鬼畜部長 19

そこからはまさに時間との闘いだった。
役員会議では事前に大隈に見せた資料から大幅に修正を入れた真実の資料を配布し、先日の出荷ミスが起きた原因はMGNの工場側にあったことを告発。
加えて再発防止のための改善策の提案を行った。
当然、上層部はいい顔をしなかったものの、御堂の揃えた証拠とも呼べる資料に異論を挟む余地は一切無く。
工場の受注システム改善まで引き続き御堂が全責任を負うと宣言したところで、会議は早々にお開きとなった。
要は上の連中もやや面倒になったのだろう。
確かに大きなミスではあったものの、プロトファイバーにはその損失を上回る売り上げと勢いがあったし、 ならば御堂にすべてを押しつけて丸く収まるのであれば、方法はなんでも構わなかったのだ。
しかし子飼いの部下に面子を潰された形になった大隈だけは、そういうわけにはいかなかった。
「好きにしたまえ。ただし、私は一切協力するつもりはないからな」
会議のあと、怒りを押し殺したような声でそう告げてきた大隈は、実際にその日からあからさまに御堂を軽んじるような態度を取り始めた。
そうなるであろうことは始めから予想はしていたけれど、 プロジェクトの他のメンバーにまで不利益が及ぶことだけは絶対に避けなければならない。
そうして御堂は周囲から憐れみと好奇の視線を向けられながら、早急に事を進めるため、一人社内を奔走することとなったのだった。

受注の流れを改善すればラインの稼働率は上がり、結果的にプロトファイバーの増産も可能になる。
ただしその為には一定の日数、生産を停止する必要もあった。
その間、各小売店にどう対応するか。
今の勢いを失わずに増産まで持ちこたえるにはどうすればいいのか。
前もってある程度の根回しはしていたものの、それを叶えるのは容易いことではなかった。
日中は工場と他部署の調整に文字通り走り回り、頭を下げ続けた。
オフィスに戻り、事務処理に取り掛かるのは定時をとうに過ぎた時刻。
大量に送られてくるメールの中に「キクチ」の文字を見つけては、優先的に確認をした。
キクチとの定例ミーティングに出ることも出来なくなったため、やり取りはメールのみとなったが、 増産について確実な返事をするまでにはなかなか至らず、それ以外の案件にのみ簡潔な返信を送るしかなかった。
それらをすべて終わらせてから、ようやく自宅に帰る。
シャワーと着替えを済ませ、僅かな睡眠時間を得る日々。
それでも後悔や疲労を感じることはなかった。
この商品を、このプロジェクトを成功させる。
頭にあるのは、ただそれだけだった。

それでも―――。
夜、眠りに落ちる瞬間に思い出すのはいつも同じ男の顔だった。
佐伯克哉。
彼の顔を見なくなって、何日が経ったのかは分からない。
ただ、もう随分と会っていないような気がした。
そのことに向こうはさぞかし安堵しているだろうと思うと、自嘲気味の笑みが漏れる。
しかし仕事に関してのみいえば、こんな中途半端な状態で営業を続けさせられていたら、克哉以外を含め、かなりのモチベーションを失っていてもおかしくはないはずだ。
けれど、そう考えれば考えるほどに彼の顔が思い浮かぶ。
普段はおどおどと自信無さげなくせに、ときどき酷く大胆なことをやってのける彼ならば―――あの日、私から仕事を奪っていったように――― なにかしらの策を成しているのではないかという、根拠のない期待が御堂の中に確かにあった。
それを信頼と呼んでいいのかは分からない。
けれど、そんなふうに考える自分自身に御堂が一番驚いていた。



その日、御堂はようやく人心地ついたところだった。
増産ラインの調整はほぼ終了、その後の販促プランも整った。
生産を一時的に中止したうえでCMを増やす予定を前倒しにし、人気がありすぎるために品薄であることを強調していく手法だ。
目新しいやり方ではないにしても、話題になっている今ならば効果は高い。
売り上げを今の三倍にするという約束で、大隈にもなんとか許可を取り付けた。
増産後は定番商品として定着させることを目標に、動向を注意深く見ていくことになるだろう。
新しいフレーバーの生産予定も当然視野に入れてある。
プロジェクトは成功し、そして―――。

(雨、か……)
車のフロントガラスにぽつぽつと落ち始めた雫は、御堂がちょうどマンションの前に着いた頃にはかなりの勢いを増していた。
すでに二十三時に近い時刻の空は真っ暗で、星ひとつ見えない。
地下の駐車場に入るため、一旦建物の前を通り過ぎる。
そのとき視界の端に映ったものに、なにか違和感を覚えた。
(今のは……)
植込みの辺りに人がいたように見えたのだ。
雨が降っているにも関わらず、傘も差さずに立っていた。
若い男性だったようだが、見間違いだろうか。
御堂はそのまま駐車場に車を入れる。
本来ならばそこからエレベーターで直接部屋へ向かうところだったが、どうしてもさっきの光景が引っかかった。
確信はなかった。
けれど無視も出来なかった。
もしかすると心のどこかで、それを望んでいたのかもしれない。
確かめて、違っていればそれでいい。
けれど、もし違っていなかったら。

御堂はエントランスからさきほどの場所に目をこらす。
確かに誰かがいた。
雨に濡れながら、スーツ姿で俯き、立ち尽くしている。
目を疑った。
けれど疑う余地もなかった。
見間違うはずもない。
それは、紛れもなく。
(馬鹿な……)
週明けにはキクチとのミーティングがあり、今回は御堂も出席することになっていた。
その予定に関してはすでにメールで連絡をしてあるから、彼も把握しているはずだった。
急ぎでない用件であればそこで済ませればいいし、急ぎであるならば会社のほうに来るべきだろう。
それなのに、彼はそこにいる。
仕事の用事でないのなら、何故。
何故、佐伯克哉はそんなところにいるのか。

柄にもなく、鼓動が速まる。
このまま終わるのだと思っていた。
うやむやに、曖昧なままに、なし崩し的に終わればいいと思っていた。
佐伯克哉という人間が自分にとってなんだったのかなんて、答えを出す必要はない。
考える必要すらない。
今までどおりの日常が戻ってくれば、もう彼に苛立つこともなくなる。
あれはきっと一時的な感情の嵐のようなものだったのだ。
それで、いいのだと思っていた。

けれど、御堂はその場から動けなかった。
見て見ぬふりをすることも出来たはずなのに、彼もまた御堂と同じようにそこから動こうとしなかったから。
「何故……」
幾度も問い掛けてきた言葉が唇から零れる。
彼はいつも御堂にとって理解出来ない存在だった。
そんな彼と関わっていくうちに、御堂は自分自身までも分からなくなることがあった。
何故。
何故。
何故。
そのとき御堂が感じていたのは、恐怖だったのかもしれない。
何かしらの答えが出ることへの恐怖。
そのとき自分は何かを失うのか。
それとも何かを得るのか。
どれだけ恐ろしくても、きっとこのままにはしておけない。
彼も、自分も、このままでは何処へも行けない。
少なくとも彼はこうして御堂の前に現れた。
それならば自分もまた覚悟を決めるべきなのだろう。

御堂は深く息を吐くと、エントランスを出て彼のもとへと向かった。
佐伯克哉のもとへ。

- To be continued -
2022.08.19

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