Classical

Last Piece 04

克哉が目を覚ましたときには、既に御堂は出かけた後だった。
起こさないようにと気を使ってくれたのだろうが、どちらかといえば起こしてもらって、 見送ることが出来たほうが嬉しかったのにと、克哉は少し寂しい気持ちになる。
体調は相変わらず良くなかった。
熱は少し下がったようだが、今度は乾いた咳が出始めたのだ。
横になっているとますます咳が出て辛くなるので、克哉はリビングのソファに腰掛ける。
外は曇り空だ。
何気無くつけたテレビの天気予報によると、夕方からは雨が降るらしい。
薄暗いマンションの部屋の中、ひとりでいると寂しさばかりが募る。
冷蔵庫やキッチンには、克哉が簡単に食事が出来るよう、御堂が色々な準備をしてくれていた。
けれどそれすらも、ここにいない御堂の名残りを感じてしまって、目にするだけで寂しくなってしまう。
子供じゃないんですから、などと言ったくせに、これではまるで子供と同じだ。
(情けないなぁ、オレ……)
御堂と付き合い始めて、自分は変わったと思っていた。
けれど根底は、何も変わっていなかったのかもしれない。
自信がなくて、ひとりでは何も出来なくて、気が利かない、つまらない人間。
考えてみれば、そう簡単に変わることなど出来るはずがないのだ。
「はは……」
克哉の口から、虚しい笑いが漏れる。
もう、どうでもいい。
何も考えたくない。
自己嫌悪には、もう飽き飽きだった。
克哉はぼんやりとテレビを眺めながら、うとうとと浅い眠りを繰り返した。

覚えのある軽快なメロディーが微かに聞こえてきて、克哉は目を覚ました。
携帯電話の着信音だ。
克哉は音の出所を探して、寝室へと戻る。
ベッドの縁に腰を下ろして、枕元に置いたままだった電話を手に取ると、ディスプレイに表示された名前が目に入った。
「……本多」
受信ボタンを押して耳に電話を当てると、いつもの明るい声が克哉の名を呼んだ。
『おう、克哉か?』
「うん。どうしたの?」
『あぁ……えっと』
本多は急に声を潜ませる。
『今、御堂のやつ、そこにいるのか?』
「……ううん。いないよ」
つくづく本多は御堂が嫌いらしい。
御堂との関係を本多に打ち明けたときのことを思い出して、克哉は苦笑した。
「出張に行ってて、明日の夜まで帰ってこないんだ」
『おっ、そうなのか?!』
途端に本多の声が明るくなる。
ここまで露骨に態度に表されると、克哉ももう笑うしかなかった。
『じゃあ、グッドタイミングだったな。実は明日、8課の連中をうちに呼んで、カレーパーティをすることになってるんだ。 それで克哉も呼ぼうぜ、って話になってよ』
自然な流れでそういう話になったわけではなく、本多が言い出したのであろうことは想像がつく。
いつもこうして自分を気に掛けてくれる本多に、克哉は心から感謝していた。
「カレーパーティかぁ……。楽しそうだな」
『だろ? お前も来いよ。御堂がいないなら、ちょうどいいじゃねぇか。片桐さんも、お前に会いたがってたぜ』
8課の皆にはしばらく会っていないし、本多の作るまるごとカレーも美味しいことは知っている。
行けばこの寂しさも、少しは紛らすことが出来るだろう。
「うん、でも………―――ッ!」
気怠い身体をごろりとベッドに横たえた途端、克哉は激しく咳き込んだ。
『お、おい。大丈夫か?』
慌てて起き上がり、なんとか呼吸を整える。
胸の辺りが痛んで、克哉はそこを掌で擦った。
「ごめん……」
『いや、いいけどよ……。風邪でもひいてるのか?』
「うん……風邪、なのかな……。熱と咳だけなんだけど……」
『だけ、って』
「そういうわけだから、オレは行けないよ。ごめんな。せっかく誘ってくれたのに」
『……』
本多は黙り込む。
もしかして怒ったのだろうか?とも思ったが、本多は遊びの誘いを断ったぐらいで怒るようなタイプではない。
訝しく思っていると、ようやく本多が喋りだした。
『克哉、お前……さっき、御堂は明日の夜まで帰らないって言ったよな?』
「うん。言ったけど……」
『なら、今から行く』
「……へ?」
何処へ?と聞き返す暇もなく、本多はどんどん事を決めてしまう。
『住所は分かってるから大丈夫だ。 買い物してから行くから……そうだな、一時間もすれば着くと思うぜ。 何か欲しいものとかあるか?』
「ちょ、ちょっと待てよ、本多。そんな、いきなり……」
『病人を一人にはしておけねぇだろうが。カレーのことなら、もう仕込みは済んでるから心配しなくていいぜ。 一晩寝かせたほうが、美味いからな』
「カレーの話じゃなくって!」
『そうなのか? まあ、とにかくすぐ行くから。また、後でな!』
「あっ、ちょっと本多……!」
電話は切れてしまった。
確かに住所は教えてあるが、本多は本当に来る気なのだろうか。
半信半疑のまま、克哉は電話を見つめながら、そっと溜め息をついた。

「よっ。邪魔するぜ」
本当に、来た。
戸惑う克哉をよそに、本多はずかずかと部屋へ上がりこむ。
「かぁ~っ。なんだ、この部屋。どれだけ稼いでんだよ、あの男は」
あまりに広い部屋を目の当たりにして、本多が吐き捨てる。
そういえば克哉も初めてここに来たときは、同じようなことを考えた。
けれど今では自分もここに住んでいるのだから、不思議なものだと思う。
「悪いな、本多……。わざわざ来てもらって」
「いや……。つーか、克哉。お前は寝てろよ。具合、悪いんだろ? すげえ顔色してるぜ」
「う、うん……」
そうしたいのはやまやまだったが、本多を寝室に入れるのには少し抵抗があった。
けれど躊躇っていては、かえって変に思われてしまいそうな気もする。
あれこれ考えた挙句、結局克哉は本多を連れて寝室へと向かった。
「じゃあ……悪いけど、少し休ませてもらうよ」
「お、おう」
ベッドに入る克哉を前にして、本多も少し気まずそうにする。
しかし一瞬流れたいたたまれない空気は、本多がコンビニの袋を開けるガサガサという音に掻き回されて、すぐに消えていった。
「とにかく、なんか食えよ。どうせお前のことだから、なんにも食わないでぼーっとしてたんだろ?」
「……さすがだな、本多」
大当たりだ。
長い付き合いだけあって、本多は克哉のことをよく分かっている。
克哉が笑いながら答えると、本多も得意気に笑った。
「ほらよ。この程度でも、腹に入れときゃ少しは違うだろ」
手渡されたのは、ゼリー飲料だった。
ご丁寧に蓋まで開けられたそれを、克哉は受け取る。
「……ありがとう」
飲むと、冷たい感覚が喉を通って胃へ落ちていくのが分かる。
熱で火照った身体に、それはとても心地好かった。
「美味しい……」
「そうか? そりゃ、良かった。まだ他にもあるからな」
「うん」
寂しさと自己嫌悪でどうしようもなくなっていた今、こうして本多が傍にいてくれるのは本当に有難かった。
本多の明るさと強引さは、時に鬱陶しく思えることもあったが、助けられることのほうが多い。
ずっと友達でいられたらいい。
そう思ったとき、再びあの少年の声が聞こえてきた。
―――知らなかったのは、お前だけなんだよ。克哉。
「……ッ!」
思い出した途端、克哉が咳き込む。
本多は慌てて克哉の背中を擦ってやった。
「お、おい。大丈夫かよ」
「う、ん……だいじょ……ぶ……」
「……」
苦しそうな克哉を見ながら、本多は自分まで苦しげに眉根を寄せる。
それから思い切ったように口を開いた。
「なぁ、克哉……。お前、無理してるんじゃないのか?」
「えっ……?」
驚いて見上げた本多の顔は、どこか辛そうに克哉の目には映った。
「MGNに行って、仕事の内容も変わって……そのうえ、あのきつい性格の御堂と四六時中一緒にいるんだろ?  気が休まる暇がないんじゃないかと思ってよ」
「そんな……オレは、無理なんか……」
無理なんか、していない。
克哉がしゅんとしてしまったのを見て、本多は慌てて言い繕う。
「あ、だから、その、無理っていうか……。ほら。お前、頑張りすぎるからさ。 すぐ何もかも自分ひとりで抱えて、頑張ろうとするだろう? だから……心配なんだよ、俺は」
「本多……」
確かに、頑張ろうとはしてきた。
御堂に相応しくなれるよう、少しでも御堂の傍にいけるよう、努力してきたつもりだ。
けれど、それは全て克哉が自ら望んでしてきたことだ。
無理をしていたつもりはない。
けれど傍から見たら、違っていたのだろうか。
(もしかして、御堂さんも……?)
もし、御堂の目にもそう見えているのだとしたら。
そうだとしたら、とても悲しいことだと思う。
不本意な捉え方をされている自分にとってもそうだが、 無理をされていると感じる御堂にとっても、悲しいことだろう。
本多に言われるまで、そんな風に考えたことはなかった。
「……克哉?」
黙り込んでしまった克哉を、本多が心配そうに覗き込む。
「……悪い。俺、余計なこと言っちまったかも」
「あ、ううん。……ありがとう。心配してくれて」
「別に、礼を言われるようなことじゃないだろ」
本多が照れ臭そうに笑いながら言ったとき、克哉の携帯がメールの着信を知らせた。
すぐにその送り主が誰なのかを察した克哉は、急いでメールを確認する。
「……御堂さん」
本多もつられて、克哉と一緒にディスプレイを覗き込む。
けれど克哉はメールを読むことに夢中で、それを隠そうともしなかった。

『具合はどうだ? 食事はしっかりと取ったか? 薬を飲んで、暖かくして寝ているように。 少し調子が良くなったからといって、うろうろするんじゃないぞ。 このメールに、返信は不要だ。くれぐれも、安静にしているように。分かったな。   御堂』

その文面を読んだ本多は、たまらず噴き出した。
「御堂はお前の親父か?!」
「そっ、そんなことないよ! いいじゃないか、別に、これ」
顔を真っ赤にして反論する克哉に、本多はますますおかしそうに笑う。
「分かった、分かった。それより、もう少し食えそうだったら食えよ。それで薬飲んで寝ろ。なっ?」
「……分かったよ」
克哉は唇を尖らせたまま答えた。
それでも久し振りに本多とゆっくり話が出来て、そして御堂からもメールが来て、少しだけ元気を取り戻せたような気がする。
克哉は本多に言われた通り、本多が買ってきたレトルトのお粥を食べると、薬を飲んだ。
それからまた横になって話をしているうち、薬が効いてきたのか、克哉は眠ってしまった。

雨が降っている。
窓を叩く雨音は激しく、空では時折雷が鳴り響いた。
本多はベッドに寄り掛かり、床に座ったまま眠っている。
克哉はベッドを降りると、そんな本多にそっと毛布を掛けてやった。
本多も疲れているのだろう。
それなのにこうして自分を心配して、来てくれたのだ。
雨も降っているし、時間ももう遅い。
起こすのも可哀相に思えて、克哉は本多をこのまま泊めることにした。
(御堂さん……)
克哉は窓辺に立ち、濡れた街並みを眺める。
御堂のいる場所にも、同じ雨が降っているのだろうか。
今はただ、早く御堂に会いたい。
会いたくて、会いたくて、たまらない。
「御堂さん……」
冷たいガラスに頬を押し付けながら、克哉は小さな声で呟いた。



翌日、本多は無理な体勢で寝ていたせいで、身体中が痛いとぼやいていた。
「それにしても、悪かったな。結局、泊まることになっちまって……」
「いいよ。オレこそ、ごめん。色々と心配掛けて」
今朝起きると、だいぶ気分が良くなっていた。
咳も減ったし、熱も下がっている。
病み上がりの怠さはまだ残っているものの、寝込むほどではなさそうだった。
本多が帰ろうとするのを、克哉は玄関まで送る。
「……なぁ、克哉」
「うん?」
靴を履いたところで、本多は克哉に向き直った。
そして真面目な顔で切り出す。
「昨日、俺が言ったことだけど……。あれ、気にすんなよな」
「……オレが無理してる、って話か?」
他に思い当たらず克哉が言うと、本多は気まずそうにガリガリと頭を掻いた。
「あんなこと言っちまったけど、お前が御堂からのメールを読んでる顔見たら…… やっぱり、俺の勘違いだったのかもしれねぇなと思ってさ。それぐらいお前、すっげえ嬉しそうな顔してたから」
「そ、そうかな」
「ああ」
恥ずかしくなって、克哉は顔を赤らめる。
けれど一度胸の中に生まれた不安は、そう簡単に消せそうにはなかった。
「……大丈夫。もう、気にしてないよ」
それでも克哉は、笑顔でそう答える。
それが偽りとも知らず、本多は安心したように笑った。
「じゃあな。次のカレーパーティのときは、絶対に来いよ」
「ああ、そうさせてもらうよ。……そういえば、時間大丈夫なのか?」
「今、十一時ぐらいだったか? 一時集合だから、余裕だろ」
「そっか。じゃあ、気をつけて帰れよ」
「おう。じゃあ、またな」
そして本多が玄関のドアを開けようとしたとき、それは不意に向こう側から開かれた。

- To be continued -
2007.11.13

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