Classical

Last Piece 03

何を喋ったのか、あまり覚えていない。
時折視界が揺れたり、舌がもつれそうになったりしたけれど、克哉はなんとか気力でプレゼンを乗り切った。
必死なあまり、余計なことを考えずに進められたのが良かったらしい。
上役達の反応は上々で、来週から正式に生産ラインに乗せることが認められたのだ。
「良かった……」
克哉は呟いて、力なく椅子に座り込む。
緊張が解けたせいか、途端に頭がくらくらしてきて、克哉は額を押さえた。
今どれぐらい熱があるのか、自分ではよく分からない。
プレゼンの参加者は既に全員退室していて、会議室には克哉と御堂だけが残っていた。
「……克哉」
「えっ?」
突然下の名前で呼ばれたことに驚いて顔を上げると、御堂は克哉の手首を乱暴に掴んだ。
「み、御堂さん?」
「……いつからだ。家を出る前からか?」
「あの……」
やはり、気づかれてしまったらしい。
明らかに怒った顔をしている御堂を前にして、克哉は小さく項垂れる。
「すみません、隠していて……。でも今日のプレゼンだけは、どうしても自分でやりたかったんです。だから……」
「言い訳はいい」
「……はい」
ぴしゃりと言われて、克哉は口を噤むしかなかった。
考えてみれば、今回は上手くいったからいいようなものの、 もしも失敗していたら、かえって御堂に迷惑が掛かるところだったのだ。
それどころか、この企画に関わってきた人たち全員にもそれは言えることだ。
自分自信でやり遂げたかったなどと言えば聞こえはいいが、それは単なる自分のエゴだったのかもしれない。
それに気づいた克哉は、どうしようもなく自分が情けなくなった。
御堂が怒るのも無理はない。
「すみませんでした。本当に……」
「何故、君が謝る。とにかく今日はもう帰りたまえ。私がマンションまで送る」
「いえっ、大丈夫です。だって御堂さん、午後も会議が」
「いいから、黙って言うことを聞け」
「はい……」
御堂は苛立たしそうに言い放つ。
克哉はおとなしく、御堂に従うことにした。
「立てるか?」
「……はい。大丈夫です」
御堂は克哉の腕を取ろうとしたが、克哉はそれを拒み、ひとりで立ち上がる。
そのとき御堂が酷く悔しげな表情をしたことに、克哉は気づいていなかった。
「あの……御堂さん」
「なんだ」
「オレ、ちゃんと喋れてましたか……?」
廊下を歩きながら、克哉が恐る恐る尋ねる。
御堂はまっすぐ前を向いたまま答えた。
「安心したまえ。君のプレゼンは完璧だった」
「……そうですか。良かった」
御堂に認めてもらえるのが、やはり一番嬉しい。
けれどそれ以降、二人は一言も言葉を交わさなかった。
御堂はずっと怒っているようだったし、克哉は話をするのも辛くなってきた所為で、 二人の間には気まずい沈黙が流れ続けた。
御堂は克哉をマンションまで送り届けると、すぐに会社へと戻っていった。
午後の会議には、間に合うのだろうか。
ただでさえ忙しい御堂に、こんな余計なことをさせてしまったことが、申し訳なくて仕方が無い。
克哉はなんとか着替えだけを済ませると、やりきれない気持ちを抱えたままベッドへと倒れ込んだ。



気がつくと、桜吹雪の中にいた。
暖かい陽射し。
明るい笑い声。
それなのに、どうしてこんなに悲しいんだろう。
どうしてこんなに寂しいんだろう。

―――お前には、分からない。

どこからか声がする。
突き刺さる言葉に、胸の中が凍りつく。

―――俺のこと信じてたんだろ。馬鹿だな。

嘘だ。
お前がオレを裏切ったりするなんて、嘘だろう。

―――バイバイ、克哉。

ごめん。
オレが悪かったんだ。
お前のこと、傷つけて。
そんなことにも、気づかずにいた。

もう、誰にも裏切られたくないんです。
オレ、頑張りますから。
だから独りにしないでください。
何処にもいかないでください。
オレを捨てないでください。

大丈夫。
あの人はオレを裏切ったりしない。
ずっと傍にいてくれる。
ずっと。

桜吹雪の中、誰かを探して必死に走り回った。
見慣れたスーツの背中を見つけて、嬉しくなって駆け寄る。
振り返ったその人は、冷たい声で言った。

「さようなら、克哉」

御堂さん―――。



夢を見ていたのだと気づくまでに、だいぶ掛かった。
静まり返った、暗いベッドルーム。
克哉は腕で目を覆う。
そのとき初めて、自分が泣いていることに気づいた。
(最悪な夢だったな……)
今度こそ、御堂に言われた「捨てられる夢」を見てしまったようだ。
どうしてこんなにも怯えているのか、自分でも分からない。
愛されて、大切にされているという自覚はあるのに、 本当はいつも、心の中にどうしようもない喪失感があった。
その空いた場所は御堂に抱かれるたび埋まったような気になるのに、 気がつけばいつの間にか、またぽっかりと口を開けてしまう。
いつも何かが欠けていて、いつも何かが足りない感覚。
どれだけ仕事を頑張っても、どれだけ御堂とくちづけを交わしても、その感覚を完全に消し去ることはどうしても出来なかった。
幸せだと自分に言い聞かせて、その喪失感から目を逸らしてきたことに、克哉はようやく気がついた。
(それにしても、あの場所……)
満開の桜並木。
あの場所には、確かに見覚えがあった。
そして聞こえてきた、少年の声。
―――お前には、分からない。
思い出して、胸がずきりと痛む。
これ以上考えたくなくて、克哉は涙に濡れた目尻をごしごしと拭った。
「……克哉?」
不意に寝室のドアが開いて、御堂の声が聞こえた。
「御堂さん」
答えると、御堂が部屋に入ってくる。
その気配だけで、克哉はほっとした。
「起きていたのか」
「はい……。御堂さん、帰ってたんですね。すみません、気がつかなくて」
「馬鹿者。そんなことで謝るな。それよりも、具合はどうだ?」
尋ねながら、御堂は克哉の額に手を置いた。
「……まだ、かなり熱いな。何か食べられそうか?」
「いえ……あまり、食べたくないです」
「そうか。だが、空腹のままでは薬も飲めないな……。とにかく、水分だけは摂ったほうがいい。今、何か持ってくるから」
そう言って離れようとする御堂の手を、克哉は握り締めた。
「……どうした?」
「あの……今日は本当にすみませんでした。オレ、自分のことしか考えていなくて……。 危うくご迷惑を掛けるところでしたよね」
会社からマンションに戻ってくるまでの間、御堂は一言も口を開かなかった。
きっと、よほど自分の軽率な行動に腹を立てていたのだろう。
きちんと謝らなければいけない。
そう思って口にした謝罪に、御堂は大きな溜め息で返した。
「……君は何か勘違いをしているようだな」
「えっ?」
御堂はベッドの傍に膝をつくと、克哉の熱い手を両手で握り締めた。
「私は別に、君に腹を立てていたわけじゃない」
「そう……なんですか?」
「そうだ」
では、何に対して怒っていたのだろう。
克哉が不思議に思っていると、御堂は握り締めた克哉の手に額を押し付けて呟く。
「これだけ傍にいておきながら、私は君の体調に気づくことが出来なかった。 そんな私自身に腹が立ったんだ。それだけのことだ」
「御堂……さん……」
「それより」
気まずかったのか、御堂は話を変えようとする。
顔を上げ、手を握ったまま克哉を覗き込んだ。
「土日、君一人で大丈夫か? もちろん、出来るだけ早く戻れるよう努力はするが……」
明日から御堂は、大阪に一泊二日で出張の予定になっていた。
半年に一度の合同部会は東京と大阪で会場を交互にしていたが、今回は運悪く大阪支社で開かれる。
既に分かっていたことだし、御堂に余計な心配を掛けたくはなかったから、克哉は努めて明るく答えた。
「もちろん、大丈夫ですよ。 オレだって子供じゃないんですから、熱があるぐらい、どうってことないです。 だからオレのことは気にしないで、お仕事頑張ってきてください」
「そうか……」
「それに、明日になれば少しは良くなっていると思うんです」
ここ数ヶ月、今回の企画のことでかなり気が張っていた。
それの終わりが見えてきたことで、張り詰めていた気が緩んだのだろう。
まだ発売になる前だというのに、少し早いような気もするが。
「そうだと、いいんだが……。とにかく、なにか飲み物を持ってこよう。少し待っていたまえ」
「はい」
御堂が寝室を出ていく。
その背中を見送りながら、克哉はさっき見た夢を思い出していた。
夢の中、あの背中を必死で探していた。
ようやく見つけられたと思った途端、投げつけられたのは、あの悲しい言葉。
―――さようなら、克哉。
克哉は思わず目元まで布団を引っ張り、顔を隠す。
夢だと分かっていても、悲しくて、悲しくて、滲みそうになる涙を堪えて、克哉はぎゅっと目を瞑った。

- To be continued -
2007.11.12

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