C.C.C [Candy]
エアコンの効いた車内から出ると、凍てついた夜の空気に、温もりが一気に奪われる。
車を挟んだ向こう側に立つ克哉も、寒さに肩を竦め、顔の前で合わせた両手に白い息を吐き掛けていた。
「寒いな。早く戻ろう」
「はい」
返事をしてすぐに、克哉が軽く咳き込む。
その様子に、御堂は眉を顰めた。
「……風邪でもひいたのか?」
今日はオフィスでも、帰宅途中の車の中でも、克哉は何度か今のように乾いた咳をしていた。
駐車場からマンションへと続く道を並んで歩きながら、御堂は心配そうに克哉を覗き込む。
克哉は喉に手を当て、苦虫を噛み潰したような顔で答えた。
「風邪ではないと思うんですけど……なんだか、喉がいがらっぽくて。空気が乾燥している所為かな」
「確かにな。今日は風も強かったから、どうにも埃っぽい」
寒波が来ているらしく、気温も低い日が続いている。
ここ数日は社外に出る用件が少なかったとはいえ、その影響がオフィスにまで及んでいたとしても不思議は無かった。
加湿器を用意する必要があるな、と御堂が考えたとき、何を思い出したのか克哉が「あっ」と短く声を上げた。
「そういえば、のど飴をもらったんだ」
そう言うと、コートの前を肌蹴て、上着のポケットを探る。
取り出したのは、青リンゴの絵が描かれた小さな袋だった。
「……貰った? 誰に」
ほんの僅か、御堂の顔に険が宿る。
克哉はそれに全く気づかないまま、袋を破り、中から出てきたエメラルドグリーンの粒を口に放り込んだ。
「今日、総務に行ったときです。石井さん……って言ったかな。髪の長い人。御堂さん、分かります?」
「いや、名前は聞いたことのあるような気もするが、はっきりとは分からないな」
「そうですか」
御堂が総務に顔を出すようなことは、ほとんど無い。
けれど克哉は自ら進んで雑事を引き受けることが多く、他の部署にもよく足を運んでいた。
御堂は何度か克哉に「そんなことまで君がやる必要は無い」と言ったのだが、
彼は曖昧に笑うばかりで、決して忠告を聞こうとはしなかった。
克哉にしてみれば色々な部署に顔を出すことで、新しい会社に早く慣れたいという気持ちもあったし、
社内で広く面識を持っておくことは、何かあったときに仕事を円滑に進める為の役に立つはずだと考えていた。
御堂もそういった克哉の考えには、充分賛同出来る。
しかし感情的な部分では、何処か引っかかるものを感じていたのも事実だった。
マンションに着き、二人はエレベーターに乗り込む。
ゆっくりと動き出す狭い密室の中で、御堂は克哉の横顔をそっと盗み見た。
本人は気づいていないようだが、克哉は社内でも人気がある。
いや、社内だけではない。
得意先の評判もいい。
仕事が出来るにも関わらず、謙虚で腰が低く、人当たりもいい。
そのうえ、いざという時の判断力や、洞察力にも優れているのだから、その評価は当然と言えば当然だ。
しかし特に女性から好感を持たれるのは、その庇護欲をそそられる雰囲気が原因らしい。
いわゆる、「母性本能をくすぐられるタイプ」というわけだ。
だから克哉は、会社でも何かにつけ女性社員達から気に掛けられている。
先日もスーツの上着のボタンが取れそうになっていたらしく、同じ1室の女性社員に縫いつけてもらっていたことがあった。
その現場を目撃した御堂は、だらしがないと後で克哉を叱ったのだが、
どこそこに引っ掛けてしまったから、遠慮したけど強引に……などとあれこれ言い訳をするばかりで、
御堂が何故そんなにも不快感を顕わにしたのか、その本当の理由には少しも気づいていないのだった。
放っておけない、助けてあげたい、構いたい。
克哉にこの飴を渡した女性社員も恐らく、克哉を同じように思っているのだろう。
そんなことを考えているうちに、御堂の胸の中に不快な感情が沸き起こってくる。
まっすぐドアの方を向いたまま、時折口元を動かしている呑気な克哉の横顔に、苛立ちさえ覚えた。
(まったく……人の気も知らずに)
たかが飴ひとつで、こんな気持ちになるほうが馬鹿げているのだと分かっている。
それでも、こんな気持ちにさせる克哉のほうが悪い、とも思ってしまう。
エレベーターが止まり、ドアが開く。
部屋の鍵を開け、玄関に上がり込んだ途端、御堂は克哉を乱暴に抱き締めた。
「ちょっ……御堂、さん?!」
口の中に入った飴玉の所為で、克哉の言葉はうまく呂律が回っていない。
御堂はすかさず克哉の顎を掴むと、彼のささやかな抵抗など無視して、強引にその唇を奪った。
「んっ…! …う………」
御堂の腕の中で、克哉がくぐもった声を上げる。
冷たい唇を吸い上げてやると、そこは少しずつ熱を帯びていった。
歯列を割って、舌を差し入れる。
青リンゴの甘酸っぱい味が広がり、香りが鼻に抜けていく。
御堂は克哉の口内で、舌先を使って飴を転がした。
焦れた克哉の舌が、その後を追う。
「……んっ……ふ……」
いつもより量の多い唾液が、克哉の唇の端から溢れ零れていく。
御堂はくちづけを続けたまま薄く目を開けると、頬を紅潮させながら、うっとりと目を閉じている克哉の表情を堪能した。
(……君は、私のものだ)
誰にも、渡す気はない。
出来ることならば、自分以外誰の目にも触れない場所に閉じ込めておきたいほどだ。
誰とも言葉を、笑顔を、交わすことが出来ないよう。
克哉にとって自分だけが、世界の全てになればいい。
底の見えない欲望を感じながら、御堂は克哉の唇に歯を立てた。
「……んんっ!」
克哉の膝が、がくりと折れる。
そのまま崩れ落ちそうな身体を支えて、御堂は尚更深く克哉にくちづけた。
呼吸さえ許さないような激しいキスに、克哉はぶるぶると身体を震わせながら御堂の腕に縋りつく。
「ふっ……ん……ん…」
絶え間なく漏れる掠れた甘い声と、腕を掴む力の強さに、御堂はようやく僅かな満足感を覚える。
ゆっくりと唇を離し、克哉の瞳を覗き込んだ。
「……御堂……さん……? どうしたんですか、急に……」
息も絶え絶えといった様子で、欲情に濡れた瞳が御堂を見つめ返す。
このまま抱いてしまいたかったが、そうしてしまうのは何故か悔しかった。
御堂はわざと平静を装って、答える。
「何がだ? 君があんまり美味そうに舐めているから、味見をさせてもらっただけだが」
「味見……」
克哉の眉尻がみるみる下がるのを見て、御堂は口の端を歪めた。
「だが、私の好みの味ではないな。少々、甘すぎる。口直しになるワインを選ばなくては」
「……そう、ですか」
克哉がしゅんとしてしまった気配を背中で感じながら、御堂はリビングを抜けてクローゼットへと向かう。
―――簡単に、与えてなどやるものか。
もっともっと、私を求めろ。
他の何も考えられなくなるほどに。
それがこの私に、嫉妬などという子供染みた感情を抱かせた代償だ。
そんな風に考えること自体がもう子供染みていて、御堂は思わず自嘲の笑みを浮かべる。
唇に残る青い果実の味が、何処か苦いものに感じられた。
- To be continued -
2008.01.30
→次話
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