鬼畜部長 16

キクチを含めた各所からの問い合わせに対する返答のメールを、ようやくすべて送信し終える。
時刻はすでに日を跨いでいて、さすがの御堂も疲労を感じて溜息を吐いた。

例の出荷ミスの件があって以来、御堂には考えていることがあった。
それは今までの工場の受注システムを見直し、構成し直すこと。
現状のままでは前回のようなミスが再び起こりかねなかったし、 またプロトファイバーが今までにない量の生産数を必要としていることから考えても、これらは絶対に必要な案件だった。
ただし工場に関する権限は御堂にはなく、すべて大隈が取り纏めていため、そこに安易に口を出すことは出来ない。
そのため御堂は外堀から埋めるべく、動き始めていた。
「前回のミスの責任を取る」ことを名目に、御堂自身が工場に直接出向くことにしたのだ。
上役達の糾弾からキクチを逃したのは、これこそが目的に他ならなかった。
そして大隈が責任者でありながら滅多に現場に顔を出さないことを利用し、実情の調査と従業員達からの意見を聞いてまわった。
もちろんその際には、これらが御堂の独断から行われているわけではないと匂わせておくことも忘れなかった。
そうすれば最終的にうまくいったとき、大隈の面子を潰さずに済むだろう。
本来、こういった非効率的とも思えるやり方は御堂の領分ではなかったけれど、今回ばかりはこれがもっとも適した手段だと判断したまでだった。
(まるであいつのようだな……)
キクチの、克哉にいつもくっついている、あの図々しい男を思い出す。
やや不本意ではあったものの、実際に工場側の反応は少しずつ協力的なものに変わってきていて、根回しとしては成功していた。
「……」
御堂はパソコンの中にある、返答を終えたはずのメールをもう一度開く。
内容は長らく入荷数を増やせずにいたスーパーから大幅な追加発注を得られたことの報告と、
それに関する対応について相談したいことがあるというものだった。
メールの最後に署名されている名前は「佐伯克哉」。
相談の内容に関しては、増産の件だろうと予測がついていた。
しかし今の状況から考えると、工場が充分な数を生産できるようになるまでにはまだしばらく時間が掛かる。
その間はなんとか彼らにうまく対応してもらうしかなかった。
克哉達ならば、恐らく大丈夫だろうが―――。
「ふ……」
そう考えて、御堂はふと以前ワインバーに克哉を連れて行ったときのことを思い出していた。
あのとき内河達に克哉を「ビジネスパートナー」だと紹介したのは嫌味のつもりだったけれど、今となっては本当にそうなっているような気がした。
御堂は克哉への複雑で歪んだ感情とは別に、純粋にこのプロジェクトを成功させたいと思っていたし、成功を確信もしていた。
だからこそキクチが予想以上の数字を出してきたのにも関わらず、こちらのせいで売り上げが伸びなかったなどと言われたくはなかった。
そういう意味では、同じ社内の人間でありながらこちらの足を引っ張ろうとしたり、 逆に媚を売ってきたりするような低俗な連中よりもキクチの連中はよほど信頼出来たし、克哉もパートナーと呼ぶに相応しい存在になっているのかもしれない。
けれどそんな認識がこちらの一方通行で自己満足なものであることも、御堂は自覚していた。
「……くだらんな」
自嘲気味に呟いて、帰る支度を始める。
御堂自身が示した期限まで、どうせもうあと少ししかない。
その日が来れば、あらゆる関係は解消され、元に戻るのだ。
ただ、それだけのことだった。

克哉から受け取った今週の報告書に目を通す。
数字は相変わらず右肩上がりで、この勢いはまだ止まりそうにない。
先週の出荷ミスでの損失分を考えても充分おつりがくるほどだ。
だからだろうか、御堂のデスクの前に立っている克哉の表情も、いつもに比べて多少の余裕があるように見えた。
「それで生産数についてなのですが……」
予想通りの内容を切り出されて、克哉が言い終わらないうちに御堂が答える。
「そうだな。このままだと近いうちに供給が追いつかなくなるだろう」
「はい。ですので、ぜひ早急に増産をお願いしたいです。 もしもここで品切れを起こしてしまえば、せっかくの勢いを失いかねないと思います」
「分かっている。増産に関しては前々から検討はしていた」
「そうでしたか。ありがとうございます。そうしましたら、今後の具体的なスケジュールはどうなりますか? 店舗への説明もありますので……」
「増産するには、まずは工場側に……」
話しながら御堂は、自分が克哉と普通に会話していることに気づく。
ついこの間まで、彼をどう貶めてやろうか、どう思い知らせてやろうかとばかり考えていたはずだった。
あんなくだらない自己犠牲に身を投じる程度の男だ、どうせろくな仕事も出来ないだろうと見下していたのだ。
彼がこれほどのポテンシャルを秘めていると最初から知っていれば、今頃は互いの関係ももっと違ったものになっていただろうに。
「ふ……」
つい御堂が笑いを漏らすと、克哉の表情が不安げに曇る。
「御堂部長……?」
「いや。なんでもない」
「でも……」
「気にするな。ただ、このままいけば、あのときに私が示した数字も達成出来そうだなと思っただけだ」
「あ……」
御堂が言わんとしていることが伝わったのか、克哉は視線を外して僅かに俯いた。
「仲間のため、仕事のため、そう思って身を捧げるまでしたというのに、その努力がすべて無意味で無駄なものに終わるとはな。気の毒なことだ」
御堂は克哉を嘲笑した。
自分の能力を見極められず、過小評価したあげくのこのザマだ。
自業自得、愚かなことこの上ない。
少しは思い知ったか。
そう思いながら克哉を見ると―――。
「……」
彼は何故か不思議な表情を浮かべていた。
ぼんやりとしたような、何かを考え込むような。
その予想とは懸け離れた反応に、御堂は一瞬うろたえる。
「……なんだ、その顔は」
「え……?」
「君は悔しくはないのか。あれほどの屈辱に耐えたことがすべて無駄になったんだぞ?」
「悔しい……そう、ですよね……」
克哉は歯切れの悪い口調で呟くと、再び押し黙ってしまう。
何故、悔しがらない。
あんなことしなければよかったと、どうしてこんなことになってしまったのかと、悔やんで、絶望すればいい。
それなのに、克哉はただ曖昧なままに目を伏せるばかりだ。
「……なるほど。やはり君は男に抱かれたくて仕方がないのか」
「ちっ……違います! そんな……!」
「では、なんだ。言いたいことがあるなら、はっきり言いたまえ」
「オレ、は……」
なにも答えようとしない克哉に苛立ちが募る。
悔しがるわけでもなく、快楽に負けたわけでもないというなら、なんなのか。
他に、なにがあるというのか。
(私は何を言わせたいのか)
理由の分からない焦燥感に襲われたとき、克哉が顔を赤らめながら答えた。
「……こ、こんなところでする話じゃないと……思っただけ、です」
「……!」
その言葉にかっと頭の中が熱くなる。
克哉の言う通りだったからこそ、御堂のプライドはひどく傷ついた。
これではまるで彼が「抱かれたい」のではなく、自分が「抱きたい」ようではないか。
「……まあ、いい」
頭の中で何かのスイッチが入る音がして、御堂は一度だけ深く息を吸い込んだ。
「増産するには、まず生産ラインを確保しなければならない。工場側にスケジュールの変更を申請をしても、返事が来るのは来週になるだろう。 次回のミーティングまでには決定出来るようにしておく」
「ありがとうございます」
「だが、そこから実際の生産数に反映されるまで、さらに二週間ほどはかかるだろうな。それまでは現状維持になる」
「二週間ですか……。分かりました、仕方ありませんよね……」
「そういうことだ。そこの電話を使いたまえ」
「はい?」
「キクチに連絡を入れるなら、早いほうがいいだろう」
「あ、はい。ありがとうございます。それでは、お借りします」
克哉はほっとしたように微笑んで、御堂のデスクの上にある電話の受話器を取った。
「……お疲れ様です、佐伯です。片桐課長に代わってもらえますか? はい……」
「……」
電話はすぐに取り次がれたらしく、克哉の意識は完全にそちらに向かっている。
その間に御堂はいつか克哉に使ってやろうと忍ばせていたものをカバンからそっと取り出し、スーツのポケットに入れた。
それから席を立ち、克哉の背後に回る。
(私は何を……)
非常識なことをしようとしていることは分かっていた。
それでも、止められなかった。
克哉を「こんなところでする」ような顔じゃない、顔にしてやりたかった。
少し触れられるだけですぐに反応し、自ら求めてくるような、淫乱な彼の本性をこの場で引きずりだしてやりたかった。
「はい、増産の件で今、御堂部長から……っ?!」
「……」
片桐との通話が始まったのを確信したところで、御堂は克哉の腰を抱き寄せると、自らの身体を克哉の背中にぴったりと寄り添わせた。
耳元に唇を近づけ、吐息を吹きかける。
すらりと伸びた白いうなじからは、微かな整髪料の香りがした。
「……な、なにを……」
「話を続けろ。怪しまれるぞ」
「……っ」
耳たぶに唇で触れながら囁いてやると、克哉はそれだけでふるりと身を震わせる。
その素直な反応が面白くて、御堂は喉の奥で笑った。
手のひらでシャツの上から腰のラインをゆっくりとなぞり、胸板を撫でる。
御堂は克哉の色素の薄い髪に鼻先を埋めながら、ひとつひとつあえて時間をかけて、ワイシャツのボタンを外してやった。
「え、ええ……はい……」
克哉の声と、受話器を持つ手が細かく震えだす。
片桐の話は終わる様子もなく、御堂もまた克哉に触れるのをやめようとしなかった。
抱き寄せている身体の温度が少しずつ高まっていくのを感じる。
スラックスのウエストからシャツを引き出し、完全に露わになってしまった肌に触れると、克哉の膝ががくがくと戦慄きはじめた。
「はっ……は、い……いえ、大丈夫…です……っ……」
そのセリフに御堂は一層愉快になる。
どこまで大丈夫だと言い張れるか試してやろうという気になった。
少し汗ばんだうなじに舌を這わせながら、胸の尖りに触れる。
すでにつんと硬くなっているそれを指先できつめに摘まんでやると、克哉の身体が一際大きく跳ねた。
「んっ……!」
漏れた声に咄嗟に自分で口を抑えるも、呼吸は短く荒いままだ。
確かめるために前に手を伸ばせば、屹立はスラックスの中ですっかり熱を持って猛っている。
「……声を出すな。決して気づかれるなよ」
「……」
本当は声を聞きたかった。
喘がせて、啼かせて、求めさせたかった。
この身体を、好き放題弄びたかった。
こんな場所で、こんな時に、いつ執務室のドアが開くともしれないのに。
克哉は目尻に涙を滲ませながら、御堂に肩越しの視線を向ける。
睨んでいるつもりなのかもしれなかったが、御堂にはその先を強請っているようにしか見えなかった。
腕の中で緩くくねる身体がそれを物語っている。
御堂が克哉のベルトを外すと、スラックスはそのまま足元へと落ちる。
下着の淵を指で辿れば、克哉はますます身を捩った。
(ここに……)
御堂は克哉の双丘の狭間に指を差し入れる。
その奥にある、柔らかく絡みつく熱を思い出して、どこかたまらないような気持ちになった。
(お前の、中に……)
御堂はポケットからローターを取り出す。
それを克哉の双丘に乱暴に押し込むと、すかさずスイッチを入れた。
「ん、あぁ…っ……!!」
とうとう克哉は仰け反って、我慢できずに声を上げた。
瞬時に御堂は克哉から受話器を奪い、平然と片桐に話しかける。
「お電話代わりました、御堂です。ああ、今のは佐伯君がコーヒーを零してしまっただけですからお気になさらず。 それよりも、追加注文があるようでしたら口頭ではなくFAXかメールでお願いします。……ええ、それでは」
強引に話を終わらせ、電話を切る。
床にへたり込んでしまった克哉を御堂は見下ろした。
彼は拳を握り締め、必死で快楽に耐えているようだった。
「立て」
「……」
御堂は自分で動くことが出来ずにいる克哉の腕を掴み、無理矢理立ち上がらせる。
それから雑に身なりを整えてやると、そのまま彼の腕を引いて執務室を出た。

もう認めざるを得なかった。
自分が克哉に執着していることも、仕事中にこんなことをしてしまう異常さも。

狂っているのは誰なのか。
狂わされているのは誰なのか。
この感情はなんなのか。
自分はいったいどうしたいのか。

それでも、今はただ我慢出来なかった。
限界だったのは紛れもなく自分だ。

今すぐにこの男を抱かなければ、気が触れてしまいそうだった。

- To be continued -
2021.03.16

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