いつかの君へ 後編

食事を終えると、克哉はせめて洗い物をさせてほしいと申し出てきた。
御堂がこれは自分の仕事だからと言っても聞かず、結局は御堂が折れて克哉に任せることにした。
キッチンに立つ克哉の姿は見慣れた光景で、御堂はそれを眺めながら今後のことを考える。
(これなら、本当のことを話しても大丈夫か……)
克哉の様子は落ち着いていたが、記憶が戻りそうな気配はない。
とりあえず今夜一晩はゆっくり休ませて、明日時間を掛けて話をすることにしよう。
それから夕方にでも四柳に連絡を取って、月曜日になったら病院に連れて行けばいいと思った。
もちろん、不安がないわけではない。
克哉の記憶がこのまま戻らない可能性もあったし、戻るとしても時間が掛かるかもしれなかった。
それでも、さっき話をして分かったことがある。
克哉は克哉だ。
何も変わらない。
それならばきっと克哉がどんな状態であれ、やっていけると思った。
もしも彼が自分のことを思い出してくれなかったとしても、きっとまた克哉は自分を好きになる。
それがたとえ自惚れだと言われようと、楽観的過ぎると言われようと、御堂には揺るぎない確信があった。
(私もどうかしているな……)
何故、そんな風に思えるのか理論的に説明することは出来ない。
理屈の通らない考えに自信を持つなど大概自分らしくないとは思ったが、 それでも自分が克哉無しで生きてはいけないように、克哉もまた自分無しで生きていけるとは到底思えなかった。
それは、そうであってほしいという願いなのかもしれなかったが、今の御堂には自分がそう思えるだけで充分だった。
「……終わったのか?」
御堂は片付けが済んだ様子の克哉に声を掛ける。
克哉はタオルで手を拭くと、キッチンから出てリビングにやってきた。
「はい、終わりました」
「そうか。なら、シャワーを浴びてきたまえ。バスルームはそこを出て、左に曲がった奥だ」
「あ……はい」
「ん?」
克哉は何か躊躇うように、もじもじとしている。
やはり他人の家で風呂を使うことに抵抗があるのだろうか。
御堂はにやりと笑うと、からかうように言った。
「一人では心細いか? なんなら、一緒に入ってやっても構わないが」
「……!! いっ、いいです! 一人で入れます!!」
「そうか」
一緒に入ったことなど一度や二度では無いというのに、耳まで赤くする克哉に御堂は思わず喉の奥で笑う。
それから恨めしげに睨みつけてくる克哉の肩を軽く叩いた。
「後で着替えを持っていってやるから、早く入りたまえ。あそこにあるものは好きに使っていい。困ったことがあったら呼べ」
「……分かりました」
克哉はぺこりと頭を下げて、リビングを出て行く。
多少の心配はあったものの、御堂は克哉の着替えを取るため自分もリビングを出て寝室へと向かった。

「うわぁぁぁっ!」
「?!」
バスルームから克哉の叫び声が聞こえてきたのは、それからすぐのことだった。
「今度はなんだ?!」
御堂は掴んでいた克哉の着替えを放り出して、バスルームへと急ぐ。
また何か頭に落ちてきたのではないか、だとしたら今度はそれで記憶が戻ったりするのではないかと淡い期待が過ぎったが、 とにかく怪我だけはしていないことを祈った。
「どうした、克哉?!」
バスルームの扉を開けると一瞬克哉の姿が見えて―――それから、すぐに見えなくなった。
「克哉?!」
克哉が内側から扉を閉めたのだ。
そのまま開けられないように押さえつけているのが、擦りガラス越しのシルエットで分かる。
「克哉! どうしたんだ?! ここを開けろ!」
「見ないで……見ないでください!!」
「克哉?!」
克哉はどうしてもそこを開ける気がないようだった。
御堂は自分も扉に張りつき、中の様子を伺う。
またパニックになっているのだとしたら、あまり刺激しないほうがいいだろう。
御堂は深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、出来るだけ穏やかに話しかけた。
「……どうしたんだ、克哉? 何かあったのか?」
「……」
「怪我はしていないか? それだけでも、教えてくれ」
「……していません」
その返事に、御堂はほっと息を吐く。
それならば慌てることはないと、張りついていた扉から少し離れた。
「それなら、いい。……で? 何があった?」
「俺……」
「ん?」
「なんか、変なんです……俺の……体……」
扉の向こうから聞こえてきた小さな声に、ああ、と御堂は嘆息した。
克哉の心は今、小学六年生なのだ。
だからバスルームで鏡に映る自分の姿を見て驚いたのだろう。
こうなってしまっては仕方が無い。
明日になってから話そうと思っていたが、この場で本当のことを説明してやるしかなかった。
「……それが、今の君の本当の姿だ」
「え……?」
「君は佐伯克哉に間違いないが、本当の年齢は十一ではない。君は今、二十七だ」
「……」
驚いているのか信じていないのか、克哉は何も答えない。
克哉の表情が見えないことが気に掛かるが、とにかく御堂は真実を話した。
「君はキッチンで頭を打った衝撃で、記憶が十一歳の頃に戻ってしまったんだ。 明日になっても治っていなければ、その時点で本当のことを説明して病院に連れて行くつもりだった。 さっきの君はパニックになっていて、とても私の話を聞ける状態ではなかったからな」
「そんな……嘘だ……」
「嘘ではない。本当だ」
「……」
そこでようやく克哉のシルエットが動いた。
扉が細く開き、泣き出しそうな顔をした克哉が全裸で立っている。
「じゃあ、さっきの話は……両親が留守に……」
「君を落ち着かせるために嘘をついた。すまなかった」
「じゃあ……どうして、俺はここに……」
「……」
今度は御堂が黙り込む番だった。
自分達が恋人関係にあるということまで話すべきなのだろうか。
十一歳の克哉がそれを受け入れられるとは思えない。
たとえ記憶を失っていたとしても、克哉に拒絶されて自分は耐えることが出来るだろうか。
迷う御堂の顔を、克哉はじっと見つめている。
「それは……」
御堂はさっき自分が感じたことを思い出す。
克哉は克哉だ。
何も変わらない。
そう確信したのは自分だったではないか。
御堂は覚悟を決めると、思いきって口を開いた。
「……ここは、君の家だ。私達はここで一緒に暮らしている」
「えっ……どうして……」
「君が私の恋人だからだ」
「―――!」
克哉は驚愕に目を見張る。
無理もない。
いきなり自分は既に二十七だと言われ、更には同性の恋人がいるなどと知らされれば訳が分からなくもなるだろう。
御堂は克哉が再び暴れ出すのではないかと身構えたが、しかし克哉は意外なほど静かにただ俯いただけだった。
「俺が……御堂さんの、恋人……」
呟かれた言葉に、御堂は自嘲気味に笑う。
「……気持ちが悪いか?」
「えっ?」
「男同士で恋人などと、今の君には考えられないはずだろう」
「あ……」
再び俯いてしまった克哉を御堂は見つめる。
覚悟をしたつもりでも、やはり怖かった。
克哉に拒絶され、嫌悪の目を向けられるのではないかと思うと足が竦む。
けれどいつまで待っても克哉は御堂の予想するような反応を見せることはなく、 むしろかえって落ち着きを取り戻してきているように御堂には見えた。
「あの……じゃあ、さっき御堂さんが話していた恋人のことって……」
「ああ、君のことだ」
「俺の、こと……」
克哉が顔を赤くする。
それからまた泣きそうになりながら、克哉は途切れ途切れに言った。
「俺……よく分からないけど……気持ち悪いなんて、思えま、せん……。 だって、御堂さん、あんなに……」
「克哉」
やはり、克哉は克哉だ。
改めてそう実感した途端にたまらない愛しさが込み上げてきて、気づいたときには克哉に手を伸ばしていた。
「あっ」
御堂は克哉の身体を抱き締める。
抵抗されることなど考えもしなかった。
克哉もまたおとなしく御堂の腕に抱かれていたが、やがて弾かれたように身を引こうとする。
「克哉?」
「あっ、あのっ、俺……」
決して離そうとしない御堂の腕の中で、克哉は身を捩った。
もしやと思いながら御堂が視線を落とすと、克哉の中心が頭をもたげはじめている。
御堂はもがく克哉の腰を強く引き寄せ、強引に下肢を密着させた。
「……やはり、君は私の克哉だ」
「あのっ、どうして、俺、こんな……」
「言っただろう? 君は私の恋人なのだと」
「……あっ!」
御堂は克哉の腰に回していた手を滑らせると、裸の背中をするりと撫でた。
それだけで克哉はぶるりと身体を震わせ、屹立をますます硬く立ち上がらせる。
「やめ……やめ、て、ください……」
「何故だ? このままでは君も辛いだろう」
克哉のものは早くも雫を零して、御堂のズボンを小さく濡らしていた。
御堂がその濡れた先端に触れると、克哉は怯えたように暴れ出す。
「やめ、て……! やめてください……!」
「おっと」
逃げ出そうとした克哉の身体を、御堂はすかさず捕らえる。
そして背中からきつく抱き締めたまま、赤く染まった耳元に囁いた。
「そんなに怖がることはない。言っただろう? 私は君の恋人なのだと。君を傷つけたり、痛い思いをさせたりは決してしない」
「で、でも……」
「……それに、私はもう何度も君のここには触れている」
「―――っ!」
御堂は克哉の中心に手を伸ばし、すっかり熱くなっているものに指を絡めた。
克哉は顔を真っ赤にしながら、きつく目を閉じて唇を噛んでいる。
記憶の戻っていない彼に、こんなことをしていいものなのか躊躇う気持ちはあった。
けれどこんな状態の克哉を前にして、何もしないでいられるほど出来た人間でもなかった。
「克哉……」
御堂が囁きながら耳を甘く噛むと、克哉の身体は手の中の屹立と共にびくんと跳ねる。
そのまま御堂は緩く手を動かしながら、白い首筋に唇を這わせた。
「克哉……本当に思い出せないのか? 私は君の恋人だ。何度も君のここに触れた。ここだけではない、他の場所も……」
「んっ……や、ぁ……」
「君はいつもよがり、悶え、私を求めた……。君は私を愛していた……覚えていないのか?」
「……っ……あ、あぁっ……」
次第に堪えられなくなったのか、克哉のか細い喘ぎ声がバスルームに響き始める。
克哉は幾度も御堂の手を外そうと試みたが、快感に震える体ではどうしようもなかった。
戦慄く膝は不安定な体勢を支えられなくなり、無意識に御堂に抱えられるようになってしまう。
御堂の手の中からは既にクチュクチュといやらしい水音が立っていた。
「克哉……私を思い出せ……。今、君に触れているのは誰だ……?」
愛撫に悦ぶ克哉を抱き締めていると、御堂の中に新たな確信が生まれてくる。
克哉は本当に自分を忘れたわけではない。
自分を愛していた気持ちが完全に消えたわけではない。
彼の中には確かにまだ自分がいるのだと分かる。
あと、ほんの少し―――ほんの少しのきっかけさえ、あれば。
「克哉……」
「あ……」
頬にくちづけると、克哉は首を捻って御堂を振り返る。
自然と唇が重なり、舌が絡み合った。
御堂はもう片方の手を克哉の胸元に運び、その小さな尖りを弄ぶ。
「んっ……! あっ! は、ぁっ……!」
「君はここが好きだな。そんなに気持ちがいいか?」
「……っ」
克哉は身悶えながらも、こくこくと頷いた。
屹立は今にも弾けそうに脈打っている。
「あっ……も、う……駄目……出る……っ……」
「イきそうか? なら、イけばいい。いつもように、私の前でイってみせろ」
「あ、ああっ……―――さ、ん……」
「……克哉」
「―――あ……あ、あぁぁッ!!」
御堂が克哉の首筋に歯を立てた瞬間、克哉の身体が一際大きく跳ねた。
同時に、手の中にあった屹立から精が迸る。
バスルームの床にそれを飛び散らせながら、びくびくと痙攣を続ける身体を押さえつけるように、御堂は克哉をきつく抱き締めていた。
「あっ……はぁ……はぁっ…………」
射精を終えた身体からは完全に力が抜け、克哉は御堂に抱えられたままがくりと冷たい床に膝をついた。
御堂も克哉の傍にしゃがむと、その顔を覗き込む。
「克哉……大丈夫か?」
「……」
克哉は何も答えず、恍惚とした表情で御堂を見つめかえしてきた。
やはり、やり過ぎだっただろうかと御堂が思ったとき―――。
「大丈夫、です……孝典さん」
「かつ、や……?」
「はい」
克哉は微笑み、それから不思議そうにバスルームの中を見回した。
「あの、オレ……どうして、こんなところに? 夕飯の支度をしていたはずじゃ……」
「克哉……!」
「え? え? どうしたんですか、孝典さん?」
いきなり御堂に抱き締められて、克哉は慌てふためく。
御堂はなんだか可笑しくなってきて、克哉を抱き締めたまま声を出して笑った。



「……そんなことがあったんですか」
ベッドの中で御堂から一部始終を聞いた克哉は、傍目に見ても可哀想なくらいしゅんとしながら言った。
「本当にすみませんでした……。まさか、そんなことになってたなんて……」
「まったくだ。これからはもう少し気をつけてくれたまえ」
「はい。でも……」
克哉はもぞもぞと身じろぎすると、御堂の胸にしがみつく。
「たとえ短い間でも、あなたのことを忘れてしまうなんて……オレ、自分が許せません……」
「克哉……」
御堂は克哉の髪を撫でる。
確かに大変な出来事ではあった。
けれど同時に、忘れられない出来事にもなった。
「そんなに気にするな。小学生の君と話を出来たのは、なかなか面白かったぞ」
「孝典さん」
決して会えるはずのない、過去の克哉。
快活で、真っ直ぐで、強くて、けれどとても―――傷ついていた。
あの克哉に、自分の気持ちは伝わっただろうか。
これからやってくるであろう痛みを、乗り越えた先にある希望を、教えられただろうか。
「オレ、なにか変なこと言ったりしませんでしたか?」
「変なことは言っていなかったが、私をおじさん呼ばわりはしたな」
「ええっ?!」
すみません……とますます身を縮ませる克哉に、御堂は笑う。
「とにかく、もうあまり気に病むな。それに……」
「はい?」
「……君は、本当に私を忘れていたわけではなかった」
「えっ?」
あのとき、克哉は御堂を拒絶しなかった。
二人が恋人関係である告げたとき。
男同士でも気持ち悪いなんて思えない、と泣きそうな顔で言ってくれた。
それがどれほど御堂を救ってくれたか分からない。
あの言葉がなかったら、克哉をこんなに早く元に戻すことも出来なかっただろう。
「……どんなことになっても、君は君だ。だから私も、どんなことになっても君の傍にいる」
「孝典さん……」
克哉が頬を染めながら、嬉しそうに見上げてくる。
そんな克哉に軽くくちづけてから、御堂は言った。
「……だが、やはりお仕置きは必要だろうな。克哉」
「……え?」
御堂はガバッと起き上がると、目を丸くしている克哉の上に圧し掛かった。
「さっきは君一人で良くなってしまったからな。今度は私を気持ち良くしてもらおうか」
「あ、あの、でも……」
「いやだ……とは、言わないだろう?」
「……」
克哉は少しの間を置いてから、今度ははっきりと答えた。
「はい。もちろんです」
克哉の手が伸びて、御堂の首を引き寄せる。
そして今度こそ御堂は、今目の前にいる克哉にくちづけた。

- end -
2010.07.14

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