてほしい。
受け止めてくれる人がいる今だからこそ、克哉は思う存分泣くことが出来た。

ひとしきり泣くと、克哉はようやく御堂に回していた腕を緩めた。
「……落ち着いたか?」
顔を覗き込まれて、克哉は恥ずかしそうに俯く。
「はい、すみません……。この年で、みっともないですよね」
「泣いて気が済むのなら、それもいいだろう」
克哉は御堂に促されて、立ち上がる。
二人は並んで、ソファに腰掛けた。
「……すまなかったな。私も少々、言い過ぎたようだ」
「いえっ、そんなことないです。オレこそ、すみませんでした。取り乱したりして……」
克哉を心配するあまり、仕事の鬼の御堂が早く帰ってきてくれたのだ。
それなのに出迎えたのが宿敵の本多とあっては、御堂としても余程がっかりしたのだろう。
けれど御堂の言葉に、本多も傷ついたに違いない。
二人とも、克哉にとっては大切な存在だ。
だから克哉は躊躇いつつも、切り出した。
「あの、ただ、本多のことは……」
「分かっている。あれでも一応、君の友人だからな」
その返事に、克哉はほっと胸を撫で下ろす。
仲良くなってくれとは言わないが、二人が罵り合うところはもう見たくなかった。
「しかし……」
不意に御堂が、考え込みながら言う。
「どうすれば君を安心させることが出来るのだろうな。誓約書がいるか?  それとも、千回愛していると言えばいいか?」
「えっ、そ、それは……」
突然聞かれて、克哉は戸惑った。
本当に、どうすれば安心することが出来るのだろう。
正直に言えば、この不安を完全に取り除くことは不可能だと思う。
克哉が答えられずにいると、御堂はソファの背に掛けてあったスーツのポケットから、携帯電話を取り出した。
そして何処かへ電話を掛け始める。
「……もしもし。孝典です」
「……?」
話しだした御堂を、克哉は不安そうに見つめた。
「はい。ご無沙汰しています。ええ、元気です。実は少々、お話したいことがありまして」
そこで御堂は、克哉にチラリと視線を向けた。
「……ええ。実は今、私は佐伯克哉という青年と一緒に暮らしています。 彼は私の会社の部下なんですが、私の恋人でもあります。 私は彼と、生涯を共にしようと思っています」
「……?!」
克哉は驚く。
いったい、誰にそんな話をしているのだろう。
隣りでうろたえている克哉を尻目に、御堂は淡々と喋り続けている。
「ええ。そうです。冗談ではありません。とりあえず、ご報告までと思いまして。 それでは、また改めて。失礼します」
そして、御堂は電話を切ってしまった。
なんだか随分と一方的に話しているようだったが、大丈夫なのだろうか。
克哉は恐る恐る尋ねた。
「あっ、あのっ、御堂さん。今、いったい誰に電話を……」
「父だ」
「ちッ……」
一瞬、頭の中が真っ白になる。
父。
その言葉がたっぷり時間を掛けて、ようやく脳の真ん中まで辿り着いた途端、克哉は奇声を上げた。
「ちっ、父って! 御堂さんの、お父さんのことですか?!」
「当たり前だろう。他人の父親にあんな報告をしてどうする」
「そ、そんな、いきなり、だって」
克哉はパニックに陥った。
心臓がばくばく鳴って、一気に顔が火照り出す。
それなのに目の前で平然としている御堂が、信じられなかった。
「だっ、大丈夫なんですか? あんなこと言っちゃって……。お父さん、驚いてませんでしたか?」
「ああ、驚いていたようだな。 数年振りに電話をしてきた息子から、いきなりそんなことを聞かされれば誰でも驚くだろう」
「そんな……」
克哉は脱力する。
どうしてこの人は、こんなことを思いついてしまうんだろう。
自分を安心させる為とは言え、ちょっと事が飛躍しすぎではないだろうか。
けれど、ここまでさせてしまったのは自分なのだ。
自分の不安の所為で、御堂にこんなことまでさせてしまった。
(もしもこれが原因で、御堂さんがご両親と揉めることになったら……)
そう考えて克哉が落ち込んでいると、御堂が克哉の肩を抱き寄せた。
「どうした? 別に私は、君に同じ事をしろと言っているわけではないぞ。 ただ、私は君との関係にうしろめたいところは何も無い。それだけの覚悟もある。そういうことだ」
「御堂、さん……」
御堂の自信に満ちた言葉を聞いていると、自分の不安がちっぽけなものに感じられてくるから不思議だ。
克哉はなんだか可笑しくなってきて、思わず笑い出した。
「……なんだ。なにが可笑しい」
「いえ……オレ、馬鹿みたいだなって思って……」
「……意味が分からないな」
「御堂さん」
克哉は御堂に抱きついた。
この人の、全てが愛しい。
どれだけ不安になっても、どれだけ怖くなっても、この愛しさを消すことなんて出来ない。
この気持ちだけが、今の自分の全てだ。
「ありがとうございます、御堂さん……。オレ、もう少し自信を持ちますね」
「ああ、そうしてくれ」
御堂は微笑んで、克哉の髪を撫でる。
それから克哉は顔を上げると、御堂の目を真っ直ぐに見つめながら、ありったけの想いを込めて囁いた。
「御堂さん……大好き、です」
「……知っている」
照れ臭そうに答えた御堂に、克哉は嬉しそうに微笑む。
そして二人はそっと唇を重ねあった。

- To be continued -
2007.11.16

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