THE FINAL JUDGEMENT【02】 -協力者-
御堂は藤田から手渡された書類にざっと目を通すと、腕時計で時刻を確かめた。
「分かった。これは明日の朝、改めて確認しておく」
「は、はい……」
ここ一ヶ月余りの一室は、夏の新商品ビオレードの発売を前にして多忙を極めていた。
今日も既に十時を回っているというのに、オフィスにはまだ人が残っている。
しかしながらこれほどまでに忙しくなった原因の一端は、やはり克哉の不在にあった。
克哉がいなくなって、今まで彼がどれだけ見えないところで仕事が円滑に進むよう尽力していたのかを、御堂は今更ながらに思い知っていた。
判断力、発想、分析力、どれをとっても彼ほどの人間は他にはいない。
そしてその能力をひけらかすこともなく、あの持ち前の柔らかな物腰でいつもその場の空気を和ませていた。
佐伯克哉は御堂にとってだけでなく、社内でも欠かせない存在になっていたというのに。
「あの、御堂部長……」
用件は済んだはずの藤田が、おずおずと声をかける。
「その手、怪我でもされたんですか?」
御堂の右手には白い包帯が巻かれていた。
それもお世辞にも丁寧とはいえない、いい加減な巻き方だ。
包帯には僅かに血が滲んでいた。
「ああ……ちょっとな」
「でも、血が出てるみたいですよ。包帯、取り替えましょうか?」
「いや、大丈夫だ。気にするほどじゃない」
「そうですか……」
それでも藤田は納得いかないのか、しょんぼりと眉尻を下げたままその場を動かない。
克哉の失踪をきっかけに、御堂と克哉の関係は会社の知るところとなった。
そこまで話をしたのは大隈を始めとする一部の上司にだけだったが、克哉が消えた直後の御堂の様子から、二人がただならぬ関係にあったことは想像に難くなかったのだろう。
しかしながら社内で御堂に向けられる視線は、好奇よりもむしろ同情の色のほうが濃かった。
いつでも克哉が戻ってこられるようにと形振り構わず仕事に没頭しているせいか、誰もが藤田のように折に触れこちらを気遣ってくれる。
しかし心配してくれるのは有難かったが、今は早く一人になりたかった。
御堂はパソコンを終了させると、あえて自分ももう退社する素振りを見せた。
「私もそろそろ帰る。だから、君も早く帰りたまえ」
「……はい。それでは、失礼します」
「ああ。お疲れ」
藤田はぺこりと頭を下げ、ようやく執務室を出ていった。
一人になると、御堂は片付けを始めていた手を止める。
そしてそこに巻かれている血に汚れた包帯を見つめ、重苦しい溜息を吐いた。
(克哉……)
その傷は、昨夜テレビを壊したときに出来たものだ。
激情に任せて拳を振り上げ、液晶モニタを粉々に破壊した。
右手は血に塗れたけれど痛みは少しも感じなかった。
包帯を巻いてきたのは単に仕事に支障があってはいけないと思ったからだ。
昨夜、壊れたテレビの前で、御堂はしばらく怒りと悔しさに打ち震えていた。
あの男が、自分から克哉を奪った。
そして今、克哉を玩具にし、奴隷と呼び、物のように扱っている。
―――許さない。
克哉は私のものだ。
彼が自ら望んで姿を消したのなら諦めもつく。
しかし、そうではなかったのだ。
克哉が向けた虚ろな瞳は確かに救いを求めていた。
それならば自分がするべきことはひとつだ。
克哉を取り戻す。
どんな手を使ってでも、たとえそれが犯罪行為になったとしても、もう一度克哉をこの腕に抱くためなら迷いはしない。
そもそも先に手を出したのは向こうなのだから、こちらも手段を選ぶつもりはなかった。
御堂は倒れた邪魔なテレビを動かしてレコーダーからDVDを取り出す。
それから書斎に向かい、そこにあるノートパソコンにディスクをセットした。
もう一度あの映像を見るのは辛かったが、何かしらの手掛かりを得る為には止むを得ない。
御堂は息を飲んで画面を見つめていたが、しかし―――。
「……?」
何も映らなかった。
ソフトを起動させても、あの映像は流れない。
直接ディスクの中を確認するも、そこに一切のデータは記録されていなかった。
「どういうことだ……!」
御堂は机に拳を叩きつけた。
血が飛び散り、周囲を汚したことにも気づかない。
しかし何度確認してみても結果は変わらず、やはりディスクの中は空っぽだった。
「……」
御堂は混乱しかけた。
さっきの映像は何だったのだろうか。
克哉に会いたいと願うあまり、幻でも見たのだろうか。
いや、そんなはずがない。
テレビの画面越しではあったけれど、確かに克哉の姿を見た。
克哉の声を聞いた。
革の拘束具に身を包み、見知らぬ男に貫かれ、悩ましく喘いでいた克哉を。
「……っ!」
思わずきつく目を閉じ、頭を振る。
思い出したくない。
しかし、思い出さなければならない。
映像を見ることが出来なくなった今、この記憶だけが頼りなのだから。
御堂は深呼吸し、もう一度あの映像を思い出そうとした。
あれは何処だ。
あの男は何者だ。
赤い部屋だった。
家具らしきものは何も映っていなかったような気がする。
そして、長い金髪。
顔はよく覚えていなかったが、確か眼鏡をかけてはいなかっただろうか。
外国人のようにも見えたが、それにしては流暢な日本語を喋っていた。
それから……。
「くそっ……」
情報のあまりの少なさに、御堂は唇を噛む。
克哉に目を奪われていたせいで、それ以外のことは全て曖昧だった。
これだけでは手掛かりとしては乏しすぎる。
それでも克哉を諦める気だけは毛頭無かった。
「克哉……」
御堂の呟きが静かな執務室の中に落ちる。
昨夜は、あれから一睡も出来なかった。
夜が明けるとすぐに出掛ける支度をして警察へと向かった。
あの封筒に克哉をさらった犯人の指紋が残されているかもしれない。
ただ、DVDをそのまま提出することだけはどうしても躊躇われた。
御堂のパソコンではもう映像を見ることは出来なかったけれど、万が一にもデータが復活するようなことがあれば、克哉の痴態を警察に見せることになってしまう。
本来ならばそれを手掛かりにあの金髪の男を捜索してもらうべきなのだろうが、御堂にはどうしてもそれが出来なかった。
中身を手持ちの空ディスクに差し替え、怪しい物が送られてきたから調べてほしいと封筒を提出した。
しかし元々が捜索願として出してあるうえに、やはり成人男性の失踪は本人の意思によることが多く、克哉の件も事件性は無いものと警察は考えているらしい。
ゆえにあまり真剣には取り合ってもらえなかったが、今は僅かな望みにも賭けるしかなかった。
(鑑定の結果が出るまでには、まだ時間がある……)
それまで、何もしないではいられない。
克哉の両親とは時々連絡を取り合っているが、もちろん今回の件を話すつもりはなかった。
母親は克哉の失踪以来、体調を崩しているらしいし、父親もかなり憔悴しきっている様子だ。
御堂との関係についても驚いてはいたものの、それより息子の安否のほうが彼らにとっては重大な問題だろう。
克哉が生きているということだけでも知らせたい気持ちはあったが、それが分かった理由をきちんと話せない状況ではかえって不安を煽りかねない。
もっと確実な情報が入るまでは、黙っているべきだと御堂は考えていた。
「……」
御堂は上着の内ポケットから携帯電話を取り出した。
ボタンを操作しようとして指がうまく動かせないことに苛立ち、乱暴に包帯を外す。
傷だらけの指には乾いた血がこびりついていたが、気にせずあるアドレスを呼び出した。
あってほしくはない事態だが、可能性のひとつとして考えられることがある。
「彼」ならば、それに関して調べられるのではないかと思っていた。
※
御堂は時々、克哉が以前住んでいたアパートの様子を見に行っていた。
もしや克哉が戻った形跡はないか確かめるためだ。
その期待はことごとく裏切られたが、ある日の帰り、アパートからそう遠くない場所にある喫茶店に立ち寄ってみたことがあった。
まだ同居を始める前、克哉がこの店のサンドイッチが美味しいと話していたことを思い出したからだ。
そこには中年男性のマスターと、オレンジ色の髪をした若い男性の店員が働いていた。
青年の名前は五十嵐太一といった。
この『喫茶ロイド』でアルバイトをしている彼に、持ち歩いていた克哉の写真を見せてみるとやはり彼は克哉のことを知っていた。
ここ一年ほどはあまり姿を見かけなくなったことを気にかけてくれていたらしい。
ちょうどその頃から、克哉は御堂のマンションに越していたのだから見かけなくなったのは当然だろう。
御堂は彼に、最近どこかで克哉を見なかったかと尋ねてみたが残念なことに答えはNOだった。
他にも色々と聞いてみたが、克哉はこの店に一人でしか来たことがなかったという。
知り合ったばかりの頃は仕事のことで悩んでいたようだが、その後のことはよく知らないと彼は話してくれた。
それを聞いたとき、御堂は内心苦笑してしまった。
克哉が悩んでいた原因は他でも無い、御堂の所為だったのだから。
それ以上の話は聞けそうにないと判断して店を出ようとした御堂を、思いがけず太一は引きとめた。
彼は相当克哉に好感を持っていたらしく、どういうことなのかと酷く心配そうだった。
詳しい事情は話せなかったが、克哉が行方不明であることを告げると彼は捜索への協力を申し出てきた。
克哉がそれほど頻繁にここを訪れていたとは思えず、単なる店員と客の関係でしかない彼がそこまで言うのは少々不審にも思えたが、協力者は一人でも多いほうがいいはず。
そういった成り行きで御堂が太一と連絡先を交換したのが、二週間ほど前。
御堂がこの店を訪れるのは、その日以来二度目だった。
既にクローズドの札が掛かっている店のドアを開けると、ウィンドチャイムの心地好い音が響く。
仄かにコーヒーの香りがするウッドスタイルの素朴な店内で、カウンター席に着いていた青年がこちらを振り返った。
「……どうも」
彼は御堂に気づいて椅子から下りると、オレンジ色の髪を揺らしながら軽く頭を下げる。
御堂も同じく、それに応えた。
「もう、オレしかいないんで。好きなとこ、座ってください」
「ああ。悪いな」
太一に促されて、御堂は奥のテーブルに着く。
マスターは今日はもう帰ったらしい。
太一は見た目こそいまどきの若者といった風体だが、店仕舞いを任されるぐらいには信頼されているようだ。
「コーヒー、淹れます?」
「いや。……ああ、そうだな。お願いしようか」
「りょーかい」
朝から何も食べていない胃袋にカフェインはきついような気もしたが、あえて頼むことにする。
克哉がここはコーヒーも美味しいのだと言っていた。
克哉が味わったコーヒーの味を自分も味わってみたい。
頼んだ理由はそれだけだった。
我ながら感傷的なことだと自嘲しているうちに、テーブルには二つのコーヒーが運ばれてくる。
「ありがとう」
「……あの」
「ん?」
「それ、アメリカンにしといたんで。ミルクか砂糖も、入れたほうがいいっすよ」
「……」
思わず面食らう。
ろくに食事も摂っていないのを見抜かれたのだろう。
どうやら彼はこう見えて、かなりの観察眼を持っているらしい。
「……私はそんなに酷い顔をしているか?」
「そっすね。かなり」
御堂は苦笑しながら、言われた通りミルクを入れることにした。
乳白色のそれを注ぎ、よく磨かれたスプーンで掻き回すとコーヒーは淡いブラウンに変化する。
その間に太一は着けていたエプロンを外すと、御堂の正面の席に腰を下ろした。
「……それで克哉さんのこと、なんか分かったんすか?」
「……」
御堂は返事をする前に、コーヒーを口に運んだ。
まろやかな苦味と酸味が喉を通り過ぎ、空っぽの胃に落ちていく。
その香りと熱も合わさって、ようやく僅かにだが緊張の糸が解けたような気がした。
「その前に君のほうはどうなんだ?」
「……ダメっすね」
尋ねると、太一は渋い顔で答える。
「あちこち手を回してみたんすけど、今のところ何も有力な情報は入ってきてないです」
「そうか……」
実は御堂は太一についても既に調べてあった。
彼が克哉捜索の協力を申し出てきたときに言った、『オレ、そういうことにはちょっとしたコネがあるんで』という言葉が気になったからだ。
調査結果によると、彼は高知に本部を構える鉄勇会というヤクザの組長の孫らしい。
彼の言った『コネ』とは、そちらの人脈なのだろう。
「……実は君に調べてもらいたい線がある」
「なんすか?」
御堂が切り出すと、太一は僅かに身を乗り出してくる。
御堂は一瞬の躊躇いの後、思いきってそれを口にした。
「裏流出と呼ばれるような、アダルトDVDを製作しているところを探してほしい。……それも、ゲイ物でだ」
「え」
太一は目を丸くしたまま固まった。
それからひくひくと口元を引き攣らせる。
「……ちょ、ちょっと待ってくださいよ。それって……」
「……」
そんなこと、あってほしくはない。
けれどあの映像を見てしまった今となっては、その可能性も視野に入れて動くしかなかった。
克哉は何者かに拉致され、そういった中でも性質の悪い集団に監禁され、商売道具にされているのではないか……。
それが御堂の推測した、可能性のひとつだった。
「男優に長い金髪の男を使っている。だが外国人には見えなかったから、ウイッグかもしれない。日本語は喋れるようだ」
「ちょっ……」
「とくにSM系で当たってくれ」
「ちょっと待てって……!」
突然、太一が激昂してテーブルを叩いた。
衝撃でコーヒーカップが音を立てる。
太一は顔を赤くしながら、御堂を睨みつけて怒鳴った。
「それ、どういうことなんだよ?! アダルトDVDとか! ゲイ物とか! まさか、まさか、克哉さんが……」
「君の想像通りだ」
あっさりと答えた御堂を、太一は信じられないという顔つきで見ていた。
「昨夜、私のマンションにDVDが送られてきた。……克哉が、映っていた」
「は……」
太一は気の抜けた声を出して、上げかけていた腰を再び椅子に落とした。
淡々と情報のみを伝えてくる御堂は、彼の目にはさぞかし薄情な人間に映ったことだろう。
御堂とてこんな話は誰にもしたくなかった。
克哉の名誉のためにも自分一人の力で解決出来ればどんなにかいいだろう。
しかし現実問題として、それは難しい。
出来たとしても時間がかかりすぎる。
ここはやはり彼に話をして、協力してもらうのが最善の策に思えた。
彼の祖父が組長を務める鉄勇会は主にピンク産業に関わっているらしく、ラブホテルや風俗店の経営を収入源としていることが分かっている。
だからこそ御堂は太一に話をすることを決意したのだ。
それにこういった世界の人間は口も堅い。
太一はしばらく黙り込んでいたが、やがて上擦る声で呟いた。
「……なんで、そんなに冷静でいられるんだよ。あんたにとって、克哉さんは特別な人なんじゃないのか……?」
「……何故、そう思う」
「分かるよ、それぐらい」
太一とは何度かメールでやり取りはしたものの、直接会うのは今日がまだ二度目だ。
それでも彼は何かを察していたのだろう。
それなら話が早い。
「……克哉は私の恋人だ」
「だったら……!」
太一が勢いよく顔を上げる。
「だったら尚更、どうしてそんな平然としていられるんだよ?! 恋人がそんな目にあって……!」
「平然となど、していない……!」
「……!」
思わず声を荒げた御堂に、太一は息を飲んだ。
そしてテーブルの上で固く握り締められている、御堂の拳に気づく。
傷だらけの、拳に。
「私は一刻も早く、克哉を助け出したい。その為には、一分一秒も無駄にしたくないだけだ」
「……」
握り締めた拳は、微かに震えていた。
冷静でいられるはずがなくとも、冷静に考えなければならない。
少しでも無駄な行動を排除して、最も早く克哉に辿り着く道を探さなければならない。
あの映像の克哉は、やや正気を失っているように見えた。
克哉の心が壊れてしまう前に、なんとしても彼を助け出したかった。
御堂の切実な言葉は、太一が冷静さを取り戻すには充分なものだった。
「……分かった。調べてみる」
「ありがとう」
「……オレさ」
太一は泣きそうな顔で笑う。
「あの人のこと、本当に好きだったんだよね。いっつも店の前を歩いて行くの見るの、楽しみにしててさ……」
「……」
「なんかすんげえ一生懸命頑張ってるみたいなのに、あんまりうまく行ってないみたいで。
こう、応援したくなるっつうか、妙に気になって……あんたにこんな話しても、気分悪いだけかもしれないけど」
「いや……」
確かに普段ならば、こんな話を聞かされたら不愉快になっていたかもしれない。
けれど今はこうして克哉の話を誰かと出来ることに、御堂は何処か安堵を覚えていた。
「だから、オレも出来る限り協力するんで。……あんた、オレの実家のこと知ってるんだろ?」
「……」
答えないことで肯定を表したつもりだった。
それは太一にもすぐに伝わったらしい。
「別にいいっすよ。まあ、そういうことなんで。そっち方面は任せてください」
「……すまない。感謝する」
「何か分かったら、連絡しますから。そっちも連絡ください」
「ああ。そうしよう」
それじゃあ、と御堂は席を立った。
一瞬、足元がふらついたがなんとか持ちこたえる。
そのまま帰ろうとする御堂に、太一はカウンターに置いてあった紙袋を差し出した。
「……これは?」
「辛いんだろうけど、ちゃんと食ったほうがいいっすよ。克哉さんが見つかる前に、あんたのほうが倒れちゃいそうだから」
「……」
御堂はそれを受け取り、中を覗いてみた。
サンドイッチが二切れ入っている。
克哉が美味しいと言っていたのは、これのことだろう。
相変わらず食欲は無かったが、彼の気遣いは純粋に有難かった。
「……悪いな。有難く頂いておく」
太一がにっと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
克哉を取り戻したら、今度は二人でこの店に来ようと御堂は思った。
- To be continued. -
2017.07.03
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