鬼畜部長 15

そのトラブルが発覚したのは就業開始直後のことだった。
呼び出された第三会議室に入った瞬間、既に集まっていた上層部の人間達の視線が一斉に御堂に集まる。
僅かな沈黙のあと、専務である大隈から呆れたように溜息を吐かれ、御堂は深々と頭を下げた。
「……まったく、面倒なことをしでかしてくれたようだな」
「お騒がせをして大変申し訳ございません」
「いや、いい。君の所為だと言っているわけではない」
「……」
―――白々しい。
頭を下げたまま、御堂は大隈の言葉を心中で唾棄した。
誰の所為かなど調べずとも容易に想像がつく。
そしてこの場に集まった人間達全員が、今回のトラブルの原因を「誰の所為にしようとしている」のかも。

本日早朝、二通のクレームメールがほぼ同時に送られてきた。
一通は大口の取引先であるコンビニエンスストア、ユアーズ本部から。
もう一通は全国チェーンのスーパーマーケット、クラウンマート獅堂店からだった。
クレームの内容は出荷ミスに関して。
クラウンマートには発注のおよそ100倍にあたる数の商品が入荷されたのに対して、 ユアーズ本部には発注数のわずか100分の1程度の商品しか届かなかったらしい。
要するに出荷先が完全に入れ変わってしまっていたということだ。
慌てて折り返し電話連絡を入れたところ、当然どちらもかなりのご立腹だそうで、 至急MGNの社員を両店へと謝罪に向かわせたあと、重役数名も含めての緊急招集がかかったのだった。
「それで、どのように対応するつもりかね?」
待ち兼ねていたように早速常務から問われ、御堂は顔を上げて答える。
「はい。管理部には出荷スケジュールの確認と調整を、工場には今出荷出来る分の全ての在庫をユアーズに送るよう指示致しました。 それからクラウンマートにも至急、余剰分の回収を手配済みです」
「ふむ……そもそも、こんなことが起きた原因はなんなんだ」
「それは」
「その点に関しては、両店の発注担当であるキクチの者が来てから話をすることにしよう」
御堂が答えようとした返事を遮って、大隈がその名を口にする。
彼がすべての責任をキクチに押し付けようと考えているのは明らかだった。
(……有り得ない)
御堂は持参してきた手元の資料にちらりと視線を落とす。
そして発注担当者の欄に書かれた名前を改めて確認した。

「失礼いたします」
直後に会議室のドアが開き、キクチの面々が姿を現す。
やってきたのは課長の片桐、本多、そして克哉。
三人ともに浮かない表情をしていた。
「おはようございます。それで、ミスというのは……」
「これを見たまえ」
青ざめた顔で進み出てきた片桐に、御堂は持ってきた用紙を投げるようにして手渡す。
それは今朝届いたクレームメールをプリントアウトしたものだった。
「え……」
読み上げるうちに片桐がますます顔色を失くしていく。
彼の両サイドから覗き込む本多と克哉も同じく、激しい驚きと困惑の表情を浮かべていた。
「この数……クラウンとユアーズの出荷数が入れ違いになったってことか」
「その通りだ」
本多の呟きに御堂が答える。
僅かに視線をずらすと、克哉は深刻な顔で黙り込んでいた。
「あの、クラウンさんとユアーズさんへは……」
「すでに我が社の人間を謝罪に向かわせた。その後の対応も指示は済んでいる」
「そうですか。ありがとうございます……大変申し訳ございませんでした」
今にも倒れそうな様子で片桐が頭を下げたとき、とうとう満を持して大隈が口を開いた。
「―――それで。どう責任を取るつもりだね、君たちは」
「……」
立ち上がり、こちらに歩いてくる大隈をキクチの三人は息を呑んで見つめる。
大隈は長机の上に残っていた資料の紙を手に取ると、わざとらしくそれを眺めながら言った。
「今回の件でどれだけの損害が出ると思っている?  発注数の管理については全面的にキクチに任せていたはずだ。 それがこんな単純なミスを犯すとは……売り上げが比較的好調だからと気が緩んでいたのではないかね?」
「なっ……!」
「本多くん」
激高しかけた本多を片桐が慌てて制する。
そんな二人をじろりと睨みつけてから、大隈は再び資料に目を落とした。
「発注担当は……佐伯、とあるが」
「……はい。私です」
そこでようやく克哉が声を発する。
御堂は彼がさきほどからずっと、どこか腑に落ちない表情をしていることに気がついていた。
案の定、克哉は言い訳を始める。
「確かにクラウンもユアーズも私の担当です。ですが、数字は何度もチェックしました。こんな間違いが起こるとは、とても……」
「現実に起こっているではないか!」
「そ、それは……。でしたら、あの、私が書いた発注書は……」
「佐伯君」
「……!」
今度は御堂が克哉の発言を遮る。
克哉にこれ以上言わせるのは事態を悪化させるだけだと判断したからだった。
克哉だけでなく、大隈も、他の重役達も御堂に注目する。
「責任は私が取ります」
御堂がはっきりとそう言うと、会議室内はにわかにざわついた。
「……御堂君、どういうことかね。責任はキクチにあるはずだが」
問いただしてきた大隈の声音には明らかな苛立ちが含まれている。
そんな大隈に御堂は真正面から対峙して言い放った。
「このプロジェクトのリーダーは私です。 そしてキクチに営業を任せると決めたのも、彼らと業務を担当していたのも私です。 ですから、今回の件に関しましては私が責任を持って処理いたします」
「しかし……」
大隈の視線がキクチのメンバーへと向かう。
立場の弱い彼らに責任を押しつけてしまえば済むと思っていたところが、 話の風向きが変わってしまったことに戸惑っているのだろう。
そんなことは百も承知のうえで、御堂はなおも譲らなかった。
「何が起きても、すべての責任は私が取ります。 ですから、この件については私に任せてはいただけないでしょうか」
「む……」
他の重役達もいる場でここまで言われては、大隈も受け入れざるを得なかった。
渋々といった様子で「……分かった。では、君に任せよう」と言うと、それを合図にしたように他の面々も席を立つ。
そして、大隈はすれ違いざま。
「……御堂君。君を信用しているよ」
いつものセリフを囁くと、御堂の肩を軽く叩いて会議室を後にした。

御堂と自分達だけが会議室に残されると、キクチのメンバーはあからさまにほっと息を吐いた。
「御堂さん……ありがとうございました」
克哉がぺこりと頭を下げる。
片桐と本多もようやく表情を緩めて、同じように御堂への感謝を口にした。
「はい、本当に……御堂部長のおかげで助かりました」
「だな。まさか御堂部長にかばってもらえるとは思わなかったですよ」
しかしそんな呑気な言葉に、御堂は冷たい眼差しを向ける。
「かばった? 何故、私が君たちをかばわなければならない?」
「えっ……」
「私はあくまでこのプロジェクトの責任者として最適と思われる対応をしただけだ。君達にも当然、相応の責任は取ってもらう」
「……」
キクチの三人が不安げに顔を見合わせる。
プロトファイバーの売り上げ目標を提示されたときのように、今度はどんな無理難題を突き付けられるのかと怯えているのだろう。
けれど御堂が命じたことは、予想に反して至極真っ当なものだった。
「まさか何をすればいいのか分からないなどとは言わないだろうな?  今回のミスで発生した損失を上回る売り上げを出してもらう。それしかない」
「……そうですね」
「まあ、そうだな」
「……」
皮肉めいた言い方ではあったものの、確かにその通りだった。
拍子抜けした様子で苦笑する三人を尻目に、御堂は机に散らばった資料をまとめはじめる。
「分かったのなら、さっさと仕事に戻りたまえ。今まで以上に余裕はなくなったのだからな」
「はいはい」
「では、失礼いたします」
「……」
しかしすぐに退室した二人から離れ、克哉だけがまだ何か言いたげに御堂の傍に立ち尽くしていた。
どうせ彼もかばってもらった、などと生ぬるいことを考えているのだろう。
(馬鹿なやつだ……)
原因など分かっているのに。
克哉がこんなミスを犯すはずがないのだから。
「……なんだ」
「あ、あの……」
「話が無いのなら早く出て行ってくれ。私は忙しい」
「は、はい……失礼します」
克哉が項垂れながら会議室を出ていく。
やらなければならないことは山積みだった。



その日、御堂は夜遅くまで執務室に残っていた。
(今、出来ることはこれぐらいか……)
謝罪に向かった社員の話によると、クラウンマートのほうは比較的穏やかに対応してもらえたようで、今後の取引に大きな支障は残らなそうだった。
問題はユアーズのほうで、販売機会の損失という点であちら側のデメリットが大きく、 今後は優先的に商品を回すという具体的な条件を提示しなければならなくなった。
そのためには全体の生産と出荷スケジュール、コストの見直しを図る必要がある。
やはり今回の損失を埋めるためには、工場での生産ラインを増やしてもらうほかはないだろう。
(仕方ない……)
工場の責任者は大隈だ。
彼と敵対するのは得策ではないが、まったく面子を潰さずにラインの増設要望を通してもらうことは難しく思える。
なんとかうまくバランスを取りながら動かなければならない。
さすがに少々疲労を感じて御堂が思わず目頭を押さえたとき、不意に執務室の扉がノックされた。
「……誰だ?」
この時間ともなれば、社内にはもうほとんど人は残っていないはず。
警戒しつつ尋ねると、返ってきたのは意外な人物の声だった。
「こんばんは。佐伯です」
「……!」
御堂に入るよう促され、克哉はおずおずと姿を現す。
「お疲れ様です。こんな時間にすみません」
「……なんの用だ」
だいたいの予想はついていたが、御堂はあえてそう問い掛ける。
克哉は口ごもりつつ、答えた。
「あの……昼間は本当にありがとうございました。 あそこで御堂さんに助けていただけなかったら、どうなっていたか分かりません。改めてお礼を言いたくて……」
「……」
本当にそんなことだけを言うためにわざわざ訪ねてきたのか。
もっと別に言いたいことがあるのではないのか。
なにか聞きたいことがあるのではないのか。
御堂は苛立ちを覚えながら沈黙する。
けれど克哉は何を続けることもなく、彼もまた口を噤んでしまった。
「……君に感謝されるいわれはない」
先に諦めたのは御堂のほうだった。
どうせ彼も分かっているに違いない。
分かっていながら、それを確かめるために来たのか。
いや―――違う。
それでもなお彼は本気で感謝をしているのだ。
それならば突き付けてやればいい。
どれだけ己が愚かであるかを。
「あれは君のミスではないのだからな」
「……!」
その瞬間の克哉の表情で分かる。
やはり彼も分かっていたのだと。
「発注書の控えを見たのだろう?」
「はい……」
「そうだ。君の発注書は正しかった。入力した数字も間違っていなかった。だが、我が社の工場担当者がデータを取り違えた」
「……」
そう。
発注書を確認するまでもなく、常に慎重で丁寧な仕事をする克哉がそんな初歩的なミスを犯すはずがなかった。
御堂も、大隈も、今回のトラブルの原因がどこにあるのかなどとうに分かっていた。
分かっていて、キクチの責任にしようとしたのだ。
「だが今後も、この件についての詳細が君たちに報告されることはないだろう。 それよりは君たちに責任を押し付けて、切り捨ててしまったほうが丸く収まるからな」
「はい……」
だからといって御堂がすべての後始末を引き受けたのは、決して彼らを庇ったからではない。
克哉に無実の罪を着せることを厭うたからでもない。
そんな綺麗な話ではないというのに。
「……話してくださってありがとうございます。本当のことが知れて、良かったです」
それでも克哉はほっとした様子で力無く微笑むと、またも感謝の言葉を口にする。
御堂は思わず苛立ちを隠せないままに反論した。
「君は馬鹿なのか? たとえ真実がなんであろうとも、表向きは君達が責任を負ったままだ。現状は何も変わらない」
「そうですね……」
「事実を知っても反撃しないのか。君達は今回のことで、我々を糾弾することも出来るはずだ」
「そんな……! そんなことはしません。そんなことをしても意味がありませんから」
「……」
「それに……」
克哉は俯く。
「オレにはそんな資格、ありませんから……」

資格―――?
克哉の呟きが御堂を小さく突き刺す。
資格とは、なんの資格だ。
不正を正す資格がないというのなら、そんなのはお互い様だ。
卑怯な手段で、歪んだ欲望で、なにかを、誰かを自分の思い通りにしようとしているのは誰だ。
君か?
私か?

短い沈黙の後、克哉は気を取り直したように顔を上げると、手にしていた紙袋を差し出してきた。
「お仕事のお邪魔をして申し訳ありませんでした。あの、これ……」
「……?」
反射的に受け取ったそれを見る。
中身はワインだった。
「これは……?」
「今日のお礼です。せっかく教えていただいたのに、ワインのことはやっぱりまだよくわからないんですけど……。 お店の人がおすすめしてくれたものなので美味しいと思います」
「……シャトー・ラフィット・ロートシルトか」
「有名なんですか?」
「ああ。しかし、この年のものは……」
ワインを嗜む者でこれを知らぬ者はいない、五大シャトーのトップとも評されることのある銘柄。
ただしエチケットに書かれているヴィンテージは、天候の関係でやや精彩に欠ける出来と言われる年のものだった。
それでもこのワインの素晴らしさに間違いはなく、値段的にも克哉にとっては決して安くはない買い物だったはずだ。
(これを……)
御堂は克哉の顔をじっと見つめた。
不安げに自分の反応を伺っている彼を見て、御堂は喉まで出かかっていた台詞をぐっと飲みこむ。
「……悪くないワインだ」
御堂の返事に克哉は嬉しそうに微笑み、執務室を後にした。

ひとりになった執務室で、御堂はワインボトルを眺める。
ついいつもの調子でワインに対する評価を述べようとして、思いとどまった。
もしもあのまま続けていたら、さぞかし克哉をがっかりさせたことだろう。
しかし確かに当たり年に比べれば少々味は劣るであろうものの、口にして決して損はないワインだ。
もし君が本当にワインに興味があるのならば、一緒に―――。
「……ふ」
さきほど克哉に対してそんなことを口走ろうとしていた自分を思い出して、御堂は自虐的な笑みを漏らす。
さんざん彼を蹂躙しておいて、今さら何を馬鹿なことを。
我々は一緒にワインを楽しむような、そんな関係ではないだろうに。
御堂はボトルを紙袋に戻す。
己の愚かさを突き付けられたのは、むしろ自分のほうだった。

- To be continued -
2020.11.06

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