Classical

exist 01

その日は朝からツイていなかったのだ。
まずは朝食用にスクランブルエッグを作っていたとき、右手の人差し指をフライパンで火傷してしまったところから始まった。
いつもよりも起きるのが少し遅かったせいで、慌てていたのかもしれない。
御堂にはしっかり冷やせと言われたけれど、ちょっと当たっただけでたいしたことは無いからとろくに手当てもせずにいたら、家を出るころにはヒリヒリと痛みだしてしまった。
後悔したときには既に遅く、自業自得と諦めてそのまま出社するしかなかった。
オフィスに着いてからは今日の外での打ち合わせに使う資料を準備していたのだが、今度はいきなりコピー機にエラーが出て動かなくなってしまった。
紙詰まりでもないようだったのでとりあえず業者に連絡をして、後は隣りの部署のコピー機を借りることにした。
更にその直後、打ち合わせに同席するはずだった藤田から欠勤の連絡が入ったと聞かされる。
なんと熱が三十九度もあるらしい。
そういえば今週に入ってからあまり体調が良くなさそうだったことを思い出し、きちんと病院に行ってくれればいいんだけどと心配になった。
とにかく打ち合わせには一人で行くしかなくなり、この頃にはもう今日が「なにもかもうまくいかない一日」になるんだなという悪い予感がしていた。
だからこそ約束の時間に遅れないよう余裕を持ってMGNを出たのだが、しかしその途中で今度は先方から連絡が入り、どうしても外せない急な用件が出来てしまったため、打ち合わせの開始時間を三十分だけ遅らせてはくれないかと頼まれてしまう。
もちろん構いませんよと快諾したものの再度出直すほどの時間は無く、通り掛かったカフェに入ると、そこで中途半端な空き時間を潰す羽目になったのだった。
(ついてないな……)
克哉はグラスの中に僅かに残ったアイスコーヒーをストローで掻き回しながら、小さく溜息をつく。
外はよく晴れていて雲一つない快晴だというのに、克哉の心の中には暗雲が立ち込めていた。
ひとつひとつは小さなトラブルでも、それが集中して起きるとさすがに気が滅入ってしまう。
こういうことがあると、少し前までの自分をどうしても思い出してしまうのだ。
あの頃は毎日がこんなことの繰り返しだったような気がする。
なにをしても上手くいかなくて、頑張れば頑張るほど空回りして、そのうち頑張る気力さえもなくなってしまって。
オレはどうしていつもこうなんだろうと自己嫌悪でいっぱいだった。
それが御堂と出会ったことで少しずつ自分が変わっていって、最近ではいろいろなことが上手くいっているように思える。
だからこそ、たまに歯車が噛み合わなくなるとダメージが大きいのかもしれない。
そうだ、きっとそうだ、と克哉は自分に言い聞かせてみる。
こんなにも気持ちが落ち込むのも、それだけいい状況が続いてきたからこその反動なのだと。
(……そろそろ出たほうがいいかな)
とにかく凹んでばかりもいられない。
時刻を確認して克哉は席を立つ。
グラスの乗ったトレイを手に出口のほうへ向かおうとした、そのとき―――。
「……ッ!」
「あッ!」
克哉の横をすり抜けようとして後ろからやってきた人物が、克哉を避けきれずに勢いよくぶつかってきた。
トレイの上のグラスが傾き、慌ててバランスを取ろうとしたものの、手の火傷が痛んできちんと力が入れられずグラスは倒れてしまう。
中に残っていた少量のアイスコーヒーと溶けた氷の水が零れ、ぶつかってきた人物のスーツと克哉自身の袖口を濡らした。
「おい、何をするんだ!」
「す、すみません!」
ぶつかってきたのは相手のほうだというのに、いきなり怒鳴りつけられて反射的に頭を下げてしまう。
店内にいた数名の客が一斉にこちらを見たのが分かった。
恐る恐る顔を上げてみると、相手は克哉と同じぐらいの年齢に見える若い男性だった。
眼鏡を掛けていて、鋭い目つきでこちらを睨みつけている。
「どうしてくれるんだよ、濡れたじゃないか」
「も……申し訳ありません。あの、すぐに」
克哉はあたふたとトレイをテーブルに置くと、ポケットからハンカチを取り出した。
どうやら相手も袖の辺りが濡れたようだが、濃紺の生地のせいかほとんど目立たない程度だ。
それでも一目で上等だと分かるスーツを汚してしまったことには変わりないし、ここであれこれ言い返して事を大きくするのは得策ではないだろう。
克哉は男のスーツについた水滴を拭き取ろうとして手を伸ばしかけたが、しかしその手は素っ気無く払い除けられてしまう。
そのあまりに傲慢な態度に克哉が唖然としているところへ、更に男はずいと手のひらを差し出してきてぶっきらぼうに言い放った。
「名刺」
「え?」
「後でクリーニング代、請求するから。名刺。急いでるんだよ」
「あ、は、はい」
連絡先を寄越せということか。
克哉は上着の内ポケットから名刺入れを取り出す。
そのうちの一枚を抜いて渡そうとする前に、男は克哉の手からひったくるようにそれを毟り取った。
「……フン」
自分から要求したわりに男は名刺を一瞥もせず無造作にポケットへと押し込み、そのまま足早に立ち去ってしまう。
最後に克哉に向けた視線は何処までもこちらを見下し、蔑んでいるかのようだった。



「……それは災難だったな」
リビングのソファでグラスを傾けながら、御堂にそう言われて克哉はしょんぼりと頷いた。
シャワーを浴びた後、今夜はとてもそのままじゃ眠れそうになくて寝酒につきあってもらうことにしたのだ。
それもワインではなくビールが飲みたいという克哉に合わせて、珍しく御堂もビールを飲んでいる。
克哉が喉を鳴らして一杯目のグラスをあっという間に空けてしまうと、すかさず御堂が次を注いでくれた。
「まあ、そう落ち込むな。ついてない日というのは、あるものだからな」
「……そうですね。打ち合わせがスムーズに終わってくれたことだけが救いでした」
これだけトラブルが続いたからには打ち合わせでも何かあるのではないかと身構えていたが、幸いそちらは問題無く終了したので心底ほっとした。
ただMGNに戻る途中でアンケートに答えてほしいとしつこくつきまとわれたり、道に落ちていたガムを踏んでしまったりと仕事とは関係のないところでのトラブルはその後も続いたのだが。
そしてなにより、ふとしたときにあのカフェで出会った男のことを思い出しては嫌な気分になってしまうのが一番辛かった。
今もあの陰険な視線に睨まれているような気がして、無意識に眉間に皺が寄ってしまう。
克哉はそれを振り払いたくて冷たいビールを煽った。
「それで、その男から連絡は?」
「いえ……それが、まだ」
克哉もいったいいつ電話が掛かってくるのかと一日中気になってはいたのだが、結局連絡は来なかった。
あの剣幕からして、このまま何事も無くとはいかないだろう。
克哉としては早いところ連絡を貰って、クリーニング代を払って終わりにしてしまいたかった。
時間が経てば経つほど面倒なことになりそうで気が重くなる。
御堂もそう思ったのか、グラスを置くと克哉を励ますようにその肩を抱き寄せた。
「心配するな。もし明らかに過剰な請求などをされた場合は、必ず私に相談しなさい。分かったな?」
「……はい。分かりました」
不思議だ。
こうして御堂に言ってもらうだけで安心出来る、気持ちが軽くなる。
けれど同時に子ども扱いされているような、頼りなく思われているような気がして自分が情けなくもなる。
それでも、今夜だけは御堂の過保護なまでの優しさに甘えてしまってもいいだろうか。
克哉はグラスを置くと、御堂の胸元に頭をすり寄せた。
「孝典さん……」
「どうした?」
「あの……お願いがあるんですけど」
「お願い? なんだ?」
その時点でもう御堂には克哉のおねだりの内容が分かっていたのかもしれない。
あやすように克哉の髪に指を通しながら、こめかみの辺りにキスを落とす。
「その……オレのこと……甘やかしてくれませんか……?」
克哉が恥ずかしそうに口にした願いごとは、むしろ御堂を悦ばせるものでしかなかった。
「もちろん」
微笑んで即答した御堂と共に、克哉は寝室へと向かった。

ベッドに仰向けに寝かされると、覆い被さってきた御堂から啄ばむようなキスが幾つも降ってくる。
唇に、頬に、瞼に繰り返されるそれがくすぐったくて、克哉はクスクスと笑った。
「孝典さん、くすぐったいです」
「そうか?」
「はい」
「……君は可愛いな」
その柔らかな笑顔にほだされた御堂が思わずそう口にすると、克哉の頬がぱっと赤くなる。
「かっ……可愛くなんか、ないです」
「いいや。可愛いな。可愛すぎて困るぐらいだ」
「もう。本当にやめてください」
これ以上は恥ずかしくて耐えられそうになかったので、克哉は御堂の首を引き寄せると唇を押し付けた。
御堂にはよく可愛いと言われるけれど、そのたびに複雑な心境になる。
こうして抱かれる側ではあるものの身体はやはり男だから、女性のような柔らかさや曲線はない。
それなりにごつごつしているし、身長だって御堂と同じぐらいだ。
克哉は急に心配になってくちづけを解くと、御堂に尋ねた。
「孝典さん。オレ……抱き心地、悪くないですか?」
「……」
御堂は質問の意味がすぐには分からなかったのか、しばらく虚を衝かれたような顔をしていたが、それからムッとした表情を見せた。
「抱き心地、とはなんだ」
「あの、だって、その」
「私は君だから抱いている。君と触れ合っていると言いようの無い幸福感で満たされる。君は違うのか?」
「孝典さん……」
その返事は心配性の克哉の胸を打つのに充分だった。
―――馬鹿な質問をしてしまった。
嬉しさのあまり少しだけ泣きたくなりながら、克哉は御堂に向かってもう一度両手を伸ばす。
「ごめんなさい、孝典さん。オレもあなたに抱かれていると幸せです。だから……して、ください」
克哉の素直な言葉に御堂は機嫌を直して微笑み、首筋にゆっくりと顔を埋めた。
パジャマのボタンを外しながら鎖骨の辺りに舌を這わせると、克哉の身体が微かに震える。
滑り込んできた指先が胸の尖りをかすめ、甘い吐息が漏れた。
「あっ……」
指の腹で転がされた尖りはすぐに硬くなってしまう。
それを更に摘まれ、舐められ、軽く歯を立てられているとぴりぴりとした疼きが広がっていった。
敏感になっていく素肌は、御堂の柔らかな髪が触れるだけで快感を呼び起こす。
克哉は堪らず御堂の足に自分の足を絡め、少しでも互いの身体の距離を無くそうとしていた。
「孝典さんっ……」
もっともっと近づければいいのに。
どれだけきつくしがみついても、近づけば近づくほどに愛しさばかりが募る。
心も身体も御堂のことでいっぱいになって、溢れてしまう。
求める気持ちが高まるほどにそれは形となって現れ、その屹立に御堂の手が触れる。
「あぁッ……」
「……もう、こんなにしているのか? やっぱり君は可愛いな」
「孝典、さん……」
「可愛くて、いやらしくて……最高だ」
御堂は克哉のパジャマのズボンと下着を一気に引き下ろす。
すっかり硬くなっていた克哉の屹立は更なる刺激を求めてひくついていた。
「克哉……」
「う、ん、ああッ……!!」
屹立を御堂に咥えられて、克哉の身体が大きく仰け反る。
強すぎる快感に思わず腰が逃げそうになるけれど、御堂の舌と唇に絡め取られた下肢は今にも弾けそうなほどに悦んでいた。
「あっ、だ、め……孝典さん……!」
音を立てて吸われると、そのまま果ててしまいそうになる。
克哉は両足の間にある御堂の髪に指を絡め、なんとか射精を堪えていた。
けれど、ともすれば身体は解放を求めて腰が揺れてしまう。
更には御堂の指が克哉の双丘の狭間に潜り始めたからたまらなかった。
ひくひくと物欲しげに収縮しているであろうその場所を、御堂の指先が探る。
「あ、やぁ……」
指先が僅かに沈められては出ていくのを繰り返す。
そのたびに敏感な皮膚はそれを捕らえようとしてきつく締め付ける。
入口ばかりを擦られるうち物足りなさに次第に奥が疼き、熱が上がっていく。
前と後ろを同時に攻められて、まるで下肢だけが自分のものではなくなっていくかのような感覚に陥った。
「んっ……孝典、さん……欲し、い……。もう、欲しい……!」
今の克哉はもうひたすらに御堂と繋がることだけを欲していた。
熱くて熱くてたまらない。
半分泣き声のようになりながら克哉は懇願する。
みっともないとは分かっていても、なりふり構っていられなかった。
欲しい、欲しい、欲しい。
他のことは何も考えられない。
他は何もいらない。
ただ御堂の熱い欲望で貫き、突いて欲しかった。
全身を御堂で満たして欲しかった。
必死に強請る克哉の様子に、御堂は満足げな笑みを浮かべる。
「そうだ……もっと、私を求めろ」
「孝典さん……」
もっと。
際限を知らない欲望が、御堂の中にもまたある。
それを確認するとき、克哉は酷く安堵するのだった。
足を抱え上げられ、ひくつく後孔が露わになる。
御堂が腰を突き出すと、熱い塊がその場所を貫いた。
「は、あぁっ……」
沈められるほどに、肌に汗がじわりと浮かぶ。
繋がっていく悦びが身体中を駆け巡っているようだった。
愛する人とひとつになる。
こんなにも幸せで、奇跡のような行為を他に知らない。
全部を埋めてしまうと、二人は深いくちづけを交わした。
それから少しずつ身体を揺らし始める。
すぐに果ててしまわないよう、少しでも長く繋がっていられるようにゆっくりと。
けれどその想いはすぐに快感の大波にさらわれてしまうのだ。
「孝典……さん……気持ち、いい……」
「ああ……私もだ」
汗ばんだ顔も、乱れた髪も、熱に浮かされたような表情も、自分だけが見ることが出来るものだと思うと嬉しくて仕方が無い。
克哉は自らの後孔に手を伸ばすと、自分の中を出入りする御堂自身の動きを指先で確かめた。
その仕草が酷くいやらしく感じられて、御堂の欲望を煽る。
「克哉……」
御堂の動きが激しさを増し、克哉の呼吸が荒くなる。
奥を突き上げられるたびに声が漏れて、その間隔は短くなっていった。
「孝典、さん……孝典……!」
「っ……」
克哉も御堂の動きに合わせて腰を揺らす。
中を掻き回され、入口を擦られ、もう我慢も限界だった。
腹の上で揺れている屹立からはダラダラと透明な雫がひっきりなしに垂れている。
せり上がってくる射精感。
弾ける。
「あっ、イク……孝典さん……出るっ……う……あ、あぁッ……!!」
「……かつ、や……っ……!」
全身に力が入った瞬間、屹立から精が迸る。
後孔が御堂の屹立を絞るようにきゅうと収縮して、御堂もまたそれに耐えられず克哉の中に吐精した。
幾度も下肢が痙攣しながら精を吐き出す。
達した絶頂の中、二人は互いをきつく抱き締めながらくちづけを交わした。
「孝典さん……好きです……」
克哉はうっとりと呟く。
昼間出会った男のことなど、もう頭の中には無かった。

- To be continued -
2013.04.01

→次話



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