恋愛相談 03
こんな微妙すぎる空気の中、誰が素面でやっていられるものか。
少しは酔わなきゃお開きまで身が持たないと、俺は無遠慮にも次々とグラスを開けた。
その間、佐伯もまたこの空気を変えようとして料理の話や仕事の話などをぽつぽつ振ってくれてはいたが、そもそもの原因が佐伯なのだからその気遣いは寧ろ逆効果だった。
部長は俺が何かを言えば多少は反応してくれるものの、佐伯のことに至っては完全に無視している。
いったい、この二人はどうなっているんだろうか。
ともかくようやく俺も酒が回ってきたかなと思えるようになった頃、またしても御堂部長から思わぬことを言われるのだった。
「野見山くんは、何か悩み事とかはないのか?」
「……は?」
「!!」
俺が間抜けにもポカンとしてしまった瞬間、横で佐伯が盛大にむせ始めた。
ワインが気管にでも入ってしまったのだろうか、ゲホゲホと余りに激しく咳き込むものだから、驚いた俺は慌てて佐伯の背中をさすってやった。
その所為で俺は部長の問い掛けを無視するような形になってしまったのだから、佐伯には困ったものだ。
「お、おい、大丈夫か?」
「……は、い……だいじょ……ぶ……」
佐伯は顔を真っ赤にしながら、苦しそうに答える。
ちっとも大丈夫そうではない。
俺は佐伯の背中をさすり続けた。
幸いすぐに店の人が気づいて水を持ってきてくれたおかげで、程無くして佐伯は落ち着きを取り戻した。
まったく、とことん傍迷惑な奴だ。
「あ、申し訳ありませんでした。それで……」
ええと、なんだったっけ。
今度こそ部長の問いに答えるべく姿勢を正してみると、さっきよりも更に輪をかけて不機嫌そうになっている部長の表情に俺はぎょっとした。
何故だ。
何故、事態は悪化していく一方なのだ。
俺は何もしていないのに。
「あの……部長?」
「……」
恐る恐る声を発すると、部長は俺と同じようにグラスの中のワインを煽り、それから深い溜息をついた。
さては佐伯の失態に呆れてしまったのだろうか。
しかし部長はすぐに気を取り直してくれたらしく、もう一度さきほどと同じ言葉を俺に投げかけてくる。
「何か悩んでいることはないか、と聞いたんだが」
「そ、そうでしたね! ええと、悩み事ですか……そうですね……」
「……」
俺の混乱は絶頂を極めていた。
いきなり飲みに誘われただけでも驚いたのに、今度は悩み事はないかときたもんだ。
……しかし、そこで俺はようやくピンと来たのだ。
恐らく部長は誰かから、俺が何か悩んでいるらしいとでも聞いたのだろう。
それで気を遣ってこんな場を設けてくれたに違いない。
本来ならばその気遣いに感謝するべきところなのだが、あいにくその話はデマですよ、部長。
何度も言うが今の俺は絶好調なのだ、部長に相談に乗ってもらいたいような悩み事はない。
もしかしたらそんな俺の状況を知っているからこそ、俺を困らせるために誰かが部長に嘘を吹き込んだのかもしれないが……。
とにかくここでそれを正直に言ってしまっては、いかにも空気が読めていないではないか。
部長にも悪いし、なにより滅多にないであろうこの機会をみすみす逃してしまうのも勿体無い。
せっかくだから何か相談してみたいところだが……悩み事、悩み事、悩み事……。
駄目だ。
思いつかない。
いや、もっと落ち着いて考えればひとつぐらい何か出てくるのだろうが、今の俺の脳味噌は立て続けに襲ってきた予想外の出来事にダメージを受けている所為で働きがすこぶる鈍っているのだ。
もちろん、アルコールのせいもある。
しかも相談に乗ってくれるという相手が、早く悩めと言わんばかりにこちらを睨みつけているのだから尚更だ。
むしろ、今のこの状況が一番俺を悩ませていますと言えたらどんなにか楽だろうに。
「……何も無いのか?」
「いえっ、その」
眼光鋭く睨まれて、とにかく何か言わなければと思った俺は慌てて口を開いた。
「そうですね、けっ、結婚、とか……!」
よりによって口をついて出たのは、そんな言葉だった。
しまった、つい本音が。
しくじったと思ったのも束の間、なんと御堂部長の眉間の皺がすうっと消えていったから驚いた。
「……なるほど。そういう悩みか」
口元をふっと緩ませながら、部長が満足げに呟く。
てっきり「くだらない」と一蹴されるとばかり思っていた俺は拍子抜けしてしまった。
どうやら、これはイケそうだ。
部長は薄笑いを浮かべながら俺に尋ねてきた。
「もう決まった相手がいるのか?」
「いえ! それはお恥ずかしながら、まだ」
「それは意外だな。君はもてるだろう?」
「あ、あははは、それほどでもありませんが……」
完璧超人の部長に言われるとさすがに嫌味に聞こえる。
それにしても、まさか部長がこんな話題にここまでがっつり食いついてきてくれるとは意外だった。
俺の無意識の選択は正しかったというわけだ。
それに、このままうまくいけば部長に誰かいい女性を紹介してもらえるかもしれない。
部長もまだ独身だとは聞いているが、これほどの人だ、さぞかしレベルの高い女性の知り合いも多いことだろう。
俺はようやく和み始めた空気にほっとしながら、空いてしまっていた部長のグラスにワインを注いだ。
「最近は、なかなか知り合う機会も無いものですから」
「忙しいからな。だが、我が社は社内恋愛も社内結婚も禁止してはいないぞ」
「そうなんですけどねぇ……」
とはいえ、あまりに近場だと手を出しにくいのも事実だ。
俺はそれとなく部長に矛先を向けてみる。
「御堂部長ほどの方でしたら、きっと選り取り見取りなんでしょうね」
「そんなことはない」
「御謙遜を。それとも、お眼鏡に適う方がなかなか現れませんか?」
「いや……心に決めた相手なら既にいる」
「えっ、そうなんですか?!」
「ああ」
「……」
その告白に、俺はどうりでと納得がいった。
ここ最近、部長が以前に比べて優しくなったようだともっぱらの評判だったのだ。
もちろん仕事に対する合理的でシビアな面は変わっていないのだが、それでも身に纏う雰囲気が何処となく和らいだような気はしていた。
それはきっと結婚したいと思えるほどの恋人が出来たおかげなのだろう。
部長にも随分と可愛いところがあるじゃないかと、不遜にもついそんな風に思ってしまう。
ふと横を見ると、佐伯が妙に気まずそうな顔で俯いていた。
「……佐伯、気分でも悪いのか?」
俺が声を掛けると、佐伯はっとしたように顔を上げた。
「あっ、い、いえ……! 大丈夫です!」
「そうか……? 具合が悪くなったら、早く言えよ?」
「はい、ありがとうございます……」
そう答えつつ、また俯いてしまう。
ワケが分からん。
まさか部長が結婚するかもしれないのがショックなのか?
いくらファンだからって、そこまでいったら変態だぞ。
もう、こいつはほっといたほうがいいか。
「では、ご結婚はもうすぐということですか?」
「いや……それが、そうもいかなくてな」
「なにか問題でも?」
「ああ。最近、どうも恋人から蔑ろにされているようでな」
「ええっ、本当ですか?」
寂しそうに苦笑する部長を、俺はまじまじと眺めてしまった。
男から見てもかっこいいと認めざるを得ないほどの、こんな凄い人を恋人にしておきながら、それを蔑ろに出来るなんて。
その女性がどれほど絶世の美女なのかは知らないが、俺には信じられなかった。
それとも部長はちやほやしてくる女性には飽きてしまっていて、そういう高慢な態度を取られることに新鮮味を感じてしまっているとか?
……いや、部長はそんなタイプじゃないか。
「蔑ろに……と言いますと?」
こういったことは根掘り葉掘り聞くべきではないのかもしれないが、どうにも興味が湧いてきた。
部長のプライベートの話なんて滅多に聞けるものではないはずだ。
俺が尋ねると、意外にも部長は普通に答えてくれる。
「私よりも、つきあいを優先させたい相手が複数いるらしいな。それも、たいした用件があるわけでもないのにそちらにばかり時間を割いている」
「それは、ご友人とか?」
「いいや。仕事関係だ」
「なるほど……。でもそこまで御存知なら、浮気を疑っているというわけではないんですよね?」
「本人にそのつもりはないだろうな。しかし、相手がどう思っているかは分からないだろう?」
「ああ……」
要するに部長は、恋人が自分よりも会社のつきあいを優先させているのが気に入らないらしい。
一緒にいる時間が減ってしまうことに加えて、万が一にも間違いが起きやしないかと不安なのだろう。
『仕事と私と、どっちが大事なの?!』というセリフは、女性だけの専売特許ではないということか。
しかし今日は部長の意外な面ばかりを見せられている気がする。
今まで俺の中にあった部長のイメージとあまりにもギャップがありすぎて戸惑ってしまう。
てっきりクールでドライな人なのだと思っていたが、実際は随分と違っているようだ。
それにしてもさっきから俺の方が部長に悩みを相談されているような。
まあ、俺には悩み事なんて初めからないのだから、そのほうが助かるわけだが。
「うーん……たまたま今はそちらのつきあいが忙しいだけということもあるでしょうしね」
「むしろどんどん酷くなってきているようだがな」
「そうなんですか。その件について相手の方はなんと仰ってるんですか?」
「……」
あれっ。
黙っちゃったぞ。
もしかして、きちんと話し合ったことがないとか?
それはちょっと部長らしくないのではないか。
「あの……やはり、そこはご本人と話し合われてみたほうが……」
「……そ、そうですよ!」
「?!」
まだ言い終わっていない俺の言葉を遮って、佐伯が急に声を上げる。
驚いて見ると、佐伯は顔を真っ赤にして今にも泣きだしそうになっていた。
「ちゃんと話し合ったほうがいいと思います! そうすれば、御堂部長が蔑ろにされてるわけじゃないって分かってもらえると思んです!
相手にもきっと何か事情があって……だって、御堂部長のような素晴らしい恋人を蔑ろにするだなんて……そんなこと、あるわけないと思います……」
「佐伯」
勢い込んで話し出したわりには、最後のほうは蚊の鳴くような声になって終わる。
どうして佐伯が突然こんなに必死になったのかは分からないが、言っている内容には俺も概ね同意だった。
しかし、部長の顔はあくまで険しい。
「……君に何が分かる」
「……!」
突き放すような部長の冷たい声音に、佐伯の肩がびくりと震えた。
「話し合うと言うが、いったい何を話し合えばいい? 他人の悩み相談に乗ってばかりいるような、優しすぎる性格を治せと言えば治るのか?
その性格のおかげもあって社内でもうまくいきはじめているというのに、私が水を差してどうする。
向こうは何も悪いことはしていない。単に私が狭量で我侭なだけなのだろう。それでも……心が追いつかないのだからどうしようもない」
「部長……」
「……」
今日は本当に驚くことばかりが続いているが、この部長のセリフが一番驚いたかもしれない。
部長は俺が思っているよりもずっと人間味溢れる人だったのだ。
恋をして、嫉妬して、不安になっている不器用なひとりの男だ。
イメージしていた人柄とはまったく違っていたけれど、だからといって部長が俺にとって憧れの存在であることに変わりはない。
変わりはないが、プライベートではちょっと面倒臭い人なんだなとは思った。
別にそこまで極端になる必要はないだろうに。
ともかく部長がどうしようもないと思っているのなら、俺にはもっとどうしようもないわけで。
申し訳ないが、俺はいつまでも部長の恋愛相談に乗っているわけにはいかないのだ。
なんとか部長から女性を紹介してもらえるような流れに持っていかなければ。
そろそろこの話に飽きてきた俺は、まとめに入るべく口を開いた。
「それをそのまま伝えたら宜しいのではありませんか?」
「……なに?」
「分かっていても、心が追いつかないのだと仰ったじゃありませんか。そういうことは、よくあると思います。
だからそのまま伝えれば、相手の方も理解してくれるんじゃないですかね?
部長のことが本当に好きなら、それを狭量だとか我侭だとか思うはずがありません」
「だが」
「野見山さんの仰る通りです!」
またしても佐伯が声を上げる。
今度は椅子から腰を浮かしながら、身を乗り出して力説した。
「御堂部長は狭量でも我侭でもありません! 悪いのはその恋人のほうなんです! 御堂部長をそんなに不安にさせて、寂しい思いをさせて……最低です!」
「お、おい、佐伯」
えっ、そう来るか?
せっかく俺が綺麗に纏めようとしていたのに、幾らなんでも他人の恋人に対してそれは言い過ぎだろう。
案の定、御堂部長の眉間に再び皺が寄る。
「そんなことはない。私の恋人は最高だ。ただ、少し優しすぎるだけで」
「違います! 最低です! 馬鹿なんです、きっと!」
「馬鹿かもしれないが、最低ではない!」
「いいえ、最低です!」
「ちょっ、ちょっと待ってください! 佐伯! いい加減にしろ!」
二人とも声が大きいって!
俺が慌てて嗜めると、佐伯は唇を噛んで押し黙った。
それから、絞り出すように呟く。
「……本当は好きな人の役に立ちたいのに、その人のために何かしたいだけなのに、結局空回りして、肝心なことは言えなくて……馬鹿なんです、ほんと……」
「……」
「佐伯……?」
いったい、どうなっているんだ。
よく見れば佐伯は目尻に涙を滲ませている。
どうしてここで佐伯が泣くのかさっぱり分からない。
俺に見られていることに気づいたのか、佐伯は慌てて拳でぐいと目元を拭った。
「……すみません。少し酔いを醒ましてきます」
そう呟いて、足早にどこかへ行ってしまう。
ちょっと待てー!
この状況で俺と部長を二人きりにするな!!
「ど、どうしたんですかね、佐伯は」
「……さあな」
部長は吐き捨てるように答える。
くそ、気まずい。
いったいどうすればいいんだ。
「あー……あっ! そ、そういえば、佐伯も結婚を考えてる恋人がいるとか言ってましたから! 部長の話に感情移入しすぎてしまったのかもしれませんね!」
どうして俺がこんなフォローをしてやらなきゃならないんだ。
苦し紛れに俺が言うと、部長が聞き返してきた。
「佐伯君が?」
「ええ。以前、飲み会で彼女いるのかーって追及されて白状してましたよ。
大好きで、一生傍にいたい人がいるんですって。佐伯のくせに惚気るなんて、まったく生意気なんですよ」
「……野見山君はよく佐伯君と飲みに行くのか?」
「いえ、よくというほどではありませんが……何度かは」
「そうか……」
その後の部長は何処となくぼんやりとしているようだった。
なんだか佐伯も部長も今日はおかしい。
二人とも情緒不安定じゃないのか?
(もう帰りたい……)
俺はほとほと疲れきっていた。
ここから部長に女性を紹介してもらう流れに持っていけるほどの気力は、今の俺には既に残されていなかった。
- To be continued -
2013.01.21
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