Classical

Sweet Real

帰社する同僚に労いの声を掛けた後、克哉は椅子の背に身体を預けて、大きな溜息をついた。
忙しい一日だった。
仕事がどれだけ立て込んでいても苦には思わないが、今日の場合は事情が違う。
三月十四日、ホワイトデー。
言わずと知れた、バレンタインデーにチョコレートをくれた女性に、今度は男性側からお返しを贈る日だったのだ。
一ヶ月前、大量のチョコレートを受け取った克哉は、このイベントに否応無しに参加することになってしまった。
午前中は会議があった為、午後からお返しを配って歩いたのだが、これが予想以上に大変な作業だった。
同じ開発部内ならともかく、何故か一度も顔を出したことのない部署の女性からまで貰っていたものだから、 克哉はMGNの広い社内をあちこち歩き回る羽目になってしまった。
しかも、御堂の分まで。
自分の分は自分で渡すべきだと説得してはみたものの、そんな暇はないだの、勝手に受け取ったのは君だろうだのと言われて、結局逆らえなかった。
なんとも気まずい思いだったが、しかし女性陣も心得たもので、御堂本人から貰えるなどとは思っていなかったらしい。
少々残念そうな反応もちらほらあったにはあったけれど、ほとんどはすんなりと受け取ってもらえて、克哉は心底ほっとした。
しかし全てを配り終わり、ようやく自分の仕事に取り掛かったときには、すっかり気疲れしてしまっていた。
克哉は、人もまばらになってきた1室内を見渡す。
今日はどうも社員の帰りが早いようだ。
こんなとき、フレックスタイム制というのはいいものだと思う。
しかし克哉は、まだしばらくは帰れそうになかった。
「はぁ……」
さて、もう一頑張り、と思ったときだった。
「お疲れみたいですね、佐伯さん」
斜め前の席にいる、藤田という同僚が声を掛けてきた。
MGNに来て以来、彼には何かにつけて良くしてもらっている。
藤田はもう帰るところなのか、デスクの上を片付け始めていた。
「うん……ちょっとね。藤田君は、もう帰るの?」
「はい。帰ったところで、何もすること無いんですけどね」
そう言って、あははと笑う。
明るくて、人懐こくて、親切なこの青年が、克哉はとても好きだった。
すると藤田は何かを思い出したのか、ふと片付けの手を止めると、克哉の方に身を乗り出してきた。
「それにしても佐伯さん、今日は忙しそうでしたねえ。お返し、配って歩いてたでしょ?」
「ああ……うん」
あれを見られていたのかと思うと、なんだか恥ずかしい。
けれど藤田は、あくまで羨望の眼差しを向けてくる。
彼は以前から御堂に憧れていたらしいが、その御堂が引き抜いてきた人物ということで、憧れがそのまま克哉にも向いているらしかった。
「よっぽど、たくさん貰ったんですね。いいなぁ。オレなんか、3個だけですよ? しかも全部、義理」
「オレだって、義理ばっかりだよ」
「ええ? まさかー」
「ほんとだって」
苦笑しながら答えたものの、克哉は少し不安になって思い返してみる。
義理でないものがあったとすれば、渡された時点で分かるはずだろう。
中にはカードが添えられていたものも幾つかあったが、名前以外は特に何も書かれてはいなかった。
大丈夫、間違いない。
御堂に言わせれば、自分は自覚が足りないらしいから、つい心配になってしまった。
「本当に、義理だよ。それに、あれは御堂さんの分もあったから」
克哉が言うと、藤田は目を丸くした。
「そうだったんですか? あ、でも、御堂部長こそ、本命チョコたくさん貰ってそうですよね。ああ、いいなぁ。羨ましいなあ」
「え……」
そこで、ふと気づく。
今日配って歩いた中に、御堂のことが本気で好きな女性はいなかったのだろうか。
御堂は何も言ってなかったが、彼が直接誰かから貰っていないとは限らない。
克哉が受け取った御堂宛ての分にも、カードが添えられているものがあったように記憶している。
もしかしたらその中に、携帯の電話番号が書かれているようなものもあったかもしれない。
もし本命チョコとして渡したのに、義理と同列の扱いをしてしまったのなら、余りにも相手に対して失礼だろう。
特に反応の違っていた女性はいなかったから、まさかとは思うが、なんとなく気になる。
「あの、ちょっとオレ」
「あ、お疲れ様でしたー」
克哉は慌てて、御堂のオフィスへと向かった。

執務室のドアをノックすると、中からすぐに返事があった。
「……失礼します」
「どうした?」
御堂は入ってきた克哉に一瞥をくれただけで、すぐにデスクの上のパソコンへと視線を戻してしまう。
どうやら、かなり忙しそうだ。
パソコンの横には、大量の資料が積み重なっている。
(タイミングが悪かったかな……)
思い立った勢いでついここまで来てしまったことを、克哉は早くも後悔していた。
なかなか用件を切り出さない克哉に、再び御堂が問いかける。
「どうしたんだ? 用件は?」
「はっ、はい! あの……」
御堂が苛立ちはじめている。
こうなったからには、さっさと話を済ませてしまったほうがいいだろう。
キーボードを打ち続けている御堂に、克哉はおずおずと尋ねた。
「今日配った、お返しのことなんですけど……」
「ああ、全部配り終わったか?」
「はい。それで、あの中に……まさか、本命チョコをくれた人の分まで入ってたり……しませんよね?」
その質問に、御堂はぴたりと手を止める。
それからようやく克哉に視線を向けると、意味ありげに口角を吊り上げた。
「私がそういったものを受け取っているのが、既に前提になっているようだな」
「だ、だって、御堂さんなら、きっと……」
今更言うまでもないが、御堂はもてる。
克哉もそれを忘れていたわけではないのだが、御堂は社内であまり隙を見せないので、少々安心していたところがあったかもしれない。
御堂はいつもこちらに自覚が足りないだのなんだのと注文をつけてくるけれど、心配なのは寧ろ御堂の方ではないか。
藤田の言葉で、克哉は改めてそれに気づかされた。
御堂は笑みを浮かべたまま克哉から視線を外すと、横に置いてあった書類をぱさりと捲った。
「心配するな。あったとしても、さすがに自分で対応するに決まっているだろう」
「それは……」
あったということなのだろうか、なかったということなのだろうか。
克哉の戸惑いを察してか、御堂が事務的な口調で言う。
「それに関して、詳細な報告が必要か?」
克哉は一瞬考えて、それから答えた。
「……いえ、結構です」
考えてみれば、どちらでもいいことだ。
どちらにせよ、結果は分かっているのだから。
罪悪感も、優越感も、持ちたくはなかった。
御堂は相変わらず仕事の手を休めないまま、今度はからかうように言う。
「それにしても、君は私を随分と薄情な人間だと思っているようだな」
「いっ、いえ、そういうわけではないんですけど……」
克哉は慌てて否定する。
本当は少しだけ、御堂ならやりかねないのではないかと思っていた。
御堂もそんな克哉の考えに気づいていたのか、不意に目を細めて呟く。
「……まあ、以前の私ならそうしていたかもしれないがな」
それをしなくなったのは、人を恋する気持ちが分かったから。
御堂の言葉の裏にそんな意味が隠されているとも知らず、克哉はただ「はあ」と曖昧な返事をする。
ともかく、ほっとした。
御堂は真剣な表情で書類を見ては、時折何かをそこに書き込み、またペンを置いてキーボードを打ち始める。
仕事をする御堂の姿は、惚れた欲目を差し引いても、格好良い。
男性である藤田があそこまで御堂に憧れるのも、無理はないと思う。
ましてや女性から見れば、尚更だろう。
それでも、御堂は自分を選んでくれたのだ。
今でも克哉は時々、自分が御堂の恋人であることが信じられないような気持ちになる。
告白したとき、御堂は信じられないと言ったけれど、それはお互い様だ。
自分こそ、あのときは玉砕を覚悟していたのだから。
気が緩んだ所為か、しばらく克哉は御堂をぼんやりと見つめていた。
「……まだ、何かあるのか?」
「!!」
不意に目が合って、克哉はうろたえる。
毎日毎日、御堂の一番傍にいるにも関わらず、まだ御堂に見惚れてしまう自分が恥ずかしかった。
「すっ、すみません。オレ、失礼します!」
「待ちたまえ」
慌てて踵を返そうとした克哉を、御堂は引き止める。
「本当にもう、何も用件は無いのか?」
「あ、あの……」
熱っぽい瞳で見つめられて、克哉は動けなくなってしまう。
(どうしよう、オレ……)
MGNに来ることになって、最初に克哉が心に決めたのが、『仕事とプライベートは分ける』ということだった。
当然のこととはいえ、その決心は無論、御堂にも伝えてあった。
そうしなければ、とてもじゃないが御堂の傍で働く自信などなかったからだ。
御堂に少し触れられただけでもドキドキしてしまうのは分かりきっていたし、 甘い言葉を囁かれればつい流されてしまいそうになるだろう。
そんなことで、せっかく自分の能力を評価してくれた御堂に失望されるのだけは嫌だった。
それなのに、どうしてだろう。
今日は、何故かどうにも堪らなくなっている。
ほんの少しだけ、この目の前で真剣に仕事に勤しんでいる『御堂部長』が、自分の恋人であることを確かめたくなっている。
「あの……三十秒だけ……仕事をサボって頂くことなんて、出来ませんよね……?」
気づいたときには、とんでもないことを口走っていた。
しかし克哉の言葉に御堂は僅かに驚いたような顔をした後、クスリと笑いを漏らした。
「……鍵を閉める必要が?」
「あっ……! じゃあ、あの、一応……」
克哉は慌てて、執務室の鍵を閉めに行く。
いったいオレは何をしているんだ、と思うものの、もう自分を止められない。
振り返ると、御堂は既に席を立っていた。
デスクに寄りかかり、腕組みしながら克哉の様子を眺めている。
「……それで? 君はどうしてほしい?」
御堂の顔がまともに見れず、克哉は俯く。
それから羞恥にうわずる声で、途切れ途切れに言った。
「……ちょっとだけ……その……だ、抱き締めて、もらえませんか……?」
「……」
言ってから、かあっと身体中が熱くなる。
克哉は首筋まで真っ赤に染めて、御堂の反応を待った。
御堂はといえば、なんとなく予想がついていたにも関わらず、そのお願いは予想以上に効いたようだった。
「……そんなに照れながら言うな。こっちまで恥ずかしくなる」
照れ隠しなのか、御堂は少し乱暴に克哉を抱き寄せる。
頬に御堂の髪が触れて、逞しい腕が背中に回される。
鼻先に御堂のフレグランスの香りがして、克哉はうっとりと目を細めた。
「すみません……お忙しそうなのに」
「そうじゃない」
「え……?」
「あれは、急ぎの案件じゃないからな。しかし仕事をしながらでもないと、すぐに手を伸ばしたくなる。君は公私混同を嫌がっているのだと思ったが」
「きょ、今日だけです! 今日だけ、ですから……」
「三十秒といわず、三分やろう」
耳元で、クスクスと御堂が笑う。
克哉は幸せで胸がいっぱいになって、御堂の背中に手を回すと、ぎゅっとしがみついた。
御堂の肩に顎を乗せ、その体温を全身で感じながら目を閉じる。
「……抱き締めるだけでは、済まなくなりそうだな」
しかし御堂の呟きに、克哉はハッと我に返った。
「だっ、ダメです! それは」
「なんだ、君から誘っておいて。キスぐらいならいいだろう?」
「……っ」
至近距離で見つめられて、そんなことを言われれば、拒みきれるはずがない。
互いの唇が吸い寄せられるように近づいていって、克哉はゆっくりと目を閉じた。
キスなんてしてしまったら、後に退けなくなることは分かっているのに。
「ん……は…ぁ……っ」
御堂の舌先が味わうように克哉の唇を舐め、それから歯列をなぞる。
僅かに開いたそこから応えるように舌を差し出すと、それはあっという間に絡め取られてしまった。
ぐいと腰を抱き寄せられ、すぐにくちづけは深くなる。
「んっ……ぅ……」
熱くぬめる舌に口内をぐるりと舐められ、濡れた吐息が飲み込まれていく。
ぴちゃぴちゃと卑猥な音が耳の奥に響き、克哉の身体の熱を煽った。
やがて熱は下肢へと降りていき、それにつれて呼吸が荒くなっていく。
硬くなり始めた中心が擦れあい、無意識に腰が揺れる。
御堂の手がゆっくりと背中を滑り落ち、克哉の双丘を強く掴んだ。
「んんっ……!」
その感触に、克哉の身体がびくりと跳ねる。
ここはオフィスなのだと、もう一人の自分が訴えているのに、身体は全く言うことを利かない。
幾度も角度を変えてくちづけながら、御堂は指先を双丘の窪みに這わせた。
「はっ……御堂、さん……」
濡れた唇で、御堂の名を呼ぶ。
くちづけが解かれても、下肢は触れ合ったままだ。
互いの中心はすっかり勃ち上がって、スーツの上からでもはっきり分かるほどになっている。
「……どうしてくれる? 君があんなに可愛いおねだりをするからだぞ」
「そんな……」
話しながらも、腰がゆるゆると蠢いてしまう。
けれど、こんな場所でどうすればいいと言うのだろう。
困り果てている克哉の耳朶を、御堂が軽く噛む。
「あっ……んんっ……」
「どうするんだ? 三分はとうに過ぎているが……君はこのままの状態で、仕事を続けられるのか?」
「で、でも……」
執務室の向こうでは、まだ社員達が働いている。
分かってはいるけれど、このままではどうにもならない。
一旦火のついてしまった身体を治められるのは、御堂しかいないのだ。
克哉は御堂の胸に縋りついた。
「今日、だけ……もう二度と……しません、から……」
泣きそうな声で言った克哉に、御堂が満足そうに笑った。
「素直だな」
御堂の手が克哉のベルトを外していく。
ファスナーが下ろされると、下着の中に手を入れられた。
「……っ!」
びくん、と克哉が大きく震える。
既に先端から雫を滲ませたそれを、御堂はきつく握り込んだ。
「この分なら、すぐにイきそうだな」
「やっ……」
ゆるゆると上下に扱かれ、克哉は身を捩る。
そこはあっという間に硬さを増して、水音を立て始めた。
膝が震え、崩れ落ちそうになる身体を、御堂がそっと押す。
促された克哉はソファの背凭れに手をつき、御堂に尻を突き出すような格好になった。
「……声は堪えろ」
克哉が無言で頷くと、ズボンと下着が一度に下ろされた。
この場に不似合いな自分の姿が容易に想像出来て、克哉は羞恥に目が眩む思いがする。
御堂が前をくつろげる音がして、先走りにぬめる先端が後孔に宛がわれる。
「……っ!」
思わず声が漏れそうになり、克哉は慌てて口を掌で覆った。
御堂の熱い欲望が双丘を割って、少しずつ克哉の中に入り込んでくる。
圧迫感と充足感が同時に襲ってきて、堪らない快感に克哉はふるふると頭を振った。
やがて全てを収めてしまうと、御堂は克哉の腰を掴んで激しく揺さぶりだす。
「……っ! ……!」
声を出せない息苦しさに、乱れる吐息だけがオフィスに溶けていく。
御堂に最奥を突かれるたびに、克哉の背中がしなった。
御堂は克哉の前に手を回し、自分の動きにあわせて克哉自身を擦る。
爪先からせり上がってくる快感に、太腿がぶるぶると痙攣する。
克哉は目尻に涙を滲ませながら、必死に嬌声を堪えていた。
「っふ……っ…! ……っ!」
声を出せないことが、こんなにも辛いとは思ってもみなかった。
閉じ込めた悦楽は逃げ場を失い、かえって快感を高める。
御堂の名を呼びたくて堪らない。
いつもは御堂に要求されてようやく、ということが多いのに、今は違っていた。
(孝典さん……好き……大好き……!)
克哉は心の中で、何度も叫ぶ。
微かに聞こえる御堂の荒い吐息が、尚更愛しさを募らせた。
いつしか克哉はソファに額を押し付け、自らも激しく腰を揺らしていた。
「……出す…ぞ……」
切羽詰ったような呟きに、克哉は必死で頷く。
御堂の律動が速くなり、それが一際深い場所を貫いた瞬間。
「……っ……っ……ん、ぅっ……―――!!」
がくがくと膝が戦慄き、克哉の中心から噴き出した精液がソファを叩く。
目の前が白くなるほどの快感に、克哉は幾度も身体を跳ねさせた。
繋がった部分は細かな痙攣を繰り返し、御堂の吐き出した欲望を飲み込んでいく。
「御堂……さん……」
首を捻って振り返ると、御堂が顔を近づけてくる。
御堂は克哉の腰を抱えたまま、弾む吐息も治まらないうちに囁いた。
「……やはり、声が聞けないのはつまらんな」
「御堂さん……」
そして、克哉の頬に何度もくちづけながら言う。
「家に帰ったら、たっぷり啼かせてやる。なんといっても、今日はホワイトデーだからな」
「えっ?」
それとこれとが繋がらなくて、克哉はきょとんとしてしまう。
そんな克哉を見て、御堂が笑った。
「君だって、私にチョコレートをくれただろう? 君へのお返しだけは、特別にしなければ」
「あ……」
唇を奪われながら、克哉の胸は期待に高鳴る。
―――やっぱり、オレはこの人のものなんだ。
克哉は御堂の腕の中で、この信じられないほどの幸せが、本当に現実なのだということを実感していた。

- end -
2008.03.13



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