Classical

茨の迷路 03

呆然と克哉を見つめていた本多が我に返るまで、たっぷり数分は掛かった。
克哉の言っていることの意味がようやく脳味噌まで辿り着いたのか、本多はかあっと顔を赤くする。
「お、おい……冗談、だろ?」
「……」
そんな風に聞かれても、克哉自身よく分からない。
全てが現実味を失ってしまった今、克哉にとっては自分に起きていることの何もかもが冗談も同然だった。
黙り込んでしまった克哉を前に、本多は大きな溜息をつく。
「……じゃあ、聞くけどよ」
本多の声が僅かに低くなった。
「克哉は……俺と出来ると思ってんのか?」
「……」
その問いにも、やはり克哉は答えられない。
ただ、そうであってくれればいいと思っていた。
快楽を与えてくれる相手ならば誰でもいいのだということになってしまったほうが楽だった。
そうすれば、御堂の望む自分になれる。
性の捌け口としてのみ存在する、淫乱な自分に。
「……チッ」
何も答えようとしない克哉に苛立ったのか、本多は舌打ちをする。
それから突然威勢良く立ち上がると、テーブルを回り、克哉の隣りの席にどかりと腰を下ろした。
「……本多?」
「だったら、確かめてみようぜ。今、ここで」
「えっ」
克哉は目を見張った。
確かに、話を振ったのは自分のほうだ。
しかし、いくらなんでも、ここで―――?
戸惑っている間に本多の手が伸びてきて、テーブルの下にある克哉の膝に触れる。
「……っ」
その瞬間、克哉は小さく息を呑んだ。
二人が座っている席は店の奥に位置していたから、店員を呼ばない限り誰かが通路を通ることはない。
仕切りの向こうにいる他の客からも、見えることはないだろう。
それでも、こんな場所で男同士が触れ合っているなんて普通じゃない。
克哉は恐る恐る、隣りにいる本多に目を向けた。
本多はいっそ怒っているのかと思うほど、真剣な眼差しで克哉を見つめている。
ふざけてやっている雰囲気は微塵も感じられなかった。
本多の大きな手が、ゆっくりと移動を始める。
掌が太腿を撫で、指先がその内側をくすぐる。
布越しの体温と感触に、克哉の身体は細かく震えだした。
けれどその震えは、決して快楽への期待によるものではなかった。
その感情を、どう説明すればいいのか分からない。
ただ胸の奥に湧き上がるそれが、御堂に触れられているときに感じるものとは全く違っていることに、克哉は気づいてしまった。
「ほん、だ……やめ……」
「……お前が、誘ったんだろう?」
「……っ…」
顔を寄せ、囁かれた言葉に、克哉はきつく唇を噛む。
そしてとうとう、本多の手が克哉の中心に辿り着こうとしたとき―――。
「やめ、て……くれ…っ!」
「!!」
克哉に突き飛ばされた本多が、大きく椅子を鳴らした。
その音に、克哉はハッとする。
なんの騒ぎかと、あちこちの仕切りから見知らぬ顔が幾つも覗いて、羞恥心の蘇った克哉は顔を真っ赤にしながら俯いた。
本多は椅子から立ち上がると、愛想笑いを浮かべながら周囲にぺこぺこと頭を下げ、そのおかげで店内の雰囲気は元に戻っていく。
「……はぁーっ」
向かい合わせの席に戻った本多は、また大きな溜息をつきながら頭を掻いた。
「……ごめん、本多。本当に、ごめん……」
「別に、謝ることじゃねぇよ」
泣きそうな顔で謝る克哉に素っ気なく答えて、本多はジョッキに残っていたビールを煽る。
それを見て、克哉もつられるようにビールを口にした。
ビールはもう温くなっていて、あまり美味しくはなかった。
「……なぁ、克哉」
「ん……?」
「お前……誰か、好きな奴でも出来たのか?」
「……!」
心臓を掴まれたようになって、克哉は思わず身を竦ませる。
もう、認めざるを得なかった。
誰でもいいわけじゃない。
御堂でなければ、駄目なのだ。
今の出来事で、それが分かってしまった。
そうでなければいいと思っていたはずなのに、不思議と心の何処かで克哉は安堵していた。
御堂が自分をどう思っていようと、そんなことは関係ない。
その気持ちだけは、確かなものだった。
「うん……」
小さく頷いたとき、本多の顔が一瞬強張ったことに、克哉は気づかなかった。
「そっか……」
「うん……本当に、ごめん。変なこと言って……」
「気にすんなよ」
本多は再びジョッキを手にする。
それからいつものおおらかな笑顔と、張りのある声で克哉に言った。
「諦めるなよな、克哉」
「……本多?」
肯定してしまった手前、相手は誰だと追究されても仕方ないと思っていた。
だから本多の率直な励ましに、克哉はなんとなく拍子抜けしてしまう。
僅かに首を傾げた克哉に、本多はにやりと笑ってみせた。
「どうせお前のことだから、勝手にあれこれ悩んで落ち込んでるんだろうけどさ。 今みたいにヤケになったって、いいことないと思うぜ?」
「本多……」
本多の言うことは本当は少し違っていたけれど、それでも克哉は嬉しかった。
あんなにも馬鹿なことを言ってしまったにも関わらず、何も詮索せず、真っ直ぐな言葉で励ましてくれる、その気持ちが。
ようやくほんの少し克哉の表情が和らいで、本多もほっとしたように笑う。
「ほら、とりあえず飲みなおそうぜ」
「……うん」
差し出されたジョッキに、克哉も自分のジョッキをぶつける。
今日、本多と飲みに来て良かった。
克哉は心から、そう思っていた。



本多と別れた後、克哉の足は自然とあの公園に向かっていた。
全てが、始まった場所。
深夜の公園は静まり返っていて、虫の声ひとつしない。
克哉はやはりあの夜と同じように、ベンチに腰を下ろした。
青白い月の光が、足元に細長い影を落とすのをぼんやりと見つめる。
どうして―――御堂なのだろう。
確かに御堂は自分の能力を評価してくれた。
入荷ミスの責任を押し付けられそうになったとき、庇ってくれた。
仕事に対する姿勢や実績は、素直に尊敬出来る。
憧れもある。
けれどその気持ちだけで、あれだけのことをされて尚、御堂を憎めない自分が不思議でならなかった。
憎めないどころか、こんなにも御堂が恋しい。
傍にいたい。
嫌われたくない。
御堂の声が聞きたくて、顔が見たくて、抱き締められたくて堪らない。
自分が何故ここまで御堂に惹かれたのか、その理由を冷静に分析出来るほどの心の余裕は、今の克哉にはなかった。
(眼鏡をかけたオレなら、こんなことにはならなかったんだろうな……)
この場所にいると、どうしても思い出してしまう。
あの夜、不思議な男から渡された、不思議な眼鏡のことを。
あの眼鏡を掛けて、渋る御堂からプロトファイバーの仕事を強引に得たことから全ては始まったのだ。
もしもあのまま眼鏡を掛け続けていたら、きっとこんな惨めな想いをすることもなかったに違いない。
プロトファイバーを順調に売り上げ、入荷ミスの件もうまく対応しただろう。
御堂にとっても、その方が良かったのかもしれない。
眼鏡を掛けた、<俺>の方が……。
「―――!!」
突然聞こえてきた足音に、克哉はびくりと顔を上げた。
けれどそれはあの不思議な男のものではなく、近くを通り掛かった、くたびれたサラリーマンの足音だった。
「は……はは……」
信じられないことに克哉は今、あの眼鏡が手元に戻ってこないだろうかと考えていた。
けれど、Mr.Rは現れない。
考えてみればあの男は、いつも足音さえ立てなかった。
(……とうとう、あの男にまで見捨てられたのか)
そんな風に考えてしまう自分に、克哉は乾いた笑いを零す。
いまだにあんなものに頼ろうとしている自分が、酷く情けなかった。
「……御堂さん」
克哉はポケットから携帯電話を取り出した。
昨夜、御堂に電話を掛けたのも、この場所からだった。
御堂への気持ちは、もう誤魔化しようがない。
けれどその感情をぶつけてしまえば、御堂の傍にはいられなくなるだろう。
彼にとって自分は、セックスフレンドのようなもの。
そこに恋愛感情を持ち込めば、鬱陶しがられるだけだ。
そうすれば、すぐに捨てられてしまう。
御堂には自分でなくても、幾らでも都合のいい相手はいるのだろうから。
だから彼との関係を続ける為には、この気持ちを封じ込めなければならなかった。
感情を殺すのは得意だ。
今までもずっと、そうやって生きてきた。
どんなに惨めでも、腹が立っても、曖昧に笑ってやり過ごしてきた。
何も望まず、何にも関心を持たず。
だから御堂に出会う前の自分に、戻っただけ。
そう思えばいいだけだ。
今の自分にとって一番辛いのは、御堂との繋がりが途切れてしまうことだけなのだから。
「……」
克哉は、御堂に電話を掛ける。
昨夜、胸の内にあった高揚はもう無い。
電話が繋がると、克哉は吐息混じりに呟いた。
「御堂さん……今度は、いつ会えますか?」

- To be continued -
2008.02.25

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