溶ける夜
MGNの社員食堂は充実している。
ビュッフェ形式で好きなものが食べられるし、メニューは和洋中と揃っているし、値段も格安だ。
だから当然のごとく昼時はとても混んでいて、ひとりで休憩を取るとき以外、克哉は滅多にここには来ない。
騒がしいのを好まない御堂とランチを共にするときは、大抵外に出ることになるからだ。
今日は御堂が午後まで外出から戻らないと分かっていたので、克哉はここで昼食を取ることにした。
サラダとエビピラフとアイスコーヒーの乗ったトレーを手に、空いている席を探す。
普段はもう少し多く食べるのだが、ひとりだと思うとどうも食欲が湧かなかった。
近くを通りかかったときに、タイミング良く空いたテーブルの端の席に座る。
それから食事を始めてすぐ、後ろから聞こえてきた会話に、思わず克哉は手の動きを止めた。
「……え。それって、御堂部長のこと?……」
肩越しに少しだけ振り返ると、背中合わせの席に女子社員が二人座っている。
ひとりが御堂の名前を出した子に向かって、小さく「しっ」と言ったのを克哉は見逃さなかった。
「えー、彼女ぐらいいるでしょ。あの人のレベルなら」
「結婚はしてないよね?」
「してないね」
「いいマンションに住んでるらしいよね」
「そりゃあねえ。あの人がワンルームに住んでたら笑うよ」
「そういえば前に、うちの誰かと噂にならなかったっけ?」
「ええ? そんなことあったっけ?」
「あったじゃん! ほらあ……」
無意識に耳をそばだてていたのか、食事を続けている間にも彼女達の話が聞こえてきてしまって、克哉は溜め息をついた。
こんな風に御堂の噂話を耳にしてしまうのは、なんともいたたまれない。
彼女達が声を潜めてくれたおかげで、そこから先は聞き取れなくなったのがせめてもの救いだった。
すっかり食べる気を失くした克哉の前には、ピラフがまだ半分以上残っている。
そのとき、上着の内ポケットの中で携帯が震えた。
「……?」
取り出してみると、サブディスプレイには『御堂』の文字が表示されている。
御堂から個人的にメールが来ることは、あまり多くない。
家でも会社でも顔を合わせているから必要無いということもあったし、
そうでないときでも電話が来ることのほうが多かった。
どんな他愛ない用事であっても、直接声を聞けるほうがいい。
御堂がそう思ってくれているかどうかは分からなかったが、少なくとも克哉の方はそう思っていた。
だからこんな風にメールが来るということは、何か言い辛い用事があるとき―――。
克哉はそう予想をつけて、来たばかりのメールを開いた。
『今夜、接待が入った。遅くなると思うから、先に寝ていていい。出来るだけ、早く帰る』
当たってほしくない予想は見事に的中し、克哉は今度こそ本気で憂鬱になる。
しかし接待も仕事の内だということはよく分かっていたから、
ただ『分かりました』とだけ返信して、克哉は携帯を閉じた。
ベッドの中で、克哉は暗い天井をぼんやりと見上げていた。
部屋の中は、しんと静まり返っている。
結局、今日は一日ほとんど御堂と会えなかった。
外出から戻った後も取引先の来客を受けたり、打ち合わせに出たりと、御堂は忙しくしていた。
一度だけオフィスに書類を届けに行ったときも、ちょうど御堂は電話で話をしている途中で、
克哉はデスクに書類を置いてくることしか出来なかったのだ。
気がついたときにはもう、社内に御堂の姿は無かった。
(夕飯にコンビニ弁当を食べたって知ったら、また怒るかなぁ……)
以前も夕飯をひとりで済ませることになったとき、
帰宅して空になった弁当の容器を見つけた御堂に「こんなものを食べるな」と怒られたのだ。
今のコンビニ弁当は味もいいし、栄養バランスもちゃんと考えられている、と幾ら説明しても納得しなかった。
そんなことは知っている。だが、そういう問題ではない。
と御堂は繰り返したが、結局どういう問題なのかは最後まで分からなかった。
(でも、なんだか御堂さんらしいよな……)
思い返して、克哉はくすりと笑う。
けれどすぐに寂しさが押し寄せてきて、僅かな笑みは潮が引くように消えていった。
「……」
ひとりで眠るには、広すぎるベッド。
隣りに空いた誰もいないシーツの上を、まるでそこに御堂がいるかのように克哉は掌で撫でる。
「御堂……さん……」
いつもならば温もりがあるはずのその場所は、ひんやりと冷たい。
御堂が接待で遅くなるのは、別に初めてのことではなかった。
それなのに、どうして今夜はこんなに寂しいのだろう。
(こんなに広い部屋に、ずっとひとりで暮らしてきて……寂しくなかったのかな……)
考えた途端、昼間の女子社員の話を思い出した。
『彼女ぐらいいるでしょ』
『誰かと噂に……』
「……っ」
克哉は胸の痛みを感じて、思わずそこに手を当てる。
ずっとひとりだったわけじゃないかもしれない。
このベッドで、他の誰かを抱いたことだってあったかもしれない。
御堂が、自分以外の誰かを―――。
「…嫌……だ…っ……」
搾り出すような声で呟いて、克哉はぎゅっと目を瞑った。
以前は御堂が過去の話をあまりしてくれないことに寂しさを感じていたけれど、
最近では積極的に聞こうとしなくなっていた。
好きになればなるほど、心が狭くなっていくような気がする。
もちろん、御堂が今まで誰とも付き合ったことがないなどと思っているわけじゃない。
自分だって、彼女がいたこともあるのだ。
過去に嫉妬するなんて、馬鹿げていることだと分かっている。
それでも、どうしても泣きたいような気持ちになって、克哉はベッドの中で小さく背中を丸めた。
「…御堂……さん……」
名前を呼ぶだけで、心が震える。
寂しさを紛らわしたかったのか、克哉の手は無意識に胸元へと伸びていた。
鎖骨をなぞり、そこから更にゆっくりと下へ降りていく。
パジャマの布越しに小さな尖りを見つけたところで、手は止まった。
指先が自然と、円を描くように動く。
「……っ…」
以前の自分なら、こんなところで快感を得られるとは思ってもみなかった。
けれど今では御堂の愛撫を思い出して、体が熱くなる。
鈍い痛みにも似た感覚が、少しずつ他の場所へと広がっていくようだ。
速まっていく鼓動に急かされるように、克哉はパジャマのボタンを外し胸板を露わにした。
「は…っ……」
直接触れると、さっきよりも強い刺激に思わず声が漏れる。
いつの間にか指先には力がこもり、克哉はそこを押し潰すようにしながら捏ねた。
「…んっ……ぁ……」
目を閉じたまま、克哉は御堂のことを思い浮かべていた。
彼の声、彼の吐息、彼の指先、彼の熱。
自分で与える刺激は御堂のそれとは程遠く、身体の奥に芽生えた疼きは不満を訴える。
克哉は空いた方の手を、頭をもたげ始めた中心へそろそろと伸ばした。
膨らみを撫でた後、ウェストから下着の中へ手を差し入れる。
硬くなりつつある幹を握ると、上下にゆっくりと手を動かした。
「っ……ふ………孝典…さん……」
セックスのときだけ呼べる、御堂の名前。
それが口を突いて出たた瞬間、克哉はどうしようもないほどのせつなさを覚えた。
「あっ……孝典、さん……孝典さん…っ………」
克哉は更に体を小さく縮こまらせる。
すっかり硬さを増した中心を扱きながら、今度は自分の後ろへと手を伸ばした。
いつも御堂を受け入れる場所。
そこはひくひくと痙攣しながら、克哉の指を招き入れようと待ち構えていた。
「あっ……あぁっ……」
指先を埋めると、溜め息のような喘ぎ声が漏れた。
前後の刺激に耐え兼ねた中心が、先端から蜜を溢れさせる。
すぐに掌は濡れてしまい、動かすたびに微かな水音を立て始めた。
克哉は御堂の名を呼びながら、その行為に夢中になっていく。
中心を扱く手の動きが速くなっていく。
そして、いよいよ解放の瞬間が近づいてきた、そのときだった―――。
「……!!」
玄関の扉が開く音がした。
それから荷物を置くような物音と、それに続く足音。
それは寝室の前までやって来ると、ぴたりと止まった。
「……克哉?」
そっとドアが開き、御堂の声がした。
克哉はベッドの中で息を殺す。
咄嗟に下着の中から手は出したものの、早鐘を打つような鼓動が治まる気配はない。
肌蹴たままの胸に、冷たい汗が浮かぶ。
あんなにも御堂がいないことを寂しく思っていたくせに、今はどうかどこかに行ってほしかった。
先に着替えるのでも、シャワーを浴びに行くのでもいい。
とにかく、どこかに。
「……」
けれど克哉の願いとは裏腹に、御堂はそのまま寝室へと入ってきた。
スプリングが沈み、克哉は御堂がベッドの縁に腰を下ろしたことに気づく。
(どうしよう……)
御堂がいない寂しさに、自分で慰めていたことなど絶対に知られたくはない。
けれど解放の直前で止められた克哉の下肢は、今も痛むほどにズキズキと疼いていた。
「克哉……」
御堂が呟いて、克哉の髪にそっと触れた。
そんなに優しく呼ばないで。
そんなに優しく触れないで。
更に高鳴る鼓動と共に、克哉の中心が今にも弾けそうなほど脈打つ。
狂おしいまでに求めていた御堂の声と指先が、ようやく与えられたのだ。
克哉の体は、克哉の気持ちなど無視するかのように、ただ悦んでいる。
やがて御堂が身を乗り出し、更にスプリングが軋んだ。
「―――!!」
御堂が克哉の頬にくちづけたのだ。
その瞬間、克哉の体は限界を迎えた。
中心から迸った欲望が、下着の中であることも構わずに飛び散る。
「…あ…っ、ぁ………」
とうとう堪えきれずに克哉は声を漏らした。
放出の快感と、それを御堂に知られてしまった羞恥に、身体が震える。
ぎゅっと拳を握り締めたまま、克哉は早く射精が終わってくれることだけを願っていた。
「は…ぁ……」
全てを出し切ってしまうと、恐る恐る目を開く。
薄闇の中に、自分を見下ろしている御堂の姿があった。
「……やはり、眠っていなかったんだな」
御堂はにやりと笑いながら、言った。
そして克哉の上に掛かっていた布団を、勢いよく捲り上げる。
「あ……っ!!」
濡れたその場所を隠そうとして、克哉は咄嗟に足を動かした。
精液に塗れた下着の中が、ぐちゃりと不快な音を立てる。
克哉はあまりの恥ずかしさに、枕に顔を押し付けた。
「私が帰るまで、我慢出来なかったのか?」
御堂の掌が、そろりと克哉の中心を撫でる。
「あっ……御堂、さん……」
「君は本当にいやらしいんだな。あんなキスぐらいで、イってしまうなんて」
「……っ…や、め……て、くださっ……」
御堂は喋りながらも、手を動かし続ける。
ぐちゃぐちゃにされて気持ちが悪いはずなのに、それをしているのが御堂だと思うと、克哉の身体は無条件に反応してしまう。
今出したばかりで、もう形を変え始めている克哉のものを掌で感じて、御堂は笑みを浮かべた。
「まったく……私というものがありながら、自分でするなど……」
「すみません……でも、オレ……寂しくて……」
恥ずかしさと情けなさで、涙が出てくる。
それを見た御堂は、克哉の濡れた睫にくちづけて囁いた。
「分かっている。私も、早く君を抱きたかった」
「……本当…ですか……?」
「ああ、本当だ」
その言葉に克哉が漸く顔を向けると、二人は唇を重ねた。
性急に舌を絡め合い、お互いを求める。
「ん…っ……ふ……」
克哉は御堂の背中に手を回すと、その暖かな身体を抱き寄せた。
待っていた時間は僅かなものだったはずなのに、克哉にとっては酷く長いものだった。
ようやく自分の元に戻ってきてくれた温もりを、まるで宝物のように抱き締める。
御堂の身体の重みは、克哉に安堵を与えてくれた。
「御堂……さん……」
御堂は一旦克哉から離れると、スーツの上着とワイシャツを脱ぎ捨てる。
それから改めて克哉の上に覆い被さり、胸の辺りに唇を落とした。
小さな突起の片方を指先で摘まみ上げ、片方に舌を這わせる。
「あっ……は……」
克哉は御堂の頭を抱え込みながら、せつなく身を捩らせる。
舌の濡れた生暖かい感覚が、再び体を熱くしていった。
御堂にされると、どうしてこんなにも気持ちがいいのだろう。
自分が自分でなくなってしまいそうなほど、快楽に溺れてしまう。
それが無性に恥ずかしくて、怖くて、そして嬉しかった。
克哉がたまらず御堂の足に自分の足を絡めると、御堂が顔を上げた。
「……脱がせてやろう」
そう言って体を起こすと、克哉の濡れた下着とパジャマを一息にずり下ろす。
「あっ……!」
すっかり硬さを取り戻した克哉の中心は、濡れて光っていた。
御堂はそれの輪郭を、爪の先で先端からなぞっていく。
「あ…っ……や……」
「こっちも、自分で弄ったのか?」
御堂の指先が後ろに辿り着き、克哉の体が大きく跳ねた。
「ひゃ…っ……!」
「どうなんだ?」
「……っ」
克哉はきつく目を閉じたまま、小さく頷く。
御堂が微かに笑う気配を感じた。
「……やっぱり、君はいやらしい男だな」
しかし指先は敏感な皮膚を撫で擦るばかりで、一向に克哉が求める刺激を与えようとしない。
いつの間にか克哉は腰を揺らし、その先を強請るような格好になっていた。
「…孝典、さん……早く…っ……」
たまらず口にするが、御堂は意地悪く言う。
「早く、なんだ?」
「だから…っ」
「言いたまえ」
「…く…ッ……」
いつもこうだ。焦らしに焦らされ、こちらが根負けするまで御堂は諦めない。
君が可愛いすぎるからだ、などと御堂は嘯くが、克哉にしてみれば恥ずかしいだけだ。
そして今夜も、やはり勝敗は決まっていた。
「は、早く……あなたを、ください…っ……」
克哉は暗がりでも分かるほどに顔を赤く染めながら言う。
その言葉にようやく御堂はベルトを外し、前をくつろげた。
克哉の両膝を押さえつけ、大きく足を開かせる。
「は、っ……」
「克哉……」
御堂は自身を克哉の後ろに宛がうと、ゆっくり腰を押し進めた。
「あっ……あぁぁっ……」
御堂が入ってくる。
ずっと、これが欲しかったのだ。
熱くて硬い御堂の欲望は、少しずつ克哉の中を満たしていく。
「孝典、さん……もっと……もっと、奥まで……」
「……分かって、いる…」
克哉のきつい中に締め付けられて、御堂の息も乱れはじめる。
繋がっている部分が、溶けてしまいそうなほどに熱い。
やがて最も深い場所まで辿り着くと、御堂は細く息を吐いた。
「克哉……動くぞ」
「あっ……」
始めはゆっくりと、そして次第に御堂の動きは激しくなっていく。
決して御堂を逃すまいとして絡みつく克哉の中を往復しながら、
二人は息を弾ませていった。
「あっ、あっ、いい……孝典さ…ん……!」
克哉は御堂に突き上げられながら、快感に悶えた。
御堂の腕にすがりつき、自らも腰を揺らす。
二人の吐き出す荒い呼吸と、肌に浮かぶ汗が、部屋の中に濃密な空気を作っていった。
抱かれながら、無理矢理に犯されたあのときのことを思い出さないわけではない。
それでも今は、あの頃から自分は御堂に求められていたのだと思えるようになった。
そして自分もまた、いつしか御堂を求めるようになっていたのだと。
「あっ……も、もう……オレ……」
御堂に揺さぶられるうち、克哉の中心が張り詰めてきた。
身体の奥から、再度の解放を求める欲望が沸き起こる。
克哉の言葉に、御堂の動きは激しさを増した。
「あ、あぁっ! 孝典、さん……もう、ダメ……本当、に……!」
「かつ、や……」
「あっ……あぁっ、ああぁっ、ああッ―――!!!」
「くッ……!」
瞬間、克哉の身体が固く強張った。
高々と上げられた爪先が反り返ると同時に、中心から白濁した液体が飛び散る。
撒き散らしたものは克哉の腹から胸元を濡らし、やがてシーツへと零れていった。
御堂も震えながら、細かく痙攣する克哉の中に大量の精を放つ。
二人は大きく胸を上下させながら、その快感の余韻にしばらく浸っていた。
「御堂……さん……」
克哉は呼びながら、御堂を抱き寄せる。
身体が汚れることなど気にもせず、御堂は克哉にぴったりと胸を合わせた。
愛おしげに髪を撫で、幾度もキスを繰り返す。
ぶつかった視線に、二人は自然と微笑みあっていた。
「それにしても……」
隣りに横たわった御堂が、不意に克哉の耳元に唇を寄せた。
「あんなに可愛らしい君が見られるなら、たまには接待も悪くないな」
「!!!」
さっきの醜態を思い出して、また克哉は顔を赤らめる。
「もう、言わないでください……」
今にも泣き出しそうなその表情を見て、御堂は宥めるように克哉の頬にくちづけた。
「別に恥ずかしがることはないだろう」
「恥ずかしいに決まってるじゃないですか!」
「私のことを思いながら、していたんだろう?」
「それは……そう、ですけど……」
肯定されて、御堂は寧ろ嬉しそうに笑った。
「そんなに私のことが好きなのか?」
「は、い……好き、です……」
「そうか。私も君が好きだ」
そう言って、御堂は克哉を抱き寄せる。
その温もりを感じながら、克哉は心の中で反省していた。
この人はこんなにも自分を愛してくれているのに、どうして過去に嫉妬などしたのだろう。
終わったことなど、どうでもいい。
今、御堂は誰よりも傍にいてくれる。
きっと明日も、来年も、その先もずっと―――。
蟠りの溶けた心に幸せな気持ちだけが満ちて、克哉は御堂の腕の中で眠りに落ちていった。
- end -
2007.10.03
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