Classical

Rainy Way

閉じられたカーテンの向こうから、ぱたぱたと窓を叩く音が聞こえだす。
濃いブラウンの布地に指を掛け、細く開けてみた。
無数の透明な雫が伝い流れる硝子に、寝室の暖かな間接照明の灯りと、自分の姿が反射して映り込む。
「また、降り始めましたね」
そう言った克哉の後ろから、揃いのバスローブを着た御堂が覗いた。
「本当だな。さっきより、強いようだ」
「そうですね」
今日は朝から一日中、雨が降り続けている。
それでも会社から帰ってくる頃には雨足も弱まり、ほとんど霧雨のようになっていたのだが、 今はまた勢いを増してきているようだった。
額を硝子に近づけて目を凝らすと、黒く濡れたアスファルトを打つ雨が、街灯の煙った光の中に見えた。
「今日は七夕なのに、残念ですね」
克哉の呟きに、御堂は少し間を置いてから答える。
「そういえば、そうだったな。ところで、誰が残念なんだ?」
「もちろん、織姫と彦星ですよ。……なんで、笑うんですか」
いや、と言いながらも、御堂はまだ肩を揺らしている。
そんなに子供染みていただろうかと克哉は少し拗ねながら、もう一度窓の外を見つめた。
「……でもオレ、雨の夜って好きなんですよ。静かで、落ち着きます」
自己嫌悪で、眠れない夜。
雨の音に耳を澄ませると、不思議と穏やかな気持ちになった。
ささくれた心が少しだけ和らいで、降り続ける雨にたゆたうように眠りに落ちることが出来る。
なんの音もしない晴れた夜より、雨音の聞こえる夜のほうが、ずっと静かに感じられた。
「好きなのは、夜だけか?」
「朝は、色々と大変なので……」
肩を抱かれ、じゃれるように頬を摺り寄せられて、克哉も甘えた笑みを浮かべる。
シャワーの後に残った僅かな湿り気と温もりに、シトラスの香りが仄かに漂った。
「朝は何が大変なんだ?」
「雨の朝の通勤ラッシュって、スゴイんですよ」
「ふうん」
「孝典さん、知らないんでしょう?」
「知らないな」
「もう……」
「今は私の車で行けるのだから、問題無いだろう?」
「それは、そうですけど」
御堂は話しながらも、克哉のうなじに、耳朶に、いくつも小さなくちづけを落とす。
まるで、そんな話になど興味は無いとでも言いたげだ。
けれど、別に不快にはならない。
むしろそんな御堂が可愛く思えて、克哉はクスクスと笑った。
(でも……)
雨の夜が好きな本当の理由は、もうひとつ別にある。
克哉がそこにさりげなく視線を向けたとき、横から御堂の指がすっと伸びてきた。
「……あそこだな」
「……!」
御堂の指先が示したのは、まさしく克哉が見ていた場所だった。
窓の外、見下ろした先。
マンションのエントランスを出て、すぐの場所。
あの日、克哉が御堂を待っていた場所。
「あそこに、君がいた。雨の中、ずぶ濡れになりながら座り込んでいた」
「孝典さん……」
覚えていてくれたんだ。
それだけで嬉しくなって、克哉ははにかむ。
「……驚きましたか?」
「そうだな。酷く、混乱した。君がいったいどういうつもりなのか、本当に訳が分からなかった」
あの日を懐かしむような目をした御堂の横顔に、胸が切なく疼く。
きっと、一生忘れられない。
全てを理解し、全てを受け入れた、あの日。
絶望が希望へと、諦めが誓いへと、何もかもが変わり始めた日を。
冷たい雨の中から救い出してくれた御堂の腕は、何処までも暖かくて、強かった。
「オレは、あの雨に感謝しているんです」
「雨にか?」
「はい。だって……雨が降ってこなかったら、あなたは来てくれなかったかもしれないじゃないですか」
「そんなことは」
否定しかけて、御堂は口を噤む。
それから、溜息混じりに克哉の指摘を認めた。
「……そうかもしれないな。雨が降っていなかったら、君のところに行くまで、もっと時間が掛かっていただろう。 その前に君のほうが痺れを切らして、帰ってしまっていたかもしれない」
「そんなことは」
無意識に同じ言葉を口にしてしまったことに気づいて、互いに顔を見合わせる。
二人して苦笑しあいながら、身体はその距離を確かに縮めていた。
もう起きてしまった過去に対して、「もしも」などと仮定するのは無意味なことだと分かっている。
それでも二人の間に起きた全ての出来事は、互いを繋ぐ為にあったのだと信じていた。
だから、あの日の雨にさえ感謝したい。
あの雨が、きっと二人の背中を押してくれたのだ。
「孝典さん……」
強請るように名前を呼ぶと、腰を引き寄せられる。
そのまま腕の中にきつく抱かれ、唇を塞がれた。
窓硝子の向こうでは、雨音が更に激しさを増している。
「……今夜が雨で、嬉しいです」
「そんなことを言うと、織姫と彦星に恨まれるぞ?」
「もう」
克哉は御堂の胸を、拳で軽く叩いた。
御堂は笑いながら、そんな克哉をもう一度抱き締める。
雨に導かれた二人だから、星空が見えなくても構わない。
そして溢れるほどの銀の河に、二人で同じ願い事をしよう。
これからも、ずっと一緒にいられますようにと。

- end -
2009.07.07



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