Classical

exist 06

あれから一週間ほどが経った。
御堂が出張から戻った日の夜、克哉は頭痛がするという理由でセックスを拒んだ。
その時点で既に御堂の中には違和感が生まれていたが、まだ確信にはなっていなかったのだ。
しかしその翌日も同じように克哉から拒まれたとき、御堂の疑念は揺るぎないものにならざるを得なかった。
留守にしている間、克哉に何かがあったのだ。
そもそも、あんな子どものズル休みのような言い訳を真に受けるはずもない。
しかし、何が起きたのかという具体的なことについてはまったく想像もつかなかった。
克哉は悩むのが趣味みたいなものだから、あれこれ考えすぎては一人で泥沼に嵌っていることもしょっちゅうなのは知っている。
そのうえ彼はとても頑固なので、悩みを打ち明けさせるにはじっくり時間を掛ける必要があることも分かっていた。
ただしある程度のラインに達したところで掬い上げてやらないときりが無くなるので、そのタイミングを見極めることが重要になってくる。
今のところ彼はそれに関して話をしようとしてくる様子は無く、あくまでいつも通りに振舞おうとはしているものの、何処かぼんやりしていることが増えたように見えた。
話をしていても反応が薄かったり、笑顔に力が無かったりする。
それが御堂には酷く引っ掛かっていた。
悩むあまりに距離を置かれることは何度かあったけれど、今の克哉は少しずつ心を閉ざしていっているような気がしたからだ。
落ち込んでいるのとも、情緒不安定とも違う、感情そのものが失われていくような。
そういえば、出会ったばかりの頃の克哉はあんな風だったかもしれない。
決して波風を立てぬよう、相手を怒らせないよう、自分の意見も感情も押し殺して仕事をしていた。
そんな克哉に苛つくあまり、彼を酷く傷つけてしまったことは今でも忘れてはいない。
けれど、彼は変わったはずだった。
謙虚さは失われていないまま、今では野心や向上心に溢れ、前に進むことを厭わない。
御堂に対しても自分を曝け出すことを恐れず、感情も欲望も思い切りぶつけてきてくれていたはず―――なのに。
(いったい、何があった……?)
既に十一時を過ぎた執務室で、御堂はひとり考え込む。
夜、ベッドに入る頃になると顔を曇らせる克哉のことを慮って、御堂はここ数日わざと帰宅を遅らせていた。
必死に不自然な言い訳をしては泣きそうになりながら謝る克哉の姿は、見ているこちらのほうが辛くなってしまう。
きっと本人もどうしていいのか分からないのだろう。
やはりそろそろ問い詰めてみるべきなのかもしれない、と御堂は思った。
正直なところ、御堂自身もいつになく不安なのだ。
克哉の悩み方がいつもとはまったく違っているだけに、そこにどんな理由があるのか知れない。
勿論、どんな事実でも受け止める覚悟はあったけれど、最終的に答えを出すのは克哉自身だ。
彼を信じてはいるものの、やはり少しも怖くないといえば嘘になった。
(克哉……)
克哉と恋人関係になっていったい何年になるだろう。
それでも僅かにでも彼を失うかもしれないと思うだけで、恐怖を覚える。
どれだけの時間を共に過ごしてきても、どれだけ互いを解り合ったつもりになっても、これはきっと一生変わらないのだろう。
情けなさに御堂が自嘲の笑みを浮かべたとき、携帯電話が震えた。
ディスプレイに表示されていたのは友人の四柳の名前だった。
「もしもし、私だが」
『やあ、御堂。今、大丈夫かい?』
「ああ」
用件は大方の予想がついていた。
いつものワインバーでの集まりの話だろう。
案の定、四柳はほぼ定例となっているその件について話を始めた。
『それで、来週の土曜日にしうようかっていう話なんだけど……どうかな?』
御堂は迷った。
集まりには当然、克哉も毎回参加している。
日付からして、その頃には何もかも解決しているかもしれない、そうでなくとも気分転換も兼ねて参加するべきか、それとも……。
あれこれと考えを巡らせてみたものの、結局は御堂自身がそういう気分になれそうもないと分かった。
「……悪いが、今回は私も克哉もパスさせてもらいたい」
御堂が溜息交じりに言うと、四柳は心配そうに尋ねてきた。
『……佐伯君に何かあったのかい?』
あえて克哉に限定してくるところが、つくづく聡い友人だと思う。
今までにも彼には散々弱みを見られていることもあるから隠し事をするつもりはなかったのだけれど、かといって具体的に話せるようなことでもない。
だから御堂は仕方なく、答えを曖昧に濁すことにした。
「まあ、似たようなものだ」
『ふぅん……』
細かいことは言わずとも察してくれるだろう。
そう思っていると、四柳が躊躇いがちに口を切った。
『……そういえば、先々週だったかな。佐伯君を見掛けたよ』
「先々週?」
御堂が細かく日付を追究すると、それが出張中の金曜日だったことが分かる。
「場所は?」
『ワインバーの近くだよ。十時頃だったかな。 タクシーで通り過ぎただけだから声は掛けられなかったんだけど、あんな時間にあんなところを歩いているわりにお前と一緒じゃないなんて珍しいなと思って。 ……やっぱり、彼一人だったんだよな?』
「……その日、私は出張で大阪に行っていた」
『そうか……。じゃあ、他の友達と飲みにでも行っていたのかな。普段はお前とべったりだからな』
四柳はわざと明るく言っていたけれど、そのときの克哉の様子がおかしいことに気づいていたのかもしれない。
だからメールで済ませずわざわざ電話を掛けてきたうえに、今その話をしてきたのだろう。
それにしてもあの夜、克哉は何故そんな場所にいたのか。
誰かと会っていたのか、彼の身に何が起きていたのか。
克哉は何も言っていなかった。
御堂はますます疑念と不安を募らせながら電話を切った。



翌日、御堂は久し振りに仕事を早めに切り上げることにした。
朝、家を出る際にそのことを告げると克哉が少し戸惑ったような顔をしたのは寂しかったが、今夜こそは話をしようと御堂も覚悟を決めていたから仕方が無い。
夕食には克哉の好きな寿司屋へと連れて行ってやった。
話をする前に少しでも気持ちを解せればと思ったのだが、しかし克哉はやはり元気が出ないようだった。
いつもならば目を輝かせてニコニコしながら寿司を摘むのに、今夜は作り笑顔を浮かべて「美味しいです」と上辺だけの言葉を口にするばかり。
自然と会話も少なくなりがちなまま、二人はマンションへと戻った。
「……克哉」
部屋に入るなり、御堂は克哉を呼び止めた。
事を急くつもりはなかった。
じっくりと、腰を据えて話をしなければならないことも分かっていた。
けれど御堂が呼び止めた瞬間、克哉の身体が怯えたようにびくりと跳ねたのだ。
それを目にした途端、御堂の中の何かが堰を切ったように溢れ出してしまった。
「……何故、そんな反応をする? 何かやましいことでもあるのか?」
「えっ……オレは、別に……」
「何もないと? 本当に?」
御堂が克哉の手首を掴む。
克哉は目を見開き、じっと御堂を見つめていた。
その縋るような瞳が、かえって御堂を苛立たせる。
昨日、四柳に聞いたことも頭を離れなかった。
「私に触れられるのが嫌になったのだろう? 何故だ? 何があった?」
「ち、違う……違います、オレは……」
「何が違う?!」
声を荒げた御堂はいきなり克哉を抱き締めると、その唇を奪った。
「……っ!」
咄嗟に逃れようとする身体を押さえつけて、御堂は強引にくちづける。
噛みつくほどに唇を押しつけ、無理矢理舌を差し入れようとした。
克哉は初め弱々しく、けれど次第に本気で御堂から離れるために抵抗を始める。
もがき暴れる腰をきつく抱き寄せ、逸らそうとする唇を執拗に追えば拳で肩を叩かれた。
「ん……! んんーッ…!!」
それでも御堂は手を緩めない。
克哉の身体を壁に押し付けると、スラックスの中からシャツを引き出し素肌に触れる。
首筋に顔を埋めて歯を立て、胸の尖りを探った。
「克哉……!」
幾度こんなことを繰り返してきただろう。
何故、克哉はいつも一人で抱え込んでしまうのか。
彼が悩んだり落ち込んだりするとき、その原因はたいてい御堂のことを想うあまりなのだと分かっている。
けれどその為に距離を置かれるのが御堂にとってどれほど辛いことなのか、克哉もまたよく知ってくれているはずではないのか。
それなのに、何故。
憤りと悲しみ、苛立ちが御堂の中を駆け巡る。
こんな事をしたかったわけじゃない。
克哉を責めたいわけじゃない。
けれど自分で思っていた以上に、御堂自身も追い詰められていたらしい。
自制の効かなくなった御堂の手が克哉の下肢におりる。
逃げられないよう両足の間に膝を割って入れ、布地越しのそこに触れた。
しかしそこはほんの僅かの硬さも無く、克哉の身体が冷めたままであることを示していた。
「克哉……?」
「……」
違和感を覚えて克哉を見れば、いつの間にか抵抗を止めていた彼は虚ろな瞳でただ悲しげな表情を浮かべているばかりだった。
やはり、おかしい。
いつもと違う。
さすがに御堂が身体を離すと、克哉は俯きながら震える声で呟いた。
「ごめんなさい、孝典さん……ごめんなさい……」
「克哉……」
その今にも消え入りそうな弱々しい克哉の声に、御堂の中に一気に罪悪感が湧き起こる。
「すまない、克哉。私がどうかしていた」
「いいえ、孝典さんが謝ることなんてありません。全部、オレが悪いんです……全部……」
「だが」
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……」
克哉は首を振りながら、人形のように繰り返す。
いったい彼はどうしてしまったのだろう。
このままでは克哉が壊れてしまうような気がして、御堂は堪らなく怖くなった。
彼が確かに此処にいることを確かめたくて、今度は出来るだけ優しく克哉の頬に触れる。
暖かい。
頬に触れるだけならば拒まれることもなく、その温もりに御堂は少しだけ安堵した。
「違う、君は悪くない。今日は君ときちんと話をしようと思っていたんだ。それなのに、こんな……すまなかった」
「いいえ。だって、そもそもの原因はオレですから……」
「だから、それは……」
互いに同じようなことを言い合って、堂々巡りになっていることに気づく。
これではなんの解決にもなりはしない。
御堂は冷静さを取り戻すべく大きく息を吐くと、改めて克哉の顔を覗き込みながら言った。
「とにかく、今夜こそは君と話がしたい。いいな?」
「……」
その言葉に、しかし克哉からの返事は無かった。

- To be continued -
2013.08.08

←前話     →次話



←Back

Page Top