暗夜情火 拾伍

「迷惑掛けて済まなかった!」
潔く頭を下げる本城を前にして克哉はどう答えればいいのか分からず、隣りに立つ孝典の顔を助けを求めるように見た。
「……もう、いい」
少しして孝典がそう答えると、本城はようやく頭を上げる。
けれど克哉が黙ったままなことをまだ不安に思ったらしい。
何か言ってほしそうにじっと見つめてくるので、克哉も慌てて口を開かざるを得なかった。
「あ、あの、はい。もう、いいですよ」
その言葉に、本城がぱっと笑顔になる。
つくづく調子のいい人だけどなんだか憎めないなぁと克哉は苦笑したが、孝典は再び苦虫を噛み潰したような険しい表情になって言った。
「断っておくが、私が許したのは私に掛けられた迷惑の分だけだからな。貴様が克哉にしたことは、まだ許していないぞ」
「だ、旦那様!」
「ああ、はいはい、分かってるって。克哉君、本当にごめんね。それから、ありがとう」
「いえ、別にオレは……」
不意に本城にされたこと、それを孝典に見られてしまったときのことを思い出して頬が熱くなる。
赤面して俯く克哉の横で、孝典は苦笑する本城をきつく睨みつけていた。
あの後、本城は番屋で全てを正直に話したらしく、首謀者であった廻船問屋にも手入れが入って騒動は一時決着が着いたようだった。
おかげで本城に下された罰も軽いもので済み、江戸払いを命じられるに留まった。
そして今日、旅支度を終えた本城が久々に御堂屋にやってきたのだ。
謝罪と礼と、別れを告げるために―――。
「今度こそ、まともにやっていくよ。親父と一緒にね。金も必ず返すからさ」
「金のことは期待していないが、まともにはなるべきだろうな」
「あーあ。最後まできついなぁ、御堂は。ね?」
「あはは……」
本城は明るく笑いながら、克哉に同意を求めてくる。
克哉がつられて笑ってしまうと、孝典はそれが気に入らなかったのか克哉の前にずいと身体を出して二人の間を遮った。
「……とにかく。もう二度と楽をして儲けようだの、胡散臭い話に飛びつこうだのと考えるな。分かったな?」
「うん、分かったよ。肝に銘じます。それじゃあ……」
そこでふと本城は真顔になって孝典に言った。
「……また、いつか会いに来てもいいかな?」
彼らしくもない、弱気な声だった。
孝典はそんな本城をじっと見つめていたが、それからはっきりと答えた。
「ああ。……友人だからな」
「……ありがとう」
本城はほっとしたように笑い、今度は克哉に向き直る。
「克哉君もありがとう。君に会えて良かったよ」
「……オレも、です。ありがとうございました」
克哉は頭を下げた。
本城にされたことを考えれば、礼など言うべきではなかったのかもしれない。
けれどあのことがなければ孝典との関係に変化が訪れることもなかっただろうと思うと、その言葉は自然と口をついて出ていた。
「それじゃあ、俺は行くよ。二人とも元気でね。……じゃなくて、お幸せに!かな?」
「……えっ」
「なっ……」
それはいったいどういう意味だと問い詰める間も無く、本城は手を振りながらこちらに背中を向けてしまう。
残された二人はしばらく呆然とその場に立ち尽くしていたが、気づけばどちらともなく微笑み合っていた。
「……まったく、随分と奴には振り回されたものだ」
「そうですね。でも……またお会い出来るときが楽しみです」
「ああは言っていたが、恐らくあいつはあまり変わらないだろうな」
「そうかもしれませんね」
けれど、それも本城らしくていい。
きっと孝典もそう思っているような気がした。

夜も更けた頃、克哉は出来るだけ音を立てないよう忍び足で廊下を進む。
そして孝典の部屋の前まで来ると、緊張にほんの少し息を飲んだ。
「だ……」
旦那様、と呼びかける前に障子が開いた。
克哉は驚いて思わず後退さる。
「わっ……!」
「遅い」
孝典は低く一言だけ呟くと、克哉の腕を掴んで乱暴に引き寄せた。
克哉はよろめき、そのまま孝典の胸の中に飛び込む形になる。
障子がぴしゃりと閉められた瞬間、唇を奪われた。
「んっ……」
性急に滑り込んできた舌に舌を絡め取られ、呼吸さえ奪うような激しさでくちづけられる。
その甘さは頭の奥までを痺れさせ、身体の力は急速に抜けていった。
膝が震え、ふらつく足で必死に孝典にしがみつく。
孝典の手はそんな克哉の腰を支え、自らの下肢に押し付けていた。
「あっ……は、ぁ……」
孝典がいつにも増して激しいのは、昼間のことがあったからかもしれない。
友人との別れが寂しくない者などいないだろう。
永遠に会えないわけではないと分かっていても、こんな別れ方などしたくなかったはずだ。
孝典が傷ついているのかと思うと、克哉の胸はどうしようもなく痛んだ。
「旦那様……」
いつも幸せにしてもらっているから、今夜ばかりは自分が孝典を慰めたい。
そう思った克哉は自ら孝典の着物に手を伸ばした。
「克哉……?」
戸惑ったような孝典の声が聞こえたが、克哉はそのまま孝典の正面に跪く。
着物の前を肌蹴け、下帯を緩めると既に硬くなりはじめている孝典自身を手に取った。
それから先端にそっとくちづけると、舌を伸ばして口内に受け入れる。
「かつ、や……」
「……」
孝典の手にふわりと前髪を掻き上げられ、克哉は嬉しそうに目を細めた。
指先の優しさから、孝典が自分を労わってくれているのが分かる。
だから克哉は自分の気持ちも孝典に伝わってほしいと思った。
舌を絡め、唇を窄めながら喉の奥まで幾度も咥え込むと屹立は硬さを増していく。
厭らしい水音の向こうで次第に孝典の呼吸が短く弾み出していくのが聞こえて、触れられていない克哉自身まで高ぶってしまう。
もっと感じてほしい。
もっと悦んでほしい。
唾液が溢れ、目尻に涙を滲ませながらも克哉は孝典への愛撫を続けた。
「克哉……もう、離せ……」
やがて追い詰められたような声で孝典が呟く。
克哉の髪を撫でていた孝典の手のひらは、今や克哉を突き離そうとしていた。
けれど克哉はそれに逆らって唇をきつく窄め、屹立を強く吸った。
「よせ……! かつ、や……ッ……!」
「……!」
孝典の腰がぶるりと震えるのと同時に、克哉の口内にあった屹立がどくんと大きく脈打つ。
吹き出した熱い欲望は克哉の喉を打ち、克哉はそれを躊躇いなく飲み込んだ。
舌の上でびくびくと跳ねる孝典自身を感じながら、克哉は恍惚とした表情を浮かべていた。
「克哉……」
吐息混じりに名を呼ばれ、克哉はようやく孝典自身から口を離して顔を上げる。
孝典はその前に跪いて克哉と目線を同じくすると、呆れたように微笑んだ。
「まったく、お前は……思いもよらぬことばかりする」
「あ……」
まだぼうっとしている克哉の濡れた唇を、孝典の指先がゆっくりと滑る。
それは頬から顎を伝い、首筋から胸元へと落ちていった。
襟を割って入った手のひらに着物を肌蹴られ、畳の上に倒される。
孝典は半裸で横たわる克哉を見下ろしながら、乱れた裾から覗く白い太腿を撫でた。
「あっ……」
それだけで克哉は身を震わせ、か細い声を漏らす。
孝典の手は少しずつ動き、やがて下帯へと辿り着いた。
「……私にしながら、こんなにしていたのか?」
「……!!!」
孝典の指摘通り、そこはすっかり硬く勃ち上がって僅かに下帯を湿らせてさえいた。
「ご……ごめん、なさ、い……」
羞恥に泣きそうになりながら謝ると、孝典は意地の悪い笑みを浮かべる。
手のひらでやわやわと握り込まれ、克哉の腰が跳ねた。
「んっ……! う、あっ……!」
「どうした? この程度で気をやってしまうのか?」
「う、ぅっ……」
克哉は必死でふるふると首を振る。
まだ果てたくない。
果てるときは、孝典を感じながら果てたかった。
「旦那、様……っ」
求めて伸ばした手を孝典が取る。
すると孝典は不意にその指先を口に含んだ。
「あっ、旦那、様……」
まるでさっき克哉が孝典自身にしたように、孝典は克哉の指に舌を這わせる。
柔らかな舌が絡みつき、唇で挟み込まれるたびに克哉もまた自分の牡が愛されているような錯覚を覚えた。
指の間まで舐められ、屹立はずきずきと痛んで今にも弾けそうになる。
無意識に腰が揺れて、零れた雫はますます下帯を濡らしていた。
「あ、は、ぁっ……旦那様……あぁ……」
このままじゃおかしくなる。
空いたほうの手をとうとう自ら下肢に伸ばすと、しかしそれはすぐさま孝典に止められてしまった。
「あっ……」
「駄目だ」
「で、でも……もう、我慢、出来ませんっ……」
縋る目に涙を浮かべて懇願する克哉に、孝典はようやく満足げに笑った。
「仕方が無いな……」
言葉とは裏腹なくちづけを克哉の唇に軽く落とすと、窮屈そうになっている下帯を解く。
大きく膝を割って身体を差し入れ、露わになった後孔に孝典の先端が押し当てられた。
勿体ぶるように少し埋めては抜くのを繰り返され、克哉はもどかしさに身悶えする。
「旦那様っ……意地悪、しないで……ください……!」
「ふ……こんなにひくつかせて恥ずかしくはないのか? はしたない」
「……恥ずかしい、です……。でも……あなたが……欲しい……!」
「……」
息を切らしながら、克哉は必死の思いで孝典に手を伸ばす。
その様子に孝典も絆されたのか、とうとう克哉の中にぐいと腰を沈めた。
「ああっ……!」
焦がれていた熱に貫かれて、克哉が嬌声を上げる。
一瞬で、痺れるほどの快楽が全身を支配した。
「旦那、様……!」
「克哉……」
ほんの少し前までは、こんな日が来るなんて夢にも思わなかった。
けれど今は確かに孝典と触れ合い、深い場所で繋がっている。
身体の奥まで激しく揺さぶられながら、克哉は孝典を見上げた。
行灯の炎が作る仄かな明かりの中、孝典がただひたすらに自分を求めてくれていることを知る。
真っ直ぐに見つめ返してくれる瞳に、微かな橙色が映るのが見えた。
幸せで、幸せすぎて―――怖くなる。
きっと、ずっとこのままではいられない。
いつか離れなければならないときが来るだろう。
そのとき、本当に自分はこの幸せを手離すことが出来るだろうか。
不意に不安が押し寄せてきて泣きそうになる。
そんな克哉の変化に孝典が気づかないはずもなかった。
「……どうした?」
動きを止めた孝典が、どこまでも優しい声で尋ねる。
克哉は腕で顔を隠しながら、「なんでもありません」と答えた。
その腕を孝典が強引に外す。
「お前はすぐに悪いほうへと考えるのだな。その癖は治したほうがいい」
「だっ、て……」
「くちごたえをするな」
きつい口調で言ったくせに、孝典は克哉にそっとくちづける。
この部屋に来たときにしたような激しいくちづけではない、宥めるようなくちづけだった。
何も言っていないのに、どうして孝典には全て分かってしまうのだろう。
孝典が囁く。
「何度も言っているが、私はお前を手離す気はない。お前が私から離れると言うのなら、また閉じ込めるだけだ」
「旦那様……!」
「そうされたくなければ、妙なことは考えるな」
「……」
いいえ。
寧ろ、閉じ込められてしまいたいです。
そうすれば永遠に離れずに済むから。
そんな風に思ってしまう克哉を、再び孝典が突き上げ始める。
「克哉……お前は、私のものだ……」
「旦那様ッ……」
その言葉が克哉の中に染み込んでいく。
ずっとそうであってほしい。
いつか、この命の終わるときまで。
「克哉……」
孝典が克哉の奥を突き上げながら、胸の尖りを捻った。
途端、克哉の身体が大きく跳ねる。
「あっ、ああッ……!!」
「っ……!」
後孔が孝典自身をきつく締め付け、孝典の顔が快楽に歪んだ。
近づいてくる絶頂感に二人は夢中で互いを求め合う。
「は、あぁっ……旦那様……も、もう……!」
「……イけ」
「あ、ああッ……―――!!」
克哉の屹立から溢れた白濁が腹に流れ出るのと、孝典が克哉の中に欲望を注ぎ込んだのはほぼ同時だった。
びくびくと跳ねる克哉自身から幾度も精が飛び散り、そのたびに後孔は細かく痙攣して孝典を締め付ける。
その暖かく狭い奥に、孝典もまた幾度も精を放っていた。
額に浮かんだ汗と乱れた呼吸もそのままに唇を重ね合う。
果ててしまってからも、ひとつになれた悦びはいつまでも二人を満たしていた。

気づけば眠ってしまっていたらしい。
既に部屋の灯りは消され、裸の身体には布団が掛けられていた。
克哉は畳の上に放られたままだった着物を羽織り、障子を開けて外を見ている孝典の元へと近づく。
「旦那様……?」
「ああ。起きたのか」
隣りに座ると、肩を抱かれた。
克哉は孝典にもたれるようにして、まだ暗い空を見上げる。
「星……綺麗ですね」
「そうだな」
孝典はきっと星を見ていたわけではないだろう。
分かってはいたけれど、克哉はそんな言葉を口にする。
灯りを映していない孝典の瞳の奥に、自分と同じものを感じたから。
「旦那様……」
克哉は孝典の肩に額を押し付けると、膝に置かれた手に指を絡めた。
「旦那様……ずっと、オレをお傍に置いてくださいね……」
そう呟くと、孝典からは思いがけない言葉が返ってきた。
「―――駄目だ」
「えっ……」
衝撃に息が止まる。
祈るように告げた想いをきっぱりと否定されて、克哉は泣き出しそうな目で孝典を見つめた。
けれど孝典はふっと笑いながら、克哉の手を強く握り返す。
「さきほどああは言ったが、私は本当はお前がお前の意志で私の傍にいてほしいと思っている。 私がお前を傍に置くのではなく、お前が私の傍にいるのだ。……私は、そうあってほしい。お前はどうだ?」
「旦那様……」
そういう意味だったのか。
孝典の真意に喜びで胸がいっぱいになって、克哉は孝典にしがみつく。
「はい……オレは、これからもずっとあなたの傍にいます」
克哉が言うと、孝典もまた克哉をきつく抱き締めた。

きっと、大丈夫。
夜が明けて闇が追い出されても、この胸の内に燈った火は決して消えることはないから。
それはいつまでもこの身を焦がし、ときには焼き尽くそうともするだろう。
けれど今は、この灯りこそが真実。
どれだけ不安になっても、絶望しそうになっても消えることのない情火。
―――愛してる。
二人は囁き合い、時間を惜しむように唇を重ね続ける。
長く暗い夜がそろそろ明けようとしていた。

- 了 -
2012.07.11

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