鬼畜部長 05
グラスを傾けると、深紅の液体が緩く開かれた唇の奥へと注がれていく。
克哉は彼らに教えられた通り、まずは舌の上でそれの味わいと香りをじっくりと堪能した。
その一挙一動が男達の視線を集める中、白く伸びた喉元が幾度か微かに動く。
「……」
それから克哉は持っていたグラスをそっとテーブルに置くと、隣りに並んだグラスと交互に見比べた。
どちらにも注がれている赤ワインに多少の色の違いはあれど、それ以上の差は見受けられない。
けれど一度口にすればその違いは明確で、克哉は迷いなく右側のグラスを指差した。
「オレは、こちらの方が好きです」
答えた途端、内河が勝ち誇ったように笑う。
「ははは、やっぱりな! どうだ、田之倉! 俺の予想が当たったろう?」
「うーん、そうかぁ……」
一方の田之倉は残念そうに肩を落とす。
その落胆ぶりに克哉は慌てて言葉を付け足した。
「あっ、あの、どちらも同じぐらい美味しかったんですけど、強いて言うならってことで……」
「ああ、大丈夫。分かってる、分かってるよ」
素直すぎる反応に、田之倉まで慌ててしまう。
内河が持ちかけた「どちらが克哉の好みそうなワインを選べるか」という唐突な勝負は、見事内河に軍配が上がったところで終了した。
酒の好みにはその人の性格が表れるというのが、学生時代からの彼らの持論らしい。
勝った内河はいかにもしてやったりという顔で嘯いた。
「いやぁ、佐伯君は絶対にラ・ミッションのほうが好みだと思ったんだ。
おとなしそうに見えて芯は強そうだし、なんとなく人とは一味違った感性を持っていそうな気がしたからね」
「さっき知り合ったばかりの相手によく言うよ。……佐伯君、真に受けなくていいからね」
「……あはは」
返事に困ったのか、克哉は曖昧に笑う。
すっかり克哉のことが気に入ってしまった彼らは席まで移動して克哉を取り囲むと、次々と高級な酒を飲ませては盛り上がっていた。
「……」
そんな賑やかなテーブルの片隅で、御堂はただひたすらこの不愉快な時間に耐えていた。
克哉が時折こちらの顔色を窺うようにチラチラと視線を送ってきていることに気付いてはいたが、それもあえて無視しつづけている。
内河と田之倉と四柳は、思惑が外れて不機嫌になっている御堂のことなど放置すると決めたようだ。
考えてみれば三人は克哉になんの恨みも無ければ、御堂との間にあったことなど何も聞かされていないのだから、御堂に義理立てする必要も、克哉を邪険にする理由も無いのだ。
三人は初対面のはずの克哉をまるで可愛い後輩ででもあるかのように構っていた。
「しかし、こうなってくるとますます佐伯君に興味が湧くね。やっぱり女性の好みも、うるさかったりするのかな?」
「えっ?!」
いきなり振られた話題に、克哉の頬がさっと赤く染まる。
どうやらこういった話は苦手なようだ。
しかし、その初心な反応はかえって内河を喜ばせてしまう。
「あれっ? もしかして、今フリーなの? 彼女いない?」
「え、ええ、まぁ……」
「へぇ、意外だなぁ。いかにも女性が放っておかなそうなタイプなのに」
「あぁ、分かるな。母性本能を刺激しそうだもんな」
「そうだろう?」
「そ、それは……どうなんでしょう……」
克哉は誤魔化すように呟いて、グラスに残っていたワインを一息に煽る。
否でも耳に入ってくるこの馬鹿々々しすぎる遣り取りに、御堂は思わず鼻を鳴らしていた。
内河達は克哉を誉めているつもりなのかもしれないが、要するに頼りなさそうだと言っているだけではないか。
克哉も内河達も、そのことに気づいているのかいないのか。
そもそもこの男が「母性本能を刺激されるタイプ」だなどと笑わせるにも程がある。
彼らは克哉の本性を知らないのだ。
一見人当たりの良さそうな笑顔の裏に隠された、卑怯で、傲慢で、あざとい、もう一つの顔を。
「きっと仕事が忙しいんだよね。……あっ、もしかして、御堂にこきつかわれて大変なんじゃない?」
田之倉は無言を貫く御堂をそろそろ話の輪に加わらせようと思ったのかもしれない。
しかし御堂の名前を出した途端、克哉は酷く狼狽える。
「い、いえっ! そんなこと無いです! 御堂部長は本当に素晴らしい方で、ですから、その……」
克哉のあまりの必死さに、場がどっと沸く。
その笑い声に紛れて、御堂は小さく舌打ちした。
心にも無い言葉でわざとらしく否定などせず、肯定すればいいではないか。
御堂孝典という男は己の立場を利用して、解雇をちらつかせながら子会社の社員に無茶を強いる、最低な人間です、と。
意地悪で、嫌味ばかり言う、最悪のビジネスパートナーです、と。
そうすればこちらも克哉がどんなことをしでかしたのかぶちまけることが出来るというのに。
「ごめん、ごめん。もし本当にそうだとしても、本人の目の前で言えるはずないもんね」
「いえ、あの。本当に御堂さんは……」
「大丈夫だよ、佐伯君。酒の席でのことを根に持つほど御堂も馬鹿じゃないから。なぁ、御堂?」
「……」
それすらも無視すれば、三人が顔を見合わせて苦笑する。
大人げない態度だと分かってはいても、酒の勢いで克哉と打ち解けるつもりだけは毛頭無かった。
その後も克哉と三人は御堂そっちのけで盛り上がり続けた。
時折、御堂の存在など忘れてしまったかのような克哉の無邪気な笑い声が耳について、御堂はますます苛立ちを募らせてった。
「あの……皆さんは大学時代のご友人なんですよね?」
「うん、そうだよ。ああ、そうだ! 学生時代の御堂の話でもしようか?」
「えっ?! い、いえ、それは」
「……おい、内河。余計なことを言うな」
これには御堂もさすがに黙っていられず口を出す。
克哉にしてみれば単なるささやかな話題提供であって、まさか矛先がまたしても御堂に向けられるとは思ってもいなかったのだろう。
慌てて別の方向に持っていこうにもそれは既に手遅れで、内河は嬉々として話し出した。
「見ての通り、このルックスだからねぇ。もてたよ、御堂は。同じテニスサークルに入ってたんだけどさ、女の子の半分は御堂を狙ってたんじゃないかなぁ」
「もう半分は本城が持っていってたよな」
「そうそう。それで、あまりの競争率の高さにリタイアした子達がようやく俺達のところに来てくれるっていうね」
「悲しいよなぁ。……あっ、でも、四柳は結構もててたんじゃなかったか?」
「僕は別に……。それに、内河も田之倉ももてなかったわけじゃないだろ。しょっちゅう女の子と一緒にいたじゃないか」
「俺らは喋りで盛り上げてようやくだからね。御堂みたいに、何もしなくても寄ってきてくれるわけじゃないからさ」
「だよな」
「はぁ……」
彼らの明け透けな遣り取りに克哉は半ば唖然としながら、溜息とも相槌ともつかない声を漏らす。
すると内河はそんな克哉に身体を寄せると、わざとらしく声のトーンを落として囁いた。
「でもね。もてるんだけどね。冷たいんだよ、御堂は。とにかく」
「そう……なんですか?」
「そうなの。でも、女の子のほうは夢中だからね。そこがまたクールで素敵って感じで、全部許されちゃうんだよ。男の敵だよね、ほんと」
―――御堂は何もしなくても女が寄ってくる。
学生時代から、彼らは御堂にいつもこう言っていた。
しかしその物言いの中には羨望と共に、軽い同情が込められていることに御堂は気づいていた。
学歴やルックスや育ちや、そういった表面的なステイタスにだけつられて寄ってくる人間にろくな奴はいない。
彼らもそれは分かっていて、だからこそ御堂の女性に対する素っ気ない対応を本気で責めているわけではないのだ。
それでも事あるごとに繰り返されるその悪気の無い言葉達は、少しずつ御堂を縛りつけていったのかもしれない。
何もしなくても女性にもてる。
努力しなくても何でも出来る。
そうやって生まれつき全てを持っているかのように言われるのは決して気持ちのいいことではなかったけれど、いつからか自らそう見られるように振舞っていたのも事実だ。
格好悪い自分、醜い自分を他人に見られたくないと思うのは当然のこと。
本当の自分は自分自身だけが知っていればいい。
御堂はそう思っていた。
「でも結局、俺達は全員まだ独身なわけだけどね」
「俺はちゃんと彼女いますから」
「いつまで続くことやら」
笑い声が上がる。
そのとき御堂がふと顔を向けると、何故かこちらを見ていたらしい克哉と目が合った。
こんなにもしっかり視線を交わしたのは、今日ここに来てから今が初めてだったかもしれない。
「……なんだ」
だから、つい御堂はそう問いかけてしまった。
克哉はハッとして目を逸らす。
そして―――。
「……それだけが理由じゃないと思います」
ぽつりと呟いた克哉に、全員が笑うのを止めて注目した。
「外見だけじゃなくて……御堂さんの才能とか、真面目なところとか、他にもいろいろな素晴らしい面を知ったからこそ惹かれたんじゃないでしょうか。
オレ自身も御堂さんと仕事をさせていただくようになってから本当に勉強になっていますし、だから、その……御堂さんがもてたのには、ちゃんとした理由があったんじゃないかと……少なくともオレはそう思います……」
「っ……」
そしてはにかむように俯いてしまった克哉を前に、今度は克哉以外のメンバーが唖然とする番だった。
唖然として、それから―――御堂の中にまた怒りが込み上げてくる。
「……そう言えば、私が喜ぶとでも思ったか?」
「えっ……」
無意識だった。
心の中で思うに留めたつもりだったのに、それは明らかに怒りを孕んだ声となって克哉の耳に届いていた。
上司の悪口に同意するわけにもいかないから、とりあえず誉めておけばいいと思ったのか。
それとも少しでも媚を売っておいて、今後の仕事上の風当たりを和らげようという魂胆なのか。
何も知らないくせに知ったようなことを言って、いい子ぶって。
貴様如きにフォローされなければならないほど落ちぶれた覚えはない。
怯えきった目でこちらを見つめている克哉を睨みつけ、更にそう罵倒しようとしたところで、しかし突然内河が感極まった様子で克哉の肩をぐいと抱き寄せて叫んだ。
「佐伯君……! 君は本当にいい子だなぁ!」
「うわっ?! あ、あのっ、内河さん?!」
「うんうん。本当だ」
反対側に座っている田之倉まで手を伸ばして、克哉の頭をくしゃくしゃと撫でる。
おかげで険悪になりかけた空気は一変したけれど、それは意図的なものというよりも単なる酔っ払いのおふざけだった。
内河と田之倉にべたべたと触られながらも、克哉はまんざらでもないように笑うだけでされるがままになっている。
そんな克哉が、御堂にはどうしても許せなかった。
本当の顔をギリギリまで隠して、偽善的な言動で自分を守り、安全な場所に引っ込んでいるだけの男。
馬鹿にする為にここに連れて来られたことに気づきながら、腹を立てることも悔しがることもなかったのは、彼の謙虚さが卑屈さの裏返しだからだとしか思えない。
(……お前はいったい何なんだ)
克哉を見ていると、どうしようもなく腹が立つ。
何故、こんなにも腹が立つのか自分でも分からないぐらいに。
グラスを持つ手に力がこもり、今にも「ふざけるな」と怒鳴りつけそうになったとき、それまで静観していた四柳が口を開いた。
「……でも、やっぱり佐伯君は一筋縄ではいかなそうだね」
「そ、そうですか?」
「……ふぅん。四柳がそんなこと言うなんて珍しいな」
「そうかな?」
内河の思わせぶりな物言いを、四柳は微笑んで流す。
しかしそれをきっかけにようやく内河と田之倉は克哉を解放した。
同時に勢いを削がれた御堂も、吐き出しそうになっていた怒りをぐっと飲み込む。
「まぁ、確かにそうかもな。でも一番意外だったのは、佐伯君が思いのほか酒に強かったってことかな! 勝手に弱そうだと思っていたよ。ごめんね」
「あっ……!」
そこで克哉は初めて自分の飲んだ酒の量に気づいたらしく、急に顔色を変えた。
「す、すみません! オレ、つい調子に乗ってしまって……どうしよう、マズいな……」
そわそわとジーンズのポケットに手をやる仕草から、克哉が何を心配しているのかはその場にいる誰にもすぐに分かった。
「安心して。僕達が無理矢理飲ませているようなものなんだから、気にしなくていいんだよ」
「でも……」
「大丈夫。ちゃんと御堂が払ってくれるから!」
「そんな! とんでもないです!」
「いいから、いいから」
「でも……」
どうせ払うことなど出来ないくせに、一応遠慮してみせるところがまた御堂にはあざとく映る。
今日、この場に克哉を連れて来るべきではなかったと御堂は心底後悔していた。
「あ、あの、御堂さん、御馳走様でした」
「……」
店を出ると、克哉が慌てたように駆け寄ってきて頭を下げる。
しかし御堂はそれに答えることなく、克哉に背を向けて歩きだした。
後ろで代わりに友人たちが答えているのが聞こえる。
「いいの、いいの。それより、また一緒に飲めるといいね」
「ありがとうございます。機会がありましたら、是非……」
「うん、うん。あっ、あとね、御堂にいじめられたらすぐに連絡するんだよ。連絡先はあとで御堂に聞いておいて」
「あはは……」
わざと御堂にも聞こえるように言っているのだろう。
克哉の引き攣ったような笑いに、御堂は顔を顰める。
「本当に送らなくて平気? タクシー、一緒に乗っていかない?」
「いえっ、大丈夫です! ここから近いので」
「そう? じゃあ、気をつけてね」
「佐伯君、またね!」
「ありがとうございました! おやすみなさい」
遠ざかっていく声。
少しでも早く克哉から離れたくて、御堂の足は速くなる。
やがてその後を追ってきた友人達は、御堂に並ぶと口々に言った。
「おい、御堂。どうしたんだよ? あの子、いい子じゃないか」
「そうだよ。いじめたらダメだぞ?」
「……うるさい」
「おい、御堂!」
御堂はすかさずタクシーを止めると、友人達を置き去りに一人でそれに乗り込む。
何故、こんなことになったのか。
苛立ちは止まず、ともすれば怒りで震えそうになる拳を膝の上できつく握り締めた。
思い返したくもないのに、さっきまでの光景が脳裏から離れようとしない。
克哉の肩を抱く内河の手。
撫でられて乱された髪。
はしゃぐ声。
今までに見たこともなかったような、克哉の笑顔―――。
何もかもが気に入らなかった。
己の子供染みた態度も、友人達の調子のいい態度も、克哉のあの態度も、何もかもが気に入らない。
どうすれば彼を屈服させることが出来る?
地べたを這い蹲って、私の足に縋りついて、どうか許してください、お願いしますと、泣きながら懇願させることが出来る?
どうすれば―――。
「……見ていろ」
タクシーの中で、御堂はプロトファイバーの目標数値を思い出していた。
その数字を頭の中で変更しながら、今後の予定をシミュレーションする。
もっとだ。
もっと追い詰めればいい。
奴がもう二度と綺麗事など言えなくなるほどに、もっと。
考えるうちに明日のミーティングが俄然楽しみになって、御堂はいつしか薄く笑っていた。
- To be continued -
2016.05.30
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