GRATITUDE 02
その日、天気は快晴だった。
気温はこの冬一番の冷え込みとなったらしいが、雲一つ無い青空は、それだけで心の中の不安を少しだけ払拭してくれる。
二人は御堂の車で、克哉の実家へと向かった。
道は思ったよりも空いていた。
首都高はやや混雑していたものの、東北自動車道に入ってからは比較的スムーズに進んでいる。
克哉は助手席で、これから始まる一大イベントのことをあれこれと考えていた。
どう話を切り出すか、両親はどんな反応をするのか……今更考えても仕方の無いことだと分かっていても、考えてしまう。
実家に連絡をしたことで、もう後には退けなくなった所為か、ここ数日はわりと心穏やかに過ごせていたはずだった。
けれどいざこうして車に乗り込み、徐々にその時が近づいてくるにつれ、再び不安が押し寄せてくるのをどうすることも出来ない。
御堂はいつもと変わらないように見えたが、車内での二人は言葉も少なかった。
黙っていると、緊張で胃が痛くなってくる。
そんなとき、隣りで姿勢良くハンドルを握っていた御堂が切り出した。
「……君のご両親は、どんな方なんだ?」
御堂もまた、この沈黙を気まずく思っていたのかもしれない。
克哉はほっと息を吐き出しながら答える。
「……普通ですよ」
両親の顔を思い浮かべ、克哉ははにかむ。
「この前の電話の通り、母は明るい人です。あまり口うるさく言われたこともないし、悪く言えば大雑把なのかな……。
父は普通のサラリーマンです。のんびりしてる人なので、ちょっと母の尻に敷かれているかも」
「その方が、家庭はうまくいくらしいがな」
「みたいですね。両親は仲もいいですし……やっぱり、普通だと思います」
普通。
だからこそ、真実を話したときの両親の反応が怖い。
自分の息子も、きっと普通の人生を送るのだと信じているに違いなかった。
不意に、やはり話さないほうがいいのではないかなどと思ってしまう。
―――覚悟したはずなのに、何を今更。
克哉は微かに首を振った。
迷ってはいけない。
迷えば、本当に伝えたいことも伝わらなくなる。
克哉は顔を上げ、今度は自分から敢えて明るい口調で尋ねた。
「御堂さんのご両親は、どんな方なんですか?」
「うちか?」
「はい。お父さんにはお会いしたことありますけど……」
「母か」
御堂の横顔が僅かに険しくなったので、もしかして聞かない方が良かったのだろうかと心配になる。
しかし御堂は、溜息混じりではあったものの、すんなり克哉の問いに答えてくれた。
「家庭的なところは、あまり無い人だな。観劇が趣味で、外出ばかりしているから、家事はほとんどハウスキーパー任せだ。
家庭に無関心というほどではないんだが……少々変わった人かもしれないな」
「はぁ……」
ついドラマによく出てくるような、お金持ちで意地悪な女性を想像してしまって、御堂に申し訳ない気持ちになる。
ただ、いずれにせよ自分の両親とはかなり違うタイプであることは確かなようだった。
そんな風にまったく違った環境で育った御堂と自分が、こんな関係になるなんてなんだか不思議だ。
考えてみれば、あのとき眼鏡を受け取っていなかったら、御堂のような人間と恋に落ちることなど絶対に無かっただろう。
御堂もまた、自分になど興味すら抱かなかったはずだ。
それが、今はこうして傍にいる。
これはもう奇跡としか言いようがない。
そんな奇跡が嬉しくなって、克哉は御堂に気づかれぬよう、助手席でこっそりと微笑んだ。
途中に休憩を挟みつつ、車が実家の最寄り駅周辺に到着したのは、マンションを出てから三時間ほど経った頃だった。
実家のカースペースは一台分しか無いため、コインパーキングを見つけて車を止める。
克哉は車を下りると、外の解放的な空気に思わず深呼吸をした。
「はぁ……」
東京よりも少し寒いが、天気は変わらず快晴で気持ちがいい。
同じく車を下りた御堂が、持参した手土産を持って克哉の隣りに立った。
「ここから、どれぐらいなんだ?」
「六、七分だと思います。……行きましょうか」
「ああ」
いよいよだ。
御堂と並んで歩きながら、久し振りの地元の景色を克哉は見渡す。
よく足を運んでいた本屋は潰れたらしく、シャッターが閉まったままになっていた。
友達の家があったはずの場所は駐車場になっていたけれど、通っていた歯医者はまだ残っている。
懐かしさと寂しさを覚えつつも、家が近づいてくるにつれて、克哉の鼓動は早鐘を打ち始めていた。
覚悟を決めたはずなのに、やはり緊張してしまう。
大通りを抜けると道が細くなり、やがて住宅街へと入っていく。
身体に染みついた記憶のままに、克哉は二回角を曲がった。
そこから数えて、三軒目にあるのが―――。
「……あれっ?」
突然克哉が足を止めたので、御堂も立ち止まる。
「どうした?」
「えっと、あの……」
見慣れた茶色い屋根の家があるはずなのに、無い。
「……まさか、道に迷ったのか?」
「いえ、そんなはずは……」
克哉は小走りに、実家であるはずの家の前へと向かった。
そこにあった二階建ての一軒家は、周囲を低いブロック塀に囲まれている。
アイボリーの外壁はまだ真新しく、綺麗だ。
門柱につけられた表札を、二人して確認した。
「佐伯……あれっ?」
「やっぱり君の家じゃないか」
「ええと……ああっ!」
そこでようやく克哉は、三ヶ月ほど前に母親からかかってきた電話のことを思い出した。
「……そういえば、リフォームしたって言ってました」
最初にその話を聞いたのは一年近く前のことだったと思うが、それがやっと終わったと報告を受けていたのをすっかり忘れていたのだ。
御堂は呆れて溜息をつきながら、目頭を押さえた。
「まったく、君は……。あまり驚かせないでくれ」
「す、すみません」
しかし克哉自身、リフォーム後の実家は今日初めて見たのだ。
なんだか実家に帰ってきたはずなのに、知らない家に来てしまったようで少し戸惑う。
なんにせよ、とうとう着いてしまったのだ。
表札の下にあるチャイムを押そうとして、克哉は緊張に震える息を吐き出した。
「……克哉」
そのとき、御堂が克哉の指先をそっと握った。
克哉は御堂に向かって小さく頷くと、思いきってチャイムを押す。
程無くして中から返事が聞こえ、玄関が開いた。
「おかえりなさ……」
ドアの向こうから、母親が顔を出す。
そして克哉と御堂の姿を見て、一瞬固まった。
「ただいま」
克哉はその母親の様子に苦笑しながら、門扉を開けてポーチへと入っていく。
てっきり女の子を連れて来るのだとばかり思っていたのだろう。
笑顔のままできょとんとしている母親と、後に続いた御堂の間で、克哉は二人を紹介した。
「母です。母さん、こちら御堂孝典さん」
そう言って体を除けると、御堂が深々と頭を下げる。
「はじめまして、御堂と申します。本日は突然お伺いしてしまい、申し訳ありません」
克哉は少々ぎょっとした。
御堂の張りのある声、堂々とした佇まい、そして穏やかな笑顔……それはまさに。
(営業用……)
しかしその伝家の宝刀は、母親の凍結を一瞬にして溶かしてしまう。
「は、はじめまして、克哉の母です。克哉がいつもお世話になっております」
御堂が誰なのかも分かっていないはずなのに、母親はつられて笑顔になると、やはり深々と頭を下げる。
やっぱり御堂さんってスゴイなぁ、などと呑気に思いながら、克哉は母親に説明した。
「御堂さんは、オレの上司なんだ。MGNの企画開発部の部長さん」
「えっ!」
母親は途端にうろたえる。
「ぶ、部長さんですか! あ、あの、克哉がいつもお世話になっております。とりあえず、あがってください」
慌ただしく同じことを言いながら、母親は二人を招き入れる。
さて、これからが本番だ。
克哉は意を決して、懐かしい我が家に足を踏み入れた。
- To be continued -
2009.01.16
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