Classical

Last Piece 06

その日は朝から、調子が出なかった。
こんな日に営業に行っても、成果が上がるはずもない。
イライラしながら外回りから戻ってきた本多に、同じ8課の女子社員が呼びかけた。
「あ、本多さーん。2番に、MGNの御堂部長からお電話です」
「はぁ?!」
戻った途端、よりによって今一番聞きたくない名前を聞かされて、本多は露骨に嫌そうな顔をする。
しかし電話に出ないわけにもいかず、顔が見えないのをいいことに、ひどい仏頂面のままで受話器を取った。
「……はい。本多ですが」
本多があからさまに不機嫌な声を出すと、受話器の向こうから呆れたような溜め息が聞こえた。
『相変わらず、感じの悪い男だな。そんなことで、よく営業が勤まるものだ』
「相手を選んでるだけですよ。それで? 何の用ですか?』
本多は放り投げるように言う。
わざわざ電話を掛けてきてまで、昨日の言い争いの続きをしたいのだろうか。
うんざりしていると、御堂は一瞬の間を置いてから話しだした。
『昨日の件だが―――』
そら、おいでなすった。
本多は身構える。
しかしその後に続けられた言葉は、本多の予想を見事に裏切るものだった。
『―――私の留守中に、マンションに上がり込んだことは極めて不愉快だが、 克哉の面倒を看てくれたことに対してだけは、礼を言う。用件は、以上だ』
御堂は一気に捲くし立てると、一方的に電話を切ってしまった。
ツーツーという無機質な音を響かせている受話器を耳に当てたまま、本多はしばらく呆然としていた。
「は……」
まったく、なんという勝手な男だろう。
あんなのが相手じゃ、さぞかし克哉も苦労しているに違いない。
やっぱり、時々は様子を見てやらないとダメだ。
本多はそう、確信していた。
「ったく……素直にありがとうくらい言えねぇのかよ」
顔を顰めてぼやきながら、本多は乱暴に受話器を置いた。

御堂が電話を切ると同時に、オフィスのドアが開いて克哉が顔を出す。
「御堂部長。準備、出来ました」
「分かった。行こう」
御堂はデスクにあったファイルをアタッシュケースに仕舞うと、克哉と共にオフィスを出た。
「頼んであった資料は持ったか?」
「はい、大丈夫です。コピー、20部で良かったですよね?」
「ああ」
話しながら、エレベーターホールへと向かう。
そこには他の部署の女子社員が二人、エレベーターを待っていた。
聞こえてきた会話に、思わず克哉と御堂の足が止まる。
「……御堂部長と、佐伯さんでしょう?」
「そうそう。あの二人が並んでると、なんかサマになってるのよねぇ」
「……」
彼女達は話に夢中らしく、後ろから誰が来ているのかまったく気づいていない。
克哉はおろおろしながら御堂の顔を見た。
しかし御堂は眉一つ動かさず、ゆっくりと彼女達に近づいていく。
「絶対、気が合いそうに見えないんだけどね」
「ぜんぜん違うタイプだもんね」
「それなのに、なんでだろう……」
「分かんない。でも目の保養になってるから、それだけでいいわ」
「言えてる~」
「……それは光栄だな」
「―――!!!」
いきなり後ろから声を掛けられて、彼女達は飛び上がって振り返る。
御堂と、顔を真っ赤にしながら御堂の背中に隠れている克哉を見て、二人は激しく動揺していた。
「あっ、あのっ、すみません、私、ちょっと忘れ物を……」
「わ、私もっ、あのっ、失礼します!」
彼女達は、ばたばたと走り去っていく。
残された御堂と克哉の目の前で、到着したエレベーターの扉が開いた。

「……」
気まずい雰囲気のまま、エレベーターに乗り込む。
二人きりになると、御堂が吐き捨てるように呟いた。
「まったく……くだらんことを」
「……ほんとですよね」
克哉は苦笑しながら相槌を打つ。
けれど決して嫌な気分ではなかったから、その後に正直な気持ちを付け足した。
「でも、オレは……ちょっと嬉しかった……です」
以前、御堂と他の女性をお似合いだと感じたことがあった。
けれど自分と御堂も、誰かにそんな風に見られているのかと思うと、少し恥ずかしくて、とても嬉しい。
しかし克哉の本音を、御堂は鼻で笑い飛ばした。
「……フン。私の隣りに似合う人間など、君以外に誰がいる?  当然のことを言われても、私は少しも嬉しくない」
「み、御堂さん」
なんだかスゴイことを言われてしまったような気がして、克哉はますます顔を赤くする。
これから大事な打ち合わせだというのに、お互い何を言っているのだろう。
そのうちにエレベーターは一階について、二人はロビーを歩き出した。

ずっと、何かが足りないと感じていた。
封じ込めていたあの日の記憶が甦ったとき、喪失感の理由はこれだったのかと思った。
けれど御堂の横を歩きながら、克哉はふと考える。
心の中の空いた場所を埋めてくれる最後の欠片は、御堂自身なのかもしれないと。
だから傍にいれば満たされるし、離れれば不安定になって揺れ動いてしまう。
御堂と自分が別々の人間である限り、その喪失感は埋まらない。
もし、そうだとしたら。
この喪失感さえ、愛しいと思えるような気がした。
欠けた心に、御堂の存在がかちりと音を立ててそこに嵌まる。
その瞬間が心地好くて、自分は御堂を求めているのかもしれない。
足りないと感じるからこそ、もっと傍にいたくなるというなら、ずっと足りないままでいい。
満たされる幸せと、求める気持ちと、両方を抱えていたい。
ずっとずっと、御堂を好きでいたい。
そして、御堂も同じ気持ちでいてくれたなら―――。

「佐伯くん」
御堂に呼ばれて、克哉は我に返った。
「はっ、はい! なんですか?」
「……なんていう顔をしているんだ、君は」
呆れたようにそれだけを言って、御堂は足を速めてしまう。
克哉は慌てて御堂を追った。
「えっ、あ、あのっ、オレ」
「いいから、早く乗りたまえ」
社の前に止まっていたタクシーに、二人で乗り込む。
御堂が運転手に行き先を告げると、タクシーは走り出した。
「あの……オレ、どんな顔してたんでしょうか……?」
克哉がおずおずと尋ねる。
御堂はシートに背中を預け、前方に視線を向けたまま答えた。
「そうだな。少なくとも、これから打ち合わせに行く人間の顔ではなかった」
「そう……ですか」
そんな風に言われても、よく分からない。
けれどきっと、よほどみっともない顔をしていたのだろう。
克哉がしゅんとしていると、御堂が不意に体を傾けてくる。
そしてあくまで前を向いたまま、克哉に顔だけを寄せて囁いた。
「仕事中に、あんな幸せそうな顔をするんじゃない。見ているこちらが恥ずかしくなる」
「……!!」
耳まで赤く染めて俯く克哉を、御堂は苦笑混じりに横目で眺める。
しかしそんな御堂こそ、自分がどんな顔で克哉を見ているのかということには、まったく気づいていなかった。
運転手の目を盗むように、御堂は何食わぬ顔で克哉の手を握る。
突然のことに戸惑いながらも、克哉も御堂の手に指を絡ませる。
その温もりを感じたとき、何かが心の中で、かちりと音を立てるのが聞こえたような気がした。

- end -
2007.11.17

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