Classical

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カップを口元まで運ぶと、白い湯気と一緒にコーヒーの香りが立ち昇る。
克哉はほんのひと時それを楽しんでから、コーヒーに口をつけた。
「ふぅ……」
喉に流れ込む暖かさと苦味に、思わずほっと溜息が出る。
出来上がったと思っていた書類に急遽修正が入った所為で、朝からバタバタしていたのだ。
なんとかその仕事を終えて休憩室に来てからようやく、今日はまだ昼食も取っていなかったことに気づく。
時計の針は既に二時を回っていて、空腹はとうにピークを過ぎていた。
外回りをしていた頃とはまた違った疲労感に、克哉は軽く目頭を押さえた。
「佐伯さん」
「……えっ?」
突然女性の声で呼びかけられて、克哉はきょろきょろと辺りを見回す。
その様子が可笑しかったのか、背中越しにクスクスと笑いが起きるのを聞いて、克哉は後ろを振り返った。
丸テーブルに座っている二人の女性社員が、こちらを見ている。
「あ……どうも」
軽く頭を下げてみたものの、彼女達がどこの部署の誰なのか、はっきりと思い出せない。
確か商品管理部の……と、克哉が脳内で記憶を探っていると、ひとりがテーブルの上にあった箱をこちらに差し出してきた。
「良かったら、食べませんか?」
箱の中には一つずつ包装されたクッキーが、三つ並んで入っていた。
隙間の空き具合から見ると、片付けてしまいたいのだろう。
甘いものは、あまり好きではない。
けれどここで断るのもなんだか悪いような気がして、克哉はそれに手を伸ばした。
「ありがとうございます。いただきます」
ココア色をした一つだけを受け取り、礼を言う。
あとの二つを彼女達が食べればちょうどいいだろうと思ったのだが、どうやら違っていたらしい。
「三つとも、どうぞ」
更に勧められて、克哉はさすがに遠慮の意味で手を振った。
「い、いえ、そんなには……」
「太りたくないから食べてほしいんですよ、この人」
「ちょっと! 余計なこと言わないでよ」
軽口を叩き合う二人と一緒に、とりあえず克哉も愛想笑いをする。
しかし克哉が決してそれ以上手を伸ばしてこないのを見て、彼女は諦めたように箱を引っ込めた。
ほっとしたのも束の間、もう一人がテーブルから僅かに身を乗り出してきて尋ねる。
「佐伯さんは、どうですか?」
「何がですか?」
「女の子のタイプ。痩せてる子と、少しぽっちゃりしてるのと、どっちが好きですか?」
「……!!」
思わず、コーヒーを噴き出しそうになる。
どうやらこちらの彼女は、遠慮の無いタイプらしい。
横から小声で窘められているのを意にも介さず、興味津々といった様子で克哉の答えを待っている。
「え、っと……どうかな……」
克哉は曖昧に呟きながら、無意識にクッキーの袋を破いていた。
開けてしまったからには、食べるしかない。
半分ほど口に入れ、粉っぽい甘味をコーヒーで流し込む。
しかし敵はそんなことで誤魔化されるほど、甘くはなかった。
「じゃあ、佐伯さんの彼女はどっちのタイプなんですか?」
「!!」
今度こそ、本当にむせた。
顔を真っ赤にしながら、ゲホゲホと咳き込む克哉に二人は目を丸くする。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、はい……だいじょ……」
「ほらぁ、あんたが変なこと聞くからだよ」
「だって、気になっちゃって。ごめんなさい、佐伯さん」
「いえっ……」
こういうとき、つくづく女性には敵わないと思う。
とにかく、この場を逃げ出そう。
これ以上、この話を続けられてはたまらない。
克哉は急いでもう半分のクッキーを口に入れ、カップの底に残っていたコーヒーを飲み干すと、慌しく椅子から立ち上がった。
「あの……オレ、もう行きますね。クッキー、ご馳走様でした」
まだ何か言いたそうな彼女達に精一杯の笑顔で頭を下げ、克哉はそそくさと休憩室を後にした。

(変に思われたかなぁ……)
1室に戻ろうと、廊下を歩きながら考える。
学生時代から、恋愛話はあまり得意ではなかった。
その手の話題に乗らないとすぐに、周りからは照れるなだの隠すなだのと言われたが、実のところただ興味がなかっただけだった。
好きなタイプなんて聞かれても考えたことがないから分からなかったし、人に相談したくなるほど恋愛事で胸を痛めたこともない。
恋人がいたときですら、似たようなものだった。
だからこそ、今の自分が信じられないような気持ちになる。
一日中その人のことが頭を離れなくて、少しでも長く傍にいたくて、その人のことを考えるだけで切なくなるなんて―――。
「……おい」
「わっ……!!」
突然、御堂が目の前に現れて、克哉は飛び上がるほどに驚いた。
「み、御堂さん。びっくりしたぁ……」
克哉の様子を見て、御堂は不審気に眉を顰めている。
「驚いたのは、こちらの方だ。声を掛けなければ、君は通り過ぎていただろうからな。 休憩室を出てくるところから見ていたんだが、本当に気づかなかったのか?」
「は、はい。すみません。ちょっと、考え事をしていて……」
「……考え事、ね」
御堂は含みのある言い方をして、克哉をじっと見つめる。
まさか「あなたのことを考えていました」とも言えず、克哉は赤面しながら、御堂の視線を避けるように俯いた。
「……まあ、いい。ところで、ちょうど君に渡したい資料があったんだ。オフィスまで来てくれるか」
「はい。分かり……」
そのとき、休憩室から出てきたさっきの女性社員二人が傍を通りかかった。
「お疲れ様です」と声を掛けられ、克哉も軽く頭を下げる。
クッキーを勧めてくれた一人と目が合い、彼女はすれ違いざまに小声で克哉に言った。
「さっきは、すみませんでした」
「あ、いえ……」
なんとなく互いに苦笑しあって、そのまま二人は御堂と克哉の横を通り過ぎていく。
さっきの自分の醜態を思い返して、克哉は無性に恥ずかしくなった。
「……今のは、なんだ」
御堂に尋ねられて、克哉は我に返る。
「あ、あの、さっき休憩室で一緒になったんです」
「それで?」
「……え?」
「一緒になって、それでどうしたんだ?」
「あの……」
なんとなく御堂の口調に棘があるように感じるのは、気の所為だろうか。
しかし、後ろめたいことは何も無い。
克哉はただ事実を事実として話すことにした。
「えっと……クッキーを、貰いました」
そこで交わされた会話まで、教える必要はないだろう。
克哉がそれきり黙り込むと、御堂は呆れたように短く溜息をついた。
「……またか」
「はい?」
そう呟いて、御堂はくるりと背中を向けてしまう。
克哉は御堂の言葉が何を意味しているのか分からないまま、その後についていくしかなかった。

オフィスに着くと、御堂はファイルから数枚の書類を取り出した。
「例の企画に関する資料だ。こちらが修正後の予算目標、それからこちらはシミュレーション試験の結果が載っている。目を通しておけ」
「……はい」
デスクに放り出すように広げられた書類を掻き集めながら、克哉は恐る恐る御堂に声を掛ける。
「あの……」
「なんだ」
「なにか、怒ってます?」
「そう見えるのか」
「はい、なんとなく……」
何処からどう見ても、誰がどう見ても、怒っている。
しかし、何が御堂を怒らせてしまったのか皆目見当がつかない。
御堂は椅子に背中を預けると、組んだ両手の上で苛立たしげに指先を躍らせていた。
「あの……オレ、何か御堂さんを怒らせるようなことをしてしまったんでしょうか?  それなら謝りますから、何がいけなかったのか教えてください」
「……」
「御堂さん」
御堂が言いあぐねているのは、こんな些細な出来事で苛立つ自分を恥じる気持ちがあるからだ。
それでも、この醜い感情を表さずにはいられない。
愚かなことだと分かっていても、どうすることも出来なかった。
これ以上自分がおかしくなる前に、さっさと吐き出してしまった方がマシに思える。
御堂はようやく口を開いた。
「……君は自覚が無さ過ぎる。何度言ったら分かるんだ」
「自覚……ですか」
克哉はぼんやりと思い出していた。
以前にも御堂から、そんなことを言われたような気がする。
確かあれは、本多と飲みに行くという話をしたときだった。
けれど今は本多の話はしていないし、やはり何のことだか克哉にはよく分からない。
そんな克哉の戸惑いを察したのか、御堂はますます苛立ちを顕わにした。
「はっきり言わなければ分からないか? 君は女性にもてる。だからもう少し気をつけろ、と言っているんだ。君は誰にでも愛想良くしすぎる」
「えっ……」
御堂の言葉に、克哉は一瞬ぽかんとしてしまう。
やはりさっきの女性社員との件が、御堂の気に障ったらしいことは分かった。
それにしてもあの出来事から自分が女性にもてるという話に繋がるなど、余りにも想像が飛躍しすぎではないだろうか。
そう感じた克哉は、思わず乾いた笑いを漏らした。
「ま、まさか。冗談はやめてください」
「まさか、ではない。周囲の者達が君をどんな目で見ているのか、分かっていないのは君だけだぞ。まったく……」
「……」
言ってから気まずそうに目を逸らす御堂を見て、ようやく克哉にも御堂が本気でそんな心配をしているのだと分かる。
何事につけ自信たっぷりな御堂が、いつも自分に「もっと自信を持て」と言っているはずの御堂が、 たまたま休憩室で一緒になっただけの女性社員に嫉妬しているのだ。
御堂をそんな気持ちにさせてしまったことは、申し訳ないと思う。
けれど、少しだけ嬉しいとも思ってしまう。
克哉はなんだかくすぐったいような気持ちになりながら、それでも御堂の忠告を素直に受け入れるわけにはいかなかった。
「……そんなの、無理です」
「なんだと?」
意外な拒絶の言葉に、御堂が克哉を睨む。
けれど克哉は怯むことなく、はっきりと言いきった。
「仕事のこと以外で、周りの人がオレをどんな目で見ているかなんて、オレにとってはどうでもいいことです。 オレが気になるのは、御堂さんにどう思われているかってことだけですから……。オレにはそれしか、大事じゃないんです。だからそんな自覚、出来ません」
「……」
自分で断言しておいてなんだが、とんでもないことを言ってしまったような気がする。
克哉はどうにも恥ずかしくなって、顔を赤くしながら俯いた。
二人の間に短い沈黙が流れ、やがてそれは御堂の低い声によって破られる。
「……もう、いい。仕事に戻りたまえ」
突き放された―――。
そう感じた克哉は、なんとか「はい」とだけ返事をする。
本当の気持ちを言っただけだったのだが、かえって御堂を怒らせてしまったらしい。
しかししょんぼりとしながらオフィスを出て行こうとする克哉の背中を、御堂は不意に呼び止めた。
「……克哉」
「はっ、はい?」
突然名前で呼ばれて、克哉はぎくりとしながら振り返る。
御堂は手にした書類に視線を落としたまま、努めて何気ない素振りで言った。
「私は今日、早目に上がれる予定だ。だから……君も、そうしたまえ」
決してこちらを見ようとはしない御堂の目元が、微かに赤い。
それに気づいた克哉は、一転して顔を綻ばせた。
「……はいっ!」
今度は張り切って返事をして、克哉はオフィスを後にする。
扉が閉まるのを確認すると、御堂はひとり照れ臭そうにフンと鼻を鳴らした。

- To be continued -
2008.02.05

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