BIRTH 03


二百三十年余の歴史を持った赤月帝国が滅び、トラン共和国が建国されてから十数年。
初代大統領に選ばれたレパントは今もなお健在だった。
同一人物が長く国を治めることは共和制国家において必ずしも良い状況とは言えなかったが、 帝国時代より人望の厚かった彼は国民からいまだ絶大な信頼を寄せられており、彼もまたそれを裏切らない善い政治を行っていたのである。
しかしレパントは心のうちで、本来この国を継ぐべきだった少年が戻ってきてくれることを長いこと待ち続けていた。
どれだけ時が流れても少年のままの姿の彼こそが真の英雄であり、国を治めるに相応しい人物だと確信していたからだが、また同時に彼にはその意志が全くないことも知っていた。
この十数年間、レパントは幾度もその座を他の者に譲ろうとしたが残念なことにそれに相応しい人物は現れてはくれなかった。
その結果これだけの長きにわたり国のリーダーを務めることとなったのだが、しかしさすがに年齢的にもタイムリミットが訪れようとしていた。
レパントには息子が一人いた。
名をシーナという。
十代の頃から広い世界を見てきたいだの男としての修行だのと口実をつけてはあちこちを放浪していたが、実際にしていたことといえば遊びとナンパばかり。
問題を起こしたり、小遣いが無くなったりしたときにだけ実家に帰ってくるのを繰り返していたドラ息子だ。
トランは共和国だから全ての役職は民間からの推薦と議会で決まる。
だからレパントは必ずしもシーナに自分と同じく国政に関わる仕事に就いてもらいたいと考えていたわけではなかったが、 やはり一人前の男として何かしら打ち込めるものを見つけてほしいとは思っていた。
レパント自身も若い頃は随分と好き勝手にやってきたこともあって、口ではあれこれと厳しく言ってはいたもののやはり多少の期待はあったのだ。
しかし親の心子知らずとはよく言ったもので、シーナはなかなか生活態度を改めようとはしなかった。
こうなったら親子の縁を切る覚悟で最後通牒を突きつけてやらなければならないかと考えていた矢先、突然レパントが倒れてしまった。
原因は過労で大事には至らなかったのだが、そのときにシーナもさすがに思うところがあったらしい。
回復した父親に頭を下げて、「政治を勉強したい」と申し出たのが七、八年ほど前のことだった。
彼はもともと頭は悪くない。
要領もいいし、飲み込みも早かった。
分からないことがあっても質問出来る相手が周囲に大勢いた環境のおかげもあって、シーナは独学にも関わらずどんどん知識をつけていった。
それ以外にもアレンやグレンシールの傍で雑務をこなしたり、国の行事の手伝いなどをしていたのだが、そのうちに彼は意外な能力を発揮することとなった。
たとえば他国の要人を招いたり、またこちらから訪問したりするときなどにシーナが教えてくれるその国の特殊な事情や状況、慣例などはおおいに役立った。
町で耳にする評判や噂話、上の者達が知らない民の生活や本音、不満などもよく知っていた。
散々、諸外国をふらついてきた経験が初めて生かされる機会がやってきたのだった。
そんなシーナの働きはやがて議会からも認められるようになり、とうとう二年前に外務大臣という立場を与えられることになった。
それからもシーナはよく働いた。
明るく、人懐こく、気さくな彼は外交という仕事に向いていたらしい。
何より口が上手いのが大きかった。
さすがに大統領の器には程遠かったが、少なくとも親としては肩の荷を下ろせる日も近いだろうと、レパントもようやく一安心しているところだった。

「あぁ……疲れた……」
シーナがぼやきながら机の上に突っ伏すと、前に立っていた書記官のテスラがいつものようにぼそぼそと呟いた。
「疲れた、って……書類に判子押しただけじゃ……」
「じゃあ、判子押し疲れた……」
「……」
テスラは呆れたように溜息をつく。
シーナは面会や会合といった誰かと接する仕事のときには生き生きとするのだが、如何せん事務仕事が苦手なのだ。
少し作業しただけでも飽きてしまうらしく、特に書類の確認が大嫌いだった。
それでもやってもらわないわけにもいかず、テスラは今日も処理の終わった書類の束を手に取った。
そのまま退室しようと頭をひとつ下げ、背中を向けたとき。
「あっ! その一番上のやつ!」
「……はい?」
引き止められて手の中の書類を見てみると、一番上のものにはまだ判子が押されていなかった。
どういうことかとシーナを見返すと、シーナは退屈そうに頬杖をつきながらのんびりとした口調で言った。
「ロッカクの里への支給予算が前回出してもらった予定額と違ってるんだよねえ。計算間違いじゃないかと思うから、もう一度確認してきてよ」
「は、はあ……」
彼はいつもこうなのだ。
ろくに内容も見ず、機械的に判子を押しているのだとばかり思っているとそうではない。
数値のミスは当然ながら、細かな誤字までしっかりと指摘してくる。
今回の書類も最初に該当の予算表を出したのはもう一週間も前のことだというのに、その数字を彼は今でもしっかり覚えているのだ。
「よろしくね」
にっこり笑うシーナに、つくづく食えない男だとテスラは毎回薄ら寒さを覚えるのだった。

テスラが執務室を出てひとりきりになると、シーナは思いきり伸びをした。
昔の自分には考えられないことだったが、国政に関わる仕事には今までになくやり甲斐を感じている。
それまでは父親を見ていても責任は重そうだし、仕事内容はややこしそうだし、なにより面倒臭そうだしとひとつもいい印象が無かったのだが、 やってみるとこれほど面白い仕事はないような気がしていた。
どうすれば自国が発展していくか―――他国との腹の探り合いや、駆け引き、信頼関係。
それら全てのバランスが取れなければ上手くはいかない。
誰が何を欲していて、何を恐れているのか。
様々な状況と条件を鑑みながら国を動かしていくのは、絶対に後戻りの出来ない壮大で危険なゲームのようだった。
勿論、そこには人々の命や生活が掛かっているのだから、ただのゲームでは済まないことぐらいは分かっている。
何かを判断し、決定をするときには、毎回筆舌に尽くしがたい緊張とプレッシャーを感じていた。
しかしその重圧こそがやり甲斐に繋がり、ただ享楽を求めてふらふらとしていた頃には味わえなかった張り合いをシーナの生活に齎していることは紛れも無い事実だった。
まあ―――、実際には仕事の合間の息抜きと称した遊びもまだそこそこはやっていたのだけれど、 その辺りは年齢を重ねたことで昔よりも要領良く、そして見つからないようにするのが上手くなっていた。
「……」
シーナは席を離れ、窓辺に立った。
そんな充実しているように思われる毎日の中で、それでもどうしようもない虚無感を覚えることがままある。
胸の内にひっそりと存在し続ける、小さな空洞。
ふとしたときに自覚するそれが埋まることだけは決してなかった。
シーナが窓を開けると、爽やかな緑の風が吹き込んでくる。
その風に思わず目を細め、それから頭上に広がる遠い空を眺めたとき不意にドアをノックする音が響いた。
開けてみると、そこに立っていたのはメイドのドリスだった。
「どうした?」
「失礼致します。あの、シーナ様にお会いしたいと仰る方がいらしてますが、如何致しましょうか」
「誰?」
「トウタ様と仰るお医者様です」
「……トウタ?」
なんだろう。
聞いたことがある名前のような気がするけれど、はっきりとは思い出せない。
恐らくは何処かで会ったことのある人物なのだろうが、外務大臣になってから知り合った人のことはきちんと把握しているものの、それ以前となると滅法自信がないのだ。
特に男性に関しては。
「面会のお約束が無ければ無理ですと申し上げたのですが、大切なお話があるのでどうしてもと仰って……」
「ふぅん……」
「あ、あの……」
ドリスは自分が叱られるかもしれないとでも思っているのだろうか、おどおどとシーナを見上げている。
ここで働き始めたばかりの彼女は、まだ十七、八ぐらいだ。
さすがに手を出すつもりはなかったが、彼女にはついからかいたくなるような素朴な可愛らしさがあった。
「……ドリス」
「はいっ!」
「大変だ。その方はハルモニア神聖国の王族の方かもしれない」
「え、ええっ?!」
「ときどき、お忍びでいらっしゃることがあるんだ……。今、その方はどこに?」
「あのっ、お通ししても良いのか分かりませんでしたので、まだ外でお待ち頂いてるんですが……」
「それはマズイ。急ぎ、応接室にお連れしてくれ。くれぐれも粗相のないようにな」
「は、はひっ!」
裏返った声で返事をして、大慌ててで駆けていくドリスの後ろ姿を見ながらシーナはくっくと笑いを噛み殺した。

応接室のドアを開けると、ソファに座っていた青年がすっと立ち上がって頭を下げた。
その柔らかな物腰も、きっちり結い上げた髪も、如何にも医者らしい風貌をしている。
彼は穏やかな笑みを浮かべながらこちらを伺って言った。
「シーナさん……ですか?」
「はい、シーナです。ええと……」
顔を見てもやっぱり思い出せない。
青年は照れ臭そうに頭を掻く。
「トウタです。やっぱり覚えていないですかね? デュナンの統一戦争のとき、同盟軍で医者をしていたホウアン先生の……」
「……ああっ!!」
トウタが最後まで言い終わらないうちに記憶が蘇って、シーナはつい大声を上げてしまった。
「あの、ホウアン先生の傍にいた、ちっちゃい……!」
「はい、それです」
それはすぐに思い出せというほうが無理だ。
あの頃の彼は女の子だと言われても納得してしまいそうなぐらい、小さくて可愛い子どもだったのだから。
けれど今、目の前に立っているのは紛れも無い大人の男だ。
シーナは時の流れを痛感していた。
「いや、ごめん、ぜんぜん思い出せなくて……。ああ、あの時の男の子かぁ」
「あはは……思い出していただけて良かったです」
互いに乾いた笑いを漏らしながら、向かい合わせでソファに腰を下ろす。
そこへドリスがお茶を運んできてくれた。
彼女が出ていくとシーナはすぐにカップを口元へと運んだが、トウタはそれを手に取ることもなく居住まいを正してから早々に話を切り出してきた。
「すみません、シーナさん。急いでいます。用件に入っても宜しいですか?」
「あ、うん。どうしたの?」
トウタのあまりにも沈鬱な表情に、シーナは胸騒ぎを覚えた。
「昨年、グラスランド地方で戦争があったことは御存知ですよね?」
「……!」
その話か。
シーナは紅茶を一口飲んでから、細く息を吐いて答える。
「ああ……知ってるよ」
「では、その戦争が何故引き起こされたのかも御存知ですか?」
「……」
もちろん知っている。
アップルからの手紙を読んだときにはとても信じられなかったけれど、それは事実として受け入れなければならなかった。
その後シーナは魔術師の島を訪れ、彼の想いにほんの少し触れることが出来たのだ。
全てが納得いくものではなかったけれど、その強すぎる想いの前では自分が完全に無力であることを認めるぐらいしか出来なかった。
しかし、トウタはそんなことは知らない。
シーナは内心の動揺を隠して頷いた。
「……知ってる。全部、知ってるよ」
だからもう、これ以上何も聞きたくないんだ。
そんなシーナの気持ちが伝わったのか、トウタもまた小さく頷いた。
「……そうですか。それなら話が早いです」
いったい、何が言いたいのだろう。
今更そんな話をしにきたことに、どんな意味があるというんだ。
シーナは軽く苛立ちながらもう一度カップを口に運んだが、もはや紅茶の味も香りも分からなくなっていた。
短い沈黙が流れた後、トウタは重苦しい口調で続けた。
「……真なる炎の紋章の継承者となった少年達との戦いに敗れたあの方は、紋章の破壊を行おうとしていた儀式の地で命を落としました。 僕は実際にその場にいたわけではありませんが、遺跡は全て崩れ、助かる見込みは無かったと聞いています」
「……」
だから何だ。
そんなことは分かっている。
あいつは死んだんだ。
もう二度と会えない。
もう二度と触れられない。
分かっている。
彼はもう、何処にもいない。
「……シーナさん」
改めて呼ばれて、シーナはのろのろと顔を上げた。
トウタがまっすぐにこちらを見ている。
こうして見ると、やはりあの頃の面影はあるようだ。
ふとシーナは、自分はどうなのだろうかと思った。
あの頃とくらべて少しは変わったのだろうか。
「シーナさん。信じられないかもしれませんが、ルックさんは生きています。急ぎ、レックナート様との取次ぎをお願いしたいのです」
「……は?」
唐突なトウタの言葉に、シーナは間抜けな声で答えることしか出来なかった。

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2012.10.09


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