茨の迷路 06
どうやって家まで帰ってきたのか、よく覚えていない。
克哉は灯りもつけないまま、暗い部屋の真ん中にぺたりと座り込んだ。
頭の中が真っ白だ。
とうとう御堂に別れを告げたというのに、何の感情も湧いてこない。
涙も流れない。
自分は本当に決着をつけたのだろうか。
今日会った御堂は、本物だったのだろうか。
何も分からない。
何も信じられない。
それでも心の中には御堂の形をした空白が、確かに存在していた。
「……御堂さん」
克哉は掌を胸に当てる。
何も残されていない今、この空白さえもが愛しい。
ここにはまだ御堂がいるのだと、そう思いながら克哉はシャツの胸元を握り締めた。
どれぐらい、そうしていただろう。
不意にポケットの中の携帯電話が震えた。
それを取り出し、ディスプレイに表示された名前を見た瞬間、心臓が止まりそうになる。
「み、どう……さん……」
克哉は信じられない気持ちで、その名前を見つめ続けた。
御堂の方から電話が掛かってきたのは初めてだ。
どうして、今更―――?
もう、自分には用が無いはずだ。
散々辛い想いをして、ようやくさよならが言えたというのに、今更何の話があるのだろう。
あれこれと考えているうちに、電話はぷつりと切れてしまう。
克哉はどこかホッとして、携帯を握り締めた。
けれど。
「……!」
再び、電話が震えだす。
今度もやはり御堂からだった。
克哉の中の感情が、少しずつ目を覚ましだす。
さっきまで何も感じなかった胸の中が、ざわざわと音を立て始める。
「御堂さん……」
諦めたはずなのに、指は通話ボタンを押そうとしていた。
未練がましい自分が、情けなくて笑えるぐらいだ。
御堂は自分に何を言おうとしているのだろう。
再び会うようになってから、御堂とまともに言葉を交わすことはほとんど無かった。
けれど今、ようやく御堂の方から、自分に何かを伝えようとしてくれている。
電話は留守番電話に切り替わるたびに切れ、また掛かってくるのを繰り返した。
一方的に別れを告げてしまったけれど、御堂にも何か言い分があるのかもしれない。
それを聞いてから終わりにしても、遅くはないだろう。
電話が五度目の着信を知らせたとき、克哉は自分にそんな言い訳をしながら、結局その電話に出てしまった。
「はい……」
『今、どこにいる』
不躾に投げつけられた問いに、克哉は思わず歪んだ笑みを浮かべる。
「……何のご用ですか」
『……』
残されていた小さなプライドと意地から、克哉はそう答えた。
それよりも、早く話を進めてほしい。
自分がどこにいるかなんて、関係がないはずだ。
御堂は少しの間黙り込んで、それから低い声で話し始めた。
『……最後にひとつだけ、君に聞きたいことがある』
最後。
その言葉に、身を裂かれるような痛みが走る。
終わらせようとしたのは自分自身のはずなのに、改めて御堂から言われると辛かった。
けれど、もう後には退けない。
克哉は覚悟を決めて、返事をした。
「……なんでしょうか」
『君は……私を憎んでいるか?』
「えっ……?」
克哉の脳裏に、あの不思議な男の姿が過ぎる。
彼もまた、克哉に同じことを尋ねた。
―――あなたは彼を、憎んでいますか?
あのときの克哉は、それに答えられなかった。
憎みたくて、憎まなければおかしいと分かっているのに、それでも憎んでいるとは即答出来なかった。
そして今、御堂自身から同じことを問われている。
「オレは……」
けれど今なら、答えられる。
克哉は震える声で言った。
「オレは……あなたを、憎んでいます」
憎まないはずがない。
こんな自分にしてしまった御堂が、憎かった。
電話の向こうで御堂が微かに息を飲む気配がして、それから彼は呟いた。
『……それなら、いい』
―――何故だろう。
それは今までに聞いた御堂のどんな声よりも、優しく耳に響いた。
どうして、そんなに穏やかな声で言うんですか?
そしてどうして、そんなにも悲しそうなんですか?
鼓動が速くなっていく。
息をするのが苦しい。
「なにも……よくないですよ……」
堰き止めていた何かが、音を立てて崩れていく。
克哉は電話を耳に強く押し付けた。
もっと、近く。
もっと、御堂に近づきたい。
そうしたら、何かが分かるような気がした。
一瞬、垣間見えた小さな光を、克哉は追いかける。
胸の内に湧き上がる想いを、今こそ唇に乗せる。
「オレは、あなたが憎いです……。あなたのことばかり考えて、あなたがいないとどうしようもなくて……
身体だけの関係でも構わないとさえ思ってしまった……。
オレをこんなにも変えてしまったあなたのことが、憎いんです……」
ずっと、自分のことが嫌いだった。
誰も傷つけまいとして、自分を殺して、なのにそんな自分が大嫌いだった。
変わりたくても変われなくて、何もかもを諦めていた。
けれど御堂に出会って、自分の中にこんなにも激しい感情があったことを知った。
拳を握り締めるほどの悔しさも、泣き叫びたくなるほどの怒りも、ずっと感じたことはなかったのに。
一度目覚めてしまった感情を、再び眠らせることは出来なかった。
御堂が自分の能力を評価してくれたことで、本当は誰かに認められたかったのだと気づいた。
御堂に欲望を突き立てられるたび、本当はずっと誰かに求められたかったのだと気づいた。
泣き、縋り、懇願しながら、自分の中にある激しい欲望に気づいた。
御堂の存在は胸の中でどんどん大きくなって、やがて克哉の心を支配してしまった。
もう、御堂無しではいられないほどに。
「……何も、望むつもりはありませんでした。あなたに会えるなら、それだけでいいと思っていました。
でも……やっぱり無理でした。もう、自分を騙せません。オレは、あなたが……」
克哉は一瞬、唇を噛む。
さよならを言った後に、本当の気持ちを告げるなんて無意味なことだと思いながら。
けれど、言わずにはいられない。
言わないまま、終われるはずがなかったのだ。
克哉は緊張にうわずる声で、告白する。
「あなたのことが、好きなんです……」
ようやく、言えた。
このたった一言を告げるのに、どれだけ遠回りしたのだろう。
もっと早く認めてしまえば良かった。
そうしたら、こんなに傷つくこともなかったかもしれないのに。
「今日……あなたの隣りを、知らない誰かが歩いているのを見て……もう、耐えられないと思いました……。
あんな風に、あなたがいつかオレ以外の人と何処かへ行ってしまうのを見送るなんて……オレには、出来そうもありません。
それなら、自分からさよならした方がマシです……」
『……』
御堂はただ黙って、克哉の話を聞いている。
克哉は大きく息を吸い込み、自分もずっと知りたかったことを尋ねた。
「御堂さん……オレにも、ひとつだけ教えてください。あなたにとって、オレはなんだったんですか……?」
もし、ほんのひと時でも自分を必要としていてくれたなら。
ほんの僅かでも好意を感じてくれたことがあったなら、教えてほしかった。
それだけで、きっと救われる。
祈るような気持ちで答えを待つ克哉に、しかし御堂は言った。
『……答えられない』
克哉は戸惑う。
今までの御堂らしくない。
答えたくないのではなく、答えられないとはどういう意味だろう。
「ど……どうしてですか?」
責めるような口調になってしまった克哉に、御堂もまた苛立ちを含んだ声音で返す。
『私には、それを言う資格がないからだ。君に、あんな……あんなことをした、私が……』
「…それは……どういう……」
御堂の真意が分からず、克哉は困惑する。
そのとき、遠くから救急車のサイレンの音が聞こえてきた。
甲高いその音が少しずつ大きくなるにつれ、克哉はふと気づいた。
同じ音が、耳に押しつけている電話の向こうからも聞こえてくることを。
「―――!!」
克哉は窓に駆け寄ると、勢いよくカーテンを開けた。
窓の外を見た途端、じわりと視界が滲み、克哉は慌てて目を擦る。
アパートの前の路上には、見知った車が止まっていた。
運転席に見える人影に向かって、克哉は振り絞るような声で話しかける。
「答えてください、御堂さん……。あなたはオレを、どう思っているんですか? あなたにとって、オレは何なんですか?
オレのことなんて何とも思っていないのなら、どうしてあなたはそこにいるんですか……?」
『……!』
御堂が克哉の部屋を見上げる。
携帯電話の灯りで、克哉がいることに気づいたはずだ。
克哉は冷たい窓ガラスに縋りつく。
この想いが届くよう、少しでも距離を縮めたくて。
「資格なんて、いらない……。だから、答えてください。オレはただ、あなたの本当の気持ちが知りたいだけなんです……御堂さん……!」
悲鳴にも似た声で御堂の名を呼び、克哉はぎゅっと目を瞑った。
お願いだから、本当のことを言ってほしい。
あなたがそこにいる理由が、自惚れでないことを確かめさせてほしい。
あの冷たい態度も、言葉も、全てが苦渋の選択だったのだと、
あなたもずっと苦しんでいたのだと、そんな風に思うことが間違いではないのだと確信させてほしい。
克哉は御堂の答えを待った。
その耳元で、不意に電話が切れる。
「御堂、さん……?」
咄嗟に目を開け、車を見た。
さっきまで運転席にあったはずの人影が、消えている。
「……御堂さん?!」
気がつけば、携帯電話を放り出し、玄関へと走っていた。
慌ててドアを開けた、その向こうには―――。
「―――!!」
御堂が、立っていた。
眉間に皺を寄せ、少し疲れたような表情で。
「あ……」
名前を呼びたいのに、声が出ない。
自分の鼓動が、耳の奥で響いている。
御堂はゆっくりと克哉に近づいてきた。
そしてその後ろで部屋のドアが閉まった瞬間、克哉は御堂に抱き締められていた。
「すまな……かった……」
耳元で囁かれた、御堂の苦しげな声。
きつく回された腕、首筋に触れる髪、体温。
それらが少しずつ克哉の中に浸透して、凍てついていた心を溶かしていく。
「……御堂、さん……っ」
ようやく声が出て、克哉は御堂にしがみついた。
これ以上は出来ないほどに、きつく抱き締め返して、その肩先に顔を埋める。
どれだけ、この時を待っていたか分からない。
もう、御堂のことしか考えられない。
御堂しか欲しくない。
互いの身体が僅かに離れ、そして二人は唇を重ね合った。
性急に差し出された舌が触れて、絡まる。
「んっ……ふ……ぁっ……」
暖かく、柔らかなものが口内を満たす。
その感覚だけで、くらくらするほどの快感を覚えてしまう。
息をする暇さえ惜しくて、蠢くそれに応える克哉の目尻に、涙が滲んだ。
飲みきれない唾液が唇の端から溢れ、顎を伝う。
深すぎるくちづけに今にも崩れ落ちそうになるのを、克哉は御堂の腕につかまって必死で堪らえていた。
「…あ…っ……は………みど、う……さん………」
やがて御堂の手が克哉の上着に掛かる。
もう少しも待てないとでも言うように、それを乱暴に脱がした後は、すぐにベルトを外しにいく。
克哉も同じ気持ちだった。
御堂のベルトを外し、ファスナーを下ろす。
今すぐに、御堂が欲しい。
克哉は玄関横の壁に押し付けられ、下着とズボンを一息に下ろされた。
そして御堂は克哉の足を抱え上げると、慣らしてもいない後孔に、いきなり自身を突き立てる。
「う、あぁっ……!!」
強引に入り込んでくる熱い塊に、敏感な皮膚が焼かれるように痛む。
けれど今の克哉には、その痛みさえも嬉しかった。
優しくなくていい。
労わってくれなくていい。
ただ、形振り構わず求めて欲しかった。
何も思いやる余裕も無いほどに、欲望をぶつけてほしかった。
克哉は自らも腰を揺らし、御堂を奥へと導こうとする。
少しずつ深く繋がりあっていくのが分かって、克哉は胸がいっぱいになった。
薄く目を開けて御堂を見ると、燃えるような眼差しにぶつかる。
それだけで痛みは甘い痺れに変わり、身体の奥にその熱が燃えうつるような気がした。
克哉は御堂の首にしっかりと手を回し、しがみつく。
擦られる内壁が淫らに絡みつき、御堂を煽っていく。
荒く弾む吐息を漏らす唇が塞がれ、思考までも奪われる。
「ん……ふ…ぁ……御堂、さん……御堂さん……っ……」
うわ言のように名を呼びながら、克哉は身をくねらせた。
御堂に揺さぶられるたび、泣きたくなるほどの快感が押し寄せてくる。
「克哉……」
熱の篭った声で呼び返され、克哉の腕に力が増す。
御堂は更に高く克哉の足を抱え上げると、克哉の最奥を激しく突き上げた。
「あぁっ…! あっ、はっ……いい…ッ……!」
思わず、快感を告げていた。
中を掻き回され、繋がった場所から水音が立ち始める。
御堂の律動に身を委ね、克哉は喉を見せてのけぞる。
「いいッ……御堂さん……御堂…さん……!」
「かつ、や……ッ」
今まで何度も御堂に抱かれてきた。
けれど、こんなにも気持ちがいいのは初めてだった。
求める心に、身体が素直に反応しているのが分かる。
自分の身体が自分のものではなくなっていくようだ。
「御堂、さんッ……好き……大好き……」
ずっと言えなかった分を取り返すかのように、克哉は幾度もその言葉を口にする。
そのたびごとに、御堂のものが脈打った。
首筋に掛かる御堂の弾んだ吐息に、ぞくぞくと肌が粟立つ。
御堂に、何もかも奪われたい。
御堂の、何もかもが欲しい。
呼吸が苦しくなるほどの激しい欲望が、胸の内で暴れまわっている。
声を出していないといられない。
もう、何ひとつ閉じ込めることなど出来そうになかった。
「御堂、さん……も…もう……イキそう…ッ……」
せり上がってくる解放の予兆に、克哉は無我夢中で腰を振る。
互いの間に挟まれた克哉自身は、既に硬く張り詰めて、悦の涙を溢れさせていた。
御堂は克哉の身体に自分を密着させると、律動に合わせてそれを刺激する。
「イけば、いい……何度でも、イかせて…やる……」
克哉の耳元で囁きながら、御堂は締め付けるきつさに顔を歪ませる。
克哉は腰を突き出し、一層高く声を上げた。
「いいッ……いく……もう…御堂、さん……ん、あっ……あぁぁぁっ、あぁっ―――!!」
がくんがくんと克哉の身体が跳ねて、中心から大量の精が噴き上がる。
幾度も吐き出されるそれは、二人のシャツをねっとりと濡らしていった。
御堂もまた激しく痙攣する克哉の中で、己を解放させる。
「くッ……かつ、や……」
御堂の腰が震え、欲望が注ぎ込まれる。
それを感じながら、克哉は御堂の唇に自分の唇を重ねた。
「んっ……ぅ………ん……」
喉の奥で喘ぎながら、克哉は御堂の唇を貪る。
もう、離れない。
この人から、離れたくない。
「御堂、さん……もっと……」
無意識に、そう強請っていた。
その瞬間、中に収められたままの御堂自身が再び硬くなるのを、克哉は感じた。
二人はベッドの上で抱き締めあったまま、長い間黙り込んでいた。
あれから何度も愛し合い、気がつけばそろそろ夜が明ける時刻になっている。
克哉のベッドは狭く、けれどその狭さが今はありがたい。
ぴったりと寄り添っていると、それだけで安心出来た。
けれどまだ少しだけ現実感が伴わなくて、克哉はぼんやりと御堂に視線を向ける。
「……どうした?」
「い、いえ」
御堂の声は優しくて、やはりまだ信じられないような気持ちになる。
悪い夢を見ていたようだ。
御堂はさっきからずっと、克哉の髪を撫で続けていた。
それだけで、御堂の気持ちが痛いほどに伝わってくる。
―――もう、いいのに。
御堂が自分への罪悪感から、偽りの態度を取っていたことはもう分かっていた。
確かに辛かったけれど、もう少し早く自分の気持ちを伝えられていたら、
もっと強く自分の欲望をぶつけられていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。
中庸は罰だと、あの男は言った。
この長く辛い迷路を彷徨った日々がそれだったなら、お互いもう充分に罰は受けただろう。
だから克哉は、御堂を責める気にはなれなかった。
きっと二人とも、何かに怯えていたのかもしれない。
こんなにも自分の感情を揺さぶる相手に出会ったのは、初めてだったから。
今となっては、そんな風に思えた。
「……そろそろ、帰らなくては」
「そう……ですね」
二人とも、今日も仕事がある。
カーテンの向こう側は、もう白み始めていた。
頭では分かっているのに、克哉はまた不安になって、ついついきつくしがみついてしまう。
「あ、あのっ、御堂さん……」
何かを言おうとした克哉の頬に、御堂がそっと手を添えた。
「……もう、約束は必要ない」
「あ……」
そのまま、きつく抱き締められる。
そうだ。
約束なんてしなくても、また会える。
もう、怯えなくてもいいんだ。
「……そういえば、君の質問にまだ答えていなかったな」
「え?」
耳元に御堂の唇が触れて、克哉はくすぐったさに肩を竦めた。
―――愛している。
そのとき囁かれた御堂の言葉を、克哉は一生忘れないだろうと思った。
克哉はキッチンで、スモークサーモンに添える為のたまねぎを切っていた。
御堂のマンションのキッチンは広々としていて、とても使いやすい。
ただあまりにも綺麗すぎて、いかにこの場所が今まで活用されていなかったのかが分かる。
家事はほとんどハウスキーパー任せだったうえに、食事はもっぱら外食かケータリングだったらしいから無理もない。
けれどこれからは、出来るだけ自分が協力したいと克哉は思っていた。
御堂は何も話してはくれないが、MGNを辞めて御堂の収入は確実に減ったはずだ。
もちろん将来的には御堂にも協力してもらうつもりだったが、まだそれは言わないでおく。
今は、御堂の為に何かが出来ることが嬉しくてしかたないから。
克哉の隣りでは、御堂が物珍しそうにまな板の上を覗き込んでいた。
「……君は、料理も出来るのか」
も、とはどういう意味だろうと思いながら、克哉は苦笑する。
「こんなの、料理って言わないです」
「そうなのか?」
「だって、切って盛り付けるだけですよ?」
「ふむ……」
包丁も持ったことのなさそうな御堂には、これだけでも充分に驚きに値するのだろうか。
やけに真剣な御堂の様子に、克哉はなんだかおかしくなって、クスクスと笑った。
「なにが、おかしい」
「いえ、なんでも」
幸せだ、と思った。
あれから克哉は、頻繁に御堂のマンションを訪れるようになった。
仕事が終わると、御堂が迎えに来てくれる。
買い物をして、食事をして、週末はそのまま泊まり込むのが常だった。
今日も、克哉はそのつもりで来ていた。
食事を済ませたら、シャワーを浴びて、それから……。
「……」
そこまで考えて、克哉は顔を赤らめる。
同時に、御堂が克哉の腰にするりと手を回したから堪らない。
「わっ!」
飛び上がった克哉に、驚いたのは寧ろ御堂の方だった。
「なんだ、大声を出して」
「だ、だって、御堂さんが……」
「私が、どうした」
真っ赤になっている克哉を見て、御堂がからかうように唇の端を歪める。
御堂が意地悪なのは相変わらずだ。
けれどあの頃とは違って、決して自分を傷つけないようにしてくれているのが分かる。
甘やかされすぎるのは恥ずかしいから、これぐらいの関係がちょうどいい。
克哉は御堂に腰を抱かれたまま、スライスしたたまねぎを水の張ったボウルに移した。
「あ、あの、そういえば……」
「ん?」
「オレが御堂さんのカフリンクスをお返ししたときのことなんですけど……」
実はあのときのことが、ずっと気になっていたのだ。
克哉はちらりと御堂を見てから、躊躇いがちに尋ねる。
「あの後、何か言われたり……しませんでしたか?」
今思えば、随分と嫌味なことをしてしまった。
変な噂を立てられでもしたら、御堂に迷惑が掛かってしまうだろうに、
あの時はそれこそ構わないと思っていたのだ。
けれど、今は克哉も後悔していた。
御堂は何故か不機嫌な表情になって、克哉の腰から手を離す。
「……追いかけろ、と言われた」
「えっ?」
「どうやら私は、随分と酷い顔をしていたらしい。だから、必ず追いかけろと言われた。
言われなくても、そうしていただろうが」
「……」
気まずそうに話す御堂の横顔を見ながら、克哉はぽかんとしてしまう。
悪いことをしたと思いつつも、そのときの御堂の様子を見てみたかった。
他人に心配されてしまうほどの御堂というのが、想像もつかなかった。
「……彼女とは同じ部署の所属だが、他人のプライベートを詮索するような人間ではないから安心したまえ」
克哉が黙り込んでいるのを、御堂は別の意味に勘違いしたらしい。
宥めるように言いながら克哉の後ろに回ると、克哉のことを背中から抱き締めた。
首筋に吐息が掛かって、克哉はひくんと身体を震わせる。
「そんなことはいいから、君は続きをやりたまえ。私はここで見させてもらう」
「え、ちょ、ちょっと、それは……」
「なんだ? 文句があるのか?」
「文句というか……集中、出来ません……」
「……料理と言えるほどのものではないのだろう?」
「……っ」
御堂はわざと首筋に唇が触れるか触れないかの距離で話しつづける。
御堂が喋るたびにくすぐったさと甘い痺れが広がって、克哉の体温は徐々に上がっていった。
こうなってしまうと、もう食事どころではない。
背中に密着している御堂の身体が、触れている腰が、克哉を包むフレグランスの香りが、
克哉の全てを奪っていく。
「御堂……さん……」
震える声で呟くと、御堂の手が克哉の胸の辺りを弄り始める。
シャツのボタンがひとつだけ外され、そこに掌が滑り込んだ。
「あっ……ん…」
御堂は克哉の首筋にくちづけながら、冷たい指先で胸の尖りを捏ねる。
克哉はシンクに手をついたまま、快感に身を捩った。
知らずに腰が揺らめき、御堂に押し付けるような形になる。
「も……御堂、さん……」
「……続きはどうした?」
意地悪く聞かれて、克哉は包丁を退けた。
「後に……します……」
「ほう……? 何故だ?」
克哉は首を捻り、肩越しに御堂の顔を見つめる。
この人が、好きだ。
意地悪で、不器用で、高慢な彼が、いつだって欲しくてたまらない。
そんな自分がなんだか恥ずかしいけれど、それが正直な気持ち。
「あなたの……所為、です。御堂さん……」
欲情に濡れた瞳を向けられて、御堂が満足そうに喉の奥で笑う。
「……一生かけて、償おう」
その答えに克哉は微笑んで、二人はくちづけを交わした。
大切なのは、自分の欲望に素直になること。
傷つけあった日々の中で、それを知った。
だから、もう二度と自分を偽ったりしない。
あの迷路には、二度と戻らない。
―――あなたを、愛しています。
―――君を、愛している。
それが二人の辿り着いた、二人だけの答えだった。
- end -
2008.03.05
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