Classical

茨の迷路 02

コックを捻り、頭から熱いシャワーを浴びる。
気を失うように眠ってしまった克哉を部屋に置いて、御堂はひとりホテルを後にした。
あのまま、克哉の隣りで眠ることなど出来なかった。
自宅に戻り、すぐにバスルームに向かった。
全身を打つ激しい水流の中、御堂は両の掌で強く顔を擦る。
全てを、洗い流したかった。
腕に残るしなやかな線も、肌を焼く燃えるような熱も、全て。
けれどきつく閉じた瞼の裏には、今も鮮やかに彼の姿が蘇る。
快感に忠実な身体は、一ヶ月前と少しも変わってはいなかった。
強引に楔を捩じ込まれながらも、克哉は悶え、涙を流し、やがて手足を震わせながら欲望を吐き出した。
解放にぐったりと弛緩する身体を、御堂はそれでも犯し続けた。
他に、どうすればいいのか分からなかった。

プロトファイバーの担当を外されてすぐに、御堂はMGNの退社を決めた。
悔しさも憤りもあったが、顧客や利益よりも、上役の面子の方が重要視されるような会社に未練は感じなかった。
幸いMGNで培った実績は伊達ではなく、次の職に就くことにさほど苦労はしなかった。
ただひとつだけ、心に引っ掛かっていたこと。
それは、あの男―――佐伯克哉のことだった。
自分がMGNから姿を消せば、きっと彼は安堵することだろう。
嬲りものにされる日々から解放されて、喜ぶに違いない。
嫌だ、やめてくれ、いかせてくれと、泣きながら懇願する彼の声を聞くことも、もう無くなる。
涙に濡れた頬を、汗を浮かべた肌を、絡みつく内側を、御堂はこの一ヶ月の間、幾度も幾度も思い返していた。
そのたびに言いようのない苛立ちに襲われ、奥歯を噛み締めた。
何故こんなにも、彼のことが頭を離れないのか分からなかった。

ハガキに電話番号を書いたのは、ある意味賭けだった。
どうしても、彼の本当の気持ちが知りたかった。
あれだけの営業成績を出しながら、何故いつまでも自分の言い成りになっていたのか。
拒絶することなどとうに出来たはずなのに、何故そうしなかったのか。
いつも何かを言いたそうな顔をしておいて、彼は決して自分の気持ちを口にしなかった。
目を逸らし、俯き、そして最後には黙り込む。
そのくせプライベートな相談事をしてきたり、ワインを持って突然姿を見せたりする彼が、御堂にはどうしても理解出来なかった。

あの夜、携帯電話のディスプレイに表示された、見知らぬ番号。
それがきっと克哉であることを確信しながら、御堂はなかなか電話に出ることが出来なかった。
躊躇いの正体も分からぬままようやく通話ボタンを押すと、それはやはり彼だった。
『……佐伯です』
その名前の響きも、声も、全てが酷く懐かしく思えた。
微かに聞こえる吐息が耳元をくすぐり、そして彼は震える声で言った。
『あなたに、会いたい』
聞いた瞬間、御堂は咄嗟に唇を噛んだ。
喉まで出掛かった自分の言葉が、自分で信じられなかった。
―――私もだ。
その言葉をなんとか飲み込んだとき、御堂は自分がいかに愚かであったのかを思い知った。
本当に知りたかったのは、克哉の気持ちではなく、自分自身の気持ち。
自分にとって克哉の存在は何なのか、この苛立ちは何処から来るのか、知りたかったのだ。
けれどそれは、知ってはいけないことだった。
その感情を認めてしまえば、克哉と会うわけにはいかなくなる。
自分がしたことを考えれば、到底顔を合わせられるはずがなかった。
たとえ彼が許してくれたのだとしても、この罪悪感には敵わない。
それでも、胸に湧き上がった再会への渇望を抑えることはもう出来なかった。
彼をもう一度この手に入れる為、残された方法はたったひとつ。
『……御堂さん』
そして御堂は、それを選んだ。

止まない雨のように降り注ぐシャワーの中で、御堂は乾いた笑いを漏らす。
滑稽すぎる自分を腹の底から呪いながら、呟いた。
「克哉……私を、憎め……」
今度こそ私を憎み、恨み、愛想を尽かせばいい。
自ら関係を断ち切れずにいる卑怯な自分を、蔑めばいい。
そうして君のほうから立ち去ってくれたとき、ようやく私は私の感情を認められるだろう。
そうでなければ、いったいどんな顔をして言えるというのだ。
君を―――愛しているなどと。
「くっ……」
御堂は呻きながら、バスルームの壁を濡れた拳で殴りつける。
何故、こんなことになってしまったのだろう。
彼を跪かせ、許しを請わせたいという衝動は、いつから自分を求めろという欲求に変わっていたのだろうか。
今、御堂は克哉との関係を続ける為に克哉を傷つけ、離したくないと思いながら、去ってくれることを願っている。
もう、滅茶苦茶だ。
狂っているとしか思えない。
確かなのはただ、彼への愛しさだけ。
「…ッ……く…はははは……」
押し殺した笑い声が、激しい水音の中に吸い込まれていく。
今、御堂を最も憎んでいるのは、御堂自身だった。
克哉を傷つけることしか出来ない自分が、たまらなく憎かった。



克哉は自分のデスクで、出来上がった報告書を眺めていた。
就業時間を一時間ほど過ぎていたけれど、このチェックさえ終われば家に帰れる。
数字はもう何度も確認していたから、間違いは無いはずだった。
それなのに克哉は、いつまでもその作業を繰り返している。
まるで仕事を終えるのを引き延ばしているかのように。
「……克哉?」
頭の上から聞こえてきた声に、克哉は書面から顔を上げる。
同僚の本多が妙な顔つきで、克哉の手の中にある報告書を覗き込んでいた。
「……本多。なに?」
「いや。さっきから、ずーっとそればっか見てるだろ。なんか気になるとこでもあるのか?」
「ああ……ううん」
なんだかどうでもよくなって、克哉は書類をファイルに仕舞う。
どうやらこれ以上ここに居座るのは、無理があるようだ。
克哉が片づけを始めるのを見て、本多はぱっと明るい表情になった。
「なあ。飲みに行こうぜ、克哉。もう、終わりなんだろ?」
「えっ。ああ……」
克哉は虚ろに返事をする。
本音を言えば、動くのも億劫なほどに疲れきっていた。
今朝ホテルで目を覚ますと、御堂の姿は既になかった。
接待と称してあの部屋で抱かれたときでさえ、御堂は自分が起きるのを待っていてくれたのに、今回は置き去りにされてしまったのだ。
それを悲しく思う暇もなく、克哉はシャワーを浴びて、一度自宅に戻り、それからキクチに出社した。
何も考えたくなかった。
考えられなかった。
頭の中が空っぽで、自分を取り巻く全てのものから現実感が無くなっている。
克哉はカバンを抱えると、本多に答えた。
「ああ、いいよ」
断る気力さえも無かっただけなのに、本多は嬉しそうに笑った。

本多について行った先は、洒落た和風のダイニングバーだった。
てっきり何処かの居酒屋で飲むのだとばかり思っていた克哉は、意外そうに本多を見る。
「へぇ。本多って、こんな店も知ってるんだ」
「へへっ、まあな。たまには、こういうところもいいだろ」
店の中は照明も明るすぎず、落ち着いた雰囲気だ。
もしかしたら克哉が疲れているのを察して、選んでくれたのかもしれない。
本多がそういうさり気ない気遣いの出来る人間だということを、克哉はよく知っていた。
通されたテーブル席はそれぞれが木目の壁で仕切られていて、軽い個室のようになっている。
二人は向かい合わせに座ると、とりあえずビールを注文した。
おしぼりで手を拭きながら、本多はメニューを広げる。
「克哉、何食う?」
「あ……なんでもいいよ。あんまり、食欲無いんだ」
「そうなのか? けど、ちゃんと食わなきゃ力出ねぇぞ」
「うん……」
そういえば、朝から何も食べていなかった。
克哉は、ふと思い出す。
(前にあのホテルで食べたオムレツ……美味しかったな)
御堂が頼んでくれた、ルームサービスのモーニング。
けれどそれを思い出した途端、胸が締め付けられるように痛んで、克哉は顔を顰めた。
「……ん? どうした?」
本多がそれに気づいて、声を掛けてくる。
「い、いや。なんでもないよ」
克哉は慌てて、愛想笑いを浮かべた。

「それにしても……ほんと、ぱっとしねぇよな」
三杯目のジョッキを煽りながら、本多がぼやく。
よほどプロトファイバーの件が心残りなのだろう、この間からそればかり言っているのだ。
克哉は苦笑しながら、答えた。
「仕方ないよ、あのことはもう……」
正直言って、もうプロトファイバーの名前すら目にしたくない気分だった。
けれど本多はまだ納得がいっていないらしく、身を乗り出してくる。
「けど、お前だって悔しいんだろう? もう、ずっと元気ねぇし……」
「そう……か?」
「そうだよ。今日なんか、特にひどい顔してるぜ」
「……」
それはきっと、そうなのだろう。
けれどその理由がプロトファイバーの所為ではなく、あの御堂のことなのだと知ったら、本多はどんな反応をするだろうか。
昨夜、自分が御堂に会いに行って、気を失うまで抱かれたのだと知ったら……。
恐らく、本多は信じないだろう。
そんなことを考えていたら、何故だか急に可笑しくなって、克哉は口元を歪めた。
「……な、なに笑ってんだよ」
「ううん。なんでもない」
もう、笑うしかなかった。
結局、調子に乗った自分が馬鹿だったのだ。
あのハガキを見て、御堂も自分に会いたいと思ってくれているのだと自惚れていた。
けれどそれは、間違いだった。
御堂はただ、自分を性的欲求の捌け口にしたかっただけなのだ。
仕事上の繋がりがなくなった今、自分は御堂にとって性の玩具でしかない。
当たり前だ。
それ以上、自分にどんな価値があるというのだろう。
そんなことも分からずに「会いたい」などと電話を掛けてきた自分を、御堂はきっと心の中で嘲笑っていたに違いない。
しかもそんな状況で尚、自分は快楽に抗えなかったのだ。
御堂の愛撫に溺れ、喘ぎ、よがった。
もしかしたら自分も―――ただ、抱かれたかっただけなのかもしれない。
御堂によって教えられた快楽は、それほどまでに強烈なものだったから。
「……克哉?」
黙り込んでしまった克哉を、本多が訝しげに呼ぶ。
克哉は顔を上げ、まじまじとこの親友を見つめた。
ただ抱かれたいだけなら、相手は御堂でなくてもいいはずだ。
たとえば―――。
「……なぁ、本多」
「ん?」
「お前……セックスって、好き?」
「ッ?!!」
ビールが気管に入ってしまったのか、本多は勢いよくむせた。
慌てておしぼりで口を押さえ、激しく咳き込む。
そんな本多のうろたえる姿を見ても、克哉の中には不思議と何の感情も湧かなかった。
自分が言ったことに対する羞恥心も、何も無い。
本多は顔を真っ赤にしながら、無表情な克哉を睨みつけてくる。
「お前っ……何言い出すんだ、急に?!」
「別に……好きかな、って思って……」
「……」
克哉と本多は長いつきあいではあったが、このての話をしたことはほとんど無かった。
お互いこういった話題は苦手なのだろうと思っていた本多は、戸惑いながら克哉の様子を伺う。
けれどその表情から、克哉の真意は読み取れない。
(まぁ……たまには、いいか)
本多は気恥ずかしさに頭を掻きながら、答えた。
「そりゃあ……嫌い、ではないけどよ……」
「……そっか」
「でっ、でも、そんなの普通だろ?! 健康な証拠じゃねぇか!」
誰も責めていないのに、本多は言い訳がましく付け加える。
それでも克哉は淡々としていた。
ジョッキから手を離し、ぼんやりとした視線を本多に向ける。
「じゃあ……さ。相手が男でも、出来そう?」
「……は?」
「例えば……オレ、とかさ……」
俄かには信じられない言葉を呟いた克哉を前にして、本多はただ絶句した。

- To be continued -
2008.02.21

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