鬼畜部長 03

「それで、本当に大丈夫なのかね? その8課とやらは」
大隈はデスクの向こうから、不信感を露わにした目つきでじろりと御堂を睨みつけた。
先日の説明で納得してくれたのだとばかり思っていたのだが、恐らくその後にまたいろいろと余計なことを吹き込まれでもしたのだろう。
用件があって大隈の執務室を訪れたのは御堂のほうだったのに、部屋に入るなり話を始めたのは大隈のほうだった。
それでも面倒臭さを堪えて、御堂は薄い笑みを作ってみせる。
「勿論です。彼らには何としても結果を出してもらいます。例の条件もあることですし、彼らも死に物狂いにならざるを得ないでしょう」
目標を達成出来なければ全員解雇になるのだ。
まさに背水の陣、彼らには結果を出す以外に助かる道は無い。
しかしこちらは彼らでなければならない理由などないのだから、いつでも選択肢を変えることが出来る。
どう転んでも、こちら側が有利なのだ。
「ですから、ご安心ください」
御堂はそう毅然と答えたが、それでも大隈は険しい表情を崩さなかった。
ふん、と鼻から息を吐き出しながら棘のある口調で答える。
「だが、万が一にも失敗すれば誰が責任を取ることになるのか……それは分かっているんだろうね?」
脅すような言葉に一瞬、御堂は失笑しそうになった。
まさかそんな当然のことを改めて聞かれるとは思わなかった。
「……無論、承知しております」
このプロジェクトの全てを任されているのは他の誰でもない、御堂だ。
全ての権限があり、同時に全ての責任がある。
だからこそ、こうして大隈にあれこれ口を出される謂われもないはずだ。
御堂は腕の時計を見た。
さっさと肝心な話をしなければ、ミーティングの時間になってしまう。
「プロジェクトの責任者として、必ずやご期待に沿う結果を出すことをお約束致します。 つきましては、生産ラインの調整の件ですが……」
「ああ、分かっている」
御堂がそれについて切り出した途端、大隈は身体ごと御堂から顔を背けてしまう。
この話はしたくないと言わんばかりだ。
実際、そうなのだろうが。
「生産ラインを増やすことについては検討中だ。だが、それにはこの商品が将来的にどれぐらいの数で定着するのかを、ある程度見極められるようになってからでないと難しい。 今のところはまだ、なんとも言えんな」
「……分かりました。それでは、引き続きご検討のほど宜しくお願い致します」
「ああ」
「では、失礼致します」
御堂は頭を下げ、大隈の部屋を後にする。
そして廊下に出て一人になると、それまでの笑みを消して眉間に皺を寄せた。
8課に厳しい数字を突きつけたはいいが、このままのペースではそれを達成する前に商品が足りなくなる恐れがある。
発売までの期間が短すぎた為、生産ラインを充分に確保出来なかったのだ。
ラインを増やすには工場の責任者である大隈に頭を下げるしかないのだが、しかし大隈はわざとのらりくらりとその要求を躱し続けている。
サンライズオレンジの件もあって慎重になっているのか、ただ単に御堂に対する牽制なのか。
そもそも大隈は御堂を買ってはいるらしいが、どうも完全に信用しているわけではないようだった。
御堂自身もそれを感じていたけれど、どうせ御堂も大隈を心から信頼しているわけではないからお互い様だ。
MGNの実力主義な社風を御堂は好んでいる。
しかしそこには社員同士の騙し合いや派閥争いなど、そういった一見くだらないしがらみもまた確かに残っているのだった。

御堂がミーティングの為に会議室に入ると、キクチの8課所属社員七名全員がそこに顔を揃えていた。
当然、例の男―――佐伯克哉もいる。
一瞬だけ目が合ったものの、彼はすぐに怯えたように目を逸らして俯いてしまった。
その時点で既に御堂は苛立ちを感じていたが、まずは席に着くと、片桐から渡された営業報告書にざっと目を通してみた。
(駄目だな―――)
並んでいた数字はある意味予想通りだった。
しかし、予想通りでは駄目なのだ。
営業が始まってからの期間、商品の持っている力、MGNというブランド、全てをトータルして考えたときに、この数字はあまりに予想通り過ぎた。
けれど会社が求めているのは予想以上の売り上げなのだ。
三ヶ月という驚異的に短い期間の中で、通常予想される数を遥かに上回る数字を出さなければならない。
『失敗すれば……分かっているんだろうね?』
さきほどの大隈の不快な目つきと声を思い出して、御堂はぎりと奥歯を噛み締める。
この数字では生産ラインの件で大隈を動かすのはまだまだ難しいだろう。
「……この程度か」
御堂は吐き捨てるように言いながら、報告書をわざと乱暴に机の上に放り出した。
張り詰めた空気の中、居並ぶメンバーの顔を見渡せば緊張しきった様子の克哉がやはり目に留まる。
さっきから課長である片桐がぼそぼそと言い訳をしているようだが、御堂の耳には入らなかった。
「まだ発売間もないことを考慮に入れたとしても、あれだけの商品をこの程度しか捌けないなど有り得ない。君達は本気でこれを売る気があるのか?」
「勿論です!」
本多―――だったか。
あの騒々しい男が早速身を乗り出してきて叫ぶ。
うんざりして首を振る御堂を他所に、本多は胸を張って言った。
「みんな、これ以上無いぐらいやる気になってますよ。それにこの数字だって、この程度呼ばわりされるようなものじゃないと俺は思います!」
「ほう? その根拠は?」
「消化率とリピート率ですよ。仕入れてくれた店からは、日を置かずすぐに再発注が入ってる。受注数も確実に増えているじゃないですか。この調子なら、きっと……」
「……なんだ。そんなことか」
「なに……?」
御堂は本多の言葉を遮ってせせら笑った。
「我が社の新商品なのだから、受注数も消化率もこれぐらいはあって当然だ。君達はまだ商品の持っている力に甘えているに過ぎない。だから本気で売る気があるのか?と聞いたんだ」
「っ……!」
本多は悔しげに唇を噛み、他の連中もまた神妙な顔で黙り込んだ。
実際にはまだCM広告も打っておらず、メディアに取り上げられてもいない中での営業としては決して悪くない数字ではあった。
だが、それでも御堂には満足出来ない。
あれほどの啖呵を切っておきながら、この数字では納得出来ない。
あのとき味わわされた屈辱の代償がこれでは、とてもじゃないが気が済まなかった。
御堂はもう一度、克哉に視線を送る。
何か言いたげなようでいながら、それでもまだ口を開く気配のない彼に御堂は苛立った。
こんな事態を引き起こした原因の一端は間違いなく彼にあるというのに、何故何も言おうとしないのか。
このまま沈黙を続けて、ただこの場をやり過ごそうとでも思っているのか。
反論はないのか。
御堂は更に続けた。
「どれだけ商品が優れていても、売り方を間違えば売れるものも売れずに終わる。悪いが、この報告書からは不安要素しか見えてこない」
「……俺達に問題があるとでも?」
「そうだ。分かっているんじゃないか」
今にも爆発しそうになっている本多を更に煽るかのように、御堂は薄ら笑いを浮かべる。
いや―――本当は違っていたのだろう。
御堂の挑発は無意識に別の人間に向けられていたものだった。
「だいたい、この場を見ただけでも君達が如何に非効率的にしか動けないのかがよく分かる。よりによって課の七名全員でやってくるとは思わなかった」
「それは、あんたが……! いや、御堂部長が全員集まるようにと仰ったんじゃないですか!」
「必要な人間は全員、と言ったんだ。8課は今、誰もいない状態なのか?」
「い、いえ……他の課の方に留守番を頼みました……」
それ見たことかと御堂はわざとらしく肩を竦める。
「馬鹿々々しい。そこまでして全員がここに揃うことにどんな意味がある? もう少し頭を使いたまえ」
「こ、の……!」
「本多!」
そのとき、ようやく克哉が声を上げて本多を止めた。
「本多、落ち着けってば!」
「けど……!」
「いいから! ……営業はまだ始まったばかりなんだぞ。これからもっと頑張って、ちゃんと御堂部長に認めてもらえるような結果を出せばいいじゃないか。な?」
「……分かったよ」
克哉は本多の上着の裾を引っ張りながら、そう言い聞かせる。
その説得に本多もまた仏頂面のままではあったものの、浮かせていた腰を下ろした。
「……」
「……御堂部長?」
戸惑ったように名前を呼ばれて御堂は我に返る。
どうやら克哉の言葉に対する憤りが顔に表れていたらしい。
それにしてもやっと口を開いたかと思えば、反論でもなければ建設的な意見でもなく、ただ綺麗事を並べ立てるだけとは恐れ入った。
しかも、なんだあの言い草は。
殊勝な態度を取っているようでありながら、まるで他人事ではないか。
表面だけを繕って、健気な振りをして。
本多のようにただ喚けばいいというものでもないが、怒りも悔しさも見せない彼の態度には彼自身の心がまるで感じられなかった。
御堂は軽蔑の眼差しで克哉を見る。
「だいたい君は他人を窘めている場合なのか? そもそもが自分達に任せてくれれば間違いないと言い切ったのは君だったはずだが。まさか、その大口に見合った結果がこれだとは言わないだろうな?」
「そ、それは……」
「頑張るだの、結果を出すだの、口で言うだけなら誰にでも出来る。とにかく、それを早く形にして見せてくれたまえ。君達がするべきことは、それだけだ」
「はい……」
克哉がしょんぼりと俯く。
重苦しい空気を漂わせたまま、御堂はその日のミーティングを終了した。

「……あれが例のキクチの連中か」
しばらくして自分の執務室に戻る途中、不意にその単語が耳に飛び込んできて御堂はぴたりと足を止めた。
声はフロア突き当りにある休憩スペースから聞こえてくる。
話しているのは同じ商品開発部の社員二名だ。
どうやら彼らが覗き込んでいる窓の下に、ミーティングを終えて帰る8課の姿があるらしかった。
「プロトファイバーの営業をさせろって、向こうから乗り込んできたんだって? よくやるよな」
「だよな。しかもキクチでは評判の落ちこぼれ部署らしいじゃん」
「へぇ。それでよく御堂部長が許したな」
「それがさ、なんと……目標達成できなかったら全員クビにするって条件付けたんだってさ」
「は?! マジで?! うっわー……エグいなぁ……」
「まぁ、あの人だったらそれぐらいしても不思議はないけどな」
「ああ~。ライバルだった同僚を陥れて、部長の座を掴んだってやつだっけ?」
「そうそう、それ。いやぁ、怖い怖い。あの人だけは絶対に敵に回したくないよ」
「まったくだな」
そんなことを言いながら、彼らは低い声で笑う。
「……」
御堂はその場を立ち去った。
何も知らない他人から好き勝手言われることには、とうに慣れていた。
否定も肯定もする意味を感じないから、したことはない。
怒りも悲しみも苛立ちも、何の感情を抱くこともなかった。
ただ、そのとき―――。
御堂の脳裏に、さきほどのミーティングでの克哉の姿が過ぎった。
彼が怒りも悔しさも見せなかったのは何故なのだろうかと、そんな疑問がぼんやりと浮かんでは消えていった。

- To be continued -
2015.10.01

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