暗夜情火 拾参
本城はまるで克哉が来るのを待っていたかのようだった。
こんなに夜遅くに突然やってきたというのに少しも驚いた様子を見せず、
それどころか微笑みさえ浮かべて克哉を部屋の奥に招き入れようとしたが、しかし克哉はそれを素っ気なく断った。
そんな本城の態度に、克哉の予感は確信へと変わる。
やはりこの男は今回の件に関わっているのだと。
「……それで、何が聞きたいの?」
白い息を弾ませながら、戸さえ閉めたものの寒い店先に突っ立ったまま睨みつけてくる克哉に、本城は苦笑混じりで尋ねた。
「あなたは分かっているはずです」
「御堂のことだよね」
「……っ」
あっさりと孝典の名前を口にされて、思わず克哉の頭の中が熱くなる。
しかし、ここで冷静さを失ってはならない。
克哉は大声を上げて本城を責め立てたくなるのを、ぐっと息を飲んで堪えた。
それなのに、せっかくの努力もすぐ無駄になってしまう。
「聞いたよ、御堂が同心達に連れて行かれたって。なんだって御堂が……」
「!! それは、あなたが……!」
まるで他人事のように言う本城に、せっかく飲み込んだと思った怒りがまた溢れ出す。
握り締めた拳が震え、息が苦しくなる。
これでは駄目だ。
もっと冷静に、隙無く、追い詰めていかなければならない。
克哉は大きく深呼吸をしてから、改めて口を開いた。
「あなたが……あなたが、仕組んだことじゃありませんか」
押し殺した声でそう突きつけ、本城を真っ直ぐに見た。
その視線を受け止めた本城は眉尻を下げて小さく溜息を吐くと、僅かに項垂れながら呟いた。
「……やっぱり、そう思われてたんだね」
その言葉に、克哉は奇妙な違和感を覚える。
ここは当然、本城がとぼけているのだと思うべきところのはずなのに、何故かそうではないような気がしたのだ。
(―――駄目だ)
こんなことで揺らいではいけない。
迷えば、孝典を助けられなくなる。
しかし必死で自分を諌める克哉を本城もまた真っ直ぐに見つめ返すと、きっぱりとした口調で言った。
「君が疑うのも無理は無いが、御堂のことをたれこんだのは誓って俺じゃない」
「……!」
気迫さえ感じさせるその物言いに、思わず克哉はたじろいだ。
いったい、どういうことなのだろうか。
てっきり本城が孝典を陥れる為にしたことだと思っていたのに、それとは別の誰かが関わっているというのか。
困惑しはじめた克哉の前で本城は腰を下ろすと、顔の前で両手を組んで話しだした。
「香沙草を売り捌いていたのは確かに俺だ。けど、それを御堂になすりつけたりはしていない。
俺はあれがそんなにやばい品だったなんて知らなかったんだ」
「あなたがオレに使った薬……あれが香沙草だったんじゃないんですか?」
「……そうみたいだな」
「だったら……!」
「だから、違う!」
意外にも、そこで初めて本城は焦りにも似た表情を見せた。
「俺だって……俺も騙されていたんだ! まさか、まさか、こんなことになるなんて思わなかった……」
「……」
本城は悔しげに言いながら、頭を抱えて背中を丸める。
ずっと虚勢を張っていただけだったのか、そこには今まで彼が見せていた余裕のようなものは微塵も感じられなかった。
けれどそんな本城の姿を前にして、克哉はどんどん冷めていく。
たとえ本城が騙されていたのだとしても、それは薬種について不勉強だった故の自業自得なのだろうし、同情する義理も無い。
ただ、孝典を巻き込んだことだけが赦せないのだ。
犯人が誰であろうと孝典の濡れ衣を晴らすことさえ出来ればそれで良かったし、あとはそちらで勝手にやってくれという気持ちだった。
すっかり冷えきった頭の中で、克哉はもう一度考えを巡らせる。
恐らく孝典は昨日のうちに既に厳しいお調べを受けていることだろう。
たとえ孝典が否定したとしても、同心がそれを信じてくれるかは分からない。
真犯人がどんな人物なのかは知らないが、無関係な他人に罪を被せようとするぐらいだから彼らに賄賂を握らせている可能性もある。
そう考えると、孝典を救うにはやはり本城を番屋に向かわせて真実を話してもらうほかはなかった。
しかしそれは同時に本城自身をも不利な立場にしてしまうはずだ。
騙されていたのが本当だとしても、なんらかの罰を受けることにはなるに違いない。
自らの罪を問われることになってでも真実を白状する気にさせるには、相応の手段を取る必要がある。
それが多少、卑怯な手段であってもだ。
―――これは、最後の切り札だ。
克哉は着物の上から手を当てると、懐の中にある固いものの感触を確かめる。
出来れば使わずに済ませたい。
それならば、まずは本城の良心に訴えかけようと克哉は思った。
本城の言葉を信じるのならば、無実の罪で捕らえられた孝典に対して多少は気が咎めているに違いない。
元々友人同士であったのならば尚更だ。
克哉は懐から手を離すと、袂から一通の書状を取り出した。
「本城さん。これに見覚えはありますか?」
「……?」
差し出した書状を受け取った本城は、その紙を開くと書かれた文字を追う。
読み進むにつれ、彼の顔は険しく歪んでいった。
「……やはり、ご存じ無かったのですね」
「こんな……嘘だ……」
それは克哉が蔵で見つけた、御堂屋から本城屋に金を貸したことを記した借用書だった。
署名は孝典と本城の父親、日付は二年程前になっている。
しかしそれが普通の借用書と大きく違っていたのは担保も利子も、くわえて返済期限までも無シと記されていることだった。
要するに書面を交わしたのは建前であって、孝典には返してもらおうという気が端から無かったのであろう。
二年前ならば、既に孝典と本城の交流は途絶えていた頃。
その時期に孝典は本城屋に金を貸していたのだ。
「似た内容の借用書はまだ幾通もあるようでした。
……本城さん。旦那様はあなたの知らないところで、あなたを助けていたんじゃありませんか?」
「……っ」
本城の手に力が入り、借用書にぐしゃりと皺を寄せる。
彼と孝典の間に具体的にどんなことがあったのか、克哉は知らない。
ただ拐かされたときに聞いた本城の口振りからは、孝典に対する劣等感や恨みのようなものが感じられた。
それだけにこの事実は彼にとって受け入れ難いものなのだろう、無理矢理に薄ら笑いを浮かべながら言い訳を口にする。
「け、けど……こんなもの、俺が頼んだわけじゃない……こんな……親父が、勝手に……」
「そうなのでしょうね。ですが大旦那様にそうさせたのは、やはりあなたなんだ」
「くっ……」
本城は父親に商才が無いことを知っていながら、協力して店を営もうともせずに遊び歩いてばかりいたと聞いている。
今度こそ反論出来なくなったのか、彼はきつく唇を噛んだ。
克哉の心の中に、ほんの僅か目の前の男を哀れに思う気持ちが湧く。
それでも、動揺している本城を更に揺さぶる手を緩める気は無かった。
「……旦那様はきっと今回の件にあなたが関わっていることに気づいています。
ですが、旦那様が自らあなたの名前を出すことはないでしょう。
それが何故なのか、あなたには分からないんですか?」
「……」
もしも孝典が番屋で本城の話をしていれば、今頃は既にこの店にも岡引が来ているはずだ。
そうなっていないのは本城が孝典をどう思っていようと、孝典自身は友人である本城を見捨てきれていないことを示している。
その想いに報いてほしい。
克哉はそう願いながら本城の返事を待ったが、やはり本城は踏ん切りがつかないのか、唇を噛みしめて項垂れたまま動かない。
彼の良心を信じたかったのだが、やはり切り札を使わざるを得ないのだろうか。
(あ……)
どれぐらいそうしていただろう。
気づけば、表からはもうすぐ夜の明ける気配がする。
なんとしてでも朝になるまでには決着をつけたかった。
手遅れになる前に、一刻も早く孝典を助け出さなければならない。
克哉は意を決して本城に告げた。
「……本城さん。あなたが本当のこと話してくださらないのなら、どうしても話さざるを得ない状況にさせて頂きます」
そう言って、懐からおもむろに取り出したのは店から持ち出してきた小刀だった。
それを見た瞬間、本城の顔が怯えたように引き攣る。
「な、にを……」
本城はてっきりその刃が自分に向けられるとばかり思ったのだろう。
すかさず身体を仰のけて、目を見開く。
しかし克哉はあろうことか切っ先を自分自身に向けると、白く伸びた首筋にぴたりと宛がった。
「……オレはこれからここで、あなたに殺されると大声で叫びながら自分を切りつけます。
そうしたら近所の方々は何事かと集まり、同心や岡引もやってくることになるでしょう。
オレはあなたにされたこと、そして香沙草の件にあなたが関わっているであろうことを文にして残してきました。
オレはあなたの罪に気づいてしまったから、そのうちあなたに殺されるかもしれない……と。
あなたは香沙草の件だけでなく、殺しの罪にも問われることになる。そして……旦那様の濡れ衣は晴れる」
「君は……」
「あなたが本当に騙されていたのなら、香沙草の件ではそれほど重い罪にはならないでしょう。
けれど、人を殺したとなればそうはいきません。……どうしますか?」
克哉は不思議なほど落ち着いていた。
鋭い先端はいつの間にか肌に食い込んでいたが、少しの痛みも感じない。
孝典を救うこと―――ただそれしか克哉の頭の中には無かった。
無断で借用書を持ち出し、命令に反して店を抜け出し、孝典の友人を脅して。
それでも罪悪感など微塵も無い。
それどころか孝典自身にどう思われるかということさえ、どうでも良かった。
余計なことをするなと叱られようと、愚か者と軽蔑されようと、疎まれ、拒絶されようとも構わない。
孝典を救い出すことさえ出来れば、それで良かった。
「……オレは旦那様の為なら、命なんて惜しくないんですよ」
首筋から細く血を流しながらも心からの笑みを浮かべている克哉は、狂っているように見えたかもしれない。
本城は硬直したまましばらく克哉を見つめていたが、やがて深い溜息を吐いてがっくりと頭を垂れた。
「……俺はあれが香沙草だとは本当に知らなかったんだ」
そして、とうとう観念したのか小さな声で話し始める。
「知り合いに、本来なら処分されるはずの阿片の下級品を手に入れたから安く売ってやると持ち掛けられた。
実際、見た目もよく似ていたから俺はそれをすぐに信じた」
「……でも、本当は違っていた?」
本城は力無く頷く。
「物が安いだけに大量に売らなければ儲けが出ない。だから、まとまった金が必要だった。
君をさらって、それを餌に御堂から金を借りて……けれど御堂に正規の手段で手に入れたのかと聞かれて、なんだか不安になったんだ。
もともと、特別な伝で手に入れたものだからおおっぴらに売るなとは言われていた。
それで、その人にそれとなく尋ねたんだ……そのとき、たぶん御堂の名前も出した。それが、いけなかったんだろうな……」
「……」
その人物は、御上が香沙草の件を調べ始めていることに気づいていたのだろう。
本城が捕まれば当然、自分の名前も出されてしまう。
だから、その前に無関係な他人に罪を押し付けてしまおうと考えた。
しかもそれが本城にとっての商売敵である御堂屋ともなれば、本城も喜んで口を閉ざすと思ったのかもしれない。
「……それで、その人物は誰なんですか?」
「ごめん……それは……」
本城は肝心なところでまたしても頑なになってしまうが、克哉は別にそれでも良かった。
真相は番屋で話してくれさえすればいいことだ。
だから克哉は首に押し当てていた小刀を外すと、再び懐に仕舞い込もうとしてから念の為に釘を刺した。
「夜が明けたら、すぐに番屋に行って全てを話すと約束してください。もしもあなたがそれをしてくださらなくて、旦那様の身に何かあったら……」
そして、今度こそ刃先を本城に向ける。
「そのときは、あなたを殺してオレも死にますから」
「……分かった。分かったよ」
本城は疲れきった様子でそう答えた。
その後、本城に念書として一筆書かせてから克哉は店を出た。
本当ならば番屋に行くところまで見届けたかったが、本城を信じたいという思いもあった。
ほんのりと白み始めた空に、明け六つの鐘が鳴り響く。
急いで戻らなければと足を速めたとき、不意に近づいてくる人影に気づいた。
「……宏明」
宏明がいつも以上に不機嫌な顔をして辻のところに立っている。
どうやら後をつけられていたようだ。
「……もう少ししても出てこなければ、踏み込んでやるところだった」
「あ、あはは……」
その聞き慣れた静かな声を聞いた途端、克哉はふらりと倒れ掛けた。
「おい! 大丈夫か? 顔が真っ青だぞ」
「う、うん、大丈夫。ありがとう……」
自分では落ち着いていたつもりだったが、実際はかなり緊張していたらしい。
足に力が入らず、宏明に腕を掴まれて辛うじて立つ。
「俺は怒っているんだからな」
「……ごめん」
「それで、なんとかなったのか?」
「ああ」
「……そうか。なら、いい」
そのまま宏明に支えられながら、店へと戻る道を歩き始める。
多くを尋ねてこない彼の気遣いがとても有難かった。
- 続く -
2012.03.07
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