TWISTED 01

克哉はベッドに横たわりながら、チェストの上に置かれたデジタル時計をぼんやりと見つめていた。
時刻は十一時を過ぎている。
机の上には、夏期休暇明けのテストに備えて勉強をするつもりで開いた教科書とノートがそのままになっていた。
さっきからエアコンが効きすぎていて寒いぐらいなのに、それを消す気力も無い。
(いつ、帰ってくるんだろう……)
同じことばかり考えては、克哉は溜息を繰り返す。
昨日は十一時半、その前は午前零時を回っていた。
今週はずっとそんな調子だ。
(仕事、忙しいのかな……。それとも、彼女が出来たとか……)
胸の中に奇妙な不快感を覚えて、克哉はぎゅっと目をつぶった。
勉強には集中出来ず、かといってまだ眠たくもない。
もやもやと落ち着かない気持ちを持て余しながら寝返りを打ったとき、 不意に階下から玄関の開く音が聞こえてきて、克哉の心臓は大きく跳ねた。
「―――!」
思わず起き上がって、耳を澄ませる。
まだリビングにいたらしい母と短く会話する低い声。
それから、階段を上ってくる聞き慣れた足音。
それが少しずつ近づいてくるにつれて、克哉の鼓動は強く大きく高鳴っていった。
(来る、かな……)
昨夜のように、そのまま通り過ぎて自分の部屋へと行ってしまうかもしれない。
そのほうがいい。
いいに決まってる。
いや、だけど。
期待とも恐怖ともつかない感情が渦巻き、神経がぴんと張り詰める。
やがて足音が克哉の部屋の前でぴたりと止まったとき、克哉は無意識に息を飲んでいた。
「……克哉、入るぞ」
軽いノックと同時に声がして、返事をする間もなくドアが開く。
克哉は慌てて傍にあった携帯電話を意味も無く手に取ると、半分怯えたようなぎこちない笑みを辛うじて浮かべてみせた。
「お、おかえりなさい」
「ああ。もう、寝るところだったのか?」
「い、いえ……」
「……」
つい他人行儀な話し方になってしまう自分に、蔑むような冷たい視線が突き刺さる。
それでも克哉はどうしても目の前にいる男を家族―――兄と思って接することが出来なかった。

幼い頃から、克哉は兄の孝典が怖かった。
何かをされたというわけではない。
むしろ孝典は克哉に対して徹底的に無関心だったように思う。
七つも年が離れていたせいか遊んでもらった記憶もなく、かといって虐められたこともなかった。
恐らくは勉強もスポーツも出来て、ルックスも要領もいい兄の高慢とも取れる自信に満ちた態度に、勝手に萎縮していただけだったのかもしれない。
克哉がそんな孝典とは正反対に、おとなしく、気が弱い性格だったせいもあるだろう。
とにかくその頃から既に、克哉は孝典と自分との間に年齢以外の大きな距離を感じていた。
だから孝典が全寮制の高校に入学したときには、もう滅多に顔を合わせずに済むのだと子ども心にも酷く安堵したのだった。

しかし、それも長くは続かなかった。
高校を卒業し、大学に入学すると同時に孝典は実家へと戻り、再び家族として生活を共にすることとなった。
けれど離れて暮らす時間のほうが遥かに多かった三年間は、克哉にとってますます孝典を遠い存在にしてしまっていた。
孝典を前にすると緊張してしまう。
笑顔は不自然に強張り、会話が敬語になってしまう。
確かに血の繋がった兄弟のはずなのに、まるで赤の他人と同居しているような居心地の悪さを感じると同時に、 実の兄をそんな風にしか思えない自分が克哉は嫌でたまらなかった。

孝典が突然、克哉の勉強を見てくれると言い出したのは、克哉が中学三年生になったときだった。
だいぶ後になってから母親が孝典に頼んだのだとは聞いたが、 それが高校受験を前にして成績のあまり芳しくない克哉を見兼ねたからだったのか、それとも兄弟の仲が良くないのを心配してのことだったのかは分からない。
いずれにせよ決して優しいとは言えない、相変わらずの取っつきにくい態度ではあったものの、それ以来孝典は克哉にたびたび勉強を教えてくれるようになった。
ずっと恐れていただけの兄と、ようやく仲良くなれるかもしれない。
そのとき克哉の抱いた淡い期待は、しかしすぐに打ち砕かれることになったのだった。

「夏休み明けに試験があるそうだが、勉強はしているのか」
「少しは……」
「少し?」
睨みつけられた克哉はびくりと身体を強張らせる。
それから孝典の視線が教科書を開いたままの机に移動するのを見て、慌てて言い訳を口にした。
「ま、まだ休みは始まったばかりだし、だから……」
「そんなことを言っているから、いつも中途半端な成績しか残せないんだ。誰のおかげで今の高校に入れたと思っている? お前はそれを無駄にしている」
「っ……」
反論できない情けなさに、克哉は唇を噛む。
確かに第一志望だった今の高校に合格出来たのは、孝典のおかげだった。
そのことについては感謝している。
しかし、素直に感謝するだけでは済ませられない複雑な想いが克哉の中にはあった。
「……どうせ、また余計なことばかりを考えているのだろう」
「!!」
からかうように投げつけられた台詞に、克哉はかっと顔を赤くする。
すぐにでも否定したいのに、息が詰まって声が出ない。
唇をわなわなと震わせているだけの克哉を見て、孝典は馬鹿にしたように喉の奥で笑った。
「いつものようにしてほしいのなら、そう言えばいい」
「ちっ、違……」
「何が違う」
冷たい笑みを浮かべたまま、孝典がゆっくりと近づいてくる。
克哉は思わず後退ろうとしたが、狭いベッドの上に逃げ場などなかった。
孝典がベッドの縁に手をつくと、ギシと軋んだ音がして克哉の身体が揺れる。
吐息が掛かるほどの距離で顔を覗き込まれて、克哉は孝典の瞳に囚われた。
(オレが……映ってる……)
孝典の瞳の中に自分がいる。
孝典が自分だけを見ている。
そう思うだけで身体が熱くなって、意識が霞んでいく。
―――この人は、とても綺麗な人だ。
孝典を恐れる一方で、それだけは常に思っていた。
すっと伸びた背中、薄い唇、鋭い眼差し。
実力に裏づけされた自信と、それを隠そうともしないところ。
何もかもが中途半端で、自信を持てずにいる自分とは全く違う。
とても血が繋がっているとは思えない。
けれどこの人が、この綺麗な顔の下に全く別の顔を持っていることも知っていた。
それは恐ろしいほどに執拗で、残酷で、醜く歪んでいるのに、それでも魅力的で。
いつも孝典がつけているフレグランスの香りがふわりと香って、克哉はそんな孝典にただ見惚れていた。
「性欲が邪魔をして、勉強に集中出来ないのだろう? お前はいやらしい子だからな」
「違う……そんな……」
「違う? あんなことをしていたくせに?」
「……っ」
どれだけ忘れようとしても、孝典はこうして何度でも思い出させる。
それは一年ほど前、高校に入ってしばらく経った頃のことだ。
テスト勉強をするつもりで机の前に座った克哉は、どうしても勉強に集中出来ずにいた。
いつしか指先はジーンズのファスナーに掛かり、克哉は下着の奥で既に硬くなっていた自分自身を慰め始めていた。
濡れた音を立てながら、今にも弾けそうになっていたそのとき―――突然、部屋のドアが開いたのだ。
「……また、あのときのように自分でするつもりか?」
「違う……違う……!」
脳裏に焼きついた羞恥の記憶を振り払おうと、克哉は俯いて必死に首を振る。
けれど、忘れられるはずがなかった。
開いたドアの向こうに立っていた、孝典の顔。
蔑むような、嘲るような視線でこちらを見ている孝典から目を離せないまま、思いきり射精してしまったこと。
ドロリとしたもので濡れた手の感触も、かつて得たことがないほどの快感を覚えたことも、忘れられるはずがない。
「―――!!」
不意に孝典の手が、シーツの上に投げ出されていた克哉の足に触れた。
ハーフパンツの裾から伸びた剥き出しの肌を、孝典の長い指が滑っていく。
「そこをそんなにしておきながら、違うも何もないと思うが……」
「えっ……」
克哉は恐る恐る視線を落として、自分の下肢を見た。
そこは既に張り詰めて、濃紺の布を持ち上げている。
「違う……! これ、は……!」
孝典のせいだ。
孝典が自分の身体を変えてしまったのだ。
自慰をして、射精する瞬間を目撃されたあのときから、孝典は克哉にいやらしい命令をするようになった。
勉強でミスをするたびにお仕置きと称しては自慰を強制された。
耳元で卑猥な言葉を囁かれ、許可が出るまで射精を我慢させられ、最後は孝典自身の手でイかされる。
そんなことを繰り返されていれば、おかしくもなるはずだ。
泣き出しそうになっている克哉に対して、孝典は心底楽しそうに目を細めて言った。
「欲求不満か? そういえば今週は忙しくて、まだしてやっていなかったな」
「そんな、こと……」
「お前がしてほしいと言うのなら、してやっても構わないが……どうする?」
答えを分かっていながら、孝典は克哉自身に選ばせようとする。
そして克哉もまた、その誘惑に抗えない。
克哉はしばらく唇を噛み締めて俯いていたが、やがて蚊の鳴くような声で呟いた。
「……て……」
「聞こえないな」
「して……兄さん……して、ください……」
自分で口にした言葉の恥ずかしさと情けなさに涙が滲む。
孝典が満足げに鼻で笑うのが聞こえた。
「下を脱いで、ここに座れ」
ベッドの縁に腰を下ろした孝典が、自分の隣りを顎で示しながらネクタイを緩める。
克哉は言われるがままに震える手でハーフパンツと下着を下ろすと、孝典の隣りに座った。
両足の間では、先端を濡らしながらすっかり勃ちあがっているものが震えている。
羞恥にもじもじと腰を揺らす克哉の肩を、孝典が抱いた。
「……咥えていろ」
「んっ……」
孝典は克哉のTシャツの裾を捲くり上げると、それを克哉の口の中へと押し込んだ。
それから酷く無造作に克哉の屹立を握り締める。
「んんっ……!」
「こんなにして……すぐにでも出してしまいそうだな」
「んぅ……ふ……」
喋りながら、孝典はゆっくりと手を上下に動かしはじめる。
先端を包み込むようにして滲んだ雫を指の腹に取り、それを幹へとなすりつけた。
「んん……ぅ―――……」
薄い布地に唾液を染み込ませながら、克哉は喉の奥で呻く。
孝典の少し冷たかった手のひらが、次第に熱を持って克哉を攻め立てていった。
気持ちがいい。
自分でするのとは比べ物にならない快感が克哉を支配する。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
どうして、実の兄にこんなことをされているのだろう。
やはり嫌われているからだろうか。
出来の悪い弟だから?
卑屈な態度しか取れないから?
それともただ面白がっているだけ?
劣等感、羞恥、罪悪感。
湧き起こる幾つもの負の感情は、けれどこの快楽の前では力を持たない。
きつく目を閉じているせいで目尻に溜まった涙を、孝典の舌が掬い取る。
「……嫌で泣いているのか? それとも……良すぎて泣いているのか?」
「……っ」
当然答えられず、克哉はただふるふると首を振るのが精一杯だ。
やがてフンと鼻を鳴らすのが聞こえて、孝典の身体がゆっくりと前に倒れた。
「っ……!!」
克哉の先端に、孝典の唇が触れる。
その瞬間、克哉の身体はベッドを鳴らすほどに大きく弾んだ。
孝典は克哉の屹立に唇で触れたまま、上目遣いに克哉を見上げてにやりと笑う。
「……声を出すなよ。聞かれるぞ」
「……!」
克哉は恐怖に目を見開き、ぐっと息を飲む。
もしも階下にいる両親に聞こえてしまったら―――。
考えただけで恐ろしく、背筋が凍る。
克哉は顔を真っ赤にしながら何度も小さく頷いて、Tシャツの裾を強く噛み締めた。
「……それでいい」
舌先で小孔を突付かれ、それから円を描くように周囲を舐めまわされる。
それだけで痺れるほどの快感が突き抜け、克哉は喉を見せて喘いだ。
「んっ……ふ……くっ……」
やがて孝典は唇を多い被せると、ゆっくりと克哉の屹立を口内に含んでいく。
暖かく湿った粘膜に包まれて、克哉は堪えきれずに自らも腰を揺らした。
孝典の頭が上下するたびに、聞くに耐えないような水音が立つ。
手では何度もされてきたが、口でされるのは初めてだった。
(どうして……いきなり、こんな……)
胸の内を掻き乱すような不安が過ぎったものの、それは屹立を強く吸われた快感にすぐ霧散してしまう。
「っ―――!! ……っ!!」
あまりに強すぎる刺激に、克哉はびくびくと腰を突き出して身体を痙攣させる。
声にならない声を喉の奥から絞り出すと、唇の端から唾液が零れた。
「……っ! ……っ!! ……ぅっ!!」
離れてほしくて、思わず孝典の頭を鷲掴む。
けれど孝典は解放してくれそうにない。
克哉は孝典の髪に指を絡めながら必死で首を振ったが、孝典はお構いなしに愛撫を続けた。
(もう、無理……! 出る……!)
このままでは口の中に出してしまう。
腰の辺りが痺れたようになって、欲望が出口を求めて全身を駆け巡る。
とうとう我慢しきれず克哉が唇を開くと、ぐっしょりと濡れそぼったTシャツの裾がはらりと落ちた。
「も……出る、から……離して……!」
押し殺した声で懇願するも、孝典はますます速度を上げて克哉のものを唇で扱く。
もう、ダメだ。
こんなの我慢出来ない。
心臓が破れそうなほどに鼓動を打っている。
エアコンが効き過ぎて寒かったはずなのに、全身に汗が浮かぶ。
先端を歯が掠めて、ぴりっとした痛みを感じたと同時に―――克哉は射精していた。
「っ……!! う、うぅッ―――……!!」
叫びそうになって、克哉は咄嗟に自分の指をきつく噛んだ。
焼けつくように熱い奔流が小孔を突き抜け、孝典の口内に流れ込む。
爪先から頭の天辺まで全身が甘く痺れ、吐精の快感だけが全てになる。
蕩けそうな恍惚の中、克哉はいつまでも身体を震わせていた。
「……随分と出したな。私にしてもらいたくて、我慢していたのか?」
「……」
やがてようやく顔を上げた孝典が嘲笑うように言ったが、克哉にはその声さえ遠くに聞こえていた。
まだ整わない呼吸に肩を上下させながら、孝典がティッシュで手と口を拭うのをただぼんやりと見つめる。
克哉が濡れた下肢を剥き出しにして呆然としているのに対して、孝典はまるで今仕事から帰ってきたばかりのように変わらなかった。
克哉が掴んでしまったせいで、髪は少し乱れていたけれども。
「……噛んだな」
孝典は不意にそれまでの嘲笑を消すと、真面目な顔になって克哉の手を取った。
見れば右手の人差し指に、くっきりと赤い歯型がついている。
孝典はしばらくそれを見つめた後、そっとその傷に唇を寄せた。
「……っ」
そっと、本当にそっと、ただ静かに唇が触れただけだった。
けれどその微かな感触があまりにも優しくて、傷にくちづける孝典の仕草があまりにもせつなくて、何故だか克哉は泣きたくなった。
「兄、さ……」
声を掛けようとした途端、孝典は克哉の手を離して立ち上がる。
放り出されたような心細さに、克哉は孝典を不安げに仰ぎ見たが孝典は何も言わなかった。
「……」
孝典はふっと笑い、そのまま克哉に背中を向けてしまう。
部屋を出て行く孝典の後ろ姿を見送りながら、いったい自分は何を言おうとしたのだろうと克哉は思った。
一人になったベッドで、克哉は傷ついた指先を見つめる。
そういえばさっき孝典が見せた笑みは、いつもの人を見下すようなものとは何処か違っているように感じた。
あんな苦笑のような、自嘲するような笑みを孝典がするのは初めて見た気がする。
(兄さん……)
胸の中がざわつくのは、不安だからだろうか。
孝典が何故こんなことを続けるのか、自分が何故はっきりと拒絶出来ずにいるのか分からない。
ただ、兄弟でこんなことをしているのは変だ。
どれだけあの人を兄と思えなくても、兄弟であることは紛れもない事実なのだから。
それだけは、分かっていた。
「兄さん……」
自分の気持ちも、孝典の気持ちも分からなくて、克哉はベッドに倒れ込む。
今頃になって、指先の傷が鈍く痛んだ。

- To be continued -
2010.09.14

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