Classical

Song for you

「余興?」
コーヒーを注いだカップを両手に持ちながら、御堂が克哉の言葉を繰り返す。
ダイニングテーブルの向かい側から差し出されたそのひとつを受け取って、克哉は小さく頷いた。
今日は休日だったけれど特に予定もなかったので、二人して少しだけ朝寝坊をしてブランチを済ませたところだ。
料理に関しては克哉がメインで作業をして、食後のコーヒーは御堂が淹れる。
それがいつの間にか二人の間で決まっていた役割分担だった。
御堂が席に着くと、克哉は「いただきます」と呟いてコーヒーを口に運ぶ。
「余興か……」
「そうなんです。余興」
「式は六月の予定だったか?」
「はい。横浜でやるそうですよ。去年、オープンしたばかりのホテルがあるじゃないですか」
「ああ、あそこか」
話は同じ開発部一室の同僚同士の結婚についてだった。
彼らの交際は以前から一室内では周知の事実だったのだが、そんな二人からとうとうめでたくゴールインすることになったと報告を受けて、皆で喜んだのが数日前。
当然、克哉もそのときは二人を心から祝福したのだけれど、今は少しだけ気が重くなってしまっていた。
それというのも―――。
「……で、その披露宴で余興をやってくれと?」
「はい。昨日、頼まれたんです」
克哉は苦笑する。
「その場にいたのがオレと藤田君と野見山さんだったんで、じゃあ三人でやろうかっていう話になって……というか、藤田君が三人でやりましょうよ!って盛り上がっちゃって。 オレももちろん二人をお祝いしたい気持ちはあるんですけど、余興となると何をしていいものなのか……」
「なるほど。それで悩んでいるということか」
「はい……」
克哉はもう一口コーヒーを飲んで、溜息を吐いた。
「時間は10分ぐらいで内容は任せるって言ってもらえたんで、定番になっちゃいますけど歌でも歌おうかっていう話になってはいるんです。 でも、藤田君がそれだけじゃ面白くないんじゃないかって言うんですよ。なにか、もう少し盛り上がる形にしたいらしくて」
「ふむ……歌うだけではなく、踊ってみるとかか?」
「その案も出たには出たんですけど……踊る……」
「藤田君と野見山君と君でか……」
「……」
「……」
互いに三人が踊っているところを思い浮かべてみて、その微妙さに同時に眉を顰める。
会場に寒々しい空気が流れるであろうことが容易に想像出来て、二人はやはり同時に緩く首を振った。
「ないな」
「ですよね。フラッシュモブならいいかもと思ったんですけど、ちょっと大袈裟になりすぎるような……。なんとなく小田切さんってそういうの好きじゃなさそうな気がしません?」
小田切というのは新婦なのだが、非常にクールで頭の切れる女性で、同僚の中には冗談混じりに『女御堂』などと呼ぶ者もいるぐらいだった。
そんな彼女は当初、結婚式自体にもあまり乗り気ではなかったそうで、新郎に説得されてようやく了承したらしい。
その話を新郎自身からこっそり聞かされたときには、世間一般では「結婚式は新婦の為にやるもの」とまで言われることも多いというのに、珍しいカップルだなと皆で笑い合ったのだった。
「まぁ、確かに彼女はそういうタイプではないかもしれんな」
「そうなんです。……というわけで、何か他にいい案はないでしょうか?」
「ううん、そうだな……」
二人して暫し考え込む。
新郎新婦ともに同僚であるからには当然招待客の多くがMGNの社員になるわけで、そうなるとあまり羽目を外すわけにもいかない。
しかし同じ開発部の仲間として、特別な場を特別に盛り上げたいという気持ちも分かる。
程度を弁えつつ意外性もあり、なおかつ皆に楽しんでもらえるような余興となるとなかなか難しかった。
やがてカップの中のコーヒーが空になった頃、まずは御堂が沈黙を破った。
「やはり歌うだけに留めておくのが無難ではないのか? あとはそれこそ藤田君に愉快なスピーチでもしてもらえばいい」
「ゆ、愉快なスピーチですか。そうですね、それが一番いいのかも……。そもそも藤田君は最初、二人の馴れ初めを面白可笑しく再現するコントはどうかって言ってたんですよ」
「コ、コント……。それは随分と難易度が高いな」
「でも野見山さんがそんなの絶対に嫌だ、って言って。コントよりは歌のほうが無難ですもんね……あ」
「ん?」
納得しかけた克哉の頭に、あるアイデアが浮かぶ。
それから克哉は御堂の顔をじっと見つめたかと思うと、花が咲くようにぱっと笑顔になった。
「オレ、いいこと思いつきました!」






定番のウェディングソングを熱唱しおわった野見山が恍惚とした表情でキメポーズを取った瞬間、音楽が鳴り止む。
それを合図に克哉と御堂、そして藤田が大きな拍手を送った。
「ヒュー! 野見山さん、かっこいいー!」
「ふん。まあな」
藤田のややオーバーな賛辞にも、野見山は満足げに小鼻を膨らませる。
それから再びソファに腰を下ろすと、テーブルの上にあったウーロンハイの残りを豪快に飲み干した。

克哉の思いついた「いいこと」とは、御堂にも余興に加わってもらうというものだった。
御堂自身はそんなことで盛り上がるとも思えないという理由から一旦はその案を拒否したのだが、 克哉に熱心に説得された挙句、実際にそれを話してみたときの藤田と野見山がかなり驚きつつも非常に乗り気な態度を見せたことで、 最終的には観念して腹をくくることに決めたのだった。
三人が言うには、御堂が人前で歌を歌うというだけでも充分意外性があるらしい。
そのうえで御堂が参加する件については新郎新婦だけでなく、MGNの関係者全員に伏せておこうということになった。
御堂にしてみれば「人をなんだと思っているんだ」と言いたくもなったが、せっかくの祝いの席だ、部下の為に一肌脱ぐのもいいだろうと割り切ることにした。
そんなこんなで今日は歌う曲を決める為、四人で仕事帰りにカラオケボックスに来たところだった。
それぞれが自身のおススメの曲を実際に歌ってみて、その中からどれにするか全員で話し合って決めることになっている。
そして、率先してトップバッターを務めたのが野見山だった。

「御堂部長! 如何でしたでしょうか、私の歌は!」
野見山は身を乗り出して克哉の向こうにいる御堂に問い掛ける。
部屋に流れ続けているBGMのせいでどうしても声が大きくなりがちなのは分かるが、それにしてもテンションが高い。
どうやら『御堂部長とカラオケ』という稀有な出来事に興奮しているらしかった。
「あ、ああ。なかなか良かったんじゃないか」
「ありがとうございます!」
野見山のテンションが更に上がる。
実際、彼の歌は決して悪くなかった。
まるで自分が超人気アーティストになったかのごとく手振りを加え、美しいバラード曲を情感たっぷりに堂々と歌い上げる姿は見事ですらあった。
仕事における真面目さが、こういった場面でも発揮されるのだろう。
それにしても御堂が野見山の勢いにやや圧され気味なのが可笑しくて克哉が思わずクスリと笑いを漏らすと、そこを野見山に睨まれてしまう。
しまったと克哉が身構えたところで、タイミング良く次の曲のイントロが流れてきた。
「次、俺が歌いまーす!」
マイクを手に元気よく立ち上ったのは藤田だ。
曲は克哉でも知っている、とある人気男性アイドルグループのものだった。
明らかなウェディングソングではないが、新しい門出を祝福、応援するような歌詞で、最近では披露宴でもよく歌われているという。
ミラーボールがくるくると回り、藤田が軽快に歌いはじめる。
彼はもともとこの曲が好きなのか、それとも今日の為に自主練習してきたのか知らないが、さりげなくそのアイドル達がやっている振り付けまでマスターしているようだった。
明るくノリのいい曲に克哉が手拍子を始めると、御堂もそれに合わせて手を叩きだす。
更にその御堂を見て、野見山も少々面倒臭そうに手を叩き始める。
それに勢いづいたように藤田は次々とキメ顔やキメポーズを取った。
「……有名な曲なのか?」
途中、御堂が克哉に身体を傾けて小声で囁いた。
どうやら御堂は知らない曲だったらしい。
「そうですね。ドラマの主題歌にもなってましたし」
「そうなのか……しかし、これは私にはちょっと歌えそうにないな……」
「えっ、そうですか?」
「年齢的に無理があるだろう」
「そんなことないですよ! 年齢なんて関係ありませんって」
「歌詞が早口すぎだ」
「孝典さんなら、練習すればすぐに歌えるようになりますよ」
「……言っておくが、私は歌は得意ではないぞ」
その言葉に、あれっと克哉は思う。
そういえば今までに御堂が歌を歌うところを見たことはあっただろうか。
MGNはキクチと違って、職場での飲み会などはあまり無い。
あっても御堂が参加することは少なく、その少ない参加も一次会のみで帰ることが多かった。
カラオケは大抵二次会で行くものだから、自然と御堂が歌う機会はなくなっていたのだろう。
それに今の言葉を聞くに、御堂は歌うことに苦手意識があるらしい。
今日のカラオケが決まったときも、御堂が少しだけ嫌そうに見えたのは克哉の気の所為ではなかったのだ。
「本当ですか? 孝典さんに苦手なものなんて無さそうですけど……」
「そんなわけがない。だいたい君のほうが歌は上手いじゃないか」
「へ?! なんですか、それ?!」
「……家事をしながらよく歌っているぞ」
「!!!」
まさか聞かれていたとは思わず、克哉は顔を赤くする。
コソコソとそんなやりとりをしているうちに、最後まで盛り上がったまま藤田の歌が終わった。
拍手喝采を浴びた藤田は至極ご満悦な様子だった。
「藤田君、すごいね! 振付まで!」
「いやぁ、それほどでもないっすよ~」
克哉の素直な賞賛に、満更でもなさそうに照れ笑いしながら藤田は頭を掻く。
熱唱して喉が渇いたのだろう、ビールを一息に飲むと、ぷはーっと気持ち良さそうに息を吐き出した。
「これ、俺の十八番なんですよ。これ歌うとだいたい盛り上がるんで」
「まぁ、確かに盛り上がる曲ではあるよな」
「ですよね!」
「うん、いい曲だと思うよ。ただ、これならやっぱり多少の振り付けはあったほうがいいかもしれないね」
「そうですねえ。元のダンスからちょっとアレンジすれば……」
ああでもないこうでもないと話しているところに御堂が割って入る。
「そういった話は、とにかく全員が歌ってからでいいのではないか? 佐伯君、次は君だぞ」
「えっ、オ、オレですか。御堂さん、良かったらお先に……」
「いや、私は君の後でいい」
「えーっ、なんでですか?! オレ……」
「これは上司命令だ。佐伯君、先に歌いたまえ」
「こ、ここでそれを言いますか……」
本当に御堂はずるい。
克哉は渋々デンモクを手に取ると、数字を入力し始める。
「ついでに御堂さんのぶんも入れましょうか?」
「いや、いい。自分で入れる」
「……」
実はここに来るまでの間、御堂が何を歌うつもりなのか克哉は何度も聞いたのだが、御堂は絶対に教えてくれなかったのだ。
もともと御堂は音楽ならクラシックしか聞かないので、いったいどんな曲を歌うのか克哉にはさっぱり見当がつかない。
それに加えて初めて御堂の歌を聞けると思うと自分の歌どころではなくなってしまいそうだったが、そうもいかなかった。
克哉の入れた曲は随分前に流行った、あるロックバンドのバラード曲だ。
綺麗なピアノの旋律が流れ、克哉は深く息を吸い込む。
「……」
今日のことが決まって、いざ何を歌おうかと考えたとき、克哉にはこの曲しか思い浮かばなかった。
もともと音楽は好きだったものの聞くのはもっぱら洋楽中心だった克哉が、邦楽にも興味を持つようになったきっかけが学生時代に流行ったこの曲だった。
ありきたりなラブソングかもしれないけれど、不器用ながら懸命に愛を伝えようとする歌詞と優しいメロディーにひどく心惹かれた。
そうして、御堂とまだ付き合い始めたばかりの頃。
御堂の車に同乗しているとき、カーラジオからこの曲が流れてきたのだ。
克哉はすぐになんの曲か分かって、本当は隣りでハンドルを握っている御堂に『オレ、この歌好きなんです』と伝えようとした。
けれど、御堂はきっとそんなこと興味が無いだろうと思って。
邦楽にも、自分の音楽の好みにも、御堂はきっと。
だから克哉は言いかけたセリフを飲み込んで、ただ黙ってその曲を聞いていた。
そしてやがて曲が終わったとき、御堂がぽつりと言った。
『いい歌だったな』
その言葉が、どれほど嬉しかったことか。
心の何処かでまだ御堂に対して遠慮があって、自分に自信がないから御堂にとっての自分なんてたいして価値がないんじゃないかと思っていて、 そんな中で御堂と気持ちを共有できたことが本当に嬉しかった。
二人の距離がほんの少しだけ縮んだ気がした。
あの日以来、克哉はこの歌がますます好きになったのだ。
このときのことは些細な出来事すぎて、きっと御堂は覚えていないだろう。
それでも今だけはこの歌を御堂に向けて歌いたかった。
「……」
「おぉ……」
克哉の甘く優しい歌声に、野見山は呆然としたように克哉を見つめ、藤田は感嘆の溜息を漏らす。
やがて静かに曲が終わると、少しの間があってから藤田が大きく手を叩いた。
「すごいです!! 最高ですよ、佐伯さん!」
「え、あ、ありがとう。その……」
「……まぁ、悪くなかったんじゃないか」
藤田の興奮した声でようやく我に返ったらしい野見山も気まずそうながら克哉を誉める。
それから、もちろん御堂も。
「ああ、いい歌だったな。佐伯君は歌が上手いな」
「そんなことは……でも、ありがとうございます」
克哉は照れてはにかむ。
実は御堂は克哉が歌うこの歌を何度も聞いたことがあった。
克哉自身は無意識のようだが、彼は家事をしているときなどによくこれを口ずさむのだ。
愛してる、愛してる、と繰り返すサビの部分を幸せそうに歌う彼の横顔を見ていると、いつも抱き締めたくなるほどに愛おしさが募った。
けれどあまりじっと見ていると彼が視線に気づいて歌うのを止めてしまうので、なるべく耳を澄ませるだけに留めていたのだった。
今日のカラオケが決まったときも、御堂は克哉がこの歌を歌うような気がしていた。
彼が歌うこの歌を聞くことが出来るのは自分だけにしておきたいという気持ちもあったけれど、 やはり同じようにうっとりと聞き惚れていた藤田と野見山を見ると、どうだ私の克哉は素晴らしいだろうと誇らしいような気持ちにもなった。
「いやー、本当にすごかったですよ! 俺、感動しちゃいました!」
「あはは……。恥ずかしいから、もういいよ。それより……」
このままではいつまでも続いてしまいそうだ。
さすがに気恥ずかしくなって克哉はそそくさと御堂にマイクを渡す。
「さ、いよいよ御堂さんの番ですからね!」
「あぁ……。しかし、この後ではなんとも歌いづらいな」
「そんなことないですよ! 御堂さん、頑張ってください!」
「分かった、分かった」
御堂が苦笑しながらマイクとデンモクを受け取る。
数字を入力し、程無くして流れてきたのは少し懐かしい、やはり結婚式では定番の曲だった。
(孝典さん、これ歌うのかぁ……)
克哉にしてみれば御堂のこの選曲はかなり意外だった。
原曲を歌っている歌手が好きだと聞いたことはないし、そもそもこの曲を知っているとすら思っていなかった。
けれど考えてみれば、どんな曲であっても意外だと感じたのかもしれない。
それほどまでに御堂が歌を歌うところが想像出来なかったのだ。
御堂の低い、穏やかな声がゆっくりとしたメロディーに乗せられていく。
真っ直ぐに背筋を伸ばして、歌詞を丁寧に紡ぐ歌い方は御堂の性格をそのまま表しているようだった。
(孝典さん……かっこいい……!!)
そんな御堂の歌う姿を見ながら、克哉は隣りで感動に打ち震えていた。
上手いとか上手くないとかはどうでもよかった。
ただ御堂の歌声がどこまでも優しく聞こえて、相手をひたすらに想う歌詞と相俟って胸に迫ってくる。
真剣に歌っている御堂の横顔は仕事のときとも家で見せるものとも違う、克哉が初めて見る表情をしていた。
(これだけつきあっていても、まだ知らないことがあるんだなぁ……)
歌を歌うとき、御堂がこんな顔をするなんて知らなかった。
ずっとずっと一緒にいて、決して他人には見せないような面も曝け出して、全部を知ったような気になっていたのかもしれない。
けれど本当はまだ見たことのない顔があって、まだ二人でやったことのないことがたくさんあって。
前はこうだったけど今は違っていたり、出来なかったことが出来るようになったり、きっと全部を知り得ることなんて永遠にないのだろう。
少し前ならそれは不安の種になっていたけれど、今は違う。
何もかもが楽しみだし、何もかもが嬉しい。
御堂と自分との間に起きること、全てが愛しかった。
「……!」
克哉が御堂の歌に聞き惚れていると、ソファについていた御堂の手がすぐ傍にあった克哉の手にそっと触れた。
テーブルの下で、互いの指と指がほんの僅か絡みあう。
一瞬だけ視線が交わされたとき、御堂が歌っていた歌詞は「ずっと二人で一緒にいよう」だった。

「……終わりだ」
御堂は曲が終わらないうちに演奏終了ボタンを押してしまう。
その途端、三人が大きく拍手をした。
「御堂さん! すごいです!」
「な、なにがだ……」
「本当にすごいですよ~。部長がこんなに歌が上手いとは知りませんでした! ね、野見山さん?」
「俺、感動しました!! 御堂部長!! 最高です!!」
野見山は拳を握りしめながら叫ぶ。
大騒ぎする三人に多少たじろいだような様子を見せながらも、御堂はすぐに気を取り直してこちらをぎろりと睨みつけてきた。
「もういいから、そのへんにしたまえ。別に今日は歌合戦をしにきたわけではないだろう。問題はどの曲にするのか、だったはずだが?」
「あっ、そうですよね!」
「そうでした!」
御堂は怒ったような顔をしてたけれど、それがただの照れ隠しであることは克哉には分かっていた。
仕事でどれだけ評価されても絶対にしないようなその反応に、克哉はこっそりと微笑む。
そのあとは興奮冷めやらぬ三人と、まだ少々気まずそうな御堂とで額を突き合わせ、曲について話し合った。
そうして曲と今後の予定が決まった後は、ただのカラオケ大会が始まった。
案の定御堂はもう歌ってくれなかったけれど、予定時間いっぱいまで三人で歌い、 それでもまだもう少し歌いたいという藤田、それに無理矢理つきあわされることになった野見山を残して、克哉と御堂は先に店を出ることにした。

表に出ると、冷たい風が吹きつけて火照った頬を冷やす。
タクシーを捕まえるため、大通りに向かって二人並んで歩いた。
「……楽しかったですね」
克哉が微笑みかけると、御堂は苦笑する。
「まぁ……たまには悪くないな」
「素直に楽しかった、って言いましょうよ」
「進んで来たい場所ではない」
「でも、また練習がありますよ?」
「……分かっている」
ちょっと不満げな御堂に克哉はクスクスと笑う。
「オレは孝典さんの歌がまた聞けるのが楽しみです」
「私は家でも君の歌が聞けるから、満足しているが」
「うう、恥ずかしい……まさか聞かれてるなんて……」
再び思い出して赤面する克哉に、今度は御堂が笑った。
「君が歌ったあの歌……私も好きだ」
「本当ですか?」
「ああ。また歌ってくれるか?」
「……はい」
嬉しくなって、克哉は御堂の手を握る。
いつもなら外でこんなことは絶対にしないけれど、今はこうしたかった。
御堂も躊躇いなく握り返してくれる。
克哉はそっと身を寄せて、あの歌を口ずさんだ。
面と向かって言うのは少し恥ずかしい言葉でも、歌でなら素直に伝えられるから。

愛してる、愛してる。

何度でも繰り返そう。
あなただけの為に。

- end -
2017.01.28



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