THE FINAL JUDGEMENT【12】  -脱出-

部屋の外には、やはり暗くて長い廊下が伸びていた。
行きつく先は闇に消えて見えず、どちらへ行けばいいのかも分からない。
そもそもこの屋敷に普通の出口があるとも思えなかった。
二人はしばしそこで立ち尽くす。
「……どうしましょうか?」
「君が決めていい」
「えっ」
「どのみち簡単には出られないようになっているに違いない。だったら、私は君の直感に賭けたいと思う」
「そ、そうですか……?」
克哉は廊下の左右を見渡す。
どちらもまったく同じ、ただ赤いカーペットの敷かれた廊下が暗闇に向かって伸びているだけの光景だ。
選びようがない。
こうなったら御堂の言う通り、直感で決めるしかないだろう。
「じゃあ、こっちに行ってみましょうか」
「分かった」
御堂と二人、左へ向かって歩き始める。
今はとにかく進んでみるしかなかった。

しかし長い廊下は一向に終わる気配を見せなかった。
まったく変化しない景色に、自分たちが本当に前に進んでいるのかどうかすら怪しくなってくる。
部屋を出てからどれぐらいの時間が経ったのかも分からない。
もしかしたら永遠にここで彷徨い続けることになるのではないか……。
そんな不安が過ぎったとき、御堂が口を開いた。
「戻ってからの言い訳を考えておかなければならないな。本当のことを話したとしても誰も信じはしないだろうから、適当な嘘をつくことになるが……何かいい考えはあるか?」
「え、えっと……そうですね……。事故にあって、一時的に記憶を失くしていたとか……」
「ふむ。会社やご家族にはそれでいいかもしれないな。ただ警察のほうには君が自分の意志で失踪して、また戻ってきたということにするしかないか……。 事故や病院の詳細を説明出来ないからな」
「そうですね。いろいろお騒がせして申し訳ありません……」
「皆が君を心配している。帰ったら忙しいぞ」
「はい。覚悟しています」
戻れると信じなければ、ここから出ることは出来ない。
きっと御堂もそう感じていたのだろう。
不安を掻き消すように、あえて先のことを話し合いながら二人は歩いた。
「そういえば、ビオレードはどうなりました?」
「ああ。結局、ガラスボトル案のまま発売されることが決定した。SCMには最後まで反対されたが押しきった形になったな」
「そうですか……」
「本音を言えば、君のペットボトル案も見てみたかったんだが……勝負は私の不戦勝だ。残念だったな」
「はい」
こんなところで仕事の話をしているのがおかしくなって、克哉はこっそりと笑う。
でも、その笑みも束の間のものだった。
「オレ……もうMGNには戻れないでしょうか」
「何故、そう思う?」
「だって大事な仕事を放り出して、突然姿を消してしまったわけですし……それに……」
「私とのことか?」
克哉は無言で頷いた。
自分との関係が周知の事実となってしまった今、さすがにそのまま同じ部署で働き続けることは出来ないだろう。
自分は何を言われてもいい。
けれど御堂の仕事に支障が出ることだけは絶対に避けたかった。
「君はどうしたい? 一室に戻りたいと思うか?」
「オレは……」
一室での仕事は本当に楽しかった。
御堂と共に働けることはもちろん、それを抜きにしても新しい商品の開発に一から参加し、それが世間に広く受け入れられていくのを見るのはとてもやり甲斐のある仕事だったと思う。
キクチでの経験を生かせることも魅力だった。
出来ることなら、もう一度あの場所で働きたい。
克哉は素直にそう思っていた。
「……図々しいとは思いますが、出来れば戻りたいです。オレ、あそこでの仕事が好きです」
「そうか」
暗闇から聞こえた御堂の声は、どことなく嬉しそうだった。
「君にそのつもりがあるのなら、私も協力しよう。だが、結果がどう出るかは保障出来ないぞ」
「はい。分かっています」
仕事がしたい。
こんな気持ちになるのは久し振りだった。
これほど薄暗い場所にいるにも関わらず、心が少しずつ晴れやかになっていく。
忘れていた感覚が甦ってくる。
「……孝典さん」
「なんだ」
克哉が立ち止まる。
手を繋いでいた御堂もまた歩みを止める。
克哉は御堂に向かって深々と頭を下げた。
「助けに来てくれて、ありがとうございました」
謝らなければいけないことはまだまだたくさんあるけれど、今は感謝の気持ちを伝えたかった。
御堂はそれに微笑みで応え、克哉の手をきつく握り直した。

元の世界に戻ることが二人の中で現実味を帯びてきたおかげか、ようやく廊下の突き当たりが見えてきたのは、それからすぐのことだった。
「孝典さん……」
「ああ」
目の前には、今までの部屋と同じような重厚な扉がある。
これを開ければ元の世界に繋がっているかもしれない。
そんな期待をしながら、二人は顔を見合わせて同時に重い扉を押し開けた。
「あっ……」
しかし、その期待はもろくも打ち砕かれる。
そこにあったのはやはり他と同じように真紅に染められた部屋だった。
やはりここには出口など無いのではないだろうか。
それならMr.Rがあれほどあっさりと退いたのも頷ける。
肩を落とす克哉の隣りで、部屋を見回していた御堂がふと呟いた。
「この部屋は……私がここに来て、最初に目覚めた場所かもしれない」
「そうなんですか?」
「ああ」
間違いなかった。
何処も似たような造りではあるが、部屋の片隅にある大きな鏡には確かに見覚えがある。
楕円形のそれは扉にあったのと似たような飾り模様の枠に嵌められているが、表面には大きな亀裂が入っていた。
「この鏡……」
克哉がふらふらと鏡に近づく。
克哉もまたこの鏡には見覚えがあった。
あの、御堂の絶叫を聞いたとき。
Mr.Rに貫かれている姿を映していたこの鏡の向こうに、確かに御堂の気配を感じたのだ。
そして聞こえてきた御堂の叫び声に反応して、鏡がひび割れたことも覚えている。
だとすると。
「この鏡は元の世界に繋がっているのかも……」
「ここからか?」
なんとなく、そんな気がした。
だが、どうすれば向こう側に行けるのだろう。
ひび割れた鏡には歪になった二人の姿が映っているだけだ。
克哉はその亀裂に触れてみる。
「痛っ……」
「大丈夫か? 迂闊に触ると危ないぞ」
「すみません、大丈夫です」
「見せてみろ」
御堂に手を取られる。
右手の人差し指の先が僅かに切れて出血していた。
「血が出ているじゃないか」
「これぐらい大丈夫ですよ」
「なんにせよ、ここでは手当ても出来ないからな……」
御堂が心配する一方で、克哉はその割れた鏡をまだぼんやりと見つめていた。
そこに映っている自分はひびの所為で幾つにも分かれ、一部は欠け、バラバラになっているかのように見える。
これが今の自分だ。
克哉には割れた鏡に映っているこの姿こそが、本当の自分自身のように見えた。
克哉は改めて部屋の中を見回す。
真っ赤なカーテン、真っ赤なカーペット、真っ赤なソファ。
ふとその深紅のビロードのソファの傍にある、小さな円形のサイドテーブルが目に入った。
克哉は足早にそれに近づくと、肩の上に担ぎ上げる。
「克哉? 何をする気だ」
「……孝典さん。危ないので離れていてください」
克哉はテーブルを勢いよく振り上げる。
そしてそれを鏡に向かって思いきり叩きつけた。
「克哉! そんなことなら、私が」
「いいえ、いいんです。オレが壊します……!」
けたたましい音を立てて、鏡が粉々に割れていく。
砕け散った銀色の破片を浴びながら、尚も克哉はテーブルを振り下ろしつづけた。
全て、壊したい。
一年前、自分を壊してくれたのは御堂だった。
けれど今度は自分で自分を壊す。
弱く、逃げてばかりいた自分を。
この暗い地の底で、もがくしか出来ずにいた自分を。
そして、もう一度生まれ変わりたい。
やがて鏡は嵌っていた枠だけを残し、何も映さなくなった。
「はぁ、はぁ……」
克哉は息を弾ませながらテーブルを床に放り出すと、残された枠の前にしゃがみ込んだ。
御堂もその隣りに膝をつく。
「……」
特に何も起きない。
目の前にあるのはなんの変哲もない飾り枠だ。
しかし克哉がそれに触れようと手を伸ばした瞬間、空間が歪んだような感覚がして、枠の中央部分に身体ごと吸い込まれそうになる。
「孝典さん!」
「克哉!」
克哉は慌てて御堂に反対の手を伸ばした。
御堂がしっかりと、その手を掴む。
まるでブラックホールに吸い込まれるかのように、二人はそのまま鏡の向こうの空間へと落ちていった。

- To be continued. -
2017.07.19

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