THE FINAL JUDGEMENT【05】  -CLUB R-

蒸し暑い。
まるで熱帯夜のように空気が重く、湿っている。
御堂は酷く不快な気分で目を醒ました。
甘い香りが鼻腔をくすぐり、ゆっくりと瞼を開く。
最初にその目に飛び込んできたのは一面の赤だった。
頬に触れるビロードを感じながら身体を起こす。
「……」
意識はややぼんやりとしているものの、身体のどこも痛むところはなかった。
ソファに横たわっていたようだが、それほど長い時間ではなかったのだろう。
御堂は辺りを見回した。
今座っているソファも、カーペットも、天井すらも、部屋中の全てが赤く染められている。
窓らしきものは一つもなく、ただ部屋の片隅にはひび割れた大きな鏡が立てかけてあった。
「……お目覚めですか?」
いつの間にやってきたのか、目の前にあの男が立っていた。
途端に御堂は警戒心を剥き出しにして身構える。
「……ここは何処だ」
「ここは、クラブR。私はここの支配人とでも申しましょうか」
「クラブR……」
名前を聞いて恐らくは会員制の地下クラブのようなものなのだろうと御堂は想像する。
下衆な趣味を持った金持ちどもが集まって、己の欲望を満たすために享楽に耽るような類のものだ。
あの果実を食べた直後から記憶がないのも、店の場所を特定されずにここへ連れ込むためだったのだろう。
しかし、それにしてもこの空間はどうも異質な感じがしてならない。
まるでこの世のものではないような、奇妙な違和感を覚えて御堂は僅かに身震いした。
「……佐伯克哉さんにお会いになりますか?」
Mr.Rの声に御堂は我に返る。
「あ、ああ。当然だ。その為に来たのだからな」
「では、ご案内致しましょう」
男はくるりと背中を向け、御堂はその後についていく。
部屋の奥にある細かい飾り細工の施された重厚な扉を開けると、その向こうには暗い廊下が伸びていた。
それがどこまで続いているのか、行き着く先は暗闇に溶けてしまっていて見ることは出来ない。
いったいこの場所はどれだけの広さがあるのだろう。
一般的な店のようなものを想像していたが、どうやら大きな屋敷一つ分ぐらいはありそうだ。
廊下に一歩足を踏み出すと、そこにもカーペットが敷き詰めてあるらしく、ふわふわとした感触はまるで地に足がついていないかのように感じる。
ともすれば闇の中で見失いそうになる黒い背中を、御堂はただひたすらに追った。
「こちらです」
長い廊下の突き当たりにようやく辿り着くと、男はぴたりと足を止めた。
そこにもまた豪奢な装飾が施された扉がある。
この扉の向こうに克哉がいるのか。
御堂の手のひらが緊張で汗ばんだ。
「……後悔なさいませんか?」
「無論」
後悔などするはずがない。
即答した御堂に男はクスリと笑う。
やがて大きな音を軋ませて、扉が開いた。
部屋の中は薄暗く、しかしやはりカーテンも、壁も、床も、何もかもが赤く染められているのはすぐに分かった。
中でも一際目を引いたのは、部屋の中央にある大きなベッドだ。
それを見た瞬間、御堂の心臓が大きく跳ねた。
「克哉……!」
御堂は男を押し退けるようにして、部屋の中に駆け込んだ。
真っ赤なシーツの上に、そこだけ白く光るような長身の裸体が横たわっている。
「かつ、や……」
声が震えた。
紛れも無く、そこにいるのは克哉だった。
目隠しをされ、後ろ手に両手を縛られ、少し痩せた身体をまるで胎児のように丸く折り曲げて眠っている。
「克哉……克哉!」
御堂は足がもつれそうになりながらベッドに駆け寄り、声を張り上げる。
けれども克哉はぴくりとも動かない。
御堂はベッドの上に靴のまま乗り上げると、克哉の肩を掴んでその身体を大きく揺さぶった。
「克哉! 私だ、克哉! 聞こえないのか! 克哉!」
ようやくだ。
ようやく見つけた。
じわりと熱いものが目元に込み上げてくる。
克哉の白い肌には幾つもの痛々しい痕が残されていた。
可哀想に、こんな目に合わされて。
御堂は震える手で克哉の目隠しを外してやる。
けれど布の下から現れたその瞼は、未だ伏せられたままだった。
「……無駄ですよ」
男の揶揄するような声に御堂は振り返る。
「佐伯さんは、もう快楽にしか反応しないのです。彼を目覚めさせたいのなら、気持ちよくして差し上げてください」
「なんだと……」
御堂は克哉を見下ろした。
痩せた身体、白い頬。
そして、そこかしこに残る情事の名残。
きっとたくさん辛い想いをしてきたのだろう。
こんな状態の克哉を抱くことなどとても出来るはずがない。
御堂の心情を察したのか、Mr.Rが申し出る。
「では、私がお手伝いしましょう」
「なにを……」
御堂が問い質すのも待たずに、Mr.Rはいつの間にか手にしていたリモコンを克哉に向けてスイッチを押した。
その途端、克哉の下肢からブーンという低い機械音が響きだす。
「う、あぁっ……!」
克哉が声を上げた。
後孔に埋められているらしいローターの振動に合わせてびくびくと身体が跳ね、一気に目が見開く。
けれど克哉の目には御堂のことなど映ってはいなかった。
「かつ、や……」
目の前でみるみる紅潮していく肌を、御堂はただ呆然と眺めていることしか出来なかった。
助けてやりたいのに身体が動かない。
克哉の中心はあっという間に硬く勃起して、先走りを零し始めていた。
「あっ、あ、あぁっ……」
濡れた喘ぎを漏らしながら克哉は全身をくねらせる。
半開きの唇から赤い舌がちろちろと覗いて、時折乾いた唇を舐めた。
その扇情的な様子に御堂の鼓動が速まっていく。
克哉は身悶えるものの、両手は縛られていて自由にならない。
やがて耐え兼ねたのか、克哉は身体をうつ伏せて性器をシーツに擦りつけはじめた。
まるで芋虫のような動きで腰を揺らすたび、先端から零れた雫が糸を引いてシーツの赤い色を濃くしていく。
「か……」
もう、声すら出すことが出来ない。
克哉は更に激しく腰を振って、自らを絶頂へと導こうとしていた。
快楽でしか目覚めないという男の言葉が、改めて御堂を打ちのめす。
「んぅっ、はぁっ、ああっ……ああっ……!」
克哉の身体が大きく波打ち、とうとう屹立から白濁した精が噴き出した。
なかなか治まらない射精に全身をぴくぴくと痙攣させ、恍惚とした表情を浮かべている。
御堂は形容しがたい息苦しさに、喘いだ。
「克哉……克哉……」
頭の中が真っ白で、どうすればいいのか分からない。
克哉はもう壊れてしまったのだろうか。
御堂が恐る恐るその汗ばんだ肌に触れると、克哉はようやくぴくりと反応を見せた。
「う……」
軽い呻き声を上げながら、克哉が御堂のほうにゆっくりと顔を向ける。
睫毛が微かに震え、蒼い瞳がこちらを捉えた―――はずだった。
「あ……」
克哉が微笑む。
この微笑みを、どれだけ待ち焦がれていたことだろう。
けれど、御堂にはすぐに分かってしまった。
克哉の瞳は御堂を見ていない。
その視線は遠い何処か、ここには存在していない何かを見ているようだった。
幸せそうに頬を染め、穏やかな笑みを浮かべる克哉に御堂は溢れそうになる涙をぐっと堪える。
「克……」
「んっ……」
克哉は不自由な体勢のまま、這いずるように御堂の方へと向きを変えた。
そして御堂の膝に頬を擦りつけてくる。
「克哉……?」
「は、ぁ……」
その仕草はまるで餌を強請る猫のようだった。
克哉は愛しげに頬を擦りつけながら、少しずつその顔を御堂の両足の間に沈めていく。
そして御堂の布地越しの中心に唇で触れた。
「克哉っ……」
直接ではないのにも関わらず、克哉はうっとりと目を細めながらそこを唇で軽く食む。
突き離すことも出来ずにいると、中心が次第に熱を帯びていくのが分かった。
「やめ、ろ……」
無意識に呟いた拒絶の言葉はあまりに頼りなかった。
克哉の唾液で湿った布地が少しずつ持ち上げられていく。
どうして、こんなことになってしまったんだ。
御堂は誰にともなく心の中で問い掛ける。
しかし答えが返るはずもない。
「……佐伯さん。いつものように、ご奉仕して差し上げてください」
Mr.Rが傍に来て、克哉の両手首の戒めを解いた。
もう幾度も縛られているのであろう、白い手首には紫色の痕が残っている。
克哉は自由になった両手を伸ばし、御堂のスラックスのファスナーを下ろした。
「かつ、や……」
下着の中から、既に猛った御堂の熱が取り出される。
克哉はその先端に、幹に、何度も愛しげにくちづけた。
それから舌の先を這わせ、やがて唇を被せる。
輪郭にぐるりと舌を絡ませた後、口内の奥深くへと導いた。
「克哉……っ」
抗えない。
今の克哉が普通の状態でないことは分かっているのに、それでも彼の愛撫を拒むことなど御堂には出来なかった。
あれほど会いたいと望んだのだ。
彼をもう一度この腕に抱きたいと。
克哉はじゅぶじゅぶと音を立てながら、御堂の屹立を美味しそうにしゃぶる。
何度も口の中を往復させ、喉の奥まで咥えた。
舌が絡み、時折強く吸われるたびに、御堂の腰が跳ねる。
震える指先で克哉の髪に触れると、克哉は嬉しそうに身をくねらせた。
「んっ…ん、ぐ……ん……」
「は、っ……」
御堂の息が上がっていく。
近づいてくる絶頂の気配に、御堂は克哉の頭をぐいと押し退けた。
「あ……」
突然玩具を取り上げられた子供のように、克哉は悲しそうな表情を浮かべる。
もう限界だった。
御堂は克哉の腕を掴むと、そのままシーツの上に押し倒す。
それから乱暴に両足を抱え上げ、埋め込んであったローターを引き抜くのと入れ替えに己の熱を突きたてた。
「あ、あぁぁぁっ……!」
克哉が顔を歪めて、大きな嬌声を上げる。
しかしそこに苦痛の色はなく、むしろ身体は悦びに打ち震えていた。
傍にいるはずのMr.Rの存在さえ忘れ、御堂は激しく腰を打ちつけ克哉の中を蹂躙する。
こんな再会は望んでいなかった。
克哉はきっと、今誰に抱かれているのかも分かっていないのだろう。
それなのに自分を止められないことが悔しくて、御堂は克哉と繋がっていながら苦しさだけを感じていた。
「克哉……克哉……」
うわ言のように名を呼びながら、克哉を貫き続ける御堂の後ろで男が笑う。
「そうです……あなたも存分に楽しんでください。佐伯さんもこんなに喜んでいらっしゃるのですから」
情けなくて、惨めだった。
それでも否応無しに快楽は高まっていく。
弾ける。
「克哉…克哉……!」
「あぁッ……!」
御堂の腰が、ぶるりと震えた。
どくどくと溢れる熱い飛沫が克哉の中に迸る。
同時に克哉の屹立からも二度目の精が噴き出して、肌の上を濡らしていった。
「あ、あ、あぁ……」
「克哉……」
苦しくて、悲しくて、けれど何よりも愛しい。
腕の中で悦びに震えている克哉の身体を、御堂はきつく抱きしめた。
克哉は果てると、再び気を失ってしまった。
御堂は克哉を膝の上に抱いたまま、ただその髪を、頬を撫でる。
会いたかった。
ようやく見つけた。
それなのに胸の内には陰鬱な虚しさばかりが広がっていた。

「……克哉を連れて帰る」
御堂が呟くとMr.Rは大袈裟に眉を吊り上げてみせた。
「何の為に?」
「克哉は私のものだからだ。貴様に口を出す権利はない」
「……ですが、あなたが今抱いた佐伯さんは、もう以前の佐伯さんではありません。分かって頂けたはずですが?」
「……」
違う。
そんなことはない。
これは克哉だ。
たとえ自分のことが分からなくても、それでも克哉なのだ。
「それにたとえ連れて帰られたとしても、あなたでは佐伯さんを満足させて差し上げられないのではないでしょうか。 あなたは佐伯さんが本当は何を望んでいらしたのかさえ、ご存知無いのですから」
克哉の望み。
この男は幾度もそれを口にするが、自分は知っているというのだろうか。
克哉の望みは二人でずっと共に生きていくことではなかったのか。
何があっても離れないことではなかったのか。
違っていたとしたなら、それがなんなのか知りたい。
知らなければならない。
「……貴様の言うことが真実なら、尚更克哉をこのままにしてはおけない。克哉の本当の望みを、知らないままに諦めることは出来ない」
「知らないほうが幸せかもしれませんよ?」
馬鹿にしたような口調に、御堂はMr.Rに憎悪の視線をぶつける。
しかし男は少しも怯むことなく、淡々と話を続けた。
「佐伯さんはここにいらしてから、ますます淫らになってしまわれました。もはや佐伯さんは性の奴隷……。 そんな佐伯さんが元の世界に帰っても、飢えが満たされずに苦しむだけではありませんか?  それともあなたは、一日中佐伯さんを抱いて差し上げることが出来るのですか?」
「ふざけるな! だからと言って、克哉を貴様の玩具にはさせない! 克哉を壊したのは貴様ではないか!!」
「……果たして本当にそうでしょうか?」
いきり立つ御堂とは正反対に、Mr.Rは余裕のある態度を崩さない。
それがますます癪に障って、御堂は唇を噛んだ。
「それでは、こうしましょうか」
Mr.Rは黒い皮手袋に包まれた両手を胸の前で組んだ。
「もしも佐伯さんご自身が心から帰ることを望まれたなら……そのときは、お二人を元の世界に帰して差し上げましょう。 ここが普通の場所ではないということぐらい、あなたなら既にお気づきのはずでしょう?」
確かにこの場所は異常だ。
ただのアンダーグラウンドな店などではない。
オカルティックなことは一切信じない御堂でも、それは認めざるを得なかった。
ここから帰るには、来たときと同じようにこの男の力が必要なのだろう。
「……それは本当だな?」
「はい。私は別に佐伯さんを苦しめたいわけではございませんので。どなたにも無理強いをするのは、私の本意ではありませんから」
「……」
こんな目に合わせておきながら、よくも言うものだ。
しかし条件がいかにも単純すぎる気がする。
それだけ『克哉は帰ることを望まない』という自信があるのか。
「……分かった」
それでも、その条件を飲むしかない。
男の思惑に従うようで不愉快ではあったが御堂はしぶしぶ頷いた。
「克哉の口から、帰りたいと言わせればいいんだな」
「はい。簡単なことです」
男は愉快そうだ。
彼の真の目的はいったい何なのだろうか。
ただ面白がっているだけにしては性質が悪過ぎる。
それに、何故克哉だったのか。
何故、この男はここまで克哉に執着するのだろうか。
「……もうひとつ聞きたいことがある」
「なんなりと」
Mr.Rの金髪が揺れる。
「貴様は克哉に眼鏡を渡したことがあるか?」
「……」
その質問に、男がほんの僅か目を見張ったのを御堂は見逃さなかった。
しかし次の瞬間には、それもレンズの反射によって隠されてしまう。
Mr.Rは澄まして答えた。
「……それは佐伯さんご本人からお聞きください」
どうやらここまでらしい。
全てを見極めるためにも御堂は改めて決意した。
「克哉は私と共に帰る。絶対にだ」
「お手並み拝見とさせていただきましょう」
男はそう言い残すと、黒いコートを翻しながらその場を立ち去っていった。

- To be continued. -
2017.07.07

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