Classical

恋人宣言 [前]

克哉が御堂のマンションで暮らし始めてから、一週間ほどが経つ。
手を伸ばせばいつでも届くところに愛する人がいる生活は、 今までに味わったことがないほどに幸せで充実したものだった。
それでも克哉の胸には、たった一つだけしこりのようなものが残されていた。
ベッドの中で御堂の腕に抱かれながら、克哉は思いきってそれを吐き出してみることにした。
「御堂さん……ちょっと、相談があるんです」
「相談? なんだ?」
克哉に頼られるのが嬉しいのか、御堂はいつになく優しい声で聞き返す。
間近に顔を覗き込まれ、克哉は少しだけその先を躊躇った。
相談の内容を聞けば、御堂が不機嫌になるであろうことが分かっていたからだ。
けれどこれだけはきちんと確認しておきたい。
克哉はおずおずと口を開いた。
「あの……本多、のことなんですけど……」
「……」
予想通り、御堂は一瞬にして顔を顰める。
ベッドの中でだけはその名前を聞きたくなかった、というのが、御堂の本音だろう。
それでも克哉からの相談事とあっては、耳を貸さないわけにはいかない。
御堂は短く溜め息をついてから、先を促した。
「本多がどうした」
「あ、あの……実はオレ、まだ話していないんです。その……オレと、あなたのこと」
「……ほぅ」
先週の土曜日、御堂が出張で留守にしている間、克哉は本多と飲みに行った。
久し振りにゆっくりと話が出来て、本多はもちろん克哉もその時間を十分に楽しんだ。
けれどそのとき、克哉はずっと迷っていたのだ。
御堂から「一緒に暮らそう」と言われ、喜んでそれを受け入れたのがその数日前のこと。
本多は克哉の住んでいたアパートを知っていたし、引っ越すことを知らせないわけにはいかない。
そうでなくとも唯一の大切な友人である本多に、御堂との関係を隠し続けていることにはずっと気が咎めていた。
だからその日は本当のことを話す良い機会だとも思ったのだが、本多が御堂を嫌っていること、 そして自分に出来た恋人が同性で、しかも正にその人物であることを、 目の前で楽しく酒を飲んでいる本多に告白することはどうしても出来なかったのだ。
それになにより、御堂にも了承を得ていない。
もしかしたら「余計なことを言うな」と言われるかもしれないと思った克哉は、 まずは御堂に相談することにしたのだった。
「オレ、本多にはちゃんと話しておきたいんです。 オレが御堂さんとつきあっていること……そして、一緒に暮らしていることも。……いいですか?」
克哉が様子を伺うように尋ねると、御堂はあっさりと答えた。
「勿論。私は構わない」
「本当ですか?」
「ああ。その方が寧ろ、私にとっては好都合だ」
「えっ?」
意味が分からずに克哉が戸惑っていると、 御堂はさっきまでの顰め面を一転させ、いっそ意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「君が私のものだということを、あいつには分からせる必要がある。 そうすればあの馴れ馴れしい態度も、少しは改める気になるだろうからな」
「えっ、と……」
何を想像してか、愉快そうに喉の奥で笑う御堂に、克哉はなんとなく嫌な予感がしつつも、それに気づかない振りをした。



覚悟を決めた克哉に、本多の方から連絡が来たのは、それからすぐ後のことだった。
金曜日に、少し早い忘年会を開くからお前も来いと呼び出されたのだ。
さすがにその場で御堂とのことを話すつもりはなかったけれど、 前振りとして恋人の存在を匂わせておくぐらいは出来るかもしれない。
いきなり改まって話すよりは、その方がいいのではないか。
克哉はそんな風に考えながら、忘年会の会場となっている居酒屋へと出向いた。

克哉が姿を現すと、場は一気に盛り上がった。
今や8課にとって、克哉は「伝説のヒーロー」扱いなのだ。
プロトファイバーの営業という大きな仕事を取り、それを成功させ、MGNに引き抜かれた男。
それは8課の面々に自信を持たせ、キクチ内での認識までも変えさせたのだから当然だ。
幾つも掛けられる大仰な賛辞に少し照れながら、克哉は本多の隣りに開けられた座布団に腰を下ろした。
「久し振りですねぇ、佐伯くん」
「お久し振りです、片桐課長」
相変わらずにこにこと穏やかな片桐に声を掛けられ、なんだか懐かしい気持ちになる。
本多が早速グラスにビールを注いでくれて、克哉は周囲のメンバーと乾杯をした。
「仕事、大丈夫だったのか?」
「ああ、うん。今日は急ぎの仕事も無かったし」
「そっか」
今日は御堂も早く上がれたはずだから、今頃はもうマンションに帰っているだろう。
久し振りに8課の皆と会えたのは嬉しいけれど、やはり御堂のことを思い出すと会いたくなってしまう。
ほぼ二十四時間一緒にいるにも関わらず、まだそんな風に思ってしまう自分に、克哉は我知らず苦笑していた。
「なーに、笑ってんだよ」
「い、いや、なんでもないよ」
本多に突っ込まれて、慌てて笑みを引っ込める。
克哉は誤魔化すように、ジョッキのビールを喉に流し込んだ。
「佐伯さーん」
しばらくすると8課の女子社員が、ビール瓶を持って克哉の傍に移動してきた。
自動的に押し退けられるようになった本多が眉を寄せていたが、彼女は気にもせず、克哉のジョッキにビールを注ぐ。
「あ、どうも……」
「佐伯さん。MGN、どうですか?」
「ああ……うん。いい職場だよ」
「あの御堂部長の下で、働いてるんですよね?」
「えっ。う、うん」
どうやら彼女の興味は、克哉だけでなく御堂に対しても向けられているらしい。
一度、MGNでのミーティングに参加したことがあるからだろう。
次々と遠慮なく、質問を浴びせかけてくる。
「御堂部長、怖くないんですか? なんだか、すごく厳しそうだから」
「そうだね……。厳しいけど、怖くはないよ」
「そうなんですかぁ? でも佐伯さん、あの御堂部長に気に入られたんですもんね。すごいですよね~!」
「別に、すごくは無いと思うけど……」
「他の課の子達も、みんなそう言ってますよ!  それに、御堂部長ってまだ若いですよね? それでMGNの部長だなんて」
「……御堂、御堂ってうるせぇなあ」
突然、それまでずっと仏頂面をしながら聞いていた本多が、話を遮る。
その所為で、今度は彼女がふくれっ面になった。
「なによ、本多さんってば! ……あのね、佐伯さん。本多さんは、御堂部長に佐伯さんを連れて行かれちゃったもんだから、 ずっと拗ねてるんですよ」
「えっ」
「だ、誰が拗ねたんだよ! 克哉、本気にするなよ?」
そう言われても、克哉は苦笑するしかない。
おまけに片桐までが、本多に止めを刺す。
「そうですねぇ。佐伯くんがいなくなってからしばらく、本多くんは元気が無かったですもんねえ」
「課長まで、そんなこと言うんですか! チッ……」
頭を抱える本多を、みんなが笑う。
彼女が元いた自分の席に戻ると、本多はようやく顔を上げた。
「……別に俺は、拗ねてなんていないからな」
「分かってるって」
そう言って、克哉は本多にビールを注いでやる。
この前飲みに行ったときは、お互いに御堂の話題を避けているようなところがあった。
本多は本多で御堂の話などしたくなかったのだろうし、克哉も冷静を装える自信がなかったからだ。
けれど克哉はもう、いずれ御堂との関係を本多に話すことを覚悟している。
だから今日は敢えて、その話題に触れることにした。
「でも……御堂さんは、本当にいい上司なんだよ? ああ見えて、優しいところもあるし……」
「はぁ?」
出来るだけさりげなく言ったつもりだったが、やはり本多は嫌悪感を剥き出しにする。
克哉は怯みかけたが、慌てて言葉を続けた。
「だ、だからさ。確かに言うことはきつかったりもするけど、いつもそうだっていうわけじゃなくて、 優しいときは本当に優しいし、ただ責任感がありすぎるってだけで……」
話しているうちに、顔が熱くなってくる。
これではまるで惚気ているみたいじゃないか。
本多が呆れたように克哉の顔を覗き込んだ。
「……あのなぁ、克哉」
「えっ」
「俺は御堂のことなんて、どーーーーーでもいいんだよ! つうか、あいつの話なんてしたくねぇし。 あいつがいい奴かどうかなんて、俺には関係ねえんだよ」
「そんな……」
突っぱねられてしまって、克哉はしゅんとする。
確かに本多には関係無いことかもしれないけれど、恋人のことを「どうでもいい」と言われてしまうのは、 やはりいい気はしなかった。
「御堂さん……オレは好きなのにな……」
「……はぁ?!」
うっかり呟いてしまった言葉に、本多が素っ頓狂な声を上げる。
その声に、克哉はハッと我に返った。
(今、オレ、なに言った?!)
しかし、気づいたときにはもう手遅れだった。
本多が、信じられないといった目で克哉を見ている。
「克哉、お前……」
「い、いや、そうじゃなくて! そういう意味じゃなくてさ」
「……まさか御堂に、弱みでも握られてんのか?」
「……へ?」
克哉はてっきり、自分の御堂に対する気持ちがばれてしまったのかと思ったが、本多はそうは取らなかったらしい。
本気で心配そうに克哉に尋ねてくる。
「お前、やたら御堂のこと庇うだろう。どうしても俺には、お前が御堂に騙されてるとしか思えないんだよな」
「騙すって、そんな……。御堂さんは、そんなことするような人じゃないよ」
「そうかぁ? 俺達に散々無理難題吹っかけておいて、上手くいった途端に掌返しやがってよ。 挙句、お前のこと引き抜いていきやがって……美味しいとこばっかり持っていったじゃねぇか。 だいたいやり方が汚ねぇんだよ、あいつは」
「そんなことないってば」
「あるんだよ!」
克哉が反論すればするほど、本多はますますヒートアップする。
次第に克哉の口調までもが、強いものになってきた。
「で、でも、御堂さんはちゃんとオレ達のことを認めてくれたじゃないか」
「それだって、本心かどうか分かんねぇぜ? 調子に乗らせて、また無茶なこと言ってくるつもりかもしれねえだろ」
「だから、御堂さんはそんなことしないって!」
「しないとしても、陰では俺達のことまだバカにしてるに決まってるんだよ!」
「……もう、いい!」
とうとう、克哉がキレた。
驚いた本多が絶句している目の前で、克哉はジョッキに残っていたビールを一気に飲み干す。
「お、おい、克哉……」
さすがの克哉も、我慢の限界だった。
いくら本多が親友だからといって、許せることと許せないことがある。
意地でも御堂の良い面を認めようとしない本多に、克哉は珍しく本気で腹を立てていた。
「中生、おかわり!」
「なんだよ、克哉。怒ってんのか?」
「……」
克哉はぶすっとしたまま答えない。
以前の克哉ならば、どんなに不愉快なことがあっても、こんな風に怒りを露わにしたりはしなかったはずだ。
戸惑っている本多を他所に、やけくそになった克哉は次々とジョッキを空にしていった。



その頃、御堂はイライラしていた。
シャワーを浴び、ひとりで夕食を済ませ、ゆっくりとワインを楽しむ。
少し前までと同じ過ごし方をしているはずなのに、気がつけば時計にばかり目が行っていた。
克哉はまだ、キクチの連中と楽しく酒を飲んでいるのだろう。
そしてその横には、あの本多がいるに違いない。
そう考えるだけで、大好きなワインさえ美味しくなくなっていく。
それでも飲むことを止められずにいると、不意に携帯電話が鳴った。
表示されている克哉の名前を見て、御堂の機嫌が少し浮上する。
「もしもし? どうした?」
しかし僅かに浮かんでいた笑みは、受話器から聞こえてきた声を耳にした瞬間、綺麗さっぱり消し飛んでいた。
『ああ……御堂部長ですか? 本多ですけど』
「……本多? 何故、君が」
表示されていた番号は、確かに克哉のものだった。
それなのに何故、本多の声を聞かなくてはならないのか。
不快感たっぷりに聞き返すと、本多は言い辛そうに答える。
『すみません。あの、克哉が……』

- To be continued -
2007.11.24

→次話



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