鬼畜部長 04

マンションを出ると、頭上には青々と晴れた空が広がっていた。
ここから目的地の店までは、歩いてもさほど時間は掛からない。
雨が降っていればタクシーを呼んだところだが、これだけ天気がいいのならばと御堂はそのまま歩き始めた。

今日、御堂は大学時代の友人達と会う予定になっていた。
学生の頃に親しかった彼らとは、社会人になってからも定期的に会っている。
お互いに立場も変わって予定もなかなか合わせづらくなってはいたが、それでもこうして関係が続いているのはやはり気が合うからなのだろう。
御堂もいつもならば気の置けない友人達と過ごす休日を素直に楽しみに出来たのだが、しかし今日の気分はこの青空とは対象的な雲行きだった。
原因は分かっている、例のプロトファイバーの件が引っかかっているのだ。
厳密に言えば商品そのもののことではなく―――あの男のことなのだが。

今週、月曜日のミーティングで発破をかけたことが効いたのか、克哉は新規も含めてかなりの数の注文を取ってきた。
そうして昨日、MGNを訪れた克哉はその数字を意気揚々と報告してきた後、こちらの生産ラインの遅れについて嫌味を言い残して帰っていったのだ。
数字に関しても生産ラインへの指摘に関しても、御堂は一言も言い返すことが出来なかった。
そのときのことを思い出すと、今でも腹が立って仕方がない。
せっかくの休日にわざわざ自分から不愉快になることもないだろうと分かってはいるのだが、 約束している店に行くためにはどうしてもMGNの前を通ることになるから、そのことを思い出してしまうのは止むを得なかった。
普段はオンとオフをきっちり切り替えられるはずなのだが、何故か今回はうまくいかない。
それでも出来るだけ頭の中から彼の存在を追い出そうとしていたところで、御堂は己の目を疑うこととなった。
「……!」
MGNの前にぽつんと立っている男がいるのだ。
それが例の佐伯克哉であることは、遠目にもすぐに分かった。
(あんなところで何をしている……?)
この近くに住んでいるのか、それともたまたま通りかかっただけなのか。
どちらにせよ休日にまで顔を合わせることになるとは、お互い運が悪いとしか言いようがない事態だった。
そのまま無視して通り過ぎることが出来ればよかったのだが、恐らく距離的に無理だろう。
それに向こうがこちらに気づいて逃げだすならまだしも、こちらがこそこそする必要はないはず。
御堂が諦めて近づいていくと、克哉はすぐに御堂に気がついた。
「……み、御堂さん! あっ、えっと、こんにちは……!」
「ああ」
御堂は舌打ちしたくなるのを堪えて、あたふたと頭を下げる克哉をまじまじと眺める。
まったく、なんという恰好だろう。
普段のスーツ姿も決してスマートとは言えないが、ジーンズに白いパーカーを羽織っただけの彼は到底社会人には見えず、まるきり大学生のようだ。
清潔感だけはあるのが救いだったが、幾ら休日とはいえ、もう少しまともな服を持ってはいないのかと御堂は心の内で克哉を蔑む。
そのとき、克哉のほうからもまじまじと見つめられていることに気づいて、御堂は眉根を寄せた。
「……なんだ」
「いえ、あの……ちょうど御堂さんのことを考えていたところだったので、驚いてしまって」
「私のことを?」
御堂はこの不快な偶然に更に顔を顰める。
互いに互いのことを考えていたなど、ぞっとしない話ではないか。
御堂の機嫌を損ねたことに気づいたのか、克哉は取り繕うように話し出した。
「オレ、御堂さんともう少し仲良くなれたらいいなと思って……。そうしたら今回の仕事ももっと捗るかなとか、そんなことを考えていたら、いつの間にかここに来てしまっていて」
「仲良く……?」
「あ、あの、ビジネスパートナーとして上手くやっていければという、そういう意味で……」
「……」
何が「仲良く」だ。
学校のクラブ活動ではあるまいし、仲良くすれば結果が出るなら誰も苦労はしない。
この男は見た目同様、中身もまだ学生気分が抜けていないのだろうか。
そもそも、どの口がそれを言うのかと。
先に喧嘩を売るような真似をしてきたのは、お前のほうではなかったのか。
よほどそう罵倒してやろうかと思ったのだが、不意に別の手段が浮かんだ御堂は、喉まで出かかっていた台詞を飲み込んで軽く息を吐いた。
「……そう、だな。君の言うことには一理あると私も思う」
「えっ…?」
御堂に肯定されたことが余程意外だったのか、自分で言いだしておきながら克哉は一瞬ぽかんとする。
そんな克哉に御堂は努めて優しく微笑みかけた。
「ちょうどいい。私はこれから大学時代の友人達と飲むことになっているんだ。良かったら、君も来ないか?」
「えっ……?! で、でも、そんな」
克哉はその誘いにますます驚いたのだろう、酷く狼狽える。
「気軽な集まりだ、別に遠慮することはない。それとも、もしや君は下戸か?」
「いえっ、それは大丈夫ですが……。でも、本当にいいんですか?」
「ああ、もちろん。私達が親しくなるにはいい機会だろう?」
「は、はい、是非……!」
克哉は本気で喜んでいるのだろう、微かに頬を紅潮させ、目を輝かせながら頷く。
その能天気さは御堂にとって少々羨ましくさえあった。
とにかく彼を連れていきさえすれば、聡い友人達は御堂にいったいどういう意図があるのかすぐに察してくれることだろう。
しかもこの格好だ、さすがに自分がどれほど愚かか彼も思い知るはず。
これで少しは気も晴れるというものだ。
「では、行くとしようか」
犬のように後からついてくる克哉を見向きもせず、御堂は約束の店へと向かった。

「おっ。来たか、御堂」
店に着いたのは二人が最後だったらしく、既にシャンパンを開けていた内河がこちらに気づいて軽く手を上げる。
しかし、すぐにその視線は御堂の後ろに立っている克哉へと向けられた。
「……そちらは?」
怪訝そう、というよりも、寧ろ興味津々といったふうに内河が尋ねてくる。
隣りに座っている田之倉も同様に興味深そうにしていたが、もう一人、四柳だけはいつもと変わらず淡々とした様子だった。
「彼は今関わっているプロジェクトのビジネスパートナーだ」
御堂は克哉を振り返りもせず、彼らに答える。
すかさず克哉が少し前に進み出て、ぺこりと頭を下げた。
「あっ、あの、佐伯克哉といいます。今日は突然、お邪魔してしまってすみません」
「あはは、構わないよ。知り合いが増えるのは嬉しいことだからね」
内河は気さくに笑う。
確かに知り合いが増えるということは、人脈を増やすという意味でも重要だ。
しかし、こんな男と知り合いになったところでなんの価値も無いと後で気づくことになるだろう。
御堂が席に着こうとすると、内河はからかうように言った。
「それにしても珍しいな、御堂。宗旨変えでもしたのか?」
「馬鹿なことを言うな。そんなんじゃない」
もちろん内河が冗談で言ったことは御堂にも分かっていた。
この集まりにメンバーが他の誰かを連れてくるときは、それが恋人であることがほとんどだ。
とくに内河は彼女が変わるたびに紹介の為と称して連れてきては、御堂達にもそうすることを勧めるのだが、しかし生憎御堂だけは一度もその要求に応えたことがなかった。
結婚を考えているような相手ならばともかく、そうでもなければわざわざ紹介するなど面倒なだけだ。
御堂にあっさりといなされて、内河はつまらなそうに溜息をつく。
「分かってるよ。そもそも、お前が選びそうなタイプじゃないもんな」
「確かに。御堂はもっと派手なのが好きだからな」
「何を勝手なことを……」
内河に便乗して調子のいいことを言う田之倉、それを傍で苦笑交じりに見ている四柳。
それは学生時代から見慣れた光景だった。
御堂が席に着くと、克哉もその隣りに腰を下ろす。
居心地悪そうに俯く克哉の様子を横目に一瞥しながら、御堂はほくそ笑んだ。

タイミングを見計らっていたのだろう、二人が席に着くと間も無くソムリエが料理とワインの乗ったワゴンを運んできた。
「いらっしゃいませ。テイスティングをお願い致します」
その言葉と共にグラスが差し出される。
しかし御堂はすっと身を引き、隣りに座る克哉へと視線で促した。
「今日は彼に」
一瞬、内河達が目を合わせたのが分かった。
克哉はきょとんとしながらも反射的にグラスを受け取ってしまい、ソムリエがそこにワインを少量注ぐ。
ラベルに書かれている銘柄はシャブリ・グラン・クリュ・ブランショ。
辛口で果実の酸味が強く、すっきりとした味わいが特徴のワインだ。
料理の牡蠣にもよく合う。
(さて、どうする)
ホストテイスティングはワインの味や状態を確認して、そのボトルで問題無いかを判断しなくてはならない。
すると克哉はそれの色や香りを確かめることもなく、いきなりおずおずとグラスに口をつけた。
「……あ、美味しいです」
「それでは、こちらでよろしいでしょうか?」
「えっと、あの……」
克哉が戸惑いながら、救いを求めるようにその場の面々を見渡す。
予想通り、彼はこういった場所での作法を知らないのだ。
しかし御堂が何も言わないところに口を出すわけにもいかないと思ったのだろう、克哉に助け舟を出そうとする者は誰もいなかった。
「別のものをお持ち致しましょうか」
「い、いえ。これでいいです」
克哉は諦めたらしく、そう答える。
その途端、内河が堪え切れなくなったように噴き出した。
「っ……、御堂、今日はそういう趣向か?」
やはり友人達は御堂の意図をすぐに察してくれたらしかった。
しかし御堂はあえてそれには応えず、すました顔でよそを向いている。
それを肯定と受け取った内河は、早速克哉に声を掛け始めた。
「どうだい、佐伯君。是非、このワインの具体的な感想を聞かせてくれないか?」
克哉は突然の要求に目を瞬かせる。
「感想……ですか?」
「そう。美味しい、だけじゃ寂しいだろう? もっと派手なやつが聞きたいなぁ」
「派手……」
見るからに地味なこの男にそれを求めるのは無茶なことだと、分かっていてわざとやっているのだ。
克哉は困惑したように、ただグラスをじっと見つめている。
このままでは埒が明かないと思ったのか、田之倉が重ねて尋ねた。
「そうだな……たとえば他のシャブリと比べてどうだい?」
「シャブリ……あの、ワインはあまり飲まないので……」
克哉が答えると内河は些か大袈裟に驚いてみせた。
「そうなのかい? それは人生において大きな損をしていると思うなぁ。でも……確かにつまらない人生を送っていそうだもんねえ、君」
その台詞に御堂がくくっと喉の奥で笑う。
「おい、あまり言ってやるな。それが彼にとっては相応しい人生なんだ。つまらない人間がつまらない人生を送るのは当然のことだろう?」
「違いない」
そう言って、声を上げて男達は笑う。
克哉はようやく自分が何の為にここに連れて来られたのか気づいたのだろう、暗い表情で目を伏せた。
(思い知ったか、佐伯克哉)
刺々しく、それでいて悪趣味な愉悦に期待する嫌な空気が流れる。
あとは彼が惨めに退場するだけで良かった。
場違いなところにのこのこ来てしまって大変申し訳ございませんでした、失礼します。
今にも泣きだしそうな顔でそう言いながら、逃げ出せばいい。
怒りと悔しさで身体を震わせながら、身の程知らずな己を恥じればいい。
それで昨日の嫌味はチャラにしてやる。
そう、思っていたのに―――。
「……何も知らなくて、本当にお恥ずかしいです」
「―――!」
克哉ははにかみながらそう言って、小さく頭を下げた。
それから顔を上げると、今度は真っ直ぐに姿勢を正す。
「でも今日はせっかく御堂さんに連れてきて頂いたので、少しでもワインのことが分かれば嬉しいです。皆さん、とてもお詳しそうなので」
嫌味でも負け惜しみでもなかった。
御堂を含めた全員がその反応に面喰い、嘲笑を止める。
沈黙が落ちたところに、さきほどのソムリエが再びやってきた。
「ワインはお気に召されましたでしょうか?」
話しかけられた克哉はこの微妙な空気から抜け出せることに安堵したように振り返る。
「あっ、はい、とても」
「それは何よりです」
「あの、このワイン……シャブリっていうんですよね。名前は聞いたことがあるんですけど……」
「シャブリ・グラン・クリュ・ブランショでございます」
「長い名前ですね」
「ワインの名前には意味がございまして……」
ソムリエと克哉は和やかに話し始める。
御堂はそんな二人のやり取りを苦々しい思いで聞いていた。
そもそも何故、御堂達がこの店を気に入り、常連となったのか。
それはワインの品揃えや料理の美味さだけではなく、ここに優れたソムリエがいたからだった。
優れたソムリエとは、どんな客にもそれぞれに合ったワインを楽しませることが出来るソムリエだ。
だからソムリエにワインについて尋ねることはなんらマナー違反ではなく、寧ろその為にソムリエは存在していると言ってもいい。
克哉の態度はワイン初心者として正しい姿であり、ソムリエはソムリエとしての役目を立派に果たしていた。
「……失礼ですが、お客様はあまりワインは飲まれないのですか?」
「はい。お酒は好きなんですが、ワインはあまり……」
「ワインを楽しむのに必ずしも知識は必要ではありません。ですが、知識があることで見つけられる楽しみもございます」
そう言ってソムリエは御堂と友人達に目線を送る。
「こちらのお客様方はとてもよくワインのことをご存知です。ワインを心から楽しんでくださいます。 せっかく素晴らしい先生方といらっしゃるのですから、お客様もどうぞワインを心ゆくまで楽しまれてください」
「……ありがとうございます」
ソムリエの対応は完璧だった。
恐らくこのソムリエは克哉の服装や挙動から、彼がこういった場に不慣れであることを見抜き、最初から気に掛けていたのだろう。
そうして克哉を救いながら、御堂達の面子も立てた。
このソムリエがいる店で、客に恥をかかせたり不愉快な思いをさせたりするのは初めから不可能だったのだ。
ソムリエが去ると、克哉は改めて御堂達に頭を下げる。
「……そういうことで、不勉強ですがどうぞ宜しくお願いします」
すっかり毒気を抜かれた男達は互いに目を合わせると、ふっと表情を緩めた。
ただし、御堂以外は。
「……君、いいね」
「え?」
「俺、君みたいなタイプ好きだなあ」
「……始まったよ」
「出たぞ、内河の悪い癖が」
田之倉と四柳が笑いながら茶々を入れる。
そんな彼らに挟まれて克哉はまだ戸惑ったような顔をしていたが、少なくともそこにはもうさきほどまでの殺伐とした雰囲気は微塵も感じられなかった。
「からかって悪かったね。君が初初しいものだから、つい」
「うん、ごめんね」
「あ、いえ……」
「改めて、こちらこそ宜しく。さぁ、飲もうか!」
「はい……!」
克哉は心から嬉しそうに笑う。
友人達は素直で謙虚な態度の克哉をすっかり気に入ったようだった。
しかしそんな中で御堂だけは、いつまでも硬い表情を崩さないままだった。

- To be continued -
2016.02.26

[←前話]     [→次話]



[←Back]

Page Top