PEACE-MAKER
「だから、その件についてはさっきも説明しただろう?! 何度言えば分かるんだ!」
MGNの会議室に、本多の怒声が響く。
それに対して御堂はわざと大きな溜息をついてから、本多を睨みつけた。
「君こそ、何度言えば分かる? 仕事は学生のクラブ活動とは違う。いい加減にしたまえ」
「現場の事情も知らないで、好き勝手なことを命令するのが、あんたの仕事なのかよ」
「私が現場の事情を分かっていないとしたら、それは君達の報告に不備があるということだ。
分かってほしければ、事実を正確に報告すればいい」
「してるじゃねえか! あんたが聞く耳持たないだけで!」
「それは君の報告が報告ではなく、ただの言い訳だからだ」
「なんだと……!」
目の前で毎度お決まりの口論が始まると、克哉はそっと溜息をついた。
最近ではもう、止める気さえ起きない。
ミーティングのたびに繰り返される二人の言い争いには、さすがの克哉もうんざりしていた。
先月完成した新商品の営業を8課が担当することになったときは、久し振りに本多と仕事が出来ると、無邪気に喜んだものだった。
勿論こういう状況を想定していなかったわけではないけれど、それでもなんとかなるだろうと軽く考えていたのだ。
実際、仕事に関しては、なんとかなることはなっている。
本多の報告を見る限り、売り上げに関しては悪くないし、これからもまだ伸びる余地はあった。
こうして御堂が8課に営業を任せたのも、8課を信頼しているからに他ならない。
そしてその8課を実質率いているのが、営業成績トップの本多であるということも御堂は充分承知している。
一方、本多も散々文句を言うものの、御堂が仕事の出来る上司であることは認めていた。
それでもお互い、どうしても相容れない部分があるらしい。
声を荒げる本多の横では、同行してきた竹内という社員がやはり困ったような顔をしている。
本多は新入社員の彼を鍛えてやるなどと息巻いていたが、これではむしろ逆効果だろう。
御堂にしても同じだ。
御堂は本多が仕事に私情を交え過ぎると言うけれど、本多への態度を見るからに、御堂も充分私情を交えているように、克哉には見える。
そしてなにより、この時間がとてつもなく無駄に思えてならなかった。
(もう少し、なんとかならないかなぁ……)
これだけ言いたい放題言い合えるのなら、なにかしら歩み寄る方法があるのではなかろうか。
ヒートアップしていく二人を前にしながら、克哉はぼんやりと考えを巡らせていた。
克哉が部屋のチャイムを鳴らすと、ドアが半分ほど開き、本多がいつもの笑顔で出迎えてくれた。
「よぉ、克哉。よく来たな」
「うん。ちょっと遅くなっちゃって、ごめん」
「いいってことよ。ほら……」
と克哉を部屋に招き入れかけたところで、本多が固まる。
一瞬にして笑みが消えた顔は引き攣り、視線は克哉を飛び越え、その後ろに立つ人物に釘付けになっていた。
「……なんで、こいつが」
ようやく搾り出すように本多が呟くと、「こいつ」呼ばわりされた御堂が仏頂面を更に険しくして答えた。
「私だって、来たくて来たわけじゃない。行き先が君の家だとは、知らされていなかったんだからな」
「……どういうつもりだよ、克哉」
前方の本多、後方の御堂に挟まれて、克哉はエヘヘと誤魔化すように笑う。
「えーと……異文化交流?」
「克哉!」
「あ、あの、だからさ。本多のカレー、御堂さんにも一度食べてもらいたくて。でも名前を出したら、二人とも嫌がるだろう?」
「当たり前だ! 俺は、こんな奴に食わせるために作ったわけじゃねぇぞ!」
「奇遇だな。私も、貴様なんぞの作ったものを食べる気はない。腹でも壊したら、たまらないからな」
「なんだと!」
一触即発状態の二人に、克哉が宥めるように掌を見せる。
「ま、まあ、まあ、二人とも落ち着いて。今日は一時休戦ということで……ね? 御堂さん」
「む……」
我ながら狡い遣り方だとは思いつつも、克哉はわざと甘えたような声を出して、御堂の顔を覗き込む。
そして御堂が渋々口を噤むのを確認すると、今度は前に向き直って、本多にも満面の笑みを見せた。
「本多も、そんなこと言わずにさ。どうせ、またたくさん作ったんだろ? 食事をするときは人数が多いほうが楽しいって、お前よく言ってるじゃないか」
「それは……」
「とにかく、こんなところで揉めてたら近所迷惑になっちゃうよ。上がらせてもらうな」
うわぁ、いい匂いがするなあ、などと白々しく言いながら、克哉は部屋に入っていく。
御堂と本多は憮然とした表情のまま、その後についていくしかなかった。
一度、仕事抜きで会わせてみてはどうだろう。
克哉が辿り着いた考えは、結局そんなありきたりなものだった。
思う存分言い合うも良し、思わぬ意気投合を見せるも良し。
とにかくプライベートでコミュニケーションを取ることによって、事態が少しでも変わってくれやしないかと、
一縷の望みに賭けてみることにしたのである。
まずは本多に「久し振りに、またあのカレーが食べたいんだ」と電話を掛け、休日の昼間に訪問する約束を取り付けた。
それから当日になって、行き先を告げぬまま御堂を連れ出そうとしたのだが、これが最も困難を極めた。
用心深い彼はなかなか腰を上げようとはせず、約束の時間に遅れてしまったのも、それが原因だった。
しかしここまで来てしまえば、あとは野となれ山となれ。
克哉は半ば開き直って、今日一日を楽しもうと考えていた。
部屋に入るなり、御堂は鼻を鳴らしながら訝しげに呟いた。
「なんだ、この匂いは……?」
「やっぱり、そう思いますよね? フフッ、見たらびっくりしますよ」
克哉は思わせぶりにそれだけ答えて、キッチンに向かった本多の後を追う。
御堂はしばらく所在無さげにしていたものの、諦めてローテーブルの前に腰を下ろした。
やがて本多が巨大な鍋を、それに続いて克哉がご飯の乗った皿を運んでくる。
本多はまだこの状況に納得がいっていないのか、ぶすっとした顔のまま、テーブルの上に鍋を置いた。
「これは……」
御堂が鍋を覗きこんだ途端、顔を顰める。
たっぷりのルーの中から覗いているのは、丸ごと入ったじゃがいも、にんじん、たまねぎ、そして―――豚足。
カレーにまみれて天を向いた二本の爪が、そこはかとなく哀れを誘っていた。
「なんという、悪趣味な料理だ。作る人間の性格が出ているな」
「へっ。性格の悪さじゃ、あんたには負けるよ」
「俺も最初は驚いたんですよ。でも食べてみたら、これが意外と美味しくて」
火花を散らしかける二人の間に、克哉が割って入る。
三人分の皿をテーブルに並べると、おたまを取った。
「意外と、ってなんだよ」
「そりゃあ、これを見せられたら、誰でも驚くって」
克哉は話しながらカレーを盛りつけ、それぞれの前に置く。
それから御堂の隣りに腰を下ろすと、なんとか雰囲気を和ませようと、明るい声で言った。
「それじゃあ、食べようか。いただきまーす」
「……」
「……」
本多は無言のまま、カレーを食べ始める。
しかし、御堂はスプーンを取ろうともしない。
「……御堂さん。騙されたと思って、食べてみてくださいよ」
「別に無理に食ってもらわなくても、俺は結構だぜ」
「本多」
そんな遣り取りの中、目の前のカレーを睨みつけていた御堂が、ようやくスプーンを手にする。
御堂は克哉が今日、どういうつもりでこの席を設けたのかは既に察していた。
可愛い恋人の気遣いを無にするのも、大人げないと思ったのだろうか。
御堂は渋々といった様子で、ほんの少しだけカレーを掬い取ると、口に運ぶ。
克哉が、そして本多も、御堂の反応を固唾を飲んで見守った。
「……食えなくはない」
その一言に、克哉がほっと息を吐く。
「もう。御堂さん、素直じゃないんだから」
「私は充分素直だぞ」
「……けっ」
そうしてなんだかんだと言いつつも、三人は無事に食事を始めたのだった。
カレーを平らげると、克哉が真っ先に立ち上がった。
「じゃあ、後片付けはオレがやるから」
「お、おい! いいって、俺が」
「いいから、いいから」
本多の制止も聞かず、克哉は手際良く皿や鍋を流しに運んでいく。
本多は克哉を追ってキッチンまで行ったものの、さっさと洗い物を始めてしまった克哉に、結局追い返されてしまった。
「ちっ……」
克哉の気持ちは分かるけれど、やはり御堂とは仲良くなれそうにない。
舌打ちをしながら本多がリビングに戻ると、テーブルの前に御堂の姿はなかった。
その代わり、立って部屋の隅にある棚を覗き込んでいる。
そこには、一枚の写真が飾ってあった。
御堂は本多が戻ってきたのをその気配だけで察したのか、写真をまじまじと見つめながら尋ねる。
「これは?」
「大学んときの、バレー部の写真だよ」
こちらを見もしない御堂に、本多もまた顔を背けたままで答える。
それから身を投げ出すようにしてソファに座ったとき、ふとあることに気づいて、放り投げるように言った。
「……克哉なら、写ってねえぞ。あいつ、途中で辞めちまったから」
本多の言葉に、御堂はフンと鼻を鳴らす。
あからさまに興味を失った様子を見せる御堂に、本多は僅かに目を見張った。
(へえ……)
御堂と克哉が恋人関係にあることは、既に克哉から聞いて知っている。
本多は立ち上がると、別の棚の引き出しを開けて中を漁ってみた。
黄ばんだ封筒やらハガキやらの下から、なんとか目当ての物を見つけ出すと、それを御堂に差し出す。
「ほらよ。この中になら、克哉が写ってるのもあると思うぜ」
「……」
御堂は黙って写真の束を受け取り、ソファに腰を下ろす。
本多も少し離れて、その隣りに座った。
御堂は一枚ずつ目をこらすようにして写真を見ていたが、そのうちに克哉の姿を見つけたのか、ほんの僅か頬を緩ませる。
それを横目で見ていた本多は、思わず苦笑しながら言った。
「あんた……」
「なんだ」
「本当に、克哉のことが好きなんだな」
御堂はちらりと本多に鋭い視線を送ったものの、またすぐに写真を見つめながら「当然だ」と言い切った。
その目元がほんのり赤くなっているように見えるのは、気の所為ではないだろう。
あの御堂が、照れている。
本多は声を出して笑いそうになるのを堪えながら、少しだけ御堂の近くに座り直した。
御堂の手の中の写真を覗き込むと、そこに写っている克哉を指差す。
「ほら。ここにも写ってるだろ」
「貴様に言われなくても分かる」
「ああ、そうかよ。そいつは失礼」
「一枚、寄越せ」
「欲しいのかよ!」
「悪いか」
「……本人に貰えばいいじゃねえか」
「アルバムの類は、まったく持ってきていないようだ」
「ああ。そういえば、写真は嫌いだって言ってたかもな」
「それで? 譲る気はあるのか?」
「……それが、人に物を頼む態度かよ」
洗い物を終えた克哉は、恐る恐るリビングを覗き込んで、危うく腰を抜かしかけた。
二人がソファに並んで座り、仲良さげに話をしているではないか。
これは奇跡と言っても過言ではないだろう。
克哉は信じられないような気持ちで二人に近づき、その手元を覗き込んだ。
「二人とも、何見てるの?」
そしてそれが何なのか分かった途端、克哉は慌てる。
試合が終わった後に撮ったものだろうか、ユニフォーム姿の自分がばっちり写っていた。
「ちょっ、それっ……! 本多、なに見せてるんだよ!」
「いいじゃねえか。減るもんじゃなし」
「その通りだ」
「御堂さん!」
恥ずかしさのあまり写真を覆い隠そうと手を伸ばすも、御堂にぐいと腰を抱き寄せられて、隣りに座らされてしまう。
そのまま克哉の肩を抱いた御堂は、わざと写真を見せつけるようにして囁いた。
「こういう格好も、なかなか可愛らしくていい。生で見られなかったのは、残念だが」
「御堂、さん」
「エロオヤジかよ……」
「なんとでも言え」
呆れたようにツッコミを入れる本多にも、御堂は余裕の笑みで返す。
なんとなく二人の間の空気がさっきよりも和んでいるように感じて、克哉は内心ほっとしながらも、やはり恥ずかしさを捨て切れなかった。
「な、なんだよ、二人とも……。恥ずかしいよ! 御堂さん、見ないでくださいって!」
「この写真は、くれるそうだぞ」
「まだ、やるとは言ってねえ」
「なら、今言え」
「はいはい。何枚でも、好きなだけ持っていきゃいいだろ」
「ちょっと……!」
克哉にとっては少々災難だったものの、その思惑は結果的には成功したかのように、その日は見えた。
そして―――。
「だから、あと一週間だけ待ってくれって言ってるんだよ! それぐらい、いいじゃねえか!」
「期限は三日だ。これは譲れない。何度言わせるつもりなんだ」
「融通の効かねえ野郎だなあ。石頭かよ」
「脳が筋肉で出来ている奴に、言われたくはないな」
「なんだと!?」
いつものように始まった口論に、克哉はまたしても溜息をつく。
今回も本多に同行してきた竹内が、克哉に体を傾けて小声で囁いた。
「あのう……。あの二人、なんとかなりませんかね?」
「うーん……」
もしかしたらこの二人は、言い争うことを楽しんでいるのではないだろうか。
たとえ違っていたとしても、そう考えてしまったほうが楽かもしれない。
これによってストレスが解消出来ているなら、しばらくは放っておいたほうが良さそうだ。
「……ごめん。オレにも、無理みたい」
本多と御堂は、言い争いを続けている。
克哉の溜息が止む日は、当分訪れそうにはなかった。
- end -
2008.04.22
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