サイコロジカル・バスルーム
御堂はシャワーヘッドから流れ出る湯に手を差し出し、それが適温であることを確認する。
その傍で克哉は、冷たい床に座りこんで膝を抱えていた。
バスチェアがひとつしか無いのだから、仕方が無い。
御堂はシャワーを手にしたまま克哉の正面に回ると、そのひとつしかない椅子に腰掛けた。
「かけるぞ」
「はい」
克哉は項垂れて、目を閉じる。
すぐに頭上から暖かな水流が浴びせられ、髪をしとどに濡らしていった。
湯は克哉の背中や両足にも流れて、冷えかけた身体を温めてくれる。
零れた水滴が顔の輪郭を伝い、顎の先に溜まった。
(なんなんだろう、いったい……)
髪を柔らかく梳く御堂の指先を感じながら、克哉はこうなった原因を考える。
しかし思い当たるようなことは、なにひとつ無かった。
仕事を終えて、一緒に帰宅して、夕飯を済ませたところまでは、いつも通りだったはずだ。
その後は交代でシャワーを使う……のが常だったのだが、そこからが何故か違っていた。
今までにも何度か、一緒に風呂に入ったことはある。
けれど今日はその誘いとは別に、もうひとつ御堂の要求があった。
『君の髪を洗わせろ』
始めは「洗ってやる」と言われたのだが、当然克哉が遠慮すると、それは「洗わせろ」という命令に変わってしまった。
こうなっては、克哉に拒否権は無い。
訳も分からぬまま、御堂の指示に従うしかなかった。
水流が頭上から外れ、克哉は薄く目を開ける。
床に置かれたシャワーヘッドからは湯が流れ出たままで、克哉の足元を濡らしていた。
御堂は手のひらにシャンプーを取り、軽く泡立てる。
再び目を閉じると、少し冷たい感触が頭頂部のあたりを包み込んだ。
「あの……御堂さん?」
「なんだ」
「どうして急に、こんなことを?」
「……」
尋ねても御堂は答えず、ただ克哉の髪をわしわしと掻き回している。
十本の指先が髪の中を細かく動いていくのが、なんとなく気持ちいい。
しかし自分が手に怪我をしているとか、なんらかの理由があってこうされるのなら戸惑うことも無いのだが、そういうわけではないから困りものだ。
克哉はちらりと上目遣いで、御堂の様子を伺う。
御堂は無表情のまま、克哉の髪を洗い続けていた。
「……君は美容師以外の他人に、こうして髪を洗ってもらったことはあるか?」
御堂が手を止めず、不意に言った。
克哉は少し考えてから、答える。
「いえ、ありません」
「そうか」
「御堂さんは、ありますか?」
「ないな」
子供の頃ならば親に、美容院や理髪店に行けば店員に洗ってもらったことはある。
しかしそれ以外で誰かに髪を洗ってもらう機会など、それこそ大怪我でもしない限りはそうそうあることではないだろう。
御堂は再び尋ねてきた。
「では、私以外の他人に髪を触られたことは? 偶然ではなく、意図的にだ」
たまたま手が触れてしまったとかではなく、意図的に。
「それは……ある、と思いますけど」
克哉は自信なさげに答えた。
多分、あるのではないかと思う。
そのとき克哉の脳裏を過ぎったのは、昔つきあっていた恋人の存在だった。
はっきりとそういう場面を思い出したわけではなかったが、絶対になかったとは言いきれない。
恋人同士であれば、髪に触れたり触れられたりすることぐらいあっただろうと考えただけだ。
克哉の答えに、御堂は初めてそこで手を止めた。
「……誰にだ?」
「へ?」
「誰に、触られたんだ?」
「え? ええと、あの……」
まさか答えられるはずもなく、克哉がくちごもっていると、御堂は短く溜息をついてまた手を動かし始めた。
「要するに、他人の髪の毛に意図的に触れるとき、その相手とはかなり親密な関係にあると言える。違うか?」
「……そう、ですね」
克哉が誰を思い浮かべていたのか、御堂には察しがついたのだと思う。
それを肯定した途端、御堂の指先に力が入ったように感じたのは気の所為だろうか。
それにしても人に髪を洗ってもらうというのは、意外と気持ちがいい。
しかもそれが美容師などではなく、心を許している相手だからこそ、尚更そう感じるのかもしれない。
御堂は耳の後ろやうなじに至るまで、丁寧に克哉の髪を洗っていく。
短いのだからそれほど時間をかけなくてもいいのに、と思うぐらいだ。
時折、泡に濡れた手のひらが、耳朶や首筋に触れる。
髪の間を幾度も通っていく、踊るような指先。
もっと、触れられていたい。
そんな風に思ってしまう。
けれど克哉がうっとりとしていたのも束の間、御堂の手はとうとう離れてしまった。
「流すぞ」
「……はい」
克哉は再び項垂れて、目を閉じる。
最初と同じように、激しい水流が頭上から降り注ぎはじめた。
結局、御堂は何が言いたかったのだろう。
自分達は親密な関係にあるということを、再認識させたかったのだろうか。
しかし、それは今更だ。
そういえば今日の御堂は、いつもより少し機嫌が悪かったような気がする。
もしかして、また気づかないうちに何かしてしまったのかもしれない。
克哉は身体を滑り落ちていく柔らかな泡を感じながら、ぼんやりと考えていた。
「……あ」
思わず漏れた声に、御堂がシャワーヘッドを退ける。
「何か言ったか?」
「い、いえ。なにも」
そのとき克哉は、あることを思い出していた。
今日は朝から、風が強かった。
いつも会社から少し離れた場所で御堂の車を降りて、そこから歩いて行くのだが、
今朝はビル風と相俟ってかなりの強風に煽られた。
ほうほうの体でMGNについて、オフィスに向かって歩いているとき、同じ1室の原田という社員に声を掛けられた。
『後ろ、ぼさぼさになってるぞ』
すごい風だったからな、と彼は笑いながら言って、克哉の髪に触れた。
とは言っても、手のひらで二、三度撫でつけるというか、軽く叩くようにしただけだ。
恐らく御堂は、それを見たのだろう。
その後すぐにミーティングの為、御堂はオフィスに姿を現したから。
(それでか……)
御堂の理屈から言うと、意図的に克哉の髪に触れた原田とは親密な間柄ということになる。
勿論そんなわけはないのだが、御堂には気に入らなかったのだろう。
(まわりくどい人だなぁ……)
克哉は思わずクスクスと笑い出してしまう。
こんな遠回しな遣り方をしなくてもいいのに。
きっと、あんな些細なことで嫉妬してしまったことを恥じる気持ちがあったのかもしれない。
それでも何も言わないでいるのは気が済まなくて、色々と考えた結果がこの行動だったのか。
「……何を笑っている?」
御堂がシャワーを止めた。
克哉は濡れた髪を掻き上げて、御堂の顔をまじまじと見つめる。
いつもと変わらないようでいて、何処か拗ねているのが分かった。
「……御堂さん、覚えていますか?」
「なにをだ」
「オレが初めて、あなたに好きですって言ったのって……ここなんですよね」
「……」
克哉は膝立ちになると、ややばつが悪そうにしている御堂の顔に手を伸ばす。
そして両手で頬を挟みこむようにすると、身を乗り出して囁いた。
「あのときからオレは、全部あなたのものなんです。髪の毛一本に至るまで」
「……克哉」
克哉は自分から御堂にくちづけた。
御堂の嫉妬を、子供染みているとは思わない。
どんなに小さな出来事にでも心が揺れてしまうのは、自分も同じだからだ。
けれど御堂はまだ気まずいのか、その舌はぴくりとも動かない。
克哉はくちづけを続けたまま、御堂の下肢に手を滑り込ませた。
「……っ」
少し驚いたように息を飲む、その反応が克哉に火をつける。
まだ柔らかな中心を緩く握り締めると、克哉はゆっくりと手を動かした。
やがて御堂の手が克哉の背中に回り、その身体を引き寄せる。
「そっちに……行っても、いいですか?」
くちづけを解いて克哉が尋ねると、返事の代わりに御堂が克哉の腕を引く。
克哉は御堂と向かい合わせの状態で、膝の上に座った。
硬くなりはじめた互いの中心が触れて、自然と腰が揺れてしまう。
「んっ……」
触れ合うだけでは物足りなくて、克哉は自分と御堂のものを両手で一緒に包み込む。
手を動かし、先端を押し潰すように擦り上げると、腰に回された御堂の手が一層克哉を引き寄せた。
濡れた髪から零れる雫が、御堂の頬や胸にぽたぽたと落ちる。
御堂はそれに呼ばれるかのように、突き出された克哉の胸の尖りに唇を寄せた。
「あっ……!」
ひくついたような声を上げ、克哉は喉を見せる。
舌で転がされ、強く吸われると、無意識に手の動きが速まった。
「んっ……は…ぁ……っ……」
舌の先で突付かれるたびに、克哉の腰がびくびくと跳ねる。
二つの先端から溢れた蜜で、手元からは粘着質な水音が立ち始めていた。
やがて御堂の手が、腰から双丘へと落ちていく。
そして狭間に忍び込んだ指先が敏感な場所に触れた瞬間、電気が走ったかのように克哉の身体が大きく震えた。
「んっ、んんっ……!」
バスルームに響くのが恥ずかしくて、克哉は喉の奥に声を飲み込もうとする。
しかし御堂の指が内壁を抉るように擦ると、やはり堪えきれずに嬌声を上げた。
「ああっ……! はっ……!」
腰の揺れが激しくなり、御堂の膝から滑り落ちそうになりながら克哉は身をくねらせる。
指が中を掻き回すたびに、跳ね上がる下肢を止められない。
克哉は目元に涙を滲ませながら、とうとう御堂に懇願した。
「御堂…さん……もう、無理っ……です……」
絞り出された涙声の言葉に、御堂は口角を吊り上げながら克哉を見上げる。
「……ほしいのか?」
「は、い……」
克哉は全身を赤く染めながら、細かく頷いた。
腰を浮かせ、御堂のものを自ら後孔にあてがう。
屹立が少しずつ克哉の中を穿ち、克哉は息苦しいような、せつないような声を上げて身体を震わせた。
「あっ、あ……ああっ……」
御堂の熱は脈打ちながら、克哉の中を満たしていく。
全て納めてしまうと、克哉は御堂にしがみつきながら、たまらずに腰を振った。
「あっ、いいッ……御堂、さん……御堂さん……」
分かってほしかった。
あの頃からずっと好きだけれど、あの頃よりもっと好きになっていること。
髪の毛一本も、吐息ひとつも、全てが御堂の為にあるということ。
だから、御堂にも教えてほしい。
どんなに些細なことでも、どんなに小さな心の揺れでも、全部。
御堂は克哉の腰を掴んだまま、その身体を激しく揺さぶる。
腕の中でよがる克哉を見上げていると、この男が自分のものであることを実感出来た。
こうしているときが、一番正直に欲望をぶつけられる。
御堂は目の前にある克哉の肌に舌を這わせ、きつく吸い上げた。
そして、胸の尖りに歯を立てた瞬間。
「あ―――あぁあッ……!!」
一際大きく克哉の身体が跳ねて、その中心から白濁した液が迸る。
克哉は御堂の頭を抱え込むようにして抱き締めながら、最後の一滴まで出してしまおうと、ひくつく屹立を御堂の身体に擦りつけた。
溢れた精が御堂の肌の上をどろりと伝い、やがて御堂も克哉の中に欲望を放つ。
「御堂さん……」
「かつ、や……」
荒い呼吸が治まるより早く、御堂が克哉の濡れた髪を指先で掬う。
絡みつく薄茶色の髪を見つめながら、御堂は呟いた。
「君は……私の、ものだ……」
掠れた囁きに、克哉は心から嬉しそうに目を細める。
「はい、そうです。御堂さん……」
「克哉。出るぞ」
「はっ、はい!」
翌朝、先に玄関へと向かう御堂を振り返りながら、克哉は慌てて自分のカバンを手に取った。
そのまま後を追おうとして、ふと立ち止まる。
カバンの重さというか、膨らみ具合というか、とにかく何かがいつもと違っていた。
克哉はカバンを開けて、中を確かめてみる。
「……なんだ、これ?」
中には見慣れない、小さなポーチが入っていた。
入れた覚えがないことを訝しみながら、克哉はそのポーチを取り出す。
ファスナーを半分だけ開けてみて、思わず噴き出してしまった。
「……克哉! 遅れるぞ」
「あっ、はい! 今、行きます!」
返事をしてから、急いでポーチをもう一度カバンに仕舞う。
中に入っていたのは、携帯用の整髪料とヘアブラシ。
今日も風が強いようだから、きっとこれが活躍することだろう。
克哉は満面の笑みを浮かべながらカバンを抱き締めて、御堂を追いかけた。
- end -
2008.11.15
←Back