暗夜情火 八
本当ならばすぐにこの背中から下りて、とてつもない無礼を詫びなければならなかったのだろう。
しかしそのときの克哉は、それさえも出来ないほどに力も魂も抜けきっていた。
何も考えられなかったのか、考えることから逃げていたのか。
空っぽになってしまった心と身体のまま、すっかり孝典の背に身を預けていると低い声が囁いた。
「……目を閉じていろ」
「……」
その指示の意味も分からず、克哉はただ言われた通りに目を閉じる。
不意に襲いくる眠気の中を漂っていると、程無くして木戸を開ける音が聞こえた。
どうやら店の裏口から戻ったらしい。
一瞬、誰かに会ってしまわぬだろうかとぼんやり思ったが、幸いにも皆既に休んでいるのか人の声や気配はしなかった。
そのときになってようやく孝典が目を閉じていろと言った理由が分かった。
あれこれ聞かれては困るだろうから、とりあえずは眠ったふりをしていろと言いたかったのだろう。
しんと静まり返った屋敷の廊下が、二人分の重みにぎしりぎしりと軋む。
やがて襖の開く乾いた音がして、克哉の足先にほんの僅か畳が触れた。
「……っ!」
そこでようやく克哉は目の覚めた思いがした。
しゃがんだ孝典の背から転げるように下りると、その顔を見ることも出来ぬまま足元にひれ伏す。
下肢がぐちゃりと音を立て、下帯から零れたものが太腿をやや濡らしたが、それにも構わず克哉は畳に額を擦りつけた。
「申し訳…っ……ございません、でした……!」
息苦しく詰まる喉の奥から、なんとかその言葉だけを無理矢理に押し出す。
今更ながら身体が再び震えだし、噛み合わぬ歯がカチカチと鳴った。
なんてことを。
なんてことをしてしまったのだろう。
そのときの感情はもはや恐怖といっても良かった。
自分の仕出かしてしまったこと全てがただ恐ろしく、吐き気すら催した。
今すぐこの場から消えてしまいたくなったけれど、しかし幾ら身を縮めたとしても、姿を消すことなど出来ない。
頭を下げたままきつく目を閉じていると、すっと影が動く気配がして、頭の上に孝典の低く掠れた声が落ちてきた。
「……何故、奴になど会いに行った」
冷えた、けれど静かな怒りの込められたその声に、克哉は身を硬くする。
「も、申し訳……」
「何故……」
「―――ッ?!」
突然ぐいと腕を掴まれ、謝罪を繰り返すことを遮られた克哉は体勢を崩す。
そのまま乱暴に突き飛ばされ、畳の上に仰向けに倒された。
そんな克哉のうえに孝典は跨り、両腕を押さえつける。
否が応にも孝典を真下から見上げる体勢になり、克哉はようやくまともに孝典と顔を合わせた。
「何故だ……!」
鬼気迫るような表情と、短い言葉でぶつけられたやり場のない憤り。
それらを前にして、克哉は何も答えることが出来なかった。
怖い―――。
孝典を本気でそう思ったのは初めてのような気がする。
普段どれだけ厳しくとも、孝典の言うことはいつも正しかったし、それを怖いと思ったことはなかった。
けれど、今の孝典は怖い。
乾いた唇をぶるぶると震わせるも声は出ず、そんな克哉の怯えきった様子を見て孝典はやや正気を取り戻したようだった。
首を緩く左右に振ると、自分に言い聞かせるように呟く。
「……いや、分かっている。お前が悪いのではない……お前はきっと私の為に……」
だが。
続けて呟いた後、孝典は更に強く克哉の手首を掴む。
それから苦しそうに目を細めた。
「……見せたのか」
「え……?」
「お前の身体……奴に見せたのか」
呟きと共に、ゆっくりと孝典の手が離れる。
視線が揺れて、動く。
「っ……!」
いきなり胸の辺りにひやりと冷たい感触があって、克哉の身体はびくんと大きく跳ねた。
乱れて大きく開いた着物の襟からは、やや汗ばんだ白い素肌が覗いている。
その肌の上を、孝典の指先がつうと滑っていた。
「見せたのか……ここを……?」
指は更に動き、やがて胸の尖りでぴたりと止まる。
小さなその粒を微かに爪で弾かれ、克哉は驚きと戸惑いに息を飲んだ。
「旦那…様……?」
いったい孝典はどうしてしまったのだろうか。
てっきり叱られるか、見放されるかするのだろうとばかり思っていたのに、孝典のこんな反応は克哉の予想外のものだった。
確かに怒っているようではあるが、何故か酷く苦しそうでもある。
克哉の身体をじっと見つめる瞳の奥には激しくも暗い炎が燃えているようで、克哉はその瞳から目が離せなくなっていた。
「あいつは……お前に触れたのか……?」
孝典が押し殺した声で尋ねてくる。
否定したかった。
しかし、これ以上孝典に嘘はつきたくなかった。
答えずにいると、突然胸に鋭い痛みが走る。
「ぅ、あ……っ!」
孝典が指先で克哉の乳首をきつく捻ったのだ。
思わず声を上げる克哉を、孝典は冷たく蔑むように見下ろす。
「気持ちがいいのか? ……そうだろうな。あんな奴に触られて、昂ぶっているぐらいだ。ここも……」
「ひぁっ……!」
今度は濡れたままの下肢に無遠慮に触れられて、克哉は悲鳴のような声を上げてしまった。
しかし孝典は手を離してはくれない。
それどころか唇の端を歪め、嘲笑うような笑みを浮かべている。
「本当は薬の所為だけではなかったのだろう? あいつに……本城に弄られて、こんなにしてしまったのだろう?」
「……! ち、ちがっ……」
克哉は涙を滲ませながら、大きく首を振った。
何故、孝典はこんなことを言うのだろう。
確かに身体を見られ、肌に触れられはしたが、それが原因で気を遣ってしまったわけではない。
しかしそんな言い訳など、今の孝典は聞いてくれそうにもなかった。
孝典は濡れて汚れた下帯の上から幾度かそこを撫でたかと思うと、とうとう緩んだ布地の端から手を突っ込み、直接そこに触れてきた。
「あっ……! や、やめてくだ、さ……」
「また硬くなってきているな……まだ、薬が抜けていないのか」
「っ…ん……あ、や……」
信じられなかった。
自らの放ったものでまだ濡れている屹立に、孝典の指が絡みついている。
指と手のひら全部を使って扱かれるたびに卑猥な音が立ち、そこは熱く硬く猛っていく。
こんなにも汚くて、こんなにも醜悪なのに、孝典は何故触れてくるのだろう。
過ぎる疑問は攻めたてられる快楽にすぐに掻き消され、克哉は漏れる声を抑えるために手の甲を噛んだ。
これはもはや薬の所為ではなかったけれど、そう思われているほうがまだ良いのかも知れない。
孝典に触れられているからだなどと知られたら、ますます軽蔑されるような気がした。
「いやらしい顔をして……。その顔も、あいつに見せたのか?」
「…っ……」
「ふん……」
否定の意味で力無く首を振るも、鼻であしらわれてしまう。
きっと信じてもらえていないのだろう。
孝典は克哉の屹立を握り締めたまま、胸元に唇を落とす。
かりと乳首に歯を立てられ、克哉は思わず果てそうになった。
しかしそれを察した孝典に根元をきつく握られ、阻まれる。
「ふ、っ……んんッ……!」
「また遣りそうになったのか? お前は淫乱だな」
「……!」
淫乱―――。
孝典の放ったその言葉が、克哉の胸に突き刺さる。
そんな風に思われていたなんて。
目に涙をいっぱいに貯めたまま半ば呆然と孝典を見つめると、先に目を逸らしたのは何故か孝典のほうだった。
「お前は……」
苦々しげに吐き捨てると、不意に孝典は身体を起こした。
そして自らの帯を解くと、ばさりと着物の前を肌蹴る。
孝典の下帯が大きく形を変えているのが見えて、克哉は動揺した。
「……これを噛んでいろ。決して声を出すな」
「な、に……んッ……?!」
解いた帯をいきなり口に詰められ、克哉は目を見張った。
いったい、何が始まるのか。
そのとき緊張に強張る克哉の身体が、一際大きく震えた。
「う、ぅっ……!」
ずらされた下帯の奥……双丘の狭間の窄まりに触れられたからだった。
「ここも……なのか……」
恐怖と羞恥から克哉が逃れようとすると、足を折り曲げられ大きく股を開かされる。
孝典の指は円を描くように窄まりの周囲をなぞり、やがてゆっくりと中へ入り込んできた。
その場所は克哉自身の吐き出したもので濡れていた所為か、異物感はあるものの痛みは然程無い。
それでも初めて襲われる感覚に、克哉の身が竦む。
「ん……んっ……」
帯を噛み締めたまま、やめてほしいと涙目で孝典に訴えるが、その想いは届かない。
ならば孝典を突き飛ばし、口に詰められた布地を吐き出してこの行為から逃れることも容易く出来たはずだった。
けれど罪悪感と恐怖、そしてこんなことになってしまっても尚封じ込めることの出来ない孝典への恋心とがそれを不可能なものにしてしまう。
これ以上嫌われたくないという思いが、克哉を無抵抗にさせてしまっていた。
孝典は幾度か克哉の中で指を往復させた後にそれを引き抜くと、入れ替わりに自らの腰を突き出した。
下帯から出された孝典の屹立が、克哉の後孔にあてがわれる。
「んッ……ううっ…!!」
「声を出すな、と言った」
「……―――ッ!!!」
痛みよりも、熱かった。
硬く、質量を持った熱の塊が無理矢理捩じ込まれる。
無意識に身体が逃れようとするが、そのたびに引き寄せられ、更に押し込められてしまう。
「う、くっ……」
孝典自身も痛みを感じているのだろう、低く呻く。
それでも浸入をやめようとはせず、薄い皮膚を裂き、ただ奥へと進もうとする。
細かく腰を揺さぶりながら、少しずつ少しずつ身を沈めていく。
「んっ、ぐ……ぅ……」
吐き気を催すほどの痛みと圧迫感に耐えながら、克哉は孝典を徐々に飲み込んでいった。
何度か意識を手離しそうになっては、辛うじて持ちこたえる。
全身に冷たい汗が浮かび、寒さも暑さも感じてはいないのにただ身体は震え続けた。
そうしていつの間にか根元までしっかりと収めてしまうと、孝典の動きは次第に大きなものに変わっていく。
互いの痛みにも構わず、孝典はひたすら克哉に激しく腰を打ちつけた。
「んっ! ふ! う……ぐ……!」
「克哉っ……」
克哉は成す術もなく孝典の動きに翻弄される。
苦しくて痛くて悲しくて、けれどそれだけではない何かを感じてもいた。
恥ずかしげもなく大きく足を広げている自分と、その間にいる険しい表情をした孝典。
見上げる孝典の額からは汗が流れ、自分の腹や胸の上に次々と落ちている。
荒く湿った呼吸が弾み、重なる。
噛み締めた帯はぐっしょりと濡れ、唇の端からは唾液が零れていた。
「克哉……お前、は……」
「っ……う、ッ……う……」
「……克……か、つやッ……!」
やがて、どくんと身体の奥で何かが弾けた。
同時に自分自身の屹立の先端に酷く熱いものを感じる。
己の意志とは無関係に身体がびくびくと大きく波打ち、目の前に白い光が明滅した。
(旦那……様……)
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
何も分からない。
何も分かりたくない。
ぼやけていく視界の中、息を弾ませ、恍惚とした表情を浮かべている孝典が見える。
涙が一筋、目尻を伝う。
意識がゆっくりと遠ざかる。
「克哉……」
孝典の声が聞こえる。
しかし、それも酷く遠かった。
心細くなって手を伸ばそうとするけれど、どうしても届かない。
「克哉……」
孝典の顔が近づいてくる。
大好きな、人。
「お前は……私のものだ……」
気を失う直前、唇に暖かいものが触れたような気がした。
- 続く -
2011.10.11
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