恋愛相談 01
御堂は猛烈に苛立っていた。
さっきから三分毎に確認していた時計もとうとう午前零時を過ぎてしまい、既に我慢も限界に近かった。
苛立ちを誤魔化す為だけに手にしていた雑誌を乱暴に床に放り出すと、窓辺へと向かう。
カーテンを細く開け、しばらく下を見下ろしていたがやはり克哉が帰ってくる気配はなかった。
御堂は小さく舌打ちしながらカーテンを閉め、再びソファへと身を投げ出す。
テーブルの上にあるワインボトルは、とうに空になっていた。
最近の克哉は就業後、たびたび同僚達から飲みに誘われるようになっていた。
MGNに異動してきた当初から考えたらそれだけ彼が一室に馴染んだのだということを、上司として本来ならば喜ぶべきなのだとは思う。
けれど御堂はどうしても素直に喜ぶことが出来なかった。
そもそも克哉はお人好しが過ぎるのだ。
たまたま一緒に仕事をすることになっただけの他人に、プライベートでまで気を遣う必要などないというのに。
相手は相談があるなどとさも深刻そうなことを言ってはいるが、結局はただ愚痴を吐きたいだけなのだから、
その相手が必ずしも克哉でなければならない理由などないはずだ。
いや―――、気持ちは分かる。
確かに彼は悩みを打ち明けたり、愚痴を吐いたりする相手としては打ってつけなのだろう。
まるで自分のことのように親身になって話を聞いてくれるうえに、決して説教じみたことや相手を責めるようなことは言わない。
それどころか相談者が欲しがっているであろう言葉を無意識に察して、それを絶妙なタイミングで口にしてくれるのだ。
もちろん、だからといって彼は嘘や綺麗事を言ってその場を誤魔化しているわけではない。
たとえそれが言い辛いことであっても、相手の為に必要だと思えばはっきりと事実を突きつけてくる。
そしてその言葉はあの穏やかな口調や優しい笑顔と相俟って、相手の心に真っ直ぐ届くのだ。
だからこそ、克哉は好かれる。
必要とされる。
それらは本当に素晴らしい彼の素質であったが、如何にも大安売りしすぎであるように御堂には思えた。
克哉が利用されているようで嫌だったのだ。
それに、なにより心配なのはそんな克哉の優しさを相手が勘違いしかねないということだ。
たとえ克哉自身が相手のことをあくまで同僚、もしくは友人、知人としか思っていなくても、あんな風に優しくされれば期待したくもなるだろう。
飲みに行く相手はもちろん男が多いが、たまには女性が同席することもあるようだ。
そもそも克哉の場合、相手の性別は関係無い。
アルコールが入り、普段よりもくだけた空気の中、今も誰かが克哉に色目を使っているのではないかと思うと、御堂は気が気ではなかった。
時計を見ると、前回確認したときから二分しか経っていない。
メールは一時間前に来たきりだ。
そこには「もう少ししたら帰ります」と書いてあったのに、克哉にとってのもう少しとはいったいどれぐらいの時間なのだ。
居ても立ってもいられずに御堂がもう一度立ち上がろうとしたとき、ようやく玄関の開く音がした。
御堂はハッとしてソファに座り直すと、床に落ちていた雑誌を拾い上げる。
何故そんな風に平静を装う必要があったのかは分からないが、恐らくは克哉に狭量な人間だと思われたくないというつまらないプライドがそうさせたのだろう。
克哉が玄関のドアを閉め、靴を脱ぐ。
それからリビングへ。
その微かな物音に全神経を集中させて耳を澄ませながらも、御堂は雑誌を読みながらあくまでのんびりとくつろいでいる風を装っていた。
「……あれ?」
後ろで克哉が小さく呟いたのが聞こえる。
それでもまだ御堂は振り返ることさえしなかった。
「孝典さん、まだ起きていたんですか?」
「……起きていたら悪いのか」
思った以上に刺のある口調になってしまったことに自分でも戸惑う。
克哉が少しばかりたじろいだのが、雰囲気で伝わってきた。
「す、すみません。てっきりもう眠っているかと思ったので」
「帰ってくるなり、言うことはそれか?」
「あっ……」
この時点で既に「もう駄目だ」と御堂は思っていた。
どす黒く、醜い感情が溢れてきて止めることが出来ない。
このままでは喧嘩になってしまうだろう。
「遅くなって、ごめんなさい。……ただいま、孝典さん」
御堂の気持ちに気づいているのかいないのか、克哉は改めて帰宅の挨拶をすると、ソファの背もたれ越しに顔を寄せてくる。
いつもならば御堂も「おかえり」と出迎える言葉を口にして、二人は軽いキスを交わすはずだった。
けれど、御堂はまだ克哉を振り返ることが出来ない。
今の自分の顔を見られたくなかった。
「……孝典さん?」
「……っ」
御堂はソファから立ち上がると、そのまま克哉の顔を見ずにリビングを出て行こうとした。
しかし当然、慌てた克哉に腕を掴まれ引き留められる。
「孝典さん! 遅くなったから、怒ってるんですか?」
「……そうじゃない」
「じゃあ、どうして怒ってるんですか?」
「怒ってなどいない」
「怒ってますよ」
「怒っていない!」
「……!」
つい声を荒らげた御堂を前にして、克哉が怯えたような表情で硬直する。
それを見て、御堂の胸に罪悪感が過ぎった。
「……すまない」
「いえ……オレのほうこそ、ごめんなさい……」
気まずい沈黙が流れる。
きちんと話をするべきだということは分かっているのだが、今の状態では冷静な話し合いなど不可能だろう。
そもそも話し合うといっても、何を話し合うのだ?
飲み友達など作るな。
相談相手にもなるな。
愚痴など聞いてやる必要もない。
優しい言葉をかけるな。
私以外の人間に微笑みかけるな。
誤解を招くような行動は慎め……。
頭の中で本音を並べてみて、ふと思い至る。
―――私は克哉をどうしたいのだ?
「あの、孝典さん」
「……今日はもう休む。君も早くシャワーを浴びて休みたまえ」
「はい……」
しょんぼりとうなだれてしまった克哉を置き去りにして、御堂はリビングを出る。
彼はきっと傷ついたことだろう。
けれど今の御堂には、そんな克哉に優しくすることがどうしても出来そうになかった。
※
翌朝は早朝会議があったおかげで、克哉と顔を合わさずに済んだ。
避けているようで不本意ではあったが、もう少しだけ時間が欲しかった。
会議が終わり、通常の勤務時間になってもなかなか執務室を離れられないまま午後になる。
今日はまだ一言も克哉と言葉を交わしていない。
その頃にはようやく御堂の気持ちも落ち着き始めていた。
「ふぅ……」
仕事が一段落して時計を見ると、そろそろ昼休憩を挟んでもいい時刻だった。
ふと、克哉はどうしているだろうかと考える。
今日は天気もいい。
もしタイミングが合えば、声を掛けて外で一緒にランチを取ろうか。
そうすれば少しは蟠りも解けて、今夜にはゆっくりと話をすることが出来るかもしれない。
そんな風に考えながら、御堂は一室に向かうことにした。
けれど―――。
一室のオフィスに入りかけたところで、御堂の足は止まってしまった。
デスクには克哉と、それから彼を囲むようにしてプロジェクトを同じくする社員達が三名ほど立っていた。
何の話をしているのかは、ここまでは聞こえない。
ただ、三人のうちの一人が克哉の肩に手を置いていた。
なにかしらの会話をして、それから全員が同時に笑い声を上げる。
克哉も愉快そうに、触れられたままの肩を揺らしていた。
なんのことはない、ありふれた光景。
和気藹々とした雰囲気は、プロジェクトがうまくいっていることをも示している。
彼らはこれから共に昼休憩を取るのかもしれない。
きっと、そうなのだろう。
ここで自分が姿を現したら、この和やかな空気が一転するであろうことは予想がつく。
彼らは途端に緊張し、背筋を正し、上司である自分に気を遣い始めるのだ。
だから御堂はそのままそこを立ち去ることにした。
オフィスに背を向け、執務室に戻るべく歩きだしたところで鉢ち合わせたのはやはり一室に所属している野見山だった。
「あっ、御堂部長! お疲れ様です」
「……」
何故かやけに嬉しげに笑みを浮かべながら、野見山が頭を下げてくる。
そのときの御堂はきっとまた冷静さを失っていたのだろう。
克哉を囲む者達への嫉妬、彼が誰にでも気安く笑顔を見せることへの不安、苛立ち。
自分ばかりがやきもきしていることへの悔しさもあった。
(どうして、自分ばかり―――)
だったら、自分ばかりでなくなればいいのではないか?
自分も克哉と同じようなことをすれば、お互い様だと納得出来るのではないか?
同じようなことをすれば。
「……野見山くん」
「はいっ! なんでしょうか?」
「今日、仕事が終わってから何か予定は?」
「えっ? い、いえ、特に予定はありませんが……」
「そうか。ならば、私につき合え」
「……はい?」
「仕事が終わったら、飲みに行こうと誘っている。返事は?」
「え……? あ、え、あの、私と、ですか?」
「そうだ。ここには君と私しかいないだろう」
そう言われて、野見山はきょろきょろと辺りを見回す。
そして本当に自分が誘われているのだとようやく確信したところで、慌てて返事をした。
「はっ、はい! 宜しくお願いします!」
「宜しい。では、八時にロビーで」
「はいっ!」
滅多に無い出来事に半ば呆然と立ち尽くしている野見山に背を向け、御堂は歩き出す。
勢いで馬鹿なことをしてしまったような気もしたが、もう後には引けない。
昼食を食べる気もなくして、御堂は執務室へと戻っていった。
- To be continued -
2012.11.28
→次話
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