BIRTH 02
キニスンが住んでいる森から一番近い町まで、それでも歩けば一時間以上は掛かる。
エイダが医者を連れて戻ってきたのは、すでに西の空が濃い橙色に染まる頃だった。
「こ、こんにちは……」
エイダによほど急かされたのであろう、やってきた医者の男はぜえぜえと息を切らせていた。
その後に少し遅れて助手らしき女性もやってくる。
医者も女性もまだ若く、キニスンやエイダよりずっと年下に見えたがエイダのほうは疲れも見せずに平然としていた。
「ありがとうございます。遠いところを申し訳ありません」
キニスンが頭を下げると、その若い医者はにっこりと人懐こい笑みを浮かべた。
「いえいえ、そんな。お久しぶりですね、キニスンさん」
「はっ……?」
いきなり名前を呼ばれて、キニスンは困惑しながらエイダの顔を見る。
エイダはやはり表情ひとつ変えずに答えた。
「トウタだ。統一戦争で共に戦った」
「え」
「はい、ホウアン先生のお手伝いをしていたトウタです。そして、彼女は今私の手伝いをしてくれているミオさんです」
「ミオです。宜しくお願い致します」
隣りにいた女性が頭を下げる。
そのときようやくキニスンの脳裏に髪をお団子に結ったあどけない少年の姿がまざまざと思い出されて、驚きと懐かしさと喜びが一気に溢れた。
しかし思わぬ再会にうまく言葉が出ない。
「あ、ええと……」
「それで、患者さんはどちらに?」
「あっ、ああ、こちらです」
そうだ、今はそれどころではなかった。
我に返ったキニスンは挨拶もそこそこに彼らを部屋に招き入れる。
トウタはベッドに横たわった男を見下ろすとすぐに布団を捲り、男の服の前を肌蹴た。
持っていたカバンから聴診器を取り出すと、白く平らな胸にそれを当てしばらく耳を澄ます。
それから首筋や手首に触れ、身体のあちこちを確認する。
指で瞼を開き、その瞳を覗き込む。
そんな一連の作業をキニスン、エイダ、そしてライもまた固唾を飲んで見守っていた。
「うーん……」
しばらくしてトウタが小さく唸りながら身を起こすと、すかさず助手であるミオが男の服を戻して布団を掛けなおした。
トウタは深刻そうな顔で振り返る。
「……身体にはこれといって大きな外傷は見当たりませんが、意識が戻らないのは頭を打っている可能性があります。それに、かなり衰弱しているようですね」
「それじゃあ……」
「町に連れて行ったほうがいいでしょう。ただ……」
「……?」
トウタが何か言いたげに再び男を見下ろす。
その様子にキニスンはある予感を抱いた。
「あの、もしかしてこの人に見覚えが?」
「えっ? ええ、いや、しかしそんなはずは……」
キニスンの問いにトウタは口ごもる。
やはり予感は当たっていたようだ。
「僕もエイダも見覚えがあるような気がしていたんです。やはり同盟軍の……」
そこまで言われてさすがにトウタも認めざるを得なくなったのか、躊躇いがちに口を開いた。
「この方は恐らく……ルックさんだと思います」
「……!」
その名前を聞いて、霧が晴れるように記憶が蘇る。
そうだ、ルックだ。
あの本拠地にあった広いロビーの中央で、いつも石版の前に立っていた彼だ。
間違いない。
けれどあれから十五年以上経っているというのに、どうして彼はあの頃のままの姿なのだろう。
キニスンが疑問に思っていると、それを察したのかトウタが言う。
「ルックさんは真なる風の紋章の継承者でした。ですから、外見は年を取らないのです」
「はぁ……」
「そしてルックさんは……先のグラスランドでの戦争を引き起こした首謀者でもありました」
「えっ……」
その意味がすぐには分からずに、キニスンは返事に窮する。
少し前にグラスランドで戦争があったのは知っているが、彼がその首謀者?
確かに彼はあの頃からあまり愛想は良く無かったが、かといって戦争を引き起こすような悪人ではなかったはず。
いや……しかし十五年もあれば人は変わる。
彼にも何か簡単には説明出来ないようなことがあったのかもしれない。
でも、だからといって。
俄かには信じられない事実にキニスンが心中で葛藤している中、トウタは静かに語り続ける。
「……ルックさんの目的は真なる紋章の破戒だったそうです。
彼は戦を引き起こすことで、五つの真なる紋章を集めることに成功しました。
そして彼は儀式を行い、自らに宿る真なる風の紋章の力を化身として引き出したのです。
しかし結局はそれを阻もうとした者達との戦いに敗れ、儀式を行った遺跡は崩壊……その中で彼は亡くなったと聞いています」
「でも、現実に彼はここにこうして……」
「ええ……何故なのでしょうね……」
ということは、他人の空似なのだろうか。
とてもそうは思えなかった。
それにしても真なる紋章の破戒など考えるだけでも恐ろしいというのに、何故彼はそんなだいそれた真似をしようとしたのだろう。
キニスンには分からないことばかりだった。
「……こうなると、あの方に診て頂くのが一番良いと思うのですが……」
「あの方?」
キニスンは首を傾げた。
「ええ。ルックさんには師匠のような方がいらっしゃいましたよね? 確か……」
「……レックナート様か」
それまで黙っていたエイダが呟くと、トウタが頷く。
「そう、その方です。もしも彼が本当にルックさんならば、普通の治療では回復しない可能性があります。
真なる紋章の力を引き出したことで、通常とは違ったダメージを受けているでしょうから。
それに、亡くなったはずの彼が何故ここにいるのかも……。あの方なら、何か御存知なのではないでしょうか」
「だが、彼女は魔術師の島というところに住んでいるという。あそこは誰でも簡単に行ける場所ではないようだが」
魔術師の島というのは、トラン湖に浮かぶ小さな島だ。
そこには迂闊に人が近づけぬよう、結界が張られていると聞いたことがある。
トウタもそのことは承知しているようだった。
「そうですね。ですから、まずは仲介をしてくれるであろう方に相談してみるのが良いかと思います」
「仲介……誰のことですか?」
「トラン共和国大統領の御子息であり、現在は外交を担当しておられる―――シーナさんです」
2012.07.03
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