永遠の在処 01
午前11時48分。
会議は、予定より10分ほど早く終了した。
しかし資料を片付けながら時刻を確認したのは、この後のスケジュールを思い出す為ではなかった。
―――克哉。
彼は今頃、どうしているだろう。
いつも通り彼の行動可能な範囲に食事の用意はしてきたが、それでも気に掛かる。
克哉は最近、めっきり食欲が落ちているようだった。
一日中ベッドの上で過ごしている所為で、運動量が減っていることが原因だと思われる。
頭では理解しているものの、帰宅してほとんど手付かずのまま残されている食事を見ると、やはり心配になる。
彼が体調を崩すようなことがあってはならない。
何かいい方法は無いものかと考えるも、なかなか妙案は浮かばなかった。
「御堂君」
「はい」
まだ残っていた大隈専務に呼ばれ、私は顔を上げた。
大隈は今の会議の内容に満足しているのか、機嫌良さそうに近づいてくる。
「順調そうで何よりだ。佐伯君が事故にあったと聞いたときは、どうなることかと心配したんだが、それも杞憂だったようだな」
「……はい、ありがとうございます」
一瞬、自分でも顔が僅かに引き攣ったのが分かった。
夏の新商品発売を前にして、克哉の不在は一室にとって大きな痛手となり兼ねなかった。
私はそれを他の者達に微塵も感じさせぬよう、いつも以上に仕事に熱を入れた。
しかしそれは克哉の為でも、ましてや会社の為でもない。
ただ、自分自身の為だった。
大隈は克哉の名前を口にしたことで、思い出したように言う。
「そういえば、佐伯くんの具合はどうなんだね? 休職期間は、今月一杯だったと思うが」
その通りだ。
克哉の休職期間は、あと十日ほどで期限を迎える。
誰もが彼の復職を心待ちにしているし、当然そうなるものだと思っていることだろう。
私以外は。
「……申し訳ありません。ここしばらくは、連絡を取っておりませんので」
建前上、彼は実家にて静養していることになっている。
白々しい嘘をつきながら、私はベッドの上で鎖に繋がれた彼の姿を思い出していた。
長い手足に巻かれた枷。
肌を彩る、無数の噛み痕。
そして、首輪。
あの金具を掛けたときの感覚は、今でも指先に残っているような気がする。
誰にも渡さない。
あれは、私のものだ。
私だけの。
「そうか。君も忙しいだろうが、暇を見て様子を聞いてみてくれ。
来月は君も出張を控えていることだし、そろそろ彼にも戻ってきてもらわないとな」
「はい、分かりました」
そんなことは他人に言われずとも、私が一番良く分かっている。
苛立つ胸の内を隠して頭を下げると、大隈は満足そうに頷いて会議室を出て行った。
午前11時56分。
あの日以来、私は時間ばかりを気にするようになっていた。
自宅に戻ると、真っ先に寝室へと向かう。
逃げ出せるはずがないのに、それでも部屋の中の静けさが私を不安にさせる。
今日もまた彼がそこにいてくれることを、祈るような気持ちでドアを開けた。
「ただいま、克哉」
私が声を掛けると、センサーライトの薄明かりの中で、鎖が微かな金属音を立てる。
私は足早に克哉に近づき、ベッドに乗り上げた。
「……孝典さん。お帰り、なさい」
白い頬に微笑みを浮かべて、克哉がうっとりと呟く。
その掠れた声と甘い視線に、私はようやく安堵を得た。
「遅くなって済まなかったな。今日も、いい子にしていたか?」
「はい……」
話しかけながら髪を撫でると、克哉は嬉しそうに目を細める。
けれどその笑顔が、私には何処か弱々しく見えてならなかった。
視線を移動させると、サイドテーブルの上に残された、端を少し齧られただけのサンドイッチが目に入る。
私が今朝、置いていったものだ。
「……克哉。また、食べなかったのか?」
出来るだけ優しく問い質したつもりだったが、克哉は表情を曇らせてしまった。
「ごめんなさい……。お腹、空かなくて……」
思わず溜息が出る。
だが、克哉は何も悪くないのだ。
私は克哉の手を取り、指先にくちづけた。
鎖に繋がれた手は重く、掴んだ手首に巻かれた枷は冷たかった。
「気持ちは分かるが、何も食べないと身体に悪い。今、何か用意してくるから待って……」
そのまま離そうとした手を、克哉が不意に握り返してくる。
私を見上げている瞳は、確かに欲情に潤んでいた。
「食事より……あなたが、欲しい……」
「克哉……」
その要求を、私が拒絶出来るはずがない。
何故なら、これは私が彼に望んだことだからだ。
私のことだけを考え、私だけを求め続けろと。
「……分かった。すぐに、君の飢えを満たしてやる」
私が言うと、彼の白い頬にようやく赤味が差す。
克哉は今、この為だけに生きているのだ。
だから私は服を脱ぐと、裸の克哉の上に覆い被さった。
彼にとってはセックスをする時だけが、手足の枷から解放される時間だ。
しかし、首輪だけは常に外されることはない。
私は彼の首筋に顔を埋め、首輪の輪郭に沿ってゆっくりと舌を這わせた。
「あぁ……」
克哉はそれだけで身体を震わせ、肌に汗を滲ませる。
所有の証は、彼の欲望に直結している。
既に硬く勃ち上がったものが、私の太腿に触れていた。
「そんなに、私が欲しかったのか?」
「は、い……」
「空腹も感じないほど?」
「……」
答えるのももどかしいと言わんばかりに、克哉は頷きながら腰を揺らしてくる。
私はわざと屹立が触れない位置まで足を離し、代わりに胸の尖りを捻ってやった。
「あっ……!」
びくりと身体が大きく跳ねて、克哉が短く声を上げる。
ベッドの上での生活を始めてから、この身体はますます敏感になっていた。
他に全く刺激が無いのだから、当然なのかもしれない。
ただ彼が緩やかに帯びていく狂気と、快楽への渇望は確かに比例していた。
「克哉……」
「あぁっ……!!」
もう片方の尖りに歯を立てると、再び身体が大きく跳ねる。
下肢に視線をやれば、屹立から溢れた透明な雫が、波打つ薄い腹に糸を引いて落ちていた。
「……ここだけでもイケそうだな」
「はっ……はぁ……あ……」
私の肩を掴んでいる、克哉の指先の力が強くなる。
もっと、縋れ。
私を引きずり落とせ。
残された僅かな迷いも、理性も、常識も、全てを捨ててしまえるほどに。
「孝典、さん…っ……早く……っ!」
「……っ」
追い詰められたような懇願に、焦らす余裕さえも奪われる。
私は一旦克哉から離れ、彼の両足を抱え上げると、大きく足を開かせた。
「孝典……さん……」
克哉が待ちきれないように、私に向かって手を伸ばす。
これから訪れる快楽への期待に満ちた瞳は、私を真っ直ぐに捉えているようで、何処か遠くを見ているようでもあった。
克哉の見せる表情は、以前の彼とは確かに違っていた。
「克哉……」
私は克哉の中に身を沈める。
胸の内を巣食う、焼け付くような痛みを堪えながら、己自身で彼を貫いた。
「う、あぁっ……!」
克哉は嬌声を上げて、私を飲み込んでいく。
絡みつき、ひくつく肉に、私もまたこの上ない快感を得ていた。
一気に体温が上昇して、全身に汗が浮かぶ。
克哉は顔を歪め、だらしなく口を開けたまま、荒い息を吐いている。
私はそんな彼を激しく揺さぶり、突き上げた。
「い…いいっ……! 孝典、さんっ……!」
彼が何処をどうすれば感じるか、私には全て分かっている。
克哉は髪を振り乱して喘ぎ、私の腕に爪を立てた。
私だけを求め、私だけを感じている克哉。
彼は今、幸福なのだろうか。
そして、私は。
「克哉…っ……」
全身を駆け巡る熱に、一瞬眩暈を覚える。
じりじりと近づいてくる解放の時に、私は更に激しく彼の奥を突いた。
「はぁッ……! あっ、ダメ……も……!」
「かつ、や……っ!」
「ああッ……!!」
克哉が全身を強張らせた瞬間、私は彼の中に射精していた。
そして彼自身もまた、中心から精を迸らせる。
「あっ、あッ…あぁっ……」
克哉は吐精のたびに切なげな声を上げ、身体を痙攣させた。
この瞬間だけは、本当に満たされたような気持ちになる。
たとえ、それが一時のことでも。
「克哉……」
「んっ……」
まだ息を弾ませている克哉に、私はくちづけた。
今はまだ、何も考えたくない。
彼も私も幸せなのだと思っていたい。
重ねた唇を離さぬまま、私は指先で克哉の首輪に触れていた。
- To be continued -
2009.08.22
→次話
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