恋愛相談 02
俺は完全に舞い上がっていた。
御堂部長は俺にとって尊敬と憧れの対象だ。
いや、俺にとってだけではない、部長は多くの社員達から羨望の眼差しを受けている存在なのだ。
若くして社内一の花形部署の部長となり、そこで大きな成果を上げているのはもちろん、ルックスも立ち居振る舞いも常に完璧。
中にはそんな部長を疎んじている馬鹿な輩もいるようだが、そんな醜い嫉妬や中傷など相手にもしないところも格好いい。
いつかは俺も御堂部長のようになりたい。
それが俺の目標のひとつだった。
そんな部長から、飲みに誘われたのだ。
部長が仕事とプライベートをはっきり分ける人であることは周知の事実である。
もちろん送別会だの忘年会だの、部署として企画された宴席には参加してくれることもあるが、それ以外で飲みに行くことなど接待以外ではほとんどなかったはず。
ましてや部長のほうから誘ってくれるなど思ってもみないことだった。
自分で言うのもなんだが、最近の俺はなかなかいい仕事をしていると思う。
前回任されたプロジェクトも途中で少々ひやりとすることはあったが、なんとか無事に終わらせることが出来たし、昨日提出した企画書も我ながら上々の仕上がりだった。
御堂部長はきっとそんな俺の働きを認めてくれたのだ。
ようやく俺にも運が向いてきたのかもしれない。
そう思った俺はよほど浮かれていたのか、後輩である佐伯に「ご機嫌ですね。何かいいことでもあったんですか?」などと聞かれる始末だった。
もちろん、教えてなどやらなかったが。
とにかく万が一にも仕事が長引いて部長を待たせるわけにはいかないからと、俺は午後の仕事もバリバリこなした。
そしてあっという間に終業時刻が近づいてきた頃、ふとある考えが頭を過ぎった。
―――これは本当に、喜ぶべきことなのか?
すっかり調子に乗って自分に都合のいい解釈ばかりしていたが、世の中そうそううまい話ばかりではないと俺はよく知っている。
珍しい御堂部長直々のお誘いだ、何か特別な話があってのことなのかもしれない。
まさか異動だろうか。
異動だとしたら栄転か左遷か。
しかし俺は今の状況が気に入っている、まだ異動はしたくない。
左遷されるようなドジを踏んだ覚えは無いし、昇進……は、さすがにまだ早いだろう。
いずれにせよ、そんな話でわざわざ勤務外に時間を取るのは合理的な御堂部長らしくない。
仕事に関わる用件ならばきっとオフィスで済ませるはずだ。
だとしたら、なんだ。
プライベートな話だろうか。
……いったい、どんな?
俺と御堂部長がプライベートな話をしているところが想像出来なくて、思わず唸ってしまう。
分からない。
何故、急に部長は俺を飲みに誘ってくれたのだろう。
しかもよくよく思い出してみると、本当にその場の思いつきで誘われただけのような気がする。
あの部長がただの気紛れで飲みに誘ってくれたのだとしたら、それはそれで光栄なことだが……いや、御堂部長に限ってそんなことがあるだろうか。
いやいや、部長だって人間だ、そんな気分になるときもあるだろう。
それにしたって部長と二人きり、会話が続くだろうか。
場は持つだろうか。
部長はワインが好きだと聞いたことがあるが、あいにく俺はビール派なのでワインには詳しくない。
共通の趣味があればいいが……いや、待てよ。
だが、しかし。
うーん……。
あれこれ考えているうちに緊張してきてしまったのか、どうにも胃が痛くなってきた。
部長とサシで飲むからにはみっともないところは見せられないというのに、いったいどうすれば……。
「……」
無意識にオフィスを見回していた俺は、すぐ近くにいたそいつと目が合ったのだった。
※
「そ、それじゃあ乾杯でも……」
「……」
「……」
敢えて明るい声を出しながらグラスを揚げてみたものの、微妙に気まずい空気は変わってくれそうにない。
俺から見て円卓の左側に座っている御堂部長は冷ややかな目つきのままだし、右側にいる佐伯はなにやら悲壮な表情をしていた。
「お疲れ様でしたー……」
「……」
「……お疲れ様です」
部長は無言でグラスを傾け、佐伯だけが小さな声で後に続いてくれる。
いったいぜんたいどうしてこんなことになってしまったのか、俺にはさっぱり分からなかった。
一時間ほど前―――。
部長とサシで飲むことに突然びびってしまった俺が辺りを見回すと、たまたま近くにいた佐伯と目が合ったのだ。
すると佐伯が、にこっと笑った。
癖なのかどうかは知らないが、いつも佐伯はちょっと首を傾げながら、はにかむように笑うのだ。
あの笑顔はけしからんと俺は常々思っていた。
あれは相手を油断させる笑顔だ。
佐伯は確かに仕事が出来る奴だが、あの笑顔で本来の二割増しに見せているのも間違いないと思う。
ともかくそんな風に笑ってきた佐伯の所為で、俺はついついいらんことを喋らされるはめになってしまったのだ。
『野見山さん、どうかしましたか?』
『あ、いや……その、な。この後、御堂部長と飲みに行くことになっていて……』
『えっ……?』
そのとき、佐伯の顔色がさっと変わったのを俺は見逃さなかった。
俺と同じく、佐伯は御堂部長のファンなのだ。
部長の名前に反応するのは当然だ。
その佐伯の表情につい優越感を覚えてしまった俺は、更に余計な口を滑らせてしまった。
『しかも、御堂部長のほうからのお誘いなんだ。珍しいこともあるもんだろう?』
『……』
佐伯の顔がますます沈鬱なものになる。
恐らく佐伯はショックだったのだろう。
内心、自分こそが御堂部長の一番のお気に入りであると自負していたのかもしれない。
それなのに自分は誘われず、俺だけが誘われてしまった。
実際には俺のほうが先輩なのだから当たり前のことなのだが、突きつけられた現実はやはり厳しかったということか。
俺はうっかり自慢のような発言をしてしまったことを後悔し、佐伯に少しばかり同情した。
しかし、その同情も無駄なものだったとすぐに悟ることになる。
なんと佐伯は、自分も一緒に連れていってほしいと言い出したのだ。
『あ、あの、それ……オレもご一緒させていただいたらダメでしょうか?!』
『……はぁ?』
『お邪魔にならないようにしますから! お願いです! オレも連れて行ってください!』
『そ、そんなこと言われても……』
佐伯は俺に深々と頭を下げて、必死に頼み込んでくる。
周囲から妙な視線が送られてきているのを感じて、俺は慌てた。
『ちょ、ちょっと、待て。いいから、頭を上げろ!』
『……』
そう言うとようやく佐伯は顔を上げたが、それでもまだ縋るような目で俺をじっと見つめてくる。
よほど部長とお近づきになりたいのか、それとも意外に野心があるのかは分からないが、随分と厚かましい申し出だ。
なんにせよ部長を慕う佐伯の気持ちは分からなくはないが、こればかりは俺に決める権利は無い。
せめて部長に確認してから……と思ったのだが。
(そうか……)
佐伯は御堂部長が引き抜いてきた奴なのだから、一番のお気に入りではないにしても目を掛けてもらっていることは事実だ。
それならば、少なくとも佐伯が同席することを不快に思ったりはしないはず。
しかも「彼にとっても勉強になるかと思いまして」とでも切り出せば、むしろ後輩の面倒を良く見ている俺をアピール出来やしないだろうか。
それに、やはり俺一人で部長のお相手をするのは少々荷が重い……。
佐伯がいればワンクッションになってくれることだろう。
『野見山さん……』
『……仕方ないな。分かったよ』
『あ……ありがとうございます……!』
俺が言うと、佐伯は満面の笑みを浮かべる。
俺の思惑と佐伯の希望、お互いの利益が一致した瞬間だった。
しかし、その思惑は見事に外れることとなる。
八時を少し過ぎたとき、待ち合わせていたロビーに現れた御堂部長は俺と佐伯の姿を見ると途端に顔をしかめたのだった。
『……何故、佐伯君がここにいる?』
『はい! 部長とご一緒させて頂けるということで、彼にとっても勉強になるかと思いまして……』
『申し訳ありません! 野見山さんに無理を言って、ご一緒させて頂けないかとオレのほうからお願いしました。あの……駄目でしょうか?』
……チッ。
せっかく用意していた俺のセリフを遮って、佐伯が言い訳がましく部長に説明する。
部長は冷めた目のまま佐伯を一瞥すると、フンと微かに鼻を鳴らした。
『佐伯君は他の予定で忙しいのだと思ったが?』
『い、いえ、今日はとくに予定はありませんでしたので……』
『ほう……今日は、な』
部長の目が意地悪く細められる。
なんなんだ、いったい。
二人の間に流れるやけに険悪な雰囲気に俺は慄いていた。
『あの、部長……もしご無理なようでしたら、やはり私だけでご一緒させて頂きますので……』
恐る恐る俺が口を挟むと、部長はいつもの冷静な顔に戻って言った。
『いや、別に構わない。行くとしよう』
『は、はい!』
『ありがとうございます!』
そうして俺達三人はタクシーに乗り込んだ。
この後にどんなことが起きるのか、まったく見当もつかないままに。
部長が連れてきてくれた店は、こじんまりとしたレストランバーだった。
店内は決して広くはないものの、品のある落ち着いた内装、カウンターの奥に並べられた豊富な種類のワイン、そして客層……。
全てにおいて「さすが御堂部長が選んだだけはある」と言わざるを得ない、そこはかとない高級感が漂う店だった。
部長のことだから普段は女性でも連れて訪れているのであろうに、今日はこんなむさ苦しい面子で申し訳なくなる。
それから、少し奥まった席に案内された俺達は部長オススメのワインと幾つかのつまみを頼んだ。
しかしそれらがテーブルに届く頃になっても、ぎこちない空気はまだそのままだった。
白々しい乾杯を済ませた後は、とりあえず運ばれてきた料理を口にする。
「……こ、この、真鯛のカルパッチョ、すごく美味しいですね!」
なんとか場を盛り上げようとして、俺は言った。
美味しいのは本当だったが。
部長がようやく少しだけ表情を緩めながら答えてくれる。
「ああ、そうだな。オーナーが寿司屋もやっている関係で、ここのシーフードは美味いんだ」
「そうなんですか、どうりで……ほら、佐伯も食べてみろ」
「あ、は、はい……」
俺に促されて、佐伯はカルパッチョにおずおずと箸を伸ばす。
それにしても、やはりこいつは連れてくるべきではなかったのかもしれない。
憧れの部長から予想外に冷たい態度を取られてしまったことはもちろんだが、こういった少し気取った雰囲気の店などまだまだ早いだろうに、緊張してしまうのも当然だ。
……まあ、俺も慣れているというほどではないが。
しかし佐伯のしょぼくれた横顔を見ていると、やはり少々可哀想になってくる。
部長は佐伯を気に入っているのだとばかり思っていたのだが、もしかしたら俺の思い違いだったのだろうか?
仕事で使える人間だからといって、プライベートでまで付き合いたいとは思わない―――。
そういったことはよくあるとは思うが、部長にとっての佐伯がまさにそれだったのかもしれない。
そして佐伯自身、自分が部長からそんな風に思われているとは知らなかった……。
その可能性は充分に考えられる。
それともやはり第三者に聞かれては困るような、大事な話があったのだろうか?
しかしそういうことであれば部長なら前もって「必ず二人きりで」と念を押してくれたはずだし、少なくともあのロビーの時点で佐伯の同行を許さなかっただろう。
とにかくこんなことになると分かっていたら佐伯の頼みなどなんとしても断ったものを、かえって気の毒なことをしてしまった。
……いやいや、現実を思い知ることも佐伯にとって大切な経験だ。
部長ももしかしたら今日をきっかけに佐伯への見方が変わるかもしれない。
同じ部署で働いているのだから、人間関係は良好なほうがいいはずだ。
それに佐伯は意外と悪い奴ではない。
まあ、そもそも同行したいと頼んできたのは佐伯のほうなのだから、その佐伯が部長にどんな態度を取られようと俺には関係の無いこと―――のはずなのだが、なかなかそうもいかなかった。
佐伯が一緒に来てくれたら……あのとき、俺がそう思ってしまったのは事実だったからだ。
「佐伯は魚介類好きなのか?」
勧めてから聞くのもなんだったが最近は魚が苦手な奴も多いということを思い出し、けれどカルパッチョを食べた佐伯の表情が少し明るくなったように見えたので俺は尋ねた。
すると佐伯は、またしてもちょっと首を傾げながらはにかんで答える。
「はい。大好きです」
「……! そ、そうか」
「……っ」
やはりいつもの笑顔に比べれば弱々しかったが、それでも佐伯が笑ってくれたことで俺は少しほっとする。
あとは御堂部長の御機嫌が直ってくれたらいいのだが……。
そう思って部長のほうにちらりと視線を送ってみると、部長の眉間にはなんとさっきよりも更に深い皺が出来ていた。
(うわぁ……)
いったいどうすればいいんだ。
俺は今すぐ逃げ出したい気持ちをなんとか抑えて、グラスの中のワインを煽った。
- To be continued -
2012.12.14
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