狼と羊
暗闇の中で彷徨う指先が、無意識に温もりを探す。
けれどそれは一向に得ることが出来ず、克哉はもどかしさに眠りから覚めた。
まだうっすらとしか開いていない視界にも分かったのは、隣りに空いた大きな空間。
指先が落ちたシーツの冷たい感触は、御堂がそこを離れてからの時間を克哉に伝えていた。
「御堂……さん……?」
起き上がり、暗い寝室の中に目を凝らす。
掠れた呼び声に答える者はなく、克哉は酷く寂しい気持ちになった。
御堂はいったい、何処に行ってしまったのだろう。
克哉はベッドを降りると、御堂の姿を探して寝室を出た。
すぐにリビングから仄かな灯りが漏れているのに気づいて、克哉はほっと胸を撫で下ろした。
覗き込んでみると、ソファの背凭れ越しに御堂の後ろ姿が見える。
声を掛けようとして、躊躇った。
ほぼ二十四時間一緒にいれば、たとえそれが恋人であっても、たまには一人の時間が欲しくなるときもあるだろう。
(そっとしておいたほうがいいのかも……)
そう思うけれど、このまま一人であのベッドに戻るのは、やっぱり寂しい。
克哉がいつまでもその場を動けずにいると、気配を感じたのか、不意に御堂が振り返った。
「……克哉」
結局気づかれてしまって、克哉は気まずそうに笑う。
こちらを向いた御堂の顔は、別に怒っているような様子も無い。
それでもまだ傍に行っていいものか迷っていると、御堂は穏やかな声で克哉を呼び寄せてくれた。
「どうした? そんなところに突っ立っていないで、こちらに来ればいい」
「……はい」
嬉しくなって、克哉ははにかみながら御堂に歩み寄る。
テーブルの上には、ワインのボトル。
克哉が隣りに腰掛けると、御堂は短く溜息をついて、手にしていたグラスをその横に置いた。
「起きてしまったんだな。すまない」
「いえ、いいんです。目が覚めたらいなかったので、なんだか心配になって」
心配、という言葉が可笑しかったのか、御堂がほんの少し笑う。
それから克哉に凭れかかるようにして、肩を触れ合わせてきた。
小さくともる間接照明の灯りが、御堂の顔に濃い影を落としているのを、克哉はまだ半分まどろんでいるような心地で見つめていた。
「……どうも寝つけなくてな。少々、飲み足りなかったらしい」
「そうだったんですか」
克哉は視線をテーブルの上に移す。
グラスの中には、まだ僅かにワインが残っていた。
その妖艶ささえ感じさせる真紅の液体を見ているうちに、なんとなくせつなさが込み上げてくる。
部屋の時計は、もうすぐ午前三時になろうとしていた。
「……オレも、以前はなかなか寝つけませんでした」
克哉は思い出しながら、独り言のように呟く。
「眠ろうとして目を閉じると、頭の中に色々なことが浮かんでくるんです。
その日した失敗のこととか、明日はそれをどうやって挽回しようかとか、そういえば前にも似たようなことがあったな……なんて。
ようやく忘れたはずの嫌なことまで思い出してしまって、眠るまでに何時間も掛かって……」
自嘲気味に笑いながら紡がれる克哉の話を、御堂はただ黙って聞いている。
あの頃は、毎晩そんな夜を過ごしていた。
どうして、もっと上手くやれないのだろう。
どうして、もっと上手くいかないのだろう。
自己嫌悪に押し潰されそうになりながら、答えの出ない問いばかりを何度も繰り返していた。
そして最後にはいつも、この夜が二度と明けなければいい、明日なんて来なければいいと、投げ遣りな気持ちになって眠りに落ちていくのだ。
「……今は、そうでもないようだが?」
御堂の腕が、克哉の肩に回される。
抱き寄せられ、顔を覗き込まれ、克哉は照れ臭そうに微笑んだ。
「そうなんです。ここに来てからは、だいぶ寝つきが良くなりました」
「それはやはり、寝る前の運動が効いているからか?」
「そっ、そうじゃなくて……! あ、いえ……それも……あるかも……」
冗談になっていない冗談で返されて、克哉は顔を赤くする。
そんな自分を見てクスクスと笑っている御堂を恨めしく思いながらも、笑顔を見せてもらえるのならそれだけでいいとも思ってしまった。
御堂が眠れない理由と、自分が眠れなかった理由とは、きっと全く違っている。
それでも自分が御堂に出会って、大切な温もりの中で眠る幸せを感じられるようになったように、御堂にも自分の温もりを分け与えたかった。
御堂にとって眠れない夜が、苦しい時間でなければいい。
自分には傍にいることぐらいしか出来ないけれど、克哉は心からそう願っていた。
「……」
御堂は空いたほうの手を伸ばし、テーブルの上のグラスを取る。
そして残っていたワインを飲み干すと、気持ちを切り替えるかのように、克哉の肩を軽く叩いた。
「そろそろベッドに戻ろう。明日に障る」
「……はい、御堂さん」
二人は立ち上がり、灯りを消してリビングを後にする。
寝室に戻る途中、克哉は御堂の指に自分の指を絡めながら、いたずらっぽく言った。
「今度から、眠れないときにはオレが羊でも数えましょうか?」
少しからかうつもりだっただけなのに、御堂は真剣な顔で答える。
「ふむ……それは、いいかもしれないな」
「えっ?」
御堂は眠る克哉の頬を、指先でそっと撫でた。
暗闇の中、ぼんやりと見える唇からは規則的な吐息が漏れている。
「……私は、君と正反対だな」
克哉を起こさないよう、御堂は小さく呟いた。
御堂がこんな風に眠れない夜を過ごすようになったのは、克哉がここに来てからのことだった。
すぐ傍にある彼の無防備な寝顔を見ていると、時折酷く不安定な気持ちになる。
大切にしたい、守りたいと思うと同時に、何があっても自分を許し、求め、愛するのか確かめたくなった。
彼を啼かせ、求めさせ、縋りつかせたい。
彼の全てを暴き、支配したい。
そして誰の目にも、誰の手にも届かない場所に閉じ込めてしまいたいと思う。
自分がいなければ息をすることさえ出来ないほどになった彼を、可愛がり、愛してやりたいと思う。
その浅ましい欲望と、荒々しい衝動を抑えるために、御堂は何度かこうしてベッドを抜け出すことになった。
過去に自分が犯した罪を、もう一度繰り返したいとは思わない。
それでも御堂にとって克哉の温もりは、時に狂気じみた恋情を目覚めさせようとするものだった。
「あまり安心していると……どうなっても知らないぞ」
御堂は微笑みながら囁いて、克哉の額にくちづけた。
四十八匹目で眠りに落ちた羊は、狼の傍で安らかな寝息を立てている。
- end -
2008.11.20
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