Classical

Last Piece 02

克哉はパソコンに映し出された資料を、入念にチェックしていた。
明日には、今担当している案件の最終社内プレゼンが控えている。
ここでGOサインが出されれば、いよいよこの商品を生産ラインに乗せることが出来るのだ。
朝から少し頭が重たいような気がしていたが、それどころではなかった。
「佐伯くん。例のサンプル、届いたよ」
「えっ、本当?」
声を掛けられて、克哉はパソコンから目を離す。
「良かった……間に合ったんだ」
ギリギリの予定だったので、ほっとする。
興味を持った同僚達が数人集まってくる中、克哉は受け取ったケースの蓋を開けてみた。
「おお~」
中を見た途端、皆が一斉に感嘆の声を上げる。
そこには綺麗なブルーのボトルが、数本並んで入っていた。
今回の企画は、MGNが以前から販売していた男性向け栄養ドリンクを、 その成分とデザインを一新させたうえで再度販促するというものだった。
それほど大掛かりな企画ではなかったこともあり、御堂はこの件を克哉に一任した。
最初に話があったときは、無論断った。
自分はまだ力量不足だと思ったし、ましてやこの部署では一番の新参者だ。
他の社員達の手前もあって、なんとなく引き受けにくかった。
しかし御堂は断固として、その決断を変えようとはしなかった。
今となっては克哉も、任せてもらえたことに感謝している。
御堂が推薦してくれた他のメンバーは克哉にとても協力的だったし、もちろん御堂自身もあらゆる相談に乗ってくれた。
だからこそ、ここまで辿り着けたのだと思う。
「綺麗だね」
克哉が一本取り出すと、仲間の女子社員が言ってくれた。
濃いブルーに水色のラインが入った半透明のボトルデザインは、今回克哉が最も積極的に意見を出した部分だ。
今までのドリンク剤にあった「体に力を与える」というイメージだけでなく、 飲むと気持ちが休まるような、癒されるようなものにしたかった。
そこで元々黒とゴールドを基調にしたデザインだったものを、爽やかなブルーに変えることで、 視覚からそれを与えられたらと思ったのだ。
克哉は嬉しそうに微笑み、そのボトルを握り締めた。
「……これ、御堂部長にも見せてきますね」
同僚達に言い残し、克哉は足早に1室を出ていった。

御堂のオフィスに向かう途中、前方にちょうど御堂の後ろ姿が見えた。
外出でもするのか、エレベーターホールに向かって歩いている。
御堂がエレベーターに乗ってしまう前に追いつきたくて、克哉が駆け出そうとした瞬間、 エレベーターが開き、中から一人の女性社員が下りてきた。
御堂と女性が、互いに気づいて足を止める。
それを見た克哉もまた、立ち止まった。
二人は何か言葉を交わし、女性の方がおかしそうに笑う。
克哉のいる場所から御堂の表情は見えなかったが、 あの忙しい御堂がわざわざ足を止めて話をしているところをみると、よく知った相手なのだろう。
エレベーターの扉が閉まってからも、二人は話を続けている。
「……」
遠目で見ても、綺麗だと分かる女性だ。
すらりとした長身で、ゆるくウェーブのかかった髪が肩先で揺れている。
細身のパンツスーツ姿から、いかにも仕事の出来そうな印象を持った。
―――なんだか、お似合いだな。
嫌味でも、僻みでもなく、素直にそう思った。
きっとこの光景を見たら、誰でもそう思うだろう。
やがて女性は御堂に軽く頭を下げ、二人は別れた。
けれど克哉の視線はエレベーターに乗り込もうとしている御堂ではなく、 こちらに向かって歩いてくる女性に向けられている。
不意に目が合ってしまって、克哉は気まずそうに視線を逸らした。
「……お疲れ様です」
擦れ違いざま、女性は微笑みながら克哉にそう声を掛けた。
克哉も慌てて視線を戻す。
「あ、おつか……」
しかし言い切る前に、彼女は克哉を通り過ぎていってしまった。
目に飛び込んできたのは、胸につけられていたネームプレートに書かれた名前。
そして残された女性特有の甘い香りに、克哉の胸はちくりと痛んだ。



克哉はワイングラスをテーブルに置くと、隣りに座っている御堂の肩に頭を乗せた。
「……どうした?」
読んでいる雑誌に目を落としたまま、御堂が尋ねる。
「いえ……ただ、こうしたくなっただけです」
答えて、克哉はそっと目を閉じる。
今日はあれから、仕事もあまり捗らなかった。
ふとした瞬間にあの女性と御堂の姿が脳裏を過ぎっては、溜め息が零れてしまう。
結局、御堂にはサンプルも見せることが出来なかった。
御堂は雑誌を閉じると、克哉の肩に手を回す。
「元気がないな。何かあったのか?」
「いいえ。何も無いですよ」
微笑みながら答える。
嘘はついていない。
事実、何も無かったのだから。
ただ思い知っただけだ。
どれだけ御堂に相応しい人間になろうと努力したところで、どうにもならないことがある。
それは初めから分かりきっていたことだったけれど、改めて現実を突きつけられたような気がした。
誰にも認められなくてもいい。
堂々と恋人だと名乗れなくてもいい。
ただ御堂がいてくれさえすれば、それで良かった。
けれどいつか御堂が、他の誰かを好きになったとして。
もしもその相手が女性だったとしたら―――。
自分は身を引くかもしれない、と克哉は思った。
絶対に失くしたくはないけれど、相手が女性だったら、その時点で気持ちが負けてしまいそうな気がする。
その方が御堂にとっても幸せなはずだと思ってしまうだろう。
御堂のことは信じている。
けれど誰しも始めから、いつか別れることを想定して付き合っているわけではないはずだ。
永遠の愛を誓い合っておきながら、その後に別れてしまう恋人達は大勢いる。
人の心は変わるものだと、あの男も言っていたではないか。
変わらないものなど、何も無いのだと―――。
「……克哉?」
「はいっ?」
自分の考えを吹き飛ばすかのように、克哉は明るく返事をする。
精一杯普段通りに振舞っているつもりだったけれど、それでも御堂は何かに気づいているのか、訝しげに眉を寄せた。
「少し、顔色が悪いようだが……大丈夫か?」
「えっ、そうですか?」
確かに朝から鈍い頭痛が続いている。
けれど、そんなことはどうでもよかった。
御堂に心配は掛けたくない。
「オレは大丈夫ですよ。それよりも御堂さん、今度の週末は出張でしたよね?」
「ああ、そうだな」
「予約、全部済んでますから」
「そうか。ありがとう。だが今は、そんな話をしたくはないんだがな」
「あっ……」
御堂が克哉の顎に手を掛ける。
苦しいほどに抱き寄せられ、克哉は目を閉じた。
「御堂さん……」
幾ら考えたところで、先のことなど誰にも分からない。
それなら今は御堂を信じて、自分に出来る限りのことをしよう。
そして少しでも長く、御堂の傍にいられるように。
ワインの香りのするくちづけを受けながら、克哉は御堂の背中に手を回した。



最後の確認を済ませると、御堂は資料の入ったファイルを閉じてソファから立ち上がった。
「では、行くか」
「は、はいっ」
克哉も続いて立ち上がる。
その途端、強い立ちくらみに襲われて、克哉はバランスを崩してよろめいた。
「どうした?」
「いえっ、なんでもありません」
大きく息を吸って、なんとか姿勢を持ち直す。
朝起きたときから続いている悪寒は、出社してからますます酷くなっていた。
かなりの熱があるのは間違いない。
けれど今日は初めて自分が中心となって進めた商品の、行く末が決まる日だ。
今日だけは、どうしても休みたくなかった。
二人は御堂のオフィスを出て、会議室へと向かう。
「緊張しているのか?」
「す、少し……」
「そろそろ慣れてもいい頃だと思うが」
「はい……。オレも、そう思うんですけど……」
「内容に問題は無いのだから、あとは堂々とやればいい。でなければ、通るものも通らなくなるぞ」
「はい」
御堂の言葉に、気合いを入れ直す。
それでも体の微かな震えが止まらないのは、緊張の所為ではないと克哉は分かっていた。

- To be continued -
2007.11.11

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