鬼畜部長 09
「それでは、本日のミーティングを終了する。分かっているとは思うが、この数値は必達目標だ。
各自、それを肝に銘じて業務に当たるように」
状況は決して悪くないというのに、それでも釘を刺すような御堂の台詞によって、月曜日の定例ミーティングが終わりを告げる。
片付けを始めた御堂の視界の端で、本多が当てつけがましく何かしら克哉に耳打ちしているのが見えた。
「……」
それは別に初めて目にする光景ではなかった。
ミーティングの最中にも、本多と克哉はたびたび小声でやり取りを交わしている。
二人は確か同期だったはずだから、キクチ内で特に親しい間柄だとしてもなんら不思議はなかった。
性格的には正反対のタイプに思えるが、恐らくはそれがかえっていいバランスになっているのだろう。
感情をすぐに言葉や態度で表す本多を、克哉が苦笑いしながら窘めるというのがいつものパターンらしい。
今もその展開を繰り広げているのであろうことは、克哉がこちらにチラチラと視線を送ってきていることからも容易く想像がついた。
(そういえば……初めて顔を合わせたときにも、二人一緒だったな)
アポなしでMGNを訪れた二人だったが、言いだしたのはどうせ本多のほうに違いない。
克哉はそれに巻き込まれたか、それとも本多の勢いに釣られたか……。
どちらにせよ二人の関係は、単なる職場の同僚以上のもののようだ。
だからどうしたという話ではあったけれど、単純に本多のような暑苦しいタイプが好きではないこともあって、
なかなか会議室から出ていこうとしない克哉と本多、そして片桐の存在が御堂には妙に鬱陶しく感じられた。
(……そもそも、なんだその顔は)
御堂は我知らず眉間に皺を寄せる。
身内である二人に向ける克哉の態度は当然、御堂に対するものとは全く違っていた。
透明な水面に一滴の墨が落ちるように、御堂の中に黒い靄が広がる。
その苛立ちに似た感情には確かに覚えがあった。
あのワインバーで、内河達に囲まれている克哉を見たときの―――。
「では、本多君はこのまま平田さんのところに行くということで……」
「はい、そうします! そうだ、克哉。なんならお前も一緒に」
「―――佐伯君」
「は、はいっ!」
本多の言葉を遮るように、御堂は意識的に声を張って克哉の名を呼んだ。
途端に克哉はびくりと身体を跳ねさせ、怯えたような表情でこちらを振り返る。
視線だけでこちらへ来いと促せば、それはすぐに伝わったようだった。
「あっ……すぐに行きます。ごめん、本多。そういうことだから……」
再びこそこそと小声でやり取りをしたあと、本多と片桐は克哉を残してようやく会議室を後にする。
部屋を出る前、本多が一瞬こちらを睨みつけたのを御堂は見逃さなかった。
「……お待たせしました。なんでしょうか……」
克哉はそう言って御堂の前に立つも、決して目を合わせようとはしない。
とくに用事があったわけではなかった。
ただ、あのまま本多達と行かせるのが癪に障っただけだ。
「次の予定だ」
御堂が告げると、克哉の肩がびくりと揺れる。
それ以外に克哉を呼び止める理由がなかった。
「……また……ですか……」
<接待>のときの自分の姿を思い出しているのか、克哉は羞恥に耐えかねるといった表情を浮かべて俯く。
その様子は御堂を酷く愉快にさせた。
「当然だ。今週末。同じ時刻に、同じホテルだ。忘れるなよ」
「……」
克哉はすぐに返事をしない。
恐らくはまだ会議室の外にいるかもしれない同僚や上司のことを気にしているのだろう。
そして、ぽつりと呟く。
「いつまで……いつまで、こんなことを続けるんですか……?」
こんなこと、という言葉がまた御堂を苛つかせる。
何でもするからと言って、それと引き換えに自分の要求を通したのは誰だ。
拒否することも出来たはずなのに、選んだのはお前自身だろう。
御堂は冷たく克哉を見下ろす。
「そんな台詞は私を満足させることが出来てから言うんだな」
「どうすれば、満足していただけるんですか?」
「……それは君が考えることだろう」
そう。
どうすれば満足するのか。
どうされたいのか。
どうしたいのか。
どう―――なりたいのか。
今となっては御堂自身にも、それは分からなくなりつつあった。
「……まぁ、君が私を満足させようと努力しているのは分かるが」
御堂は一歩、克哉に近づく。
彼は今、頬を僅かに紅潮させ、悔し気に唇を噛み、心なしか瞳を潤ませている。
克哉のこんな顔を本多は見たことがあるのだろうか。
いや、きっとないはずだ。
本多どころか、他の誰も―――。
「あっ……」
克哉が後ずさる。
その所為で、頬に触れようとして伸ばした御堂の指先は、克哉の顎のあたりを掠めるに留まった。
ほんの一瞬触れただけでは、彼の体温を感じることは出来なかった。
「……だが、君自身も意外と楽しんでいるように見えたのは気の所為だったか?」
「……っ!」
嘲笑を含んで言ってやると、克哉は更に赤くなった顔を勢いよく逸らす。
「失礼します……っ!」
そして逃げるように足早に会議室を出ていく。
あんな態度を取っておいても、彼は必ず今週末、約束のホテルにやってくるだろう。
彼はそういう人間だ。
扉の向こうに消えていった克哉の後姿は滑稽で、御堂はそんな彼に追い打ちをかけるようにわざと声を出して笑った。
けれどその笑い声が何処か虚しく、空々しく響くのを感じてもいた。
執務室に戻ると、改めてミーティングで提出された報告書に目を通す。
克哉と遊んでばかりいる場合ではないことは分かっていた。
今のところ売れ行きは悪くない。
それどころか当初の目標を大幅に上回ることになるだろう。
そうなれば当然、生産ラインの確保が重要になってくる。
このままでは品薄になって販売の機会を逃すことになるのは火を見るよりも明らかだった。
「……」
御堂は長い溜息をついた。
自分で焚き付けたこととはいえ、まさかキクチがあそこまでするとは思わなかったのだ。
それを嬉しい誤算と言ってしまえるほど楽天家ではない。
早急に今後の対策を考えなければならなかったが、それには工場担当の大隈の協力が不可欠だった。
『万が一にも失敗すれば、誰が責任を取ることになるのか―――』
くれぐれも私の顔に泥を塗るなよ、と言わんばかりの大隈の台詞を思い出す。
最近では増産にだいぶ乗り気な素振りを見せてはいるが、あの狸親父にはあともう一押し、決め手が足りないようだった。
(さて、どうしたものか……)
思い浮かぶ幾つかのカードはどれもこれも愉快なものとは言い難かったが、
このプロジェクトを成功させる為ならば選択せざるを得ない。
愚策と言いたくもなるそれらに再度溜息を漏らしそうになったとき、執務室の扉を叩く軽い音が響いた。
「失礼致します、御堂部長」
「君か。入りたまえ」
御堂の返事に促されて入ってきたのは、一室の部下である大柄な男性社員だった。
デスクの前に立つと、手にしていた書類とファイルを御堂に差し出す。
「先週の販促ミーティングの報告書と、ラボから貰ってきた資料です。細かいやつは後ほどメールでいいでしょうか?」
「ああ、それでいい。ついでにキクチからの報告書も渡しておく」
「かしこまりました。……」
「……どうした?」
渡された報告書を見た部下が何か言いたげであるように感じて御堂が尋ねると、彼は笑顔になって答えた。
「ああ、いえ。やっぱり佐伯さんの作った報告書だなと思って。この人の作る資料、すごく分かりやすくていいですよね」
「……そうだな」
資料の最後に押してあった克哉の印を見て言っただけなのは分かっていた。
しかし不意に身内の口から出てきた克哉の名前に妙な違和感を覚えて、つい歯切れの悪い返事になってしまう。
確かにここのところ一室でのミーティング用資料は、ほとんどが克哉の作った報告書をベースに作成されていた。
彼が続ける。
「先日、DMSのマネージャーと話す機会があったんですが、その方からすごくいい営業さんが来るって聞いて……名前を聞いたらこの佐伯さんって人だったんです。
キクチの8課がプロトファイバーの担当をすると聞いたときはかなり心配しましたけど、ちゃんと有能な人もいるみたいで安心しました」
「……」
確かにショップや取引先から聞こえてくる克哉の営業マンとしての評判は、かなりいい。
あのおどおどした態度や煮え切らない返答は到底営業には向いていないのではないかと思っていたが、どうやらそうではないらしいのだ。
事実、その結果が数字となって目の前の書類に表れている以上、それを疑う余地も否定する要素も無かった。
(それならば何故……)
だからこそ、御堂の中に苛立ちが湧き起こる。
状況を正確に把握し、的確に分析する能力。
取引先と信頼関係を築ける誠実さ、真摯さ。
それらを十分に備えていながら、あんな方法で仕事を得る必要が本当にあったのか。
こちらの言いなりになって、あんな真似をしなければならない必要が本当に……。
「ふっ……」
苛立ちは一転、自嘲の笑みへと変わる。
克哉にそうさせるよう仕向けたのが己であることに気付けば、それは愚問でしかなかった。
御堂の表情の変化に、部下が訝しげに首を傾げる。
「部長? どうかしましたか?」
「いや……。なんでもない」
御堂は緩く首を振った。
部下が退室し、ひとりになった執務室で思い耽る。
いずれにせよ今のこの状況は克哉自身が招いたことでもある。
選ぶ権利は彼にあったのだから、自業自得だ。
それに彼が自分自身をどう評価していようが、彼の真の能力がどんなものであろうが、こちらにはまったく関係のないこと。
要は結果を出してくれさえすれば、それでいいのだ。
だから「佐伯克哉」が本当はどんな人間であるかなどどうでもいい。
彼が何を考え、何を思い、何を感じているのか。
彼が本当は何を欲しているのか―――。
(……すべて、どうでもいいことだ)
報告書に書かれている克哉の名を見つめながら、御堂は心の内で呟く。
そうして仕事の続きに取り掛かる為、無理矢理にそこから視線を剥がした。
- To be continued -
2018.06.25
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