鬼畜部長 21

シーツの上に横たわる克哉の蒼い瞳が、覆い被さる御堂をまっすぐに見あげてくる。
熱に浮かされたように潤んだその目は、縋るような、強請るような視線で御堂の心臓を射抜いた。
頬に触れてくる指先も、震える吐息を漏らす唇も、克哉の持つすべてが自分を欲しているのだと訴えている。
今まで何度も他人と肌を重ねてきたけれど、こんなふうに誰かと真正面から向き合ったことは一度もなかったような気がする。
どれだけの言葉を交わしても、それが心の奥の頑なな場所に届くことはなかったし、 どれだけ抱き合っても肉体の快楽を得る以上の感覚を味わうこともなかった。
だから、克哉との関係もそれと同じだと思っていたのだ。
身体を支配すれば心も支配出来る。
相手を屈服させ、服従させれば満たされると思っていた。
それなのに。
「克哉……」
こうして名前を呼ぶのは何度目だろう。
そのたびに彼は蕩けるように微笑みながら、掠れた声で答える。
「はい。御堂さん」
キスを止められない。
さっきから僅かに離れては、名残惜しさにまた重なるのを繰り返している唇はすっかり痺れてしまっていた。
それでも今は少しでも触れ合う場所を増やしていたかった。
薄く柔らかな唇を食み、舌を絡め、吐息を交わらせるだけの行為が、たまらなく胸を熱くする。
くちづけながら背中を撫で、髪を掻き混ぜれば、克哉もそれに応えるように同じく御堂に触れてきた。
けれどその手つきはまだどこか遠慮がちで、恐る恐るといった感じだ。
その不慣れさがかえって愛しくて、狂おしいほどの感情が溢れてきてどうしようもなくなってしまう。
こんなことが本当にあるのだろうかと、自分で自分が信じられなかった。
きっと誰に話しても理解されることはないだろう。
けれど克哉が自分を好きだと告げてきたとき、不思議なくらいに何かがストンと胸の中に落ちたのだ。
ああ、そうだったのか、と。
そういうことだったのか、と納得出来たのだ。
理由なんて分からない。
分からないけれど、もう自分たちはお互いに離れられない存在になってしまったのだと悟った。
そのときはじめて、今まで抱えてきたすべての「何故」という問い掛けに答えが出たと感じたのだ。

どれほどの時間、交わっていただろう。
幾度も繋がり、果てては気を失うように眠って、またくちづけて。
特別な言葉を交わすわけでもなく、ただひたすらに互いを求めて体を重ねあった。
理性も駆け引きも忘れて欲望をぶつけ、溺れた。
そして今御堂はカーテンの隙間から僅かに差し込む光に照らされている、克哉の穏やかな寝顔を見つめている。
(……不思議だ)
まさかこんな日が来るとは夢にも思わなかった。
克哉の顔を見るたびに苛立ちばかりを覚えていたのが嘘のようだった。
「……っ」
やがて克哉の瞼がぴくりと動く。
その様子に御堂は不意に不安に襲われた。
目を覚ませば、もしかして彼が我に返ってしまうのではないかと思ったのだ。
すべては夜の闇が見せた、一時的な感情の昂ぶりに過ぎなかったとしたら?
いわゆる気の迷いだったとしたら?
明るい太陽の光が台風一過の街のように、すべてをまっさらで冷静なものへと戻してしまうかもしれない。
そんなネガティブな考えが僅かに過る中、克哉がゆっくりと目を覚ます。
「……御堂、さん」
しかし名を呼ばれた瞬間、御堂の不安の一切は消し飛んだ。
柔らかく笑んだその表情と、御堂を見つめる瞳には間違いなく好意が含まれていたからだ。
そのとき御堂は、今までこんな不安さえ感じたことがなかったのだと気づいた。
「……身体は大丈夫か?」
散々弄んでおいて、愚かな質問だとは思う。
それでも鼻先が触れる距離で御堂が尋ねると、克哉ははにかみながら答えた。
「大丈夫、です」
「そうか」
「……」
「……」
沈黙が落ちる。
目覚めて気持ちが変わるということはなかったけれど、気恥ずかしさのようなものは確実にあった。
「……えっと、あの、ただ」
「なんだ」
「ちょっと喉が、乾いたかもしれません……」
「分かった」
起き上り、ベッドを降りる御堂の後に続こうとする克哉を、御堂は制止する。
「私が持ってくるから、君はここにいたまえ」
「でも」
「いいから言うことを聞け」
「……はい」
ガウンを羽織り、キッチンへと向かう。
妙に落ち着かないのは、柄にもなく緊張しているのかもしれなかった。

水を持って戻ると、克哉はベッドの上に起き上っていた。
渡したミネラルウォーターを受け取ると、蓋を開けて口をつける。
その喉が動くのを見ているうちに、凪いでいたはずの身体の奥が再びざわついてくるのが分かった。
「あっ……」
零れた水が、克哉の顎から首へと伝う。
御堂はたまらずベッドに乗り上げると、克哉に手を伸ばした。
「み、御堂さん。水が零れます」
「今更だな」
「それは……」
雨とシャワーでずぶ濡れになったままの身体をここで抱いたのだ。
水が零れるぐらい、どうということもない。
御堂は克哉の喉元に唇を寄せると、肌の上をゆっくりと伝っていく雫を舌先で掬い取る。
その僅かに触れるか触れないかの感触だけで、克哉はぶるりと身体を震わせた。
「……まさかこれだけで感じているのか?」
「ち、違いますっ……」
意地悪く尋ねれば、克哉は顔を赤くして否定する。
その表情が御堂の嗜虐心を煽った。
雫が濡らした跡を下から上へと逆方向に舌で追えば、やがて克哉の唇へと辿り着く。
軽く触れるだけのキスを落とすと、熱を持った吐息が漏れ、顔を上げれば物足りなさそうな視線とぶつかった。
「……どうした?」
「っ……」
「言わなければ分からない」
御堂は克哉の手からペットボトルを取り上げ、サイドテーブルに置いた。
濡れた唇を親指でなぞってやりながら、潤んだ瞳を覗き込む。
(さあ、早くねだれ)
求めたいだけ求めればいい。
こちらも奪えるだけ奪ってやる。
けれど克哉はなかなか口を開かない。
何かを言おうとしてはやめるのを繰り返す様子は相変わらずだ。
(昨夜はあんなにも言いたい放題だったくせにな)
バスルームでの克哉を思い出して、御堂は少しだけ笑った。
すると克哉が少し拗ねたように言う。
「……わ、笑わないでください…」
「笑われたくないのなら、さっさと本当のことを言えばいい」
御堂がさらに身体を乗り出す。
ベッドが軋む。
克哉の赤くなった耳たぶにわざと唇で触れながら、囁く。
「……また、欲しくなったんじゃないのか?」
「!!」
その瞬間、耳たぶだけでなく首筋までが赤く染まる。
そしてようやく克哉が震える声で答えた。
「御堂、さん……したい、です……」
克哉が言い終わるやいなや、御堂は克哉の手首を掴んでベッドに押し倒す。
圧し掛かり、首筋に顔を埋め、噛みつくようにくちづけた。
裸の胸と胸が重なって、激しい鼓動を伝え合う。
手を這わせ、克哉の下半身を覆っていたブランケットを捲ると、すでに硬く勃ちあがっているものに触れた。
「もうこんなにしているのか」
「っ……」
恥ずかしさに腕で目元を隠しながら、克哉が顔を背ける。
嵐のように獰猛な欲望が、再び湧き上がってくるのを感じた。
「克哉……」
克哉の肌のあちこちに散りばめられた所有の証。
それでもまだ足りないとばかりに御堂は克哉の白くて薄い皮膚を幾度も吸い上げる。
ときには歯を立てもした。
意識して我慢しなければ、その肌を食いちぎってしまいそうだった。
「御堂、さんっ……」
痛いぐらいが気持ちいいのだろう。
握りしめた克哉の屹立の先端からはとろとろと蜜が溢れてくる。
わざと緩く手を動かせば、克哉の腰が焦れたように揺れた。
「あっ……や、だ…もっと……」
「もっと……なんだ?」
「も、もっと……強く……」
声を振り絞り、懇願する。
そんな克哉のおねだりを無視して乳首を軽く噛んでやると、びくんと身体が跳ね、胸を反らしながら克哉が喘いだ。
「あっ……! だ、め……やだぁ……」
無意識に股間に伸びてくる手を、御堂が振り払う。
「自分で触ろうというのか? ダメに決まっているだろう」
「あ……だ、って……もう……」
「もう?」
「もう……我慢、出来ません……」
克哉の声が泣き声になってくる。
もっとだ。
もっと求めろ。
御堂はあえて手の動きを止めた。
「我慢出来ないと、どうなるんだ?」
「う……」
とうとう欲望が羞恥を上回ったのだろう。
克哉はまるで御堂の手で自慰をしているかのように、腰を突き上げる。
今にも弾けそうなほどに猛った克哉自身が、御堂の手の中でぐちゅぐちゅと音を立てた。
「あっ……ん…は、ぁっ……!」
「イきそうか?」
「は…い……いき、そうっ……」
「ふっ……」
「……!」
克哉の身体が緊張し、シーツをきつく握り締めた瞬間、御堂はぱっと手を放す。
いきなり中断された快楽に、克哉は情けなく震えながら目を見開いた。
「あっ…! ど、ど、うして……」
「当然だろう。君だけ気持ちよくなろうだなんて許さない」
「あ……あ、あぁっ……!」
御堂は克哉の両足を抱え上げると、露わになった後孔にずぶりと己を突き立てた。
昨夜幾度も侵されたその場所はすっかり柔らかくなっていて、すんなりと御堂を飲み込む。
それでも変わらない圧迫感と、同時に訪れた待ちかねた快楽とに翻弄されて、克哉の目尻から涙が零れた。
「あっ、み、ど、御堂、さん……!!」
「っ……」
けれど翻弄されているのは御堂も同じだった。
優位を保っているかのような物言いをしていても、この快楽に溺れているのはお互い様だ。
絡みつき、決して離さないとばかりに締め付けてくる克哉の中の熱に、頭がくらくらしてくる。
腰を掴み、激しく彼を突き上げながら、御堂も次第に余裕をなくしていった。
「はっ…は……克哉……克哉……っ」
「御堂、さん…」
駄目だ。
このままではすぐに達してしまう。
そう思うのに、止められない。
セックスを知ったばかりの青年のように、ただ無我夢中で快楽を貪る。
射精することしか考えられなくなる。
「克哉……もう……」
「オレ、も……」
「あっ……っく……!」
律動は激しさを増し、水音と肌のぶつかる音が大きくなっていく。
そしてひときわ奥を突き上げた瞬間。
「―――!!」
呼吸が止まり、焼けつくような熱が克哉の中に放出された。
目の前が真っ白になるほどの快感が全身を支配して、御堂はただその悦楽に震える。
同時に克哉の身体もびくびくと痙攣して、白濁した精を自身の肌の上に飛び散らせていた。
「あ……はぁ、はぁ……」
御堂は絶頂の余韻を味わいながら克哉の上に倒れ込むと、乱れた呼吸もそのままに克哉にくちづける。
克哉もまた朦朧としながらもその愛撫に答え、舌を絡めてきた。
くちづけはやはり止まらない。
やがて克哉の中に収めたままの御堂自身が再び克哉を求めはじめるまで、それほど時間はかからなかった。



(……まったく、呆れたものだな)
シャワーを出て、乾いたタオルで全身を拭うと、洗面所の鏡に映った自分自身の顔を御堂はまじまじと見つめた。
この週末の休日の間、御堂と克哉はほとんどベッドから出なかった。
カーテンを開けることもせず、キスとセックスを繰り返し、短い眠りから目覚めてはまた互いを求め合って過ごした。
克哉が眠っている間にスーツをクリーニングに出したり、簡単に取れる食事を用意したりもしたが、 それすらも少しでも長く彼とベッドで過ごせるようにという邪な考えからした行動だった。
余計なことに時間を使いたくなかった。
克哉の気持ちを、そして自分の気持ちを確かめたかったのかもしれない。
そうして呆れるほどに愛撫を交わしあった結果、分かったのは「彼を絶対に離したくない」という執着とも呼べるほどの強い感情だった。
恋と呼ぶほど幼くはなく、愛と呼ぶほど綺麗でもない。
けれど自分はきっとあの佐伯克哉という人間を、生涯手離すことはしないだろうという確信だけはあった。
(克哉……)
心の中でその名前を呟くだけで、胸のうちが熱くなる。
これから仕事だ。
いつまでも欲に囚われている場合ではない。
御堂は気持ちを切り替えるように大きく深呼吸をすると、バスルームを出た。

コーヒーだけの朝食を済ませたあと、身支度を終えた克哉がおずおずと声を掛けてくる。
「あの……準備、出来ました」
「そうか」
御堂は読んでいた新聞を畳み、テーブルに置いた。
それから立ち上がり、足元にあったカバンを手に取る。
「君は一度キクチに出社するんだったな」
「はい」
「今日はミーティングがある。遅れないように」
「はい……」
克哉の返事は歯切れが悪く、なにか言いたいことがあるのは明確だった。
御堂は克哉の顔を見る。
「なんだ?」
「あの……プロトファイバーの件はどうなるんでしょうか……」
「……そのことか」
そのとき御堂は自分が少々鼻白んだことに、自分でがっかりしていた。
先に仕事の話を振ったのはこちらなのだから、克哉がそれに関係したことを尋ねてくるのは自然な流れなのに、 今の彼にとっての一番の気がかりはそれなのかと拍子抜けしたのだ。
もっと他に言いたいことはないのかと、理不尽に責めたくなった。
これからの互いの関係を不安視しているのは自分だけなのかと―――。
「それなら、今日のミーティングで分かる」
「で、でも」
「行くぞ」
仕事の話は会社ですればいいことだ。
それよりも御堂はポケットの中に忍ばせているもののことだけを考えている。
これを渡すべきか。
まだ時期尚早か。
「……」
玄関に向かう途中で、御堂はぴたりと足を止めた。
これだけ幾度も身体を重ねて、人には言えないようなことまでしておいて、今更なにを躊躇っているのか。
いや、仕方がない。
今までこんなことなどしたことがないのだから。
けれどこの機を逃したら、自分たちの距離はまた開いてしまうかもしれない。
必要以上に謙虚な彼のことだ、きっといろいろなことを曲解して、遠慮して、卑下して……。
ああ、冗談じゃない。
「……」
「御堂さん?」
突然振り返った御堂を、克哉が不思議そうに見つめる。
御堂はポケットから薄くて冷たいそれを取り出すと、なかば無理矢理克哉の手に握らせた。
「これを、渡しておく」
「えっ? え?」
「行くぞ」
それがこの部屋のカードキーであることぐらい、さすがの克哉もすぐに理解するだろう。
そしてそれを渡したことがなにを意味しているのかも。

それから御堂はもう克哉を振り返らなかった。
彼の反応を見るのも、自分の顔を見られるのも嫌だった。

- To be continued -
2024.04.17

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