Classical

exist 12

克哉が澤村に連絡を入れたのは、それから数日後のことだった。
直接会って話したいことがあると告げると最初は面倒だの忙しいだのと渋ってはいたが、それも所詮は己の優位性を示したいが為のパフォーマンスだったに違いない。
分かってはいたけれど克哉はあえてそれに付き合い、澤村の自宅近くにある公園を待ち合わせ場所にすることでなんとか約束を取り付けた。
指定された時刻は午後九時。
とうに陽は落ちていたものの、夏の夜の空気はまだまだ蒸し暑かった。
克哉と御堂は約束の時刻の五分ほど前に公園に到着していたが、澤村が姿を現したのはそれから三十分近くも経ってからだった。
「っ……くくっ……」
唐突に聞こえてきた不快な笑い声に、ベンチに腰掛けていた二人が振り返る。
そこにはわざとらしく腹を抱え、こちらを馬鹿にするように身を捩って笑っている澤村がいた。
「なるほど、保護者付きかぁ。さすがは克哉くんだね。一人で僕に会うのが怖かったのかな?」
「澤村……」
克哉と御堂は同時に立ち上がったが、先に一歩前に出たのは御堂のほうだった。
「あんな電話を掛けてきておいて、何を言っている? 先に私を巻き込んだのは貴様のほうだろう?」
まったくもってその通りだ。
ぐうの音も出なかったのか、澤村はさっと無表情になって黙り込む。
「だが、安心したまえ。私は君達の話し合いに、一切口を挟むつもりはない。ただ、後で言った言わないで揉めるようなことになっては困るからな。見届け人として同席させてもらう」
「へぇ……。だけど克哉くんの味方である貴方が立ち会うのでは、僕のほうが随分と不利な気がしますけど?」
「そんなことはないだろう。そちらは我々を脅すネタを持っているようだからな」
「……」
澤村と御堂はしばし無言のまま睨み合っていたが、結局は澤村が退くことになった。
「……分かりましたよ。どうせ呼び出してきたのは、そちらだ。僕には後ろめたいことはありませんからね。好きにすればいい」
再び薄ら笑いを浮かべながら澤村がそう吐き捨てると、御堂は克哉を振り向いて小さく頷いた。
克哉もそれに微笑みを返しながら、そっと胸のあたりに手を当てる。
勇気が欲しいと思ったとき、無意識にその仕草をするようになったのはいつからだろう。
そこにはもう、あの眼鏡はない。
それでも胸の内の、もっと、ずっと奥に。
御堂と、もう一人の自分と、今まで佐伯克哉を見守ってきてくれた人達に貰ったものがたくさんある。
それに夢の中では、もう一人の<俺>はもういないのだと言われたけれど、克哉はそんなことはないと確信していた。
(……ずっと言えなかったこと、ちゃんと伝えるからな)
そして、顔を上げる。
冷めた目つきでこちらを見ている澤村を前にしても、以前のような恐怖や不安は微塵も感じない。
克哉の心は不思議なぐらい穏やかに凪いでいた。
「それじゃあ、話を聞こうか。僕も暇じゃないんで、さっさと終わりにしてくれよ」
「うん、分かったよ」
克哉は短く息を吐く。
それから澤村の目を真っ直ぐに見ながら言った。
「アメリカ行きの件だけど……。オレ、辞めないよ。辞退はしない」
そして、御堂を少しだけ振り返りながら更に付け加える。
「もちろん、御堂さんとも別れない。君の思い通りになるつもりはない」
克哉の宣戦布告とも取れる力強い言葉を聞いて、御堂が少しだけ笑った。
一方で澤村は呆れたように肩を竦め、わざとらしく溜息をつく。
「ふぅん、そうなんだ。残念だなぁ。僕としてもあまり面倒なことはしたくなかったんだけど……仕方ないね」
「……オレと御堂さんのことを言いふらすと?」
「そうかもしれないね。他にもっと効果的な方法が思いつけば、そちらに変更するかもしれないけど」
「効果的な方法……」
「そうだよ。君の人生を滅茶苦茶にしてやる為の、最も効果的な方法」
「……」
澤村は考えることそのものが愉快なのだと言わんばかりに唇を歪めながら、早速その方法について思案しはじめたようだった。
それでも克哉の中に怒りや憎しみの感情が湧くことはなかった。
ただ、澤村がひどく―――可哀想に思えただけだった。
「……もう、終わりにしようよ」
克哉がぽつりと呟くと、澤村は目を見開く。
克哉の声に憐憫の情を感じ取ったのかもしれない、眼鏡の奥の瞳にはあきらかな怒りが滲んでいた。
「終わりにしよう? なんだよ、その都合のいい言い草は。それを言うなら、もう終わりにしてください、許してください、お願いします、じゃないのか?」
「……」
「土下座して、負けましたって頭下げて、認めろよ。そうしたら僕だって、許してやるかもしれないぜ? なあ?!」
澤村が苛立たしげに声を荒らげる。
それはあの卒業式の日、『お前には分からない』と克哉に向かって叫んだ姿そのままだった。
傷ついたのは克哉のはずなのに、彼のほうが余程苦しそうで、辛そうで。
だから、克哉は言った。
「……君だって、本当はもう終わりにしたいんだろう?」
「……はぁ?」
「君のほうこそ、いい加減に認めろよ。君はオレが嫌いだったんじゃない。……好きだったんだよ、佐伯克哉のことが」
「なっ……!」
澤村が絶句する。
これから自分は彼にもっと痛い想いをさせることになるだろう。
けれど、それは互いにとって必要な痛みだ。
あの日から、前に進む為の。
「……君は佐伯克哉が好きだったんだ。好きで好きで仕方なかった。いつもオレの傍にいて、オレの隣りに並んで、オレと対等でいたかった。誰よりもオレに必要とされたかった。でも君はオレに何かで負けるたび、オレに置いていかれるようで、不安で堪らなくて……。だから、あんなことをしたんだろう?」
ずっと考えていた。
澤村ががどんな気持ちだったのか。
本当はどうしたかったのか。
そうして出た結論らしきものと、あえて違うことを克哉は口にする。
案の定、澤村は激昂した。
「ばッ……馬鹿なことを言うな! どうして、俺が……!!」
「だって、そうじゃないか。オレが嫌いだったなら、嫌いだって言ってくれれば良かったんだ。お前なんか大嫌いだって殴ってくれれば良かった。オレを完全に孤立させることも出来たはずなのに、でも君はそうしなかった……。自分だけが味方のような顔をして、オレの傍にいつづけたんだ。オレに唯一頼られて、唯一信じられて、君はオレを独り占めすることに成功した。あの頃の佐伯克哉にとって、君は掛け替えのない、たった一人の大切な存在だった。それが君の望みだったんだろう? それが君は嬉しかったんだろう?」
「ふ、ざけるなよ……。頭がおかしくなったのか?! 俺はお前が嫌いだったんだよ! ずっとお前が憎かった!! お前の味方の振りをしたのだって、そのほうが面白かったからさ!」
「そうかな……」
「そうだよ!! 最初から、今でも、俺はお前が大嫌いだ!!」
澤村は震える拳を握り締めながら息を切らせる。
そうだ、もっと曝け出せばいい。
全部吐き出せばいい。
醜くて、卑怯で、弱い自分を。
大きすぎる劣等感に押し潰されそうになっていた心を。
かつて佐伯克哉がそうであったように。
「お前の所為で、俺は常に二番だった……。どれだけ頑張っても、横からお前が全部かっさらっていく……! 努力もせずに、平然と、当たり前のような顔をして! だからお前が目障りで、邪魔で、鬱陶しかったんだよ!! クラスの連中が、何故俺の指示に簡単に従ったか分かるか? それは俺以外にも、お前を同じように思ってる奴がたくさんいたからさ! なんでも出来る人気者だと自惚れて、調子に乗ってるお前を嫌ってる奴がな!!」
「……」
きっと、そうなのだろう。
澤村と同じように、自分の存在をどこか面白くなく思っていた人間は少なくなかったのだ。
もちろん克哉とて、誰からも好かれていたはずなんて思ったことはない。
それでも、彼だけは―――紀次だけはと信じていたのに。
「……そうか。君はオレのことが本当に嫌いだったんだ……」
克哉の呟きに、澤村がハッと嘲るように笑う。
「当たり前だろう……。お前みたいに男が好きな変態と一緒にするな!」
「オレと君は、そんなに違う?」
「ああ、違うね。だから言ったんじゃないか。お前なんかに俺のことは絶対に分からないって」
「そうか……」
克哉はそっと目を伏せた。
瞼の裏で、数えきれないほどの桜の花びらが舞い散るのが見える。
(オレ達も随分と嫌われたもんだな……なぁ、<俺>?)
確かにあの頃、克哉は澤村の気持ちなんてちっとも分からなかった。
ぶつけられた悪意に傷つき、逃げることしか出来なかった。
でも、そのおかげで分かったこともある。
克哉はゆっくり目を開けると、澤村に微笑んでみせた。
「君の言う通りだよ」
「……は?」
「オレと君とは違う。だから君は、自分とオレを比べたりしなくて良かったんだ」
「……」
虚を衝かれたように呆然としている澤村に、克哉が一歩近づく。
そして、一番伝えたかった言葉を口にした。
「……オレは、君が好きだったよ」
優しく、懐かしい感情の記憶を辿りながら。
「君からもらった優しさの全てが嘘だったとしても、あの頃のオレが頑張れたのはやっぱり君のおかげだったんだ。隠された上履きを一緒に探してくれたことも、机の落書きを一緒に消してくれたことも、全部本当に嬉しかった。……ううん、その前から君はオレにとって一番大切な友達だったんだ。一緒に野球をしたり、うちでゲームをしたり、楽しかったな……。どっちが一番とか二番とか、そんなの気にしたこともなかったし、どうでも良かった。君が大好きだったから、君に裏切られていたと知ったあとも、君を本気で憎むことなんて出来なかった……」
話しているうちに、当時の思い出がどんどん甦ってくる。
自然と心の中に流れ込んでくる。
もう一人の自分しか知らなかったはずの過去が、今度こそ共有されていくのを克哉は確かに感じていた。
彼は本当に大切な友達だった。
今になって思い出すのは楽しかったことや、嬉しかったことばかりだ。
そんな彼を憎みたくなかったから、だから佐伯克哉は自分を変えることを選んだのだ。
それまでの自分を捨ててでも。
「……信じたオレが馬鹿だったんだと思った。それ以来、オレは他人と距離を取るようになって、誰も信じなくなった。他人と深く関わらなければ、傷つけることも傷つけられることもないだろうと思ったから。でも……それは君も同じだったんだ」
「なんだって……?」
澤村の頬がぴくりと引き攣る。
それでも克哉は話すのを止めなかった。
「君だって、そうなんだろう? 君はオレを裏切ったことで、誰も信じられなくなってしまった。いつか自分もオレと同じように、誰かに裏切られるかもしれないと怯えて生きるはめになったんだ」
「誰が……」
「だから君はいつまでもオレとの勝ち負けに拘るんじゃないのか? 君はそうやって、いつまであの日に縛られているつもりなんだ? 君の心は、まだ十二歳のままじゃないか。どれだけオレの人生を滅茶苦茶にしたところで、そんな君が満たされることなんてあるわけないんだ」
「黙れ、この……!!」
澤村は乱暴に克哉の胸倉を掴んだ。
しかし克哉が怯むことはなく、御堂もまた微動だにしなかった。
至近距離で覗いた澤村の瞳は、何処か不安げに揺れていた。
「……今のオレには、君のことが分かるよ。君は弱くて、卑怯だ。以前のオレと同じくらいに。だけど、オレはそんなオレを全部受け止めてくれる人に出会えた。全て曝け出しても、オレを嫌わず、ずっと傍にいてくれる人に」
「はっ……そいつが裏切らない保証が何処にある? いつかそいつも、俺がお前にしたみたいに手のひらを反すかもしれないぜ?」
「そうだね。裏切らない保証なんて何処にもないよ。でも、それでいいんだ。オレはその人を信じられるから」
「……」
澤村の手が少しだけ緩む。
その視線は、克哉の後ろにいる御堂に向けられていた。
「は、はははっ……俺がお前らのことをバラせば、二人してMGNをクビになるかもしれないんだぞ? それでも、そんな呑気なことを言ってられるのか?」
「仕事は……なんとかなるんじゃないかな。オレと御堂さんだし」
「……随分な自信だな」
「そうだね」
後ろで御堂がクスクスと笑う声がする。
半分ハッタリではあったけれど、実際に口に出してしまうと本当にそう思えてくるから不思議だ。
御堂と一緒なら、きっとどんなことになっても大丈夫だろう。
そんな風に思えるようになったのも、全て御堂のおかげだった。
「じゃあ、お前の実家に連絡を入れるってのはどうだ? お宅の息子さんは男性上司と恋人関係にあって、同棲までしていますよってさ」
「……」
その脅しに、更に御堂が笑う。
克哉はちょっと困ったように首を傾げた。
「……うちの両親は全部知ってるよ。勿論、御堂さんのご両親も」
「っ……。だ、だったら、他にも……!」
「無駄だよ」
「何が……」
「君が何をしようと、無駄なんだ。オレは諦めないから。約束、したから」
「……」
澤村が唇を噛む。
よほど悔しかったのか、その身体は微かに震えているようだった。
克哉ももう、これ以上澤村を追い詰めたくはなかった。
「……御堂さんに出会って、オレは変わった。まだまだオレだって弱くて狡いけど、それでもオレは努力しつづけることにしたんだ。オレは御堂さんを信じられる。オレの人生はオレだけのものじゃなくなったから、オレはいつまでもあの日に縛られているわけにはいかないんだよ」
「……」
「だから、澤村……オレはお前を許すよ」
「なに……?」
「そのかわり、お前もオレを許してほしい。お前がオレを嫌いだったことは、よく分かったから。お前を傷つけていたことに気付けなくて、ごめんな。でも、最後まで一緒にいてくれてありがとう」
「今更……今更なにを言っているんだ、お前は……」
とうとう澤村は克哉から目を逸らし、俯いた。
お互いに子供だった。
そして子供なりに傷ついていた。
きっと澤村は、分かってほしかったのだ。
克哉に気付いてほしかった。
劣等感に凝り固まった、弱い心を。
全てを曝け出して、そのうえで友達でいられたらどんなにか良かったのに―――。
「……お前の全部を受け止めてくれる人が、お前が心から信じられる人がきっといると思う。だから、もう……終わりにしよう。そうしなければ、お前はいつまでもたってもその人に出会えないよ」
「……」
オレの為だけじゃなく、お前の為にも。
克哉が澤村の手をそっと解くと、その手は呆気なく離れて落ちる。
克哉がもうとうに手の届かない場所に行っているのだということに、澤村はようやく気がついていた。
克哉は自分の中のもう一人の自分に伝える。
(―――これで、いいよな?)
返事はない。
けれど心の中は、言いたいことは全部言ったという清々しさに満ちていたから大丈夫なのだと思う。
「克哉……」
いつの間にかすぐ傍に御堂が立っていて、そっと肩を抱き寄せられた。
二人で微笑みを交わしあう。
それから克哉は、無表情なまま立ち尽くしている澤村に言った。
「とにかくオレは、アメリカ行きも御堂さんのことも諦めるつもりはないから。それで君がどうするかは、君の自由だ」
誰にも、何にも邪魔はさせない。
御堂のことも、仕事のことも、オレが佐伯克哉であることも。
「話はこれで終わりだよ。それじゃあ……さようなら、紀次」
親友だと信じていた頃に呼んでいた名前を口にしても、澤村は顔を上げなかった。
御堂と克哉は澤村の横を通り過ぎると、二度と彼を振り向くことなく公園を後にした。



マンションの部屋に帰り着くなり、待ちきれなかったとばかりに二人はきつく抱き締め合った。
「克哉……よく頑張ったな」
子どもをあやすように背中を撫でられて、張り詰めていた気持ちが一気に緩む。
涙が込み上げてきたのが恥ずかしくて、克哉はただ首を振ることしか出来なかった。
「それにしても……君があんなことを言うとは、少々意外だったな」
「え……?」
意味が分からなくて克哉が顔を上げると、御堂は苦笑していた。
「てっきり奴をやり込めて、今後一切こちらに手出しはしないと約束させるのかと思ったが……。まさか彼を許したうえで、君が謝るとは」
「あ、あれは……」
確かに御堂が言うようなやり方もあったのだろう。
けれど、それでは根本的な解決にはならないような気がしたのだ。
きちんと終わらせてしまわなければ、新しく始めることは出来ない。
それがお互いにとってもっとも必要なことだと思った。
「オレには孝典さんがいましたけど……あいつにはきっとそういう人がいなかっただろうから。誰も信じられないのは、辛いことです……」
「そうだな。……私も本城に、あんな風に言えたら良かったのかもしれない。そうすれば、君を傷つけることもなかったんだろう」
「そんな……」
御堂もまた友達と信じていた相手に裏切られた経験を持っているのだ。
だからきっと克哉の痛みがよく分かったのだろう。
抱き締める腕に力がこもる。
「やはり君は強いな。私よりもずっと、君は強い」
「違います……! オレが強くなれたのは、孝典さんがいたから……。孝典さんに会えてなかったら、きっと今頃はオレだって……」
御堂に会えていなかったら―――そう想像するだけで怖くて堪らなくなる。
今、目の前から御堂が消えてしまったらきっと生きていけないだろう。
でも、それでいい。
御堂がいなくても生きていけるような強さなら、いらない。
「孝典さん……本当に、いろいろとありがとうございました」
「私は何もしていない。頑張ったのは君だ。それにこの後、あいつがどう動くかは分からないだろう」
「それは……大丈夫な気がします」
なんの根拠も無かったけれど、そう思った。
彼とてあの日、たまたま克哉に再会しなければこんなことをしようなんて考えつきもしなかったはずだ。
そして今の克哉は、あの日の小さな偶然にとても感謝していた。
澤村がどう感じているのかは分からないけれど……いつか、遠くない未来。
克哉が御堂に出会えたように、彼が心から信じられる相手に出会えていればいいと、克哉は願っていた。
「……オレ、あなたに出会えて本当に良かったです。こんなオレですけど、これからもずっと一緒にいてくれますか?」
「当たり前だ。私からも頼む」
「孝典さん……」
嬉しくて、幸せで、克哉は潤む瞳で御堂の顔を見つめた。
吸い寄せられるようにして、互いの唇が重なる。
ようやく素直にその温もりを受け取れると感じた矢先。
くちづけはほんの僅かな時間触れ合っただけで、あっさり解かれてしまった。
「あ……」
頼りない声を出して、克哉は御堂の唇を目で追う。
もっと、もっとキスがしたい。
けれど何処か不安げな御堂の表情を見て、それが自分の所為であることに気がつく。
「孝典さん、あの……」
「……いいのか?」
克哉の言葉を遮って、御堂が尋ねる。
「これ以上したら、私はきっとキスだけで済ませられなくなる。それでも、いいのか?」
自分の存在そのものに自信を失ってから、克哉は御堂に抱かれることが出来なくなってしまった。
それでもここ最近はひとつのベッドで眠れるようになったし、軽いキスも交わせるまでにはなっていたのだ。
けれど御堂と恋人同士になってから、こんなにも長い間セックスをしなかったのは始めてのことだった。
「ごめんなさい、孝典さん……」
克哉の謝罪を拒絶と捉えたのか、御堂の表情が悲しそうなものに変わる。
誤解させてしまったと気付いて、克哉は慌てて訂正した。
「ち、違うんです! そうじゃなくて、今までオレの勝手な独りよがりであなたに酷いことをしてしまって……本当にごめんなさい。オレみたいな偽者は、あなたに抱いてもらえる資格なんてないと思ったんです。実体もないくせに、あなたを騙しているような気がして……」
「克哉」
「でも……! 今は違います。オレは佐伯克哉です。あなたの恋人で、あなたのパートナーで、あなたを誰よりも愛している……佐伯克哉です。今は自信を持って、そう言えます。だから……」
克哉は御堂の背中に手を回し、その身体にきつくしがみつく。
もう離れたくないと祈るように。
「だから、もう一度オレに触れてくれますか? あなたに、たくさん……してほしい……」
「克哉……」
改めて重なった唇は、今度はすぐに離れるようなことはなかった。
大切な宝物にするような繊細なくちづけが少しずつ深くなっていくにつれ、克哉の中にも悦びが広がっていく。
いつからか毎日何度もキスをするのが当たり前になっていたけれど、それがどれだけ幸せなことだったのかを思い知る。
唇の柔らかさも、掛かる吐息の温もりも、すべてが愛しくて堪らなかった。
早く御堂の全部が欲しくて、それを伝えたくて克哉は必死で舌を絡める。
「んっ……ふ……」
無意識に喉の奥から声が漏れて、頭の芯がぼうっとしてくる。
体温が上がって、腰のあたりから力が抜けていく。
もう我慢出来ない。
克哉が御堂のシャツのボタンを外そうと、襟元に手を掛けた、そのとき―――。
「……ちょっと待ってくれ」
すっと御堂の身体が離れる。
予想外のおあずけをくらって、克哉はきょとんとした。
「今日は随分と汗をかいただろう。先にシャワーを浴びてこないか?」
「え……」
そのときの自分は心底残念そうな顔をしていたに違いない。
恥ずかしいことにこのまま我を忘れて快楽に溺れてしまいたいと思っていた克哉は、すぐに返事が出来なかった。
けれど御堂は克哉の同意を得ないまま、バスルームへ向かおうとする。
数歩進んだところで克哉がついてきていないことにようやく気付いた御堂は、それでも克哉のもとに戻ってきてくれる気はないようだった。
「さぁ、行こう。克哉」
「……はい」
笑顔で差し伸べられた手を、克哉が拒めるはずもなかった。

御堂は脱衣スペースで着ているものを脱ぐと、さっさとバスルームへ入ってしまった。
すぐに中からシャワーの音が聞こてくる。
けれど克哉はここまで来てもまだ気が進まない様子で、のろのろと時間を掛けて服を脱いでいた。
(孝典さん……)
克哉は御堂の態度に何処か不安を覚えていた。
あれほど深いくちづけをしておきながら、あっさりと離れてしまった身体。
もしかすると御堂はまだ自分を完全には許していないのかもしれない。
長い間セックスを拒み続けたのだから、それについて御堂がまだ蟠りを持っていたとしても不思議はなかった。
そのくせ、もう大丈夫だからしてほしい、なんて自分勝手もいいところだ。
やはり御堂にもっと謝らなければ。
ようやく全裸になった克哉は、おずおずとバスルームのドアを開けた。
「あ、あの……」
中ではすでに御堂がシャワーを浴びていた。
なんだか妙に恥ずかしいのは、こうして御堂の前で裸になることさえ久し振りだったからだ。
(どうしよう……)
今更裸を恥ずかしがるなんて、そのほうがよほど恥ずかしい気がする。
そう思うのに、心臓の鼓動が少しずつ速まっていくのをどうすることも出来ない。
このまま御堂の傍に行けば、どれだけはしたない自分を晒してしまうだろうかと考えるととても怖くて、克哉はバスルームのドアを閉めたあとも入口近くからなかなか動けずにいた。
「……何をそんなところに突っ立っている? 早くこちらに来たまえ」
「は、はい」
御堂に呼ばれて、克哉はようやく御堂に近づいていった。
今までと変わらず平然としているように見える御堂に対して、意識しすぎな自分がとてつもなく恥ずかしい。
克哉は俯き加減のまま、頭上に掛けたシャワーヘッドから激しく流れる水流の傍に立った。
直接流れに当たらずとも、少しぬるめの温水から飛び散るしぶきですぐに全身がしっとりと濡れそぼる。
「ほら。きちんと汗を流せ」
「……!」
御堂の指が克哉の湿った髪を掻き回す。
御堂は克哉に対して、ときどき酷く世話焼きになった。
パジャマのボタンを嵌めてくれたり、髪を乾かしてくれたり、ネクタイを直してくれたり。
そんなときは自分がまるで子供扱いされているようで恥ずかしくなるものの、愛されていることを実感して思いきり甘えたくもなるのだった。
けれど、今は少し違う。
たったこれしか触れられていないのに、全身がせつなさに疼いている。
御堂の素肌を前にして、繊細な指先の動きを感じて、克哉の中心は少しずつ頭をもたげはじめていた。
(まだ、何もされていないのに……)
どうか気付かれませんようにと心の中で願う。
しかしそれは無理な願いというものだった。
御堂がクスリと笑う。
「……まだ触れてもいないのに、もうそんなにしているのか?」
からかわれて、克哉は羞恥に身を竦めた。
「す、すみません……! その、オレ……」
「仕方ないな」
「……孝典さん?!」
そう言って御堂はすっと克哉の背後に回ると、背中からその身体を抱きしめた。
濡れた熱い肌が重なって、それだけで克哉はぶるりと震える。
「あっ……」
御堂の両の掌が克哉の濡れた胸の上を滑る。
二つの尖りを同時に見つけた指先がそこをきゅっと摘んだ瞬間、克哉の嬌声がバスルームに響いた。
「あ、ああっ……!」
それほど強い刺激を与えたつもりのなかった御堂は、克哉の反応の良さに自分も昂ぶるのを感じていた。
そのまま緩急をつけながら尖りを捻ったり押し潰したりと弄ばれる。
痛みにも似た快感がじわじわと下半身へと広がっていって、克哉の足元は覚束なくなっていった。
「あっ、孝典、さんっ……」
うなじを舐められて、克哉は思わず悲鳴に近い声を上げた。
まるで尿意を我慢しているかのように前屈みになっている姿は、さぞかしみっともないことだろうと思う。
けれど、克哉はもうすでに自分で自分をコントロール出来なくなっていた。
快楽に溺れるのが怖くて、でも離れられなくて、溺れてしまいたくて。
いまだ弄り続けられている胸の尖りがあまりにも気持ちが良すぎて、目の前がくらくらしてくる。
とめどなく滴ってくる雫のこともあって、克哉はきつく目を閉じた。
そのせいで意識はかえって下肢に集中してしまう。
背中の体温にも、腰にあたる御堂のものにも、すべてに興奮していた。
「克哉……」
不意に克哉の両足の間に、御堂のすっかり熱くなった昂ぶりが差し入れられた。
上向いた屹立を裏側から御堂自身で擦られる感覚に、克哉の膝ががくがくと戦慄く。
「あっ、あ、や、ぁっ……!」
そこも気持ちいいけれど、やっぱり中に欲しい。
克哉はもどかしさに腰を揺らしたが、ますます屹立同士が擦れ合ってせつない快感ばかりが高まっていく。
やがて克哉は御堂に顎を捉えられ、肩越しに御堂を振り返った。
唇を塞がれ、口内を蹂躙される。
そして絡めていた舌を強く吸われた瞬間、抱き寄せられていた克哉の腰がびくんと跳ねた。
「んっ……ふ、ぅっ―――……!」
まずい、と思ったときには手遅れだった。
咄嗟に克哉は自身の屹立を押さえつけたけれど、その指の間からぼたぼたと精液が溢れて落ちる。
「……あっ、あ……は………」
吐きだした精液が御堂自身にも掛かる。
御堂は腰を引くと、後ろから克哉の頬にくちづけた。
「……もう、イってしまったのか? しかも一人で勝手に……狡いな、君は」
からかうように言われて恥ずかしいはずなのに、それよりも射精の快感があまりに強くて何も考えられない。
克哉はしばらく御堂に背中を預けたまま、呆然としていた。
けれど、身体はまだ少しも満足していない。
後孔はかえってひくついて、御堂自身を待ちわびていた。
「孝典、さん……早く……欲しい……」
ほとんどうわ言のように強請る。
けれど御堂の返事は無情なものだった。
「続きはベッドに行ってからだ」
「そんな……」
もう少しも待てないのに。
克哉は涙目になって御堂にすがりついた。
「……やっぱり、まだオレのこと怒ってるんですよね……?」
「怒っている? 私が? 何故?」
「だって、オレがずっと孝典さんを拒んでいたから……。だから、なかなかオレのこと抱いてくれないのかと……」
「ああ、なるほど」
ようやく合点がいった様子で御堂は頷く。
「確かに、君にはだいぶ待たされたからな。怒ってはいないが、ちょっとした仕返しだとでも思ってもらおうか」
「仕返し……。本当に怒ってはいないんですか?」
「ああ、怒ってなどいない。だが、どうしても君の気が済まないというのなら……好きなだけ私に償ってくれても構わないが?」
「孝典さん……」
その不遜で高圧的な言葉と表情に、克哉の身体の奥がぞくりと粟立つ。
克哉が何に悦ぶのか、何に欲望を煽られるのか、よく知っているからこそのそれは絶大な効果を与えてくれた。
熱を帯びて赤く染まった顔を見られたくなかった克哉は、俯いたまま小さく「はい」と頷いた。

バスルームを出てから寝室まで行く間も、克哉はふわふわと熱に浮かされているような心地だった。
さっきの御堂の言葉に、すっかり支配されてしまっている。
早く償いたい。
御堂に尽くしたい。
そうしたら、きっと御堂は素敵なご褒美をくれる。
その甘い期待だけで克哉はどうにかなりそうだった。
寝室は間接照明の仄かな灯りでオレンジ色に染まり、御堂はベッドの端に悠々と腰掛ける。
緩く開かれた両足の間に、克哉は引き寄せられるようにして跪いた。
「孝典さん……」
バスローブを捲る。
既に硬くなっている御堂のものは、手に取るとまだしっとりと湿り気を帯びていた。
克哉は差し出した舌先を絡めながら、それをゆっくり口内へと導いていく。
すぐに全部を入れてしまうのが勿体ないとばかりに、少しずつ少しずつ。
「ん、っ、う……」
御堂が克哉の感じる場所を全て知っているように、克哉も御堂がどうすれば悦んでくれるのかよく知っていた。
筋に舌を這わせ、唇で扱くようにすると御堂の腰が僅かに揺れる。
その小さな反応だけでも嬉しくて、次第に克哉は愛撫を激しくしていった。
「克哉……」
囁く御堂の声が少しだけ掠れている。
早く、これが欲しい。
この激しい熱が後で自分を貫いてくれるのかと思うと、愛しくて愛しくて堪らなくなる。
唾液が溢れて顎を伝い落ちていくのも構わず、克哉は喉の奥まで屹立を飲み込んだ。
時折びくびくと震える感覚が口内に伝わってきて、克哉までが震える。
「ん、ふっ……」
とうとう堪え切れず、克哉は自分で自分の屹立に手を伸ばした。
いつの間にか再び硬くなって上向いた自身からはたらたらと透明な蜜が溢れていて、それが伝う感触さえも快感に変わる。
しかし。
「……克哉。自分で触るのは駄目だ」
「んっ……」
御堂のものを咥えたまま、克哉は上目遣いに御堂を見上げる。
御堂の命令は絶対。
縋る克哉の視線は無言のうちに制され、克哉は自身から手を離すと、再び御堂への愛撫に集中しようとした。
それでも高まり続ける疼きは治まることを知らず、克哉はもじもじと腰を揺らす。
前も後ろもせつなくて堪らない。
早く弄って。
オレも気持ち良くして。
狂おしいほどの欲望を、克哉はそのまま御堂へとぶつけた。
じゅぶじゅぶと卑猥な水音を立てて御堂の熱を愛すると、とうとう御堂からも微かな喘ぎ声が漏れる。
「……っ、ぁ……克哉……っ…」
髪を掻き回され、御堂の腰が動く。
激しく喉奥を突かれて、克哉の目に涙が浮かんだ。
もうすぐ、御堂が果てる。
「克哉……克哉……―――!」
「―――!!」
屹立がどくんと大きく脈打った直後、熱い欲望の奔流が克哉の口内に迸った。
咄嗟に飲み込もうとしたものの飲みきれず、それは克哉の唇から溢れて胸元へと零れる。
「っ……克哉……」
「んっ…ん…く……」
屹立が跳ねるたびに溢れる御堂の精を吸い尽くして、ようやく克哉は口を離した。
とろりと肌の上を伝う御堂の欲望にさえも感じて、克哉はうっとりと目を潤ませる。
まだ自分が達したわけでもないのに恍惚とした表情を浮かべている克哉の口元を、御堂の指先が拭った。
「ふっ……自分が今、どんな顔をしているか分かっているのか? 本当に君はいやらしいな……」
「はい……オレは、いやらしいです……だから……」
だから、早く御堂が欲しい。
まだ今日一度も触れてもらえていない克哉の屹立は、すでに今にも弾けそうになっている。
それを見てさすがに御堂も許す気になったのか、克哉の手を引いてベッドの上へと引っ張り上げた。
そして仰向けに倒された克哉のうえに、御堂が覆い被さる。
「まったく君は……私がどれだけ我慢していたと思っている?」
「はい…ごめんなさい……」
「仕方がないな。許してやろう」
御堂は笑いながら言って、克哉に軽くくちづけた。
「気が済んだか?」
「はい……」
「よろしい」
克哉もようやく笑って、二人はもう一度唇を重ねた。
くちづけている間にも下肢で互いの雄が触れ合い、自然と腰が揺れる。
一度放っているはずの御堂のものも、すぐに熱を取り戻していった。
「克哉……」
「ん、あっ……!」
御堂の指が克哉の後孔に触れる。
閉じた窄まりに指を入れられ、そこは尚更御堂の指をきつく締め付けた。
「あっ……あ、っ……」
「痛いか?」
「痛く、ないっ……」
克哉は顔を振った。
痛みはない。
むしろ克哉の内部は御堂の指を誘い入れるように蠢いている。
しかし御堂はあくまで入口を解そうとしていて、奥までは入ってこようとしない。
「孝典さん……もっと……もっと、欲しい……!」
克哉は身体を震わせながら強請った。
もっと奥まで、もっと熱くて大きなものが欲しい。
指だけじゃ、入口だけじゃ物足りない。
御堂が久し振りの交わりを気遣ってくれているのは分かるが、今の克哉にとっては焦らされているようにしか感じられなかった。
「孝典、さん……もう……オレ、限界です……」
とうとう克哉の目尻から涙が零れた。
その涙を御堂が舌で掬い取る。
「泣くな、克哉」
「だって……」
「分かった。すぐにしてやる」
御堂は耳元に甘く囁くと、ようやく後孔から指を抜いた。
それから克哉の両足を広げ、担ぎ上げる。
これ以上ないぐらいに恥ずかしい恰好なのに、克哉の中にはただ悦びと期待しかなかった。
ひくつく後孔に御堂の先端があてがわれる。
久し振りに御堂を迎え入れるそこはやはり少しきつくて、御堂は腰を揺らしながら少しずつ克哉の中に自身を沈めていった。
「あっ……あぁ……」
御堂の熱が克哉の内壁を擦っていく。
すぐにそこはぐずぐずに蕩けて、御堂にぴったりと絡みついた。
どうして、こんな風に繋がりたくなるのだろう。
どうしてこんなにも幸せになるのだろう。
御堂と一つになれることが嬉しくて嬉しくて堪らない。
早く一番奥まで欲しくて、克哉も自ら腰を揺らした。
「あっ……孝典さん……もっと、もっと奥に……」
「克哉……」
たっぷり時間を掛けて、ようやく御堂の全部が克哉の中に収まる。
克哉は息も切れ切れになりながら、それでも御堂に向かって手を伸ばした。
「孝典さん……早く、来て……!」
「……っ」
その言葉に、御堂は克哉の腰を掴むと激しくその身体を揺さぶりだした。
「ん、あぁっ……!」
律動に合わせて、克哉が喉を見せて喘ぐ。
内側を擦られ、奥を突かれるたびに御堂とひとつになっていくのを感じた。
この身体も、魂も、全部御堂にあげたい。
御堂に見てほしい。
知ってほしい。
感じてほしい。
佐伯克哉の全てを、御堂のものにしてほしかった。
「気持ち、いいのか……?」
乱れる息の下で尋ねれば、克哉はこくこくと頷いた。
「気持ち、いいっ……孝典さん……いいっ……!!」
何も恥じる気持ちさえなくなる。
自分を曝け出すのはとても怖いことだけれど、それを乗り越えてこそ今があった。
欲張りで、頑固で、弱くて、淫らな自分。
ふと、克哉は思った。
御堂もそうなのだろうかと。
「孝典、さん……も……」
「ん……?」
「孝典さんも……全部、見せてくれますか…?」
克哉の問いに、御堂がふっと笑う。
「……ああ。どんな私でも、受け止めてくれるのだろう?」
「はい……!」
応えるまでもなかった。
御堂は更に克哉を激しく突き上げる。
克哉に<接待>を強要した、あのときの御堂もまた御堂の持つ本質だったのだろう。
あの過去を二人で受け入れたように、きっと何があっても大丈夫だと思える。
これからも、ずっと。
「克哉…っ……」
「あ、ん、あっ……!」
絶頂の予感にますます呼吸が乱れる。
克哉は御堂の腕に縋り、腰に足を絡めた。
一緒にいきたい。
一番深く繋がったまま果てたい。
やがて御堂のものが奥でぐっと容量を増した瞬間、克哉の全身が強張った。
「んぅっ、あっ、ああぁ……―――ッ!!」
「かつ、やっ……!」
一際高い声が上がって、後孔が御堂を締め付ける。
中に放たれた熱を感じるいなや、克哉の先端からも精が噴きだした。
二度目とは思えないほどの濃い欲望が胸の辺りにまで飛び散って、目の前が真っ白になる。
痙攣はなかなか治まらず、二人は射精の余韻に随分と長いこと浸っていた。
「克哉……」
御堂の指先が汗に濡れた克哉の前髪を掻き分ける。
まだ夢心地のまま、克哉はぼんやりと御堂の顔を見上げていた。
「孝典さん……愛しています…」
心から。
克哉の恍惚とした囁きに、御堂はくちづけで応えた。







御堂の執務室のドアをノックすると、すぐに中から返事があった。
「失礼します」
部屋に入ると御堂はまだパソコンに向かって何やら打ち込んでいるようだった。
克哉を一瞥しただけで、すぐに目線は画面へと戻る。
「すみません、まだお忙しかったですか?」
「いや、大丈夫だ。もうすぐ終わるから、少しだけ待っていてくれないか。一緒に帰ろう」
「はい、分かりました」
克哉は微笑んで荷物をソファに置くと、窓辺に歩み寄る。
時刻は既に十時を回っていて、オフィスに残っている者はほとんどいない。
ブラインドの隙間から見える夜景を楽しみながら、克哉は御堂の仕事が終わるのを待つことにした。
「……あれから、何か連絡はあったか?」
作業を続けながら、御堂が尋ねる。
それが澤村のことを指しているのだということぐらいは克哉にもすぐに分かった。
「いえ、何もありませんよ。……孝典さんのところには?」
「いや。無いな」
「そうですか……」
気がつけば、克哉のシカゴ行きまであと一週間しかなかった。
今のところ澤村からの接触は無く、準備も順調に進んでいる。
もしかすると向こうでの仕事が軌道に乗った頃を見計らって何かを仕掛けてくるかもしれないが、可能性の話をしていたらきりがないから考えないことにしていた。
「多分、もう大丈夫だと思いますよ。もしも何かあったら、すぐ孝典さんに相談しますから」
「そうしてもらいたいものだ。……だが、心配事はそれだけじゃないからな」
「え、他にも何か?」
またトラブルでもあったのだろうかと、克哉はドキリとする。
しかし、それは杞憂のようだった。
御堂は作業を終えたのか、パソコンを終了させて机上の書類を片付け始めながら言う。
「今回のことで痛感したのだが、君は私も含めて変な男に絡まれやすすぎる」
「え、ええっ?! 孝典さんも含めて……ですか?」
「そうだ」
「そんなことは……」
「いや、そこはいい。とにかく君はそういう体質なのだろう。ということは、それが海の向こうでも起きることは十分に考えられる」
「えっと、あの……」
「さすがにアメリカでは私の目が届かないからな。そこで考えたのだが、チームの誰かに君に関するレポートを毎日提出してもらって……」
「たっ、孝典さん!! 落ち着いてください!」
「私は落ち着いている。君こそ落ち着きたまえ」
どうやら至って真剣らしい。
克哉は呆れるやら嬉しいやらで、思わず笑ってしまった。
「……何が可笑しい。私は君を心配して……」
「大丈夫ですよ、孝典さん」
克哉は座っている御堂に、後ろから手を回してそっと抱き付いた。
そして御堂の髪に、柔らかく頬を摺り寄せる。
「何があっても、オレは揺らいだりしませんから。ちゃんと毅然と対応します」
「……本当だろうな?」
「はい。もちろんです」
「……なら、いい」
ようやく納得したのか御堂も克哉に体を預けて、その腕に頬を寄せる。
心配が解消されたわけではなかったが、今は克哉を信じようと思ったようだった。
「……でも、良かった」
「なにが」
「オレの傍にいてくれるのが、孝典さんで良かったなって思って。オレがオレでいられるのも、孝典さんのおかげですから」
「大袈裟だな、君は」
「本当ですよ」
「では、素直に受け取っておくこととしよう」
御堂は克哉の腕を引くと、腰に手を回して抱き寄せる。
そして克哉の顔を見上げながら言った。
「私こそ、君が諦めないでくれたことに感謝している。ここにいてくれて、ありがとう」
「孝典さん……」
先にお礼を言われてしまうなんて。
克哉は目を潤ませた。
「そんな……そんなこと言われたら泣いちゃいますよ」
「泣くな」
「だって……」
「泣くな。君には笑っていてほしい」
「……」
御堂の望みはなんだって叶えたい。
だから克哉は満面の笑みを浮かべた。
「……愛しています、孝典さん」
「ああ、私もだ。克哉」
そして二人は唇を重ねた。
今では、いつでもあの桜並木を思い出すことが出来る。
あんなにも辛かった過去なのに、それを思い出せることが今はとても嬉しい。
あの日から今まで、道はずっと続いていたのだ。
そしてこれからも、この道を進んでいく。
隣りを歩いてくれる御堂と一緒に。
佐伯克哉として、ずっと。

- end -
2014.05.27

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